PlayStation®4で発売されたアドベンチャーゲーム『Detroit: Become Human』。自我を持つ3体のアンドロイドを巡る運命を描いた本作は、さまざまな意味で今年を象徴するタイトルの1本となった。技術・テーマ・ゲームデザインの3点から本作が投げかけたメッセージを検証し、その意義を深掘りしていく。

『Detroit: Become Human』キービジュアル

アンドロイドが普及した2038年のアメリカが舞台

『Detroit: Become Human』ジャパン・ローンチトレーラー

『Detroit: Become Human』はフランスのクアンティック・ドリームが開発し、ソニー・インタラクティブエンタテインメントから発売されたPlayStation®4専用アドベンチャーゲームだ。ゲームの舞台は人間そっくりの外観を持つアンドロイドが社会に普及した、2038年のアメリカ・デトロイト市。アンドロイド産業の拡大でアメリカは未曾有の好景気に沸いているが、その一方で貧富の格差が広がり、アンドロイドに職業を奪われるなどの社会問題も発生している。また、アンドロイドのなかには本来存在しないはずの自我を有し、自分の意思で行動したり、人間を殺害したりする「変異体」が登場し、水面下で問題となりはじめている。

こうした世界観のもとで、プレイヤーは3体のアンドロイドを巡るストーリーを追体験し、その運命を左右していく。子守と家事手伝い用途のカーラ、介護用途のマーカス、そして犯罪コンサルタントとして警察に捜査協力するコナーだ。3体はみな正常なアンドロイドとして登場し、さまざまな過程を経て変異体に覚醒していく。カーラは父親から虐待を受ける少女とともに家を脱走し、アンドロイド法の存在しないカナダに向かう。マーカスはアンドロイドに人間と平等の権利を求めるグループのリーダーとして、社会運動家となる。そしてコナーは人間とアンドロイドのはざまでゆらぎながら、自分自身の運命を決断していく……といった具合だ。

物語は各主人公の視点で進行し、メインのストーリーラインも3本存在する。3つの物語は時に交差し、それぞれに影響を与えながら、最終的に個々のエンディングに収束していく。ストーリーは章毎に分けられ、プレイヤーは主人公を操作してほかのキャラクターと会話したり、決められたイベントをクリアしたりしながら、ゲームを進めていく。左のアナログスティックで移動しながら、右のアナログスティックで決められた動作を行ったり、プレイヤーが判断した選択肢のボタンを押すと、特定のイベントシーンが再生される仕組みだ。ビハインドカメラでのキャラクター操作をベースに、映画的なカットシーンが巧みに組み合わされ、まさに「インタラクティブシネマ」とでもいうべき物語体験が味わえる。

CGキャラクターの不気味の谷を設定面で克服

『Detroit: Become Human』アクターズインタビュー/カーラ・マーカス・コナー

本作はいくつかの理由から、今年を象徴するタイトルのひとつとなった。第一にモーションキャプチャー、物理ベースのシェーダー(註1)、大域照明(註2)といった、PlayStation®4世代のハイエンドなCG技術がフルに生かされている点だ。特にカーラの肌の質感は素晴らしく、しみやソバカス、肌のくすみといった、日本(そしてアジア)のゲーム開発では敬遠されがちな要素までしっかりと表現し、若い女性と人間らしさを両立させている。これをプリレンダームービー(註3)ではなく、リアルタイムCG(註4)で実現した。これにより本作は、ゲームにおけるCG技術の新たなベンチマークになったといえる。

ただし「フォトリアルなCGであっても、実写ではない」点には注意が必要だ。これにはゲームデザインが深く関係している。前述の通り本作では選択肢によって、映画的に演出された多数のカットが自然につながり、プレイヤーに映画を操作しているかのような感覚を与える。しかし、これにより不自然なカットの接続や、ゲーム的な都合(プレイヤーが操作に戸惑うなど)によって、感情移入がそがれる場面が出てくる。そこでキャラクターの人間らしさが薄まり、機械的・記号的な印象を遊び手に与えてしまうのである。ゲームデザインが「不気味の谷」の存在を目立たせているのだ。

ところが本作では、この問題をユニークなアプローチで解決している。すでに述べたように、本作の主人公は人間ではなくアンドロイドである。そのため本作では普段から、あえて記号的な、アンドロイドらしい芝居が付与されている。これにより記号性が逆転し、逆に人間的な印象がもたらされるという、ユニークな効果を生んでいるのだ。開発元のクアンティック・ドリームはこれまでもPlayStation®3で『HEAVY RAIN -心の軋むとき-』『BEYOND: Two Souls』というアドベンチャーゲームを開発してきたが、いずれも人間を主人公としており、ビジュアル面における記号性の問題から逃げられなかった。これを逆転の発想で乗り越えた点が本作の特徴だ。

テクノロジーによって保守化する現実世界を鋭く批評

『Detroit Become Human』E3 2017 Trailer(マーカス篇/日本語吹替版)

第二に政治的に微妙な問題に対して大胆に切り込んだ点があげられる。本作でアンドロイドはテクノロジーが生んだ、新たな奴隷階級と位置付けられている。公共バスで人間は椅子に座っているのに、アンドロイドは後方にエリアが区切られ、直立して移動するシーンは象徴的だ。後半でマーカスら一部のアンドロイドグループが奴隷制打破をスローガンに立ち上がることからも、制作陣は明確にアメリカの人種差別にまつわる歴史的事実をふまえて、本作を制作したことがわかる。アメリカ大統領も白人の中年女性となっており、「人間対アンドロイド」という視点が強調されている。

実際、本作の開発中に世界は保守化を強め、アメリカ・トランプ政権誕生の背景にもなった。こうしたなか、本作はフランス人が企画制作したゲームとして、ユニークな立ち位置を獲得している。もっとも本作は単にアメリカを劇画化しているだけでなく、ヨーロッパに対しても批評的な眼差しを向けている。ゲーム終盤で特定のルートを通ると、カーラと少女は治安当局に捕まり、リコールセンターに送られる。施設内の描写はナチスドイツの強制収容所を想起させるもので、ゲーム内でも非常に印象的なシーンのひとつだ。移民排斥の機運が高まるヨーロッパでは、特に重たい意味を持つと言える。

このように本作のテーマは「テクノロジーの驚異的な進歩がもたらす人間社会への影響」である。機械の視点を通して人間とは何かを問いかけるという、古典的なテーマを現代的に描いているのだ。そのうえで機械に人間らしい外観や仕草を与えることで、技術革新がもたらした富の偏在や、移民問題といった今日的な問題を重ね合わせてみせた。人間はトランクルームにスーツケースを入れても心は痛まないが、人間そっくりのアンドロイドだと微妙な気持ちになる。これは人間の共感性に起因する問題だ。そのため本作は、今後現実にアンドロイドが登場してきたときに生じる問題を先取りしている側面がある。

もっとも、こうした人間対アンドロイドという構図に、西欧的な価値観を読み取るむきがあるかもしれない。マンガ『ドラえもん』を筆頭に、ロボットと人間の共存社会をテーマとした娯楽作品に親しんできた日本社会では、アンドロイドの受け入れ方もまた、異なると考えられるからだ(一方でAIのように形がないものに対する社会的不安が存在する点は興味深い)。ただし、人間と機械の共存社会はハリウッド映画『スター・ウォーズ』シリーズでも描かれ、西欧社会でも広く受容されている。このように本テーマは、日本対西欧といったステレオタイプの見方を越えた、普遍性を有している。だからこそ本作もまた、世界中で高い評価を得た作品になったといえるだろう。

一回性の体験を重視したゲームデザインが示すもの

これらの点と比較すると、ゲームデザインの面ではいささか様相が異なっている。さまざまな要素が複合的に絡まっているものの、本作の本質はフラグ管理による分岐型アドベンチャーゲームである。物語の進行にAIなどの要素が関係しているわけではない。そのためCGを文章に置き換え、分岐を選択肢に置き換えれば、日本でも人気の高いビジュアルノベルになる。裏を返すと本作はビジュアルノベルでできることを、莫大な予算で最先端のCG技術に置き換えたことで、世界的なヒットをもたらしたともいえる。ノベル形式では市場が広がらないからだ。

※もっとも近年、インディゲームを中心に選択肢を別のメカニクスに置き換えたビジュアルノベルが登場し、人気を集め始めている(註5)。本作もまた、こうした実験的ビジュアルノベルの最右翼と位置付けられるかもしれない。

『Detroit Become Human』E3 2016 Trailer(コナー篇/ 日本語吹替版)

むしろ本作で注目したいのは、選択肢の全体的な構造(フローチャート)と、それによってもたらされるゲーム体験の特殊性だ。これは特に日本のビジュアルノベルとの比較で顕著になる。

大前提としてストーリーゲームにおける選択肢は、人生において違った選択を行うと、どのような運命が待ち構えていたのか知りたい、という人間の欲求に根ざしている。ただし、すべての選択がハッピーエンドにつながるわけではない。自分の意図と裏腹な展開になったり、そこで理不尽な思いをしたり、時にバッドエンドになったりすることもある。そこで日本のビジュアルノベルでは、しばしばすべてのルートやエンディングを経なければ到達できない「真のエンディング」を設定する。プレイヤーのモチベーションをあおりつつ、長時間遊んでくれたことに対して報酬を提示するためだ。そのためトゥルーエンドはしばしば、究極のハッピーエンドとなる。

しかし本作では章ごとにフローチャートを提示し、「運命の可能性」を可視化させることで、逆に体験の一回性を強調しているように感じられる。本作ではほかのビジュアルノベルと同じく、特定のエンディングに到達したのちに、過去に戻って別の選択も取ることも可能だ。しかし、どの選択肢でも自由に戻れるわけではない。また、一度選択したルートを早送りしたり、スキップしたりする機能もない。3体のアンドロイドを生かしたままエンディングを迎えられるが、それがトゥルーエンドというわけでもない。ひらたく言えば、何回も遊ぶのに適した構造になっていないのだ。

ここから感じ取れるのは、選択肢とルートの存在は暗示するものの(これは現実と同じだ)、自分の選択を尊重してほしいという制作者の思いだ。これはゲームの「自我を持たないアンドロイドが、プレイヤーの操作という特殊要素を得て、自分自身の運命を切り開いていく」というテーマにも通じる。そもそも選択肢の数は有限であり、プレイヤーの自由な選択欲求を満たすものではない。そのため自分が選び取った結果を大切にして、ほかの可能性は自由に想像して欲しい……こうした思いは、分岐型アドベンチャーゲームの制作者であれば、一度は考えたことがあるのではないだろうか。

ただし、これにはいくつか問題をはらんでいる。第一に本当にプレイヤーが一回でゲームをやめてしまったら、ゲームのほかの要素が無駄になってしまうことだ。これは開発側にとって、壮大な無駄をつくってしまうことになる。一方でプレイヤーにとっても、ゲームの隅々まで楽しみたいという思いを持つのは当然だ。そのため「プレイの一回性を重視して欲しい」という思いは、開発の効率性の面からも、プレイヤーの欲求面からも、正面からバッティングする。

『Detroit Become Human』PGW 2017 トレーラー(カーラ篇/日本語吹替版)

第二にエンディングがプレイヤーの意にそぐわなかった場合、再びゲームを遊ぶ気力を萎えさせてしまう恐れがあることだ。実際カーラ編で無事に国境を越えるには、さまざまな選択肢を正しく進む必要があり、難易度が高い。その一方で本作は多くのルートで、かなり考えさせられる、重めのエンディングが用意されている。実際、筆者も最初のプレイで主人公が全員死亡する、最悪に近いエンディングを迎えた。にもかかわらず、内容に整合性がとれており、ゲームのテーマにもあった、すばらしい体験だと感じさせられた。

しかしゲームには「何度も失敗を繰り返しながら、成功に達する」という周回性がある。本作でも同様で、多くのプレイヤーは何度も不幸な物語を繰り返しながら、最適解に至る道を探していくことになる。もちろん、どのエンディングで何を感じ取るか、そして再プレイするか否かは、各々のプレイヤーに委ねられている。ただしプレイヤーに対して、何度も重苦しいエンディングを迎えさせる意味とは何だろうか。この問題を「それでいいのだ!」と割り切ったところに、本作の強いメッセージ性が隠されているといえるだろう。

このように本作は技術的にもテーマ的にもゲームデザイン的にも、日本では作り得ない、時には発想すらし得ないタイトルであり、だからこそ日本をはじめとした、多くのユーザーに支持される作品となった。何より本作が世界最大級のゲーム市場であるアメリカで広く受け入れられている点に、エンターテインメントとしての懐の深さや、ゲーム文化の成熟ぶりを感じさせる。ここから刺激を受けた国産ゲームが登場し、逆に世界中に影響を与えていくことを期待している。


(脚注)
*1
3DCG技術のひとつで、表示される対象(オブジェクト)の色を、現実世界の物理法則に基づいて陰影を変化させ表現するためのコンピュータプログラムのこと。

*2
3DCG技術のひとつで、表示される対象(オブジェクト)の明るさを、直接光だけでなく間接光の影響を含めて表現するためのコンピュータプログラムのこと。

*3
ゲームはアニメーションと同じように、大量の画像をモニター上で高速に描き変えることで動きを表現する。この時に必要な絵を事前に作成しておき、映画のフィルムのように一定の順番で再生する方法のこと。コンピュータの演算性能によらず、美麗な映像を表現できるが、操作などによって内容を変化させることはできない。

*4
プリレンダームービーと異なり、必要な画像をリアルタイムに演算し、その都度モニター上に表示する方式のこと。操作などによって内容を変化させられるが、映像のクオリティはコンピュータの演算性能に左右される。

*5
バーテンダーが主人公の『VA-11 Hall-A』(Sukeban Games)は好例で、カクテルのつくり方でストーリーが分岐していく。一方で館の中を歩き回りながら、一本道のストーリーを追体験していく『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』(Giant Sparrow)なども、新しいスタイルのアドベンチャーゲームとして評価が高い。

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