国や地域の垣根を超えて国際的な人気を獲得しつつある“グラフィックノベル”。日本でも浸透しつつあるグラフィックノベル作品を、「越境」をキーワードに紹介していく新連載です。第1回目は「移民」という一見重いテーマに、アクチュアルかつ軽やかに迫ります。
『マッドジャーマンズ ドイツ移民物語』表紙
翻訳が増えるグラフィックノベル
ここ数年、“グラフィックノベル”の翻訳が増えている。ティリー・ウォルデン『スピン』(有澤真庭訳、河出書房新社)、ジョン・ルイス、アンドリュー・アイディン、ネイト・パウエル『MARCH』(全3巻、押野素子訳、岩波書店)、ブライアン・フィース『母のがん』(髙木萌訳、ちとせプレス)、ステフン・クヴェーネラン『ムンク』(枇谷玲子訳、誠文堂新光社)……。これらはここ1年以内に出版された作品だが、いずれも紹介文にグラフィックノベルという言葉(カタカナ表記はグラフィック・ノベル、グラフィック・ノヴェルなどさまざま)が添えられている。
そもそもグラフィックノベル(Graphic novel)とは何か? 文脈に応じてさまざまな意味で用いられるそうだが(描かれている内容に関係なくコミックスの“単行本”を指して使われることもあるのだとか)、私たちがこの字面からまず想像するのは、海外発の“絵で描かれた小説”、“小説のようなマンガ”だろう。実際、グラフィックノベルという言葉は、特に小説のようにページ数の多い、文芸的、自伝的、あるいはジャーナリスティックな英米のコミックスを指して用いられる。
グラフィックノベルはフランスでもロマングラフィック(Roman graphique)と翻訳され、すっかり定着している。その射程は英米のコミックスに留まらない。フランス語圏のバンド・デシネでもページ数の多い文芸的な作品であれば、しばしばこの名で呼ばれる。
その手の作品は日本のマンガにも古くからたくさんあるが、そうした日本のマンガの多くは今ではさまざまな言語に翻訳され、それらもまたグラフィックノベルとしてコミックスやバンド・デシネの名作と一緒に並べられている。
今やグラフィックノベルは、アメリカのコミックス、フランスのバンド・デシネ、日本のマンガといった地域別のフォーマットの垣根を超えた、国際的なスタンダードになりつつある。とりわけ目立つのは社会問題やアイデンティティの問題を扱った作品だろう。絵と言葉の組み合わせで、複雑かつセンシティブな問題をマンガならではの工夫を盛り込みながらわかりやすく語る作品がいくつも存在する。グラフィックノベルは常に新しいテーマを開拓しながら、いともたやすく国境を越え、世界のさまざまな場所で読まれているのだ。
そんなグラフィックノベルの世界を、これから何回かにわたって「越境」をキーワードに眺めていくことにしよう。
移民問題を世界に向けて問う
まさにその「越境」という言葉にぴったりの作品が昨年10月に出版された。ビルギット・ヴァイエ『マッドジャーマンズ ドイツ移民物語』(山口侑紀訳、花伝社、2017年)、ドイツのグラフィックノベルである。
幼少期から青春時代にかけてアフリカで過ごしたドイツ人の作者ビルギット・ヴァイエは、40年経ったある日、モザンビークを訪れ、えも言われぬ懐かしさを覚える。幼少期から慣れ親しんだアフリカの地は、彼女にとってドイツ以上に故郷らしい場所だった。やがて彼女はモザンビークで、かつて東ドイツで働いていたという女性と偶然知り合う。実は、1979年から1990年にかけて、2万人ものモザンビーク人が、政府主導のもと社会主義国同士の友好に基づく教育という名目で東ドイツに派遣され、単純労働に従事させられていたのだ。彼らの給金は積み立てられ、帰国したあかつきには払い戻される約束だったが、金はいつの間にかどこかに消えてしまっていた。当人たちにしてみれば騙されたも同然だが、祖国モザンビークに残った人々は内戦に明け暮れた激動の時代に祖国を見捨て東ドイツに渡った彼らを“マッドジャーマンズ(ドイツ製)”と呼んでさげすんだ。作者が故郷と感じたその場所で、当のモザンビーク人の一部はよそ者扱いされ、居場所を失ってしまったのだ。さまざまなマッドジャーマンズに話を聞いた作者は、それらを総合し、3人の登場人物を生み出す。同じ時期に東ドイツを訪れた3人の若者は、生まれ育った祖国と青春時代を過ごしたドイツとの間で引き裂かれるように、三者三様の波乱の人生を送ることになる。
1980年代のわずか10年間に2万人ものモザンビーク人が東ドイツで働かされていたと聞くと唖然となるが、実は日本でも今、約27万人もの外国人が技能実習生として就労しているのだという。半ば騙されるようにして東ドイツで働かされたマッドジャーマンズのケースと日本の外国人技能実習生のケースを単純に比較するわけにはいかないだろうが、外国人技能実習制度においても、労働環境の不備やコミュニケーションの困難、ブローカーや受け入れ機関の不正、その結果としての実習生の失踪など、さまざまな問題が指摘されている。80年代の東ドイツを舞台にしたこの物語は決して他人事ではない。日本の今にも直結した極めてアクチュアルな作品なのだ。
このようなテーマのグラフィックノベルが出版されるのは、移民政策の長い歴史を持ち、今なお多くの移民を受け入れているドイツならではだろう。ドイツ国内では移民の受け入れに対する反発も強いと聞くが、過去を振り返り、考える材料を提供しているところにこの作品の意義がある。
筆者が専門にしているフランス語圏のマンガ“バンド・デシネ”にも移民をテーマにした作品が少なからず存在している。フランスもまた移民問題については日本の先輩である。ほとんど邦訳されていないのが残念だが、日本語で読める短編にシリル・ペドロサの「抵抗」(『ユーロマンガ』Vol.3所収)がある。フランスへの移民申請が認められず、不法滞在者の立場でその他の不法滞在者たちのためにサポート活動を行うアルジェリア人を描いた実話に基づく物語である。主人公は一度は国外退去を命ぜられるが、仲間たちの尽力で最終的にフランス滞在を認められることになる。元々は『不法滞在者たちの声(Paroles sans papiers)』(註1)という2007年にフランスで出版された作品集の一編で、この作品集には、さまざまな理由から不法滞在者にならざるをえなくなってしまった外国籍の9人の実体験が、9人の作家たちが描く9つのバンド・デシネとしてまとめられている。10年以上前に出版された本だが、移民の急増が実感されるようになった今こそ日本で読まれるべきだろう。
『不法滞在者たちの声(Paroles sans papiers)』表紙
日本のマンガと移民
翻って日本ではどうだろう? 移民問題に真っ向から取り組んだ日本のマンガを筆者は寡聞にして知らない。映画に目を向ければ、移民を扱った洋画が次々と日本で公開されている中、日本でも空族の『サウダーヂ』という傑作がつくられ、さらに最近では、外国人技能実習生の失踪をテーマにした近浦啓監督の長編デビュー作『COMPLICITY』がトロント国際映画祭でワールドプレミア上映され、絶賛されたと聞いた。改めてマンガを見渡してみると、例えば、第21回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で新人賞を受賞した増村十七の『バクちゃん』は、作者の海外滞在経験を投影しながら、移民の問題に自覚的にアプローチした作品だし、移民というテーマがマンガで取り上げられる兆候も現われはじめているのかもしれない。同じ作者の『ムー・タウンの子供たち』という同人誌も、移民政策の結果疲弊した街を舞台に鬱屈した若者たちの日常を描いた骨太の作品だった。
『ムー・タウンの子供たち』表紙
もっとも、「移民」というと、ついつい悲観的な話になってしまいがちだが、それは「移民」の一面でしかない。しばらく前に芹澤健介『コンビニ外国人』(新潮新書、2018年)という本を読んでいて、こんな一節に出くわした。
一般的な会話の中で使われる「移民」のイメージは「経済水準の低い国から高い国へ入国して生活している人たち」を指すことが多いが、国連などの国際機関では、一年以上外国で暮らす人はすべて「移民」に該当すると解釈している。つまり、国連などの定義に照らせば、イチローも「移民」であり、日本に住んでいる約247万人という在留外国人はほぼ「移民」である。(『コンビニ外国人』、p54)
なるほど、だとすれば、もう何年も前から日本のマンガ家が海外で暮らした体験をエッセイマンガとして出版するケースが増えているが、それらもまた移民マンガと呼んでいいのかもしれない。かわかみじゅんこ『パリパリ伝説』(祥伝社、2004年〜)、ヤマザキマリ『モーレツ!イタリア家族』(講談社、2006年)、『パリの迷い方』(創美社、2008年)に始まる一連のじゃん・ぽ~る西作品、近藤聡乃『ニューヨークで考え中』(亜紀書房、2015年)……。ここ1年くらいで出版された新しい作品では、市川ラク『わたし今、トルコです。』(KADOKAWA、2017年)とその続編『イスタンブールには、なんで余裕があるのかな。』(KADOKAWA、2018年)、ユペチカ『サトコとナダ』(既刊3巻、星海社、2017年~)、星野ルネ『まんが アフリカ少年が日本で育った結果』(毎日新聞出版、2018年)を強くおすすめしたい。最後の作品は日本/海外という大前提すら揺るがす作品だ。内容まで紹介しないが、簡単に手に入るはずだから、ぜひ読んでみてほしい。
これらの作品はどれも、こちら側の異文化をめぐる常識や思い込み、偏見をおもしろおかしくほぐしてくれ、移民であるとはどういうことかという想像力を鍛える一助となってくれる。その点で先にあげた海外のグラフィックノベルと同じくアクチュアルで刺激的な日本が誇るグラフィックノベルと言えよう。
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