6月1日(土)から6月16日(日)にかけて「第22回文化庁メディア芸術祭受賞作品展」が開催され、会期中には受賞者らによるトークイベントやシンポジウムなど、さまざまな関連イベントが行われた。6月15日(土)には日本科学未来館で、受賞者のBoichi氏、モデレーターとして審査委員の白井弓子氏、選考委員の三浦知志氏を迎え、アワードカンファレンス[マンガ部門]セッション1「さらなるマンガの可能性をみせてくれたことは確かである − 大賞『ORIGIN』」が行われた。本稿ではその様子をレポートする。

『ORIGIN』1巻 表紙

圧倒的な作画力はどこから?

第22回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で大賞を受賞したのは、韓国出身のマンガ家Boichi氏による『ORIGIN』。Boichi氏の作品は、2018年の第21回文化庁メディア芸術祭で『Dr.STONE』が稲垣理一郎原作、Boichi作画として審査委員会推薦作品に選出されているが、個人の作品としての受賞は今回初めてとなる。
本作は、西暦2048年の東京を舞台に、プロトタイプのロボット「オリジン」が、超高性能なAIを搭載し、殺人を繰り返すロボットと戦うさまが描かれるSF作品。作画の緻密さ、設定のつくり込み、ハードボイルドな世界観でありながら生活感あふれるシーンやユーモアなども盛り込まれている点などが評価された。カンファレンスでは、本作の考察のみならず、マンガ家になるまでの道のりや、マンガ家として経験したこと、過去の作品のテーマや影響を受けた作品などが語られた。
自身もマンガ家である白井弓子氏は、第22回文化庁メディア芸術祭受賞作品展で展示されたコピー原画が筆で描かれていたことに驚いたそうで、まず作画方法を尋ねた。
Boichi氏によると、絵を描く際は筆だけではなく、ペンやCLIP STUDIO PAINT(註1)、Photoshopや3Dソフトも使うとのこと。筆を使うきっかけは、井上雄彦氏(註2)も担当する『ORIGIN』の担当編集者に、「井上先生は筆で書くんですよ」と言われたことだったという。Boichi氏はすぐに筆で描く練習を始めるも、うまくいかずに試行錯誤。しかし、尊敬する王欣太KING☆GONTA)先生(註3)から「筆じゃなくてもペンでも何でもいいじゃないか」という言葉をもらい、『ORIGIN』を描き始める少し前から、筆だけでなくほかのツールも使うようになったそうだ。ちなみに、王欣太先生はそう言いつつも目の前で筆を使って龍を描いてみせたので、Boichi氏は「嘘つきだと思いました」と会場の笑いを誘った。
さらに情報メディア学を専門とする三浦知志氏は、絵を描く技術力をどうやって培ったか、またそれにつながるようないい先生や友人との出会いがあったのか尋ねた。
Boichi氏はテクニックに関して、「私のレベルであれば少し勉強すれば誰でもできると思う」と一言。『ORIGIN』に登場するメカニックの7割を描いたスタッフは、スタジオにいる3人の日本人スタッフのうち、マンガを専門に学んでいない23歳の女性であったことを例に挙げた。Boichi氏は「メカニックについて考えたことはありません」と言う彼女に、「少し勉強したらできるよ」と練習してもらい、ポケットマネーで成果物に対して報酬を出したところ、みるみるうちに上達したそうだ。
同氏は続いて、マンガ家になるまでの道のりを教えてくれた。Boichi氏が絵を描き始めたのは2歳の時で、それから1日も欠かさず絵を描いているという。家は貧しかったため、マンガを読む機会はなく、新聞やカレンダーに絵を描いていた。マンガ家になりたいと思ったのは10歳頃だったが、絵を描くための参考書に触れたのは高校1年生の時、「週刊少年ジャンプ」を読んだのは1993年に韓国でマンガ家デビューを遂げた後の22歳の時だったそうだ。「運よくマンガ家になり、すばらしい仲間に出会い、担当編集者や先生などからアドバイスをもらったり、叱られたりしながら、マンガを学ぶことができた。日本のマンガ界の方々は本当に親切で、何も知らない外国人の私にいろいろなことを教えてくれた」と話す。

韓国のマンガ界が衰退した1997年

またBoichi氏は、マンガ家人生で経験した大きな出来事として、1997年に韓国で制定された青少年保護法による同国のマンガ界の衰退を振り返った。同年7〜12月のあいだ、マンガの出版は政府の検閲を通さなければならず、当時あった大人向けのマンガ雑誌4誌はすべて廃刊、大手出版社はマンガの出版を取りやめたという。その時すでにマンガ家としてデビューしていたBoichi氏も当然ながらその煽りを受け、つらい思いをしたが、同時にマンガを描ける環境が整っているのは大切なことと気がついたと話した。
これについて三浦氏は、当時の状況に同情するとともに、日本では90年代は「週刊少年ジャンプ」の売り上げが1996年頃をピークに落ちはじめたことにも言及。
対してBoichi氏は、21世紀はマンガの時代だと言い放つ。日本のマンガ市場は今後停滞していくという意見もあるが、そう簡単には崩壊せず、変化が訪れる兆しだと考えているという。インターネットによるマンガの配信によって、今後日本のマンガ市場は国内だけでなく、世界へも広がっていき、マンガ家たちは世界に羽ばたいていけるとした。海外の読者に届けるためには、各国の法律に従いながら販売していくことが大切になり、その時には韓国での経験が役立つのではと述べた。

情報メディア学を専門とする三浦氏。尚絅大学で准教授を務める

作品に含まれるさまざまなジャンルのエッセンス

Boichi氏の作画やマンガ界に対する考えが伝えられた後、議論は作品の考察に戻った。三浦氏は『ORIGIN』の写実的な画風のなかに登場する、「萌え要素」の詰め込まれた「Y」というキャラクターに着目。日本のマンガの典型のひとつである記号的な絵を研究したことはあったかを質問した。
これについてBoichi氏は、マンガ家デビュー後の1996年、「マンガとは何か?」を考えていた時期のことを紹介。突然浮かんだその問いに対する答えを見つけるため、少女マンガ、アダルトマンガ、教育マンガなど、さまざまなジャンルのマンガを描いてみたという。マンガを理解したいという気持ちから、マンガ評論家としての活動もしていた。そもそもBoichi氏は韓国では少女マンガ家としてデビューしており、2004年に来日してからはアダルトマンガを描いていた。子どもの頃、マンガ家を目指す前はSF小説家になりたいと思っていた同氏は、やがてアダルトマンガからSF作品を描くようになったそうだ。
モデレーターの両氏は、この話を受けて『ORIGIN』に含まれるアダルトマンガ、少女マンガの要素を指摘。
Boichi氏は、2003年に少女マンガ家としての人生の幕を降ろすことを決意したと続ける。しかし少女マンガで学んだこととして、女性のキャラクターを対象化せず、尊敬することは守っていこうと考えたそうだ。これには、同氏が少女マンガでデビューしたことも関係しているようで、「当時は同僚、カリスマ的な人気を誇る先輩、読者など周りの人はすべて女性だった。そんななか、デビューしたばかりの僕は一番下っ端だった」と話した。そんな経験から、Boichi氏は女性を「最高に優れた存在」と尊敬の意を込めて描いているという。

SF小説家に憧れていた子ども時代

またBoichi氏は、自身の子ども時代についても話してくれた。当時のBoichi氏は、マンガの勉強をしたかったがその方法はなかったため、SF小説家になりたいと考えていたそうだ。尊敬するSF作家は物理学などを専攻していたことから、自分も物理学を学び、物理の計算を趣味とし、架空のスペースコロニーの質量、重さ、空気の流れなどを計算して、そこから生まれるストーリーを想像していた。そのため、『ORIGIN』にはSF作家へのオマージュを捧げた部分もあるという。また、とりわけ一番尊敬しているアーサー・C・クラーク(註4)にちなんで、以前より作品内には「クラーク」というファッションブランドが出てくることに触れた。「古典的なハードSFを好みます。人類の未来について反芻し、科学、宇宙、自然のなかで、人間の立ち位置を科学的な方法で論じるような作品が好き」と話した。
三浦氏は、「セクシーな女性が出てくるハードSF」の代表として、士郎正宗氏による『攻殻機動隊』シリーズ(註5)を挙げ、Boichi氏が過去に描いた同作のトリビュートコミック(註6)に言及。『攻殻機動隊』との関わりを尋ねた。

『攻殻機動隊 ゴースト・イン・ザ・シェル コミックトリビュート』表紙

Boichi氏は、高校2年生のとき、『アップルシード』(註7)、そして『攻殻機動隊』を読み、未来の世界を舞台に、科学、エロ、メカニックといった要素を盛り込んだ深みのある内容に、大きな衝撃を受けたという。マンガ家として来日するときに、「先生のアトリエで働いて、パンツを洗いながら暮らしてもいいと思うくらいだった」と話すほど士郎作品が好きだった同氏は、企画の提案に飛びついた。そして、士郎氏が最初の読者であることを想定しながら、原稿には、士郎作品を読んで自らがどのように生きてきたのかを盛り込み、また『ORIGIN』の世界観とつなげた内容に仕上げた。

マンガ家の白井氏は『ORIGIN』の選考状況についても言及。同作品は、マンガが持つべきさまざまな側面のほぼすべてが揃っていたため、審査委員からの票が集まり、スムーズに大賞受賞が決まったと伝えた

「大切なものを守っていく」ストーリー

白井氏は、そのような作品から得た衝撃が波及して新しい表現につながっているとコメント。またBoichi氏の作品が、ポジティブで救いのある展開をしていると指摘し、代表としてSF短編作品集『Boichi作品集 HOTEL』を挙げた。
意外にもBoichi氏にとって、表題作である『HOTEL-SINCE A.D.2079-』は、発表後に悩んだ作品であったようだ。本作品は、ある晩、散歩中に浮かんだアイデアをもとに、4日で絵コンテを完成させた。つまり、下調べをせず、インスピレーションのみで描いた作品だった。しかし結果として大きな支持を得たため、「こんなもので評価されていいのか?」と長い間考えたそうだ。だが一方で、本作は心のなかのものを引き出したような内容でもあった。そういった部分を読者が汲んでくれたと思ったともいう。
そして『HOTEL-SINCE A.D.2079-』も『ORIGIN』も、寂しさや苦しさに耐えながら、心に秘めたものを守っていくストーリーだと振り返る。自身は、マンガ家として歩んできたなかで学んだ、守るべきものを持っているし、また世の中の人は誰もが守るべきものを持っていると話した。そして、そんな人々を応援する気持ちを『ORIGIN』に込めたと言葉をつなげる。
オリジンのモノローグで「人間はなぜ皆こんなに寂しがるんだろう 寂しい時は俺オリジンを思い出すと慰めになるだろうか」「俺は本当に一人だから あなたたちは少なくとも 人間たちの中で人間として生きているから だからあまり寂しがらないで下さい」(『ORIGIN』7巻)というものがある。何かを守っていくなかで、寂しさや孤独を感じるかもしれないが、そんな時には人間界でただ一人生きるロボットであるオリジンを思い出してほしいというBoichi氏から読者へのメッセージが読み取れる。
ディスカッションを一通り終え、来場者からの質疑応答を受け付けた後、白井氏が2019年6月3日発売「週刊ヤングマガジン」の特別読み切り作品『ORIGIN 外伝 空に立つ者、地に立つ者』を紹介。本作は、本芸術祭で大賞を受賞した記念として掲載された。白井氏は、すばらしい内容で、ひとつの短編作品として完成度が高かったと絶賛した。
Boichi氏は、この短編作品はもともと『ORIGIN』の30年後を舞台とし、4部に入る予定のエピソードであったことを明かした。そして最後に、受賞について改めてコメント。「ただ机に向かってマンガが描けるなら、売れなくても満足なので、これからも長く描いていくことを望んでいます。また、それだけで人生の目標が達成されると思っています。これからマンガ家として生きていく上で大変なこともあると思うが、今回の受賞を糧に克服していきたい」と話した。

カンファレンスを通して、Boichi氏は自身の生い立ちや経験、作品に対する考え方などを、飾らず、また謙虚な姿勢で教えてくれた。来場者の誰もが、同氏の作品には、そんな彼自身の真摯な思いや、まっすぐな生き方が反映されていると感じたに違いない。少女マンガ家、アダルトマンガ家を経て、辿り着いたSFマンガ家という道で、これからは何を示してくれるのか? 計算では導き出せないその答えに、期待せずにはいられない。


(脚注)
*1
イラストやマンガを制作するためのソフト、アプリケーション。「クリスタ」という略称で親しまれている

*2
代表作に『SLAM DUNK』(全31巻、集英社、1991〜1996年)、『バガボンド』(既刊37巻、講談社、1999年〜)、『リアル』(既刊14巻、集英社、1999年〜)など。宮本武蔵を主人公とし、墨を使った表現を多用した『バガボンド』は2000年の第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞、車椅子バスケットボールをテーマとした『リアル』は2001年の第5回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞

*3
大阪出身のマンガ家。代表作に『蒼天航路』(李學仁原案、全36巻、講談社、1995〜2005年)。「衝撃のネオ三国志」をキャッチコピーとし、新しい解釈で三国志の世界を描いた

*4
イギリス出身のSF作家。科学解説者としても活躍。その知識を用いて、現実味のあるハードSFを描く。代表作に『幼年期の終り(Childhood’s End)』(1953年)、『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』(1968年)など

*5
士郎正宗によるSFマンガ作品。主に、『攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL』(講談社、1991年)、『攻殻機動隊2 MANMACHINE INTERFACE』(講談社、2001年)、『攻殻機動隊1.5 HUMAN-ERROR PROCESSER』(講談社、2003年)。西暦2029年、複雑化する犯罪に対抗すべく結成された「攻殻機動隊」の躍進が描かれた

*6
士郎正宗『攻殻機動隊』シリーズ『攻殻機動隊 ゴースト・イン・ザ・シェル コミックトリビュート』(講談社、2017年)。参加マンガ家は、衣谷遊、Boichi、井上智徳、山本マサユキ、今井ユウ、ほか。表紙イラストは平本アキラ

*7
『アップルシード』(全4巻、青心社、1985〜1989年)は、士郎正宗のメジャーデビュー作品。第五次非核大戦後、主人公の女性と、ほぼ全身を機械化した戦闘サイボーグの男性の活躍を描いたSFマンガ


(information)
第22回文化庁メディア芸術祭 アワードカンファレンス[マンガ部門]
・セッション1「さらなるマンガの可能性をみせてくれたことは確かである − 大賞『ORIGIN』」
※受賞作品展会期中にキーノートおよび4セッションを開催

日時:2019年6月15日(土)14:30~15:30
会場:日本科学未来館 7階 未来館ホール
出演:受賞者 Boichi
   モデレーター 白井弓子、三浦知志
主催:第22回文化庁メディア芸術祭実行委員会
http://festival.j-mediaarts.jp

URLは2019年6月17日にリンクを確認済み