近年、人気を博したテレビアニメーションが劇場版アニメーションとしてリブートされる例が目立つ。テレビシリーズ『交響詩篇エウレカセブン』(2005-06)のシーンを再構築し、物語の発端となった「サマー・オブ・ラブ」を完全新作で描写した映画『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション 1』(2017)もそのひとつだ。両作品の脚本を手掛けた佐藤大さんに、セルフリブート作品となった「ハイエボリューション 1」について、またリブートブームについて語っていただいた。

インタビュアー:さやわか(物語評論家)

交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション 1(特装限定版)

音楽的なアプローチ

佐藤さんはいろいろなシリーズものに参加されていますが、特にシリーズ構成として関わった最初の作品『交響詩篇エウレカセブン』(以下「エウレカ」)をご自身でリブートすることはどんなお気持ちだったのでしょうか。

佐藤:13年前に「エウレカ」に携わった時は右も左も分からなかったものの、僕としては最初のテレビシリーズの全50本で目指したもの、できることはやりつくしたと思っていました。反省点もあるにしても、ひとつの区切りをつけたという気持ちで、そのあとに制作された劇場版『交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』(2009)(以下「ポケットが虹でいっぱい」)(註1)、テレビシリーズ『エウレカセブンAO』(2012)(以下「AO」)(註2)には携わっていませんでした。今回の映画化の話は3年以上前にいただいて、続編やまったく新しい作品であれば若い人に自由にやっていただくほうがいいと思っているのですが、最初の「エウレカ」をリブートする企画で、これを他の人に預けるには重いなと思いました。
それというのは、当時のサブカルチャーの描き方や、音楽ネタを今の時代に再び扱うことの意味が、僕と京田知己(註3)さん、吉田健一(註4)さんがいないと変わってきてしまうからです。「AO」も「ポケットが虹でいっぱい」も、その文脈には触れない作品として作られていました。たとえば「ブルーマンデー」(註5)から始まるテクノミュージックの文脈は、3人でないと分からないところがありました。変えるとしても自覚をもって取り組まないと、それはもはや「エウレカ」ではない。当時リスペクトしてネタとして使っていたHardfloor(註6)を、「ハイエボリューション 1」に起用したのもその流れです。

「エウレカ」ならではのお話です。テレビシリーズ当時のアーティストの文脈と今のそれとでは見え方が違う。その違いも込みで、どのように見せるかという問題ですね。

佐藤:当時はサブカルチャーやテクノ、ヒップホップといった音楽、例えば電気グルーヴ(註7)やSUPERCAR(註8)といった楽曲が、アニメーションのなかでかかること自体がひとつのコンセプトであり、事件でした。しかし、13年経ったらそんな状況は当たり前になっていて、むしろトレヴァー・ホーン(註9)やSUPERCARの中村弘二さんが日本のアニメのためにサントラを手掛ける時代。そんなときにサブカルチャーの音楽を劇中で流す意味は何だろう、というのが最初のタスクでした。

「ハイエボリューション 1」では主題歌に尾崎裕哉(註10)さんによるテクノ/エレクトロニカ的な音楽「Glory Days」が使われているのが印象的です。

佐藤:当時の「エウレカ」もFLOW(註11)やHALCALI(註12)といった日本の新しいアーティストに主題歌、エンディングを担当してもらっていました。リブートの方法論として、「ハイエボリューション 1」でも今のダンスミュージックをけん引している人に依頼するチョイスもなくはなかった。ただ、それを僕たちがやる意味が見出せなかった。それで「エウレカ」1話の劇中でも流した『STORYWRITER』の作詞もしていた元SUPERCARのいしわたり淳治(註13)さんが尾崎裕哉さんの楽曲の作詞も手がけていたので、この偶然を利用しないわけにはいかない気持ちはありました。「エウレカ」はいつも音楽に救われています。

物語についてはいかがですか。リブートでは語り直しをやらないといけませんが。

佐藤:最初は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(2007年。以下「ヱヴァ新劇」)(註14)のような、テレビシリーズと同じ絵コンテを活用して描き直す発想からまずトライして、脚本も書きました。今やるのだったらこうなるという形を、全部作り直すつもりで書いてみた。その過程で、主に脚本的な事情がありましたが、他にも技術的、時間的、金銭的な事情も重なって、一度、これはプロジェクトが瓦解するのではないかという事態になり……、そこから持ち直したんです。
結果として、いまのような「語り直し」になりました。ひとりの男の子が世界や社会に向かい合っていくという「エウレカ」の根幹はそのままに、元にある音や絵に合わせて言葉を埋めていく、ある種の作詞作業になったのです。脚本を書く行為としてはかなり異色な、音楽的なアプローチでした。サンプリングだったりエフェクトだったりという音楽的な感覚で、既にある映像に意味を加えていく。他のリブートとはかなり違う、「エウレカ」でしかできない手法を当てはめることができました。

「エウレカ」が音楽に対する親和性が高かったからこその方法ですね。

佐藤:元ネタが自分達のハードディスクみたいな感覚です。「ハイエボリューション 1」ではリコンストラクトをやったので、制作中の2・3はそれを超える違う手法でやらなければ、とハードルが上がっています。でも最近、勝機が見えてきて、いわゆるリブートの新しい見せ方ができそうな手ごたえがあります。

メディアの変化を、物語に取り込む構造

13年前とはアニメーション技術だけではなく、画面の比率も変化しています。そこはやはり意識されていますか。

佐藤:画面比率は別のタスクとして、一番大きいものでした。「エウレカ」のフレームを劇場版や地デジとしての一般的なフォーマットである16:9にするために、通常の発想であればオリジナルの上下をトリミングすればいいのですが、実際にやってみるとレイアウトが甘くなってしまいました。これは演出的なレベルの話ですが、もともと意図していないレイアウトを引き延ばしたりカットすると、緊張感がキープできない。「ヱヴァ新劇」はレイアウトをトレースして作っていたのかもれませんが、そこに「ヱヴァ新劇」が持つような意味とは違う意味があるのか、それならもっと違うことに労力を費やしたほうがいいのではと京田さんも悩んで考えていたのでしょう。

フレームの違いを語りに取り込んで、前面化する答えを選ばれました。

佐藤:劇中の時間軸の構造に階層をつくり、旧テレビの4:3フレームは回想シーン、16:9のフレームは現代といったように、フレーム自体に意味を持たせることで、総集編とは違うリブートにトライしました。
リブート制作の工程として、特に2000年代初期、地デジに切り替わるタイミングの作品には、この同じ問題が出てきます。それより前の作品だったらあきらめてトリミングして上下を落とす選択もあったのですが、デジタルで作られたクリアな絵にもかかわらずレイアウトが壊れるのは居心地が悪い気がします。新しい観客に対しては、そのフレームの違いを別の意味として提示したいと思いました。

「ハイエボリューション 1」で初めて「エウレカ」を知る若い人達も多いと思いますが、制作するときには昔のファンを第一に考えますか。

佐藤:たぶん、プロデュースサイドと現場サイドで温度差にグラデーションはあると思うのですが、現場サイドとしては新しいファンに向けてゼロからという気持ちで作っています。ただプロデュースサイドでは、当時のファンに対しての目配せが、企画を通すときの下駄として存在していて、そこを裏切ることはできない。というのは、現場ももちろん分かってやっています。まったく新しい人向けに振り切るか、逆に『宇宙戦艦ヤマト』のリブート(註15)を出渕裕さんがやった『宇宙戦艦ヤマト2199』(2013)のように、あの時の物語的・作画的・技術的な解像度を上げて「俺たちの夢をかなえる」のもありだと思います。しかし「エウレカ」はそういうタイプの作品でもなかったので、京田さんは匙加減にすごく苦労されたのではないでしょうか。

ゲッコーステイトが表象していたもの

『宇宙戦艦ヤマト』とタイプが違うというのは、「エウレカ」は普遍的なビルドゥングスロマンで、レントンの成長譚として新しい若い観客にもわかってもらえる勝算があるということですね。

佐藤:わかってもらえると思います。今回変えたのは、主人公のレントンよりも大人たちの描き方でした。以前はホランドやチャールズたちも独身カップルのような描き方がされていて、「自分達も大人ではないのだから求めるな」と言う物語でした。しかし、今回はレントンのお父さんのアドロックも出しますし、ちゃんとした大人に、きちんと事態に向かい合ってほしいと思ったのです。
テレビ版の当時は、日曜朝7時のロボットアニメなのに、僕は29歳のホランドに向けて感情移入していた。その感覚のいびつさが、皆さんに長く愛される作品になったひとつの要因だと思いますが、13年後にそのいびつさを前面に出すよりは、対比としての大人の像を据えた上で、14歳をもう一度描こうという感覚に変わったことが、京田さんや吉田さん、僕の中で大きい気がしますね。

テレビシリーズの時は、ゲームやアニメ、音楽などのポップカルチャーが大人も楽しめる一般的な娯楽として円熟し、そういうものを享受しながら楽しく生きている人達が出てきた頃だったので、登場人物にも大人だけどそういう人達と近い気持ちを持ったホランドのようなキャラクターが成り立った。それがつくり手も年を重ねたことによって、「父」としての大人を描くようになったということなんですね。

佐藤:3年前に劇場版のための最初の合宿を、京田さん、吉田さんと僕の3人でしました。「エウレカ」が終わって以降、イベントなどで挨拶をしたり、もちろんテレビシリーズ『ガンダム Gのレコンギスタ』(2014)(註16)や劇場版アニメーション『楽園追放 -Expelled from Paradise-』(2014)(註17)といった互いの仕事は見ていましたが、ほとんど10年間、僕たちは「エウレカ」については一度も話してこなかったんです。合宿で久しぶりに京田さん、吉田さんと「エウレカ」に向き合ったときに、「ゲッコーステイト(註18)はもう描けないね」というのが3人の共通の感覚でした。かつてホランドに表象されていたサブカルチャーの側面が失効しているということです。ゲッコーステイトとして存在していたものの意味を裏切りたくないから出すべきではない。ノスタルジーにするには時間が経っていなさすぎるし、無邪気さでは逃げられない。
僕は原作のテイストを現代的にアップデートしつつも忠実に活かそうとする『DEVILMAN crybaby』(2018)(註19)や『劇場版マジンガーZ / INFINITY』(2017)(註20)のようなリブートの方向性は健康的だと思います。でもそれを「エウレカ」がやった時に、何のために作っているのか、見失ってしまう。アニメがメインカルチャーになり、何兆円もの経済規模を持つ現代に、ゲッコーステイトのような組織、それが表象していたものが視聴者にリーチできるとは思えなかった。

ゲッコーステイトはアニメやゲーム、サブカルチャーあるいは音楽といったものが好きな大人を描いて、それはあの時代に、自分たちはこういう人間なんだ、と自らを重ね合わせたものだった。10年超経って、今度はそれ自体を、我々は90年代からゼロ年代前半にそういう主張をしていたんだと総括することが必要になった。だから、あの頃のままつくるのではなく、自分が年を重ねていると理解して、あの頃を振り返りながらコンテンツをつくっている。

佐藤:自分の作品でなければもっと無邪気にできるのですが、初シリーズ構成、初監督、初キャラクターデザイン・アニメーションディレクターだった3人にとっては、そういう意味が強かった気がします。

佐藤大

リブートするコンテンツたち

『DEVILMAN crybaby』『ガッチャマンクラウズ』(2013)『美少女戦士セーラームーン Crystal』(2014)などのアニメのほか、実写映画『ブレードランナー2049』(2017)など、リブートするコンテンツが盛り上がっている傾向はどう感じていますか。

佐藤:企画側とつくり手側の意図には温度差があるので、それぞれの作品の着地の仕方は違うと思います。「ドラえもん」「ガンダム」「プリキュア」といった作品には、コンテンツを延命させるというテーマがあってつくり続けられていますが、それはそれで正しい方向ですし、新しい作家や未来のクリエイターたちがひとつの遊び場・実験場にして世に問うていく状況は面白いと思います。「スター・ウォーズ」のリブート(註21)はそういうシステムを目指していましたね。

劇場でのリブートが増えていることは、全体として劇場作品が増えていること、あるいはテレビシリーズがなかなか盛り上がらなくなっていることにも関係あるのでしょうか。

佐藤:テレビというメディアが持つ耐用年数もあるように感じています。テレビはずいぶん前からカウンターカルチャーからメインカルチャーになり、アニメーションもそれに遅れてメインカルチャーになりました。いまコンテンツにお金を出す主な人たちは、おたく第1世代(註22)から第3世代くらいまでですか。制作は、その人達がお金を出せる場所をつくる企画をつくっているのです。
では若い世代はお金を出さないかというと、本当はそんなことはないと僕は思うのですが。テレビシリーズに関しても『シドニアの騎士』(2014)や『BLAME!』(2017)、『宝石の国』(2017)のような3Dアニメーションならではの表現を追求するようなアプローチもできなくはない。ただ、アニメーションをテレビでつくっていくにはマス向けが大前提であるので、なかなか意欲的な作品づくりが難しくなっているのでしょう。
そんな時に配信や劇場が増えだした。劇場がシネマコンプレックスになったので、以前のように観客にリーチするために劇場を3カ月おさえないといけないこともなく、短期決戦的な興業が可能になってリスクが減っている。その傾向は、『Fate/stay night UNLIMITED BLADE WORKS』(2010)や『空の境界』(2007-2013)から始まっているのですが、『宇宙戦艦ヤマト2199』やテレビアニメーション『機動戦士ガンダムユニコーン』(2016)のように、劇場をイベントスペースとする使い方が劇場版アニメーションが増えているひとつの潮流だと思います。
劇場版アニメーション『KING OF PRISM by PrettyRhythm』(2016)(以下「キンプリ」)が典型ですが、ライブにお金を出す感覚の延長で、ファンベースで応援していく感覚がありますよね。昔はテレビでそれができていました。打ち切りになったアニメーションが劇場版になって帰ってくるパターンは「ガンダム」も「ヤマト」もそうです。『おそ松さん』(2015)のファーストシーズンのように、いまでもテレビでもできると思うのですが、ファンが盛り上げていく感覚を短期間で醸成しやすいのが、いまは劇場用のアニメーションで、だからこそ作品が増えている感じはします。

劇場用のアニメーションのほうが短期間でイベント性を演出できるのは面白いですね。テレビのほうが毎週放送しているのでリアルタイム感があるのかなと思うのですが、今は違う。

佐藤:Netflixのやり方はまさにそれに近くて、10本なり20本のシーズン単位のコンテンツをいきなり投下して、視聴者が一斉に見始めるビンジウォッチ(註23)。いかに「誰よりも早く見てバズれるか」というライブ感をつくり出す方法論です。
さかのぼれば、リアルタイム感の変質は「エウレカ」のころから言われていました。「エウレカ」が当たった理由のひとつが、ハッピーエンドだったこと。自分としてはハッピーエンドだったとは思っていませんが、ちゃんとしたエンディングがあることが保証になって、放映後にもコンテンツとしての価値が生まれ、50本の視聴をたくさんの人に付き合ってもらうことができた。ビデオ文化の特徴です。リアルタイムで見るより、一定の評価をされた後のものに対して応援する空気があのころから醸成されるようになりました。
リブート作品もその擬似ライブ感覚の延長といえます。過去の作品を知っているお客さんは新規の人たちに「こういう話になるから」と言えるし、自分たちは「どういう風にセルフカバーしてくれるのかな」と楽しむ見方になる。

昔見たコンテンツを劇場でみんなで見て楽しいという消費の仕方ですね。そうなると、テレビはマス向け、劇場はコアユーザー向けと、単純に切り分けるものでもなくなっている。

佐藤:「エウレカ」や僕が参加した『カウボーイビバップ』(1998)、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002)といった作品は、DVD、Blu-ray(以下盤)を買ってもらうことで製作費をペイするビジネスモデルでした。それがもう破綻して、ライブをしてお客さんにグッズを買っていただくモデルに移行しています。音楽業界での「E.YAZAWA」タオルのような、単価の安い商品のバリエーションをいろいろなところに置くことでペイするビジネスモデルです。YouTube、あるいはAmazonなどのサブスクライブ動画配信でも手軽に作品が見られるとなると、盤を持っていたい所有欲よりも、ライブにリアルタイムに参加して記念商品を買って帰る体験こそが重要になるのでしょう。

昔の発想でいくなら、リブートした作品をテレビで放送して、もう一度DVDボックスにして販売していただろうと思います。そのビジネスモデルが変わってきている。

佐藤:ただ、盤を販売しようとするトライはいまも行われていて、『機動戦士ガンダムサンダーボルト』(2015)は15分ごとのネット配信を続け、それがある程度、認知や人気が醸成した段階で、期間限定で劇場上映・映像配信を行い、会場に行くと上映中の作品のBlu-rayが買えるというスタイルでした。先ほどの話につなげると、盤そのものが記念商品となるような応援システムで興行が行われました。

ビジネスモデルのリブートこそ必要

アニメーション作品がどんどん劇場でリブート作品として放映されていくと、リブートではない新規のコンテンツはどこに生まれるのでしょう?

佐藤:個人的にはこのままの路線を掘り続けるとまずいという感覚が、すごくあります。オリジナルを提示していかないと絶対ダメだと思います。ただ、その企画を通す体力、忍耐力を維持するのが難しく、かつての製作委員会制度の、製作費の負担を数社に分散することでリスクヘッジしようという利点が、逆にいまでは足かせとなってしまっている。この30年弱くらいで製作委員会制度、KADOKAWAを含めたメディアミックスの方法論が疲弊してきて、システムをどうリブートするかを、直近の10年間で業界が模索している段階と見ています。ただ、新しいシステムを模索して成功例を生む前に、システムの外でつくられた『君の名は。』(2016)のようなオリジナル作品がドカンと当たると、みんなの気持ちが揺らぐ(笑)。
今、アニメーション業界はネット配信バブルなので、ネット配信ならこういうことができるのではというトライアンドエラーがたくさん行われています。しかしネット配信がいまだ危ういと感じるのは、マネタイズのシステムが成立していない点です。制作会社はNetflixなどの配信会社からお金をもらうので、スタジオ的には制作費を確保できています。ただ、それがクリエイターにまで還元される形でのマネタイズではないため、システムは自転車操業になっています。コンテンツは増え続け、完全に飽和状態になっています。スタジオは乱立・分裂しますが、実情としては、数千人もいないアニメーターでこのコンテンツの数を回している異常な事態。そこでカンフル的に3DCGが入ってきましたが、これまでの日本が2Dアニメーションで培ったのとは違う技術や表現が必要になるという、まったく別のベクトルでの問題があります。
僕は脚本家なので企画にかなり近い立場にいますが、直近の10年間のさまざまなシステムの模索を見聞きしています。パチンコバブルがあって、スマホゲームのバブルがあって、今はネット配信バブル。もう少しすると中国案件バブルが起こってくるでしょう。インディーズでない限り、アニメーションは資金があるところでしか制作できないので、常にそこに合わせた作品づくりを延々とやっている。ただ、システムとしての正解がまだ提示されない。
『機動警察パトレイバー』から始まるバンダイビジュアルの鵜之澤伸さんが作った盤を販売して製作費を回収するシステムは、VHSソフトの販売でペイするところから始まり、DVD、Blu-rayの時代までの20年間もちました。でも今僕らが持っているいくつかの方法は、おそらくこの先の20年はもたない。これは作品のリブートをするだけではいけない、アニメ業界全体におけるシステム自体のリブートを本格的に考えないといけません。

例えば、アニプレックスが『空の境界』をテアトルで配給して、そこにファンをつくったような方法が、ひとつの方向性でしょうか。

佐藤:あれはうまくいきましたが、それも一過性のものであり、すべてのタイトルには当てはまりませんでした。「ガンダム」や「ヤマト」はうまくいきましたが、いくつかの作品は目も当てられない状況になっていますので、そのハイリスクっぷりはものすごいです。今だったら実際に劇場に行かなくても、1週目のシネコンの予約状況を見れば、人気が簡単に可視化されてしまいますし。80年代のビデオグラムでもオリコンなどのシステムで可視化されていましたが、一般には見えない構造でしたので、大コケしてOVAの予告が出ていたのに実際は発売しないといった事例がたくさんありましたけど、それ自体がひとつの話題づくりにもなった。でも今のようなSNSの短期決戦では、なかなかリスクが高いと思います。
ネットのお客さんに期待をすると、テレビアニメーションに限りませんが、短期的な盛り上がりを作っていかないといけない。SNSは元々そういう動きをするメディアなので、そことアニメーションのつくり方が向いていない気がします。だからテレビでうまくいかなくなったのかもしれません。
しかし、そこに風穴を開けているのがたつき(註24)監督で、アニメ『けものフレンズ』の、SNSの短期決戦型のレイヤーに合わせた作品を、ちゃんと皆が受け止めてSNSで話題を盛り上げるシステムを作れている。たつき監督は日清カップヌードルFREEDOM-PROJECT(OVA)のスタッフだったので、ある意味『けものフレンズ』のSF的な背景とも近い気もしますが、SNSであそこまで盛り上がるシステムになったのはどこまで考えていたのか気になりますね。

コアを正しく掴む

シェアードワールドのようにシリーズとして展開していくのは、普通のリブートとは違いますが、例えば「エウレカ」で世界観を展開していくということは考えなかったのでしょうか。

佐藤:シェアードワールドでの成功例として『Fate』シリーズをはじめとするTYPE-MOONの諸作がありますが、あのすごさは、TYPE-MOON自体がそれを是としたところです。俗っぽいことを言うと、僕には「エウレカ」の権利がないので、シェアワールドは難しい。勝手に自分がやったとしてもお伺いが必要ですし。
士郎正宗さんくらいのマンガ家だったらそれができます。『紅殻のパンドラ -GHOST URN-』(2012-)(註25)は別の人がやったら完全に怒られますよね。でも士郎さんが原作なので、『攻殻機動隊』とは出版社も違いますが、成立してしまう。このように「原作」と明示可能な作家から発生した作品ではシェアワールドはできるのですが、製作委員会方式から生まれた「エウレカ」のような作品では、シェアワールドは難しい。
一方、「ガンダム」のようにシェアワールドが実現できた場合もあります。そうなるとコンテンツが死なずにつくり続けられる。これは大事なことです。良い悪いは別として。
この話、すごい上から目線で言っているので心配ですね。「お前も当事者だろ」みたいな(笑)。

作品を延命させることはどうして大事なことなのでしょうか。

佐藤:ビジネスとしては間違いなくそうでしょう。東映の「ゴレンジャー」などのスーパー戦隊ものや「仮面ライダー」は、最初に製作委員会組成のオーダーがあっての作品です。ですから、石ノ森章太郎さんではなく、製作委員会の要請によって続けられている。
「ドラえもん」も「クレヨンしんちゃん」も、クリエイターが亡くなられた後から、コンテンツのシリーズ化がより強固なシステムとして駆動するようになっています。それは「スター・ウォーズ」のジョージ・ルーカスが離れて以降のディズニー版リブートシリーズや、「スター・トレック」でジーン・ロッデンベリーやリック・バーマンが亡くなってからのシリーズに近い気がします。シリーズが展開していくなかには玉石も当然ある。でもとにかく続いていく。

大きく言えば、ポップカルチャーの歴史とはそういうものですよね。

佐藤:ビジネスモデルとしては正しいですが、つくり手としてはつらい部分もあります。不死であることは、ゾンビみたいなものです。自分がゾンビになっていくと死なせてもらえない。だから京田さんや庵野さんも、死ねない自覚はお客さんよりはるかにあると思うので、つらい戦いをしていると思います。でも吹っ切れたら松本零士さんみたいな巨匠と呼ばれる高みにいける。永井豪さんは完全にそういう境地にいますよね。おもしろければ何でもいい。富野由悠季(註26)さんは、いったん「ガンダム」から手を離したかと思えば「俺がつくる」と帰ってくるときもあり、現役感があります。あくまで一般論としては、先ほどの「スター・ウォーズ」のルーカス、あるいは「エイリアン」シリーズのリドリー・スコットのように「創造主」が帰還することがコンテンツにとって幸せなのかどうかは疑問です。ただの老害として自滅する例もあり、クリエイターのファンなら、完全新作をつくってくれたほうが無邪気に応援できます。コンテンツの魅力と観客が感じるものが、どこに依って立っているのかは、本当に難しいですよね。

ある場合には、コンテンツはクリエイターから離れた独自の命を持つようになっているし、クリエイターの死後も続く長寿タイトルでは、リブートによって強制的に延命をしないといけないということでしょうか。2000年に「ガンダム」がリブートされましたが、あの時は社長が音頭をとって、「ガンダムをやり直す、それはもはや宇宙世紀でもない」と宣言しました。あれは優れたプロデュースだったと思います。

佐藤:「ガンダム」から星山博之(註27)さんも含めて全部の脚本家を切る、急先鋒として福井晴敏(註28)さんが来て、むしろプラモデルは残す、というような判断でした。それと2005年にドラえもんの声が水田わさびさんになった時も完全にリブートされて、その最初の大長編が『映画ドラえもんのび太の恐竜2006』です。そこから寺本幸代(ゆきよ)(註29)さんといった才能のある監督がたくさん輩出される現場となり、いまや完全にシステムとして確立している。それによって『STAND BY ME ドラえもん』(2014)(註30)のような作品もつくれるようになった。プロデューサーがその作品のコアをどう見つけるか、手腕が問われるんですね。
その時に何を切り離したら、この作品が死んでしまうのか。切ってはいけない動脈はどこか。すごい外科手術だと思います。普通に考えると、声優を全部交替するという外科手術は相当に厳しいはずです。

「聖闘士星矢」は作者の車田正美さんが音頭をとって、新作で声優を変えようとしたら昔のファンからものすごいクレームが来ましたが、コアを読み間違えた例だなと思いました。

佐藤:ですので、「ドラえもん」のようなリブート方法は汎用性がないんです。何がコアなのかは、タイトルによって個別に違っていて、それぞれ違う外科手術が必要なんですね。ときには壮絶な、生存率の低い手術になることもある。でもそれを乗り越えたコンテンツだけが、永遠に生きていけるということだと思います。


(脚注)

*1
別の宇宙を舞台にした、もうひとつのレントンとエウレカの物語

*2
「交響詩篇」の主人公レントンとエウレカの子どもであるアオが主人公の続編

*3
テレビシリーズ「交響詩篇」「AO」、劇場版「ポケットが虹でいっぱい」の監督、「ハイエボリューション」の総監督を担当した

*4
テレビシリーズの「交響詩篇」、劇場版の「ポケットが虹でいっぱい」「ハイエボリューション」のキャラクターデザインを担当した

*5
第1話のサブタイトル。イギリスのテクノロックバンド、ニュー・オーダーの同名の曲に由来

*6
1991年に結成された、ドイツ・デュッセルドルフ出身のオリバー・ボンツィオとラモン・ツェンカーのテクノ、アシッド・ハウスユニット

*7
石野卓球とピエール瀧らが中心となり結成したバンド

*8
1995年に石渡淳治(ジュンジ)、中村弘二(ナカコー)、田沢公大(コーダイ)、古川美季(フルカワミキ)で結成されたバンド。2005年解散

*9
イギリスの音楽プロデューサー、作曲家・編曲家、作詞家、ミュージシャン

*10
ラジオパーソナリティーを経て、現在はシンガーソングライターとして活躍。父は尾崎豊

*11
5人組ミクスチャーロックバンド。『NARUTO- ナルト -』『コードギアス反逆のルルーシュ』『テイルズオブゼスティリアザクロス』など、数多くのアニメ作品のテーマ曲も手がける

*12
HALCAとYUCALIの2人組ガールズヒップホップユニット。キッズステーション『ガラクタ通りのステイン』『出ましたっ!パワパフガールズZ』『NARUTO -ナルト- 疾風伝』なども手がけた

*13
SUPERCARの全曲の作詞とギターを担当。バンド解散後は、作詞家、音楽プロデューサーとして活動するかたわら、雑誌等への執筆もおこなっている

*14
『新世紀エヴァンゲリオン』のリメイク作品。全4部作を予定しており、第1作『序』(2007)、第2作『破』(09)、第3作『Q』(2012)がすでに公開されている

*15
1974年に放映されたテレビ放映された『宇宙戦艦ヤマト』を原典とした作品。テレビシリーズとしての放映と並行して、劇場では本編を全7章に分けた先行上映が行われた。また、のちに劇場用アニメとして総集編『宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海』(2014)および完全新作『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』(2014)が公開されている

*16
吉田健一がキャラクターデザイン・作画チーフを担当

*17
水島精二・監督、虚淵玄・脚本によるフル3Dアニメーション初の劇場オリジナル作品。京田知己が演出を担当

*18
反政府活動に共感した若者が集う神出鬼没の空賊

*19
永井豪『デビルマン』を原作とした湯浅政明・監督による完全新作アニメーション作品。Netflixから配信された

*20
永井豪『マジンガーZ』を原作とした志水淳児・監督による劇場版アニメーション

*21
当初発表された監督の交代が相次ぐ。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の監督J・J・エイブラムスは、2019年公開の新作エピソードⅨでは、コリン・トレボロウの降板後、共同脚本執筆と監督を務めることになった。2018年に公開予定の『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』(原題:Solo: A Star Wars Story)はフィル・ロード、クリス・ミラーに代わってロン・ハワードが監督としてクレジットされている

*22
マンガやアニメのファン層は世代によって好む作品の傾向や消費態度が異なると言われる。「第一世代」は主に60年代生まれで、幼少期に『ウルトラマン』や『仮面ライダー』などの特撮作品を楽しみ、のちに『宇宙戦艦ヤマト』に代表されるアニメブームを起こした世代を指す

*23
日本の俗語で言うなら「イッキ見」のこと。Netflixをはじめとするネット配信系のドラマ視聴者は、各話の引き込まれる結末に惹かれて、一晩ですべて見てしまうという視聴スタイルが珍しくない。これに合わせて配信側も、1話ずつではなく全話を一挙配信するケースが増えている

*24
同人自主制作アニメーションサークル「irodori」代表。代表作は『けものフレンズ』(第1期)、『てさぐれ!部活もの』など

*25
六道神士によるマンガ。原案は士郎正宗

*26
『機動戦士ガンダム』(79)の総監督・原作・脚本・演出・絵コンテ・作詞を務める

*27
「機動戦士ガンダム」のチーフシナリオライター

*28
「ガンダム」のノベライズやマンガ原作などを担当

*29
アニメーション監督。映画ドラえもんでは『のび太の新魔界大冒険~7人の魔法使い~』(07)、『新・のび太と鉄人兵団~はばたけ天使たち~』(2011)、『のび太のひみつ道具博物館』(2013)などの監督を務めた

*30
八木竜一・山崎貴共同監督による3DCGアニメーション作品


(作品情報)
『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』
総監督:京田知己
脚本:佐藤大
キャラクターデザイン:吉田健一
原作:BONES
監督:清水久敏
http://eurekaseven.jp

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