日本のメディアアートの現在を、学校という視点から大学教員の対談で紹介する。2つめの学校は、岐阜県大垣市にある情報科学芸術大学院大学[IAMAS](イアマス)だ。日本におけるメディアアート創世記とも言われる1990年代に、全国に先がけてつくられたメディアアート専門の学校。地方の公立大学であるIAMASは、国内外で活躍するアーティストやクリエイターを多数輩出する。その理由はどこにあるのだろうか。
三輪眞弘氏(左)と伊村靖子氏(右)
文理を融合した、日本で初めてのメディアアート専門の学校
今日は、情報科学芸術大学院大学[IAMAS](以下、IAMAS)の開校当初から教員を務める三輪眞弘(みわ・まさひろ)学長と、2016年にIAMASに赴任された伊村靖子(いむら・やすこ)講師にお話を伺います。まず三輪学長より、開校の経緯を教えてください。
三輪:1996年にスタートしたIAMASは日本初のメディアアートを標榜した学校です。開校当時は県立の専修学校でした。当時、ドイツで作曲家として活動していた私にある日、「日本でメディアアートの学校をつくるが音楽を教える人を探している」と電話がありました。初代の学長は世界中のメディアアートを日本に紹介した坂根巌夫さん。迷うことなく日本に戻り、開校の準備に参加しました。
そもそもIAMASは、いわゆるIT産業のリーダーを育成する目的で岐阜県が計画したものでしたが、坂根さんを学長に迎えたために「アート」の学校になったという経緯があります。2001年には大学院がスタートし、専修学校と大学院が同居するような時期がありましたが、その後専修学校は廃校となり、今は学部を持たない大学院という体制になっています。
専修学校時代からの大きな特徴としては、少数精鋭という方針です。現在は1学年20人で、2学年で40人。研究生などもあわせると学生は50人ほどいます。対して教員は19人。学生に対する教員の人数比では、おそらく日本で最も恵まれた教育機関ではないでしょうか。ですが、一方で県立ですので、卒業生の地元での就職率が低いことについてはいまだに批判されることもあります。「いい学生を育てています」くらいではすまないので、各教員はさまざまなプロジェクトを立ち上げ、フルパワーで活動しています。
少数精鋭に加え、もうひとつのポイントは、教員の担当する分野が全員違うということ。開学当初から、科学と芸術の融合を合言葉に、特に人文系と自然科学系の分断を克服しようという高い理念がありました。それを結び付けるものこそがアートだという考え方です。
伊村:IAMASのもうひとつの特徴として、海外との交流があります。リンツ美術工芸大学との交換留学制度があり、海外からは日本におけるメディアアートの教育機関として評価されています。
情報科学芸術大学院大学[IAMAS]の研究所などが入るソフトピアジャパン・センタービル。1990年代、岐阜県の高度情報化政策により整備されたIT関連企業が集まるエリア・ソフトピアジャパンの中心的な施設。IAMASの前身となる岐阜県立国際情報科学芸術アカデミーは産業文化創世の担い手を育てる拠点として、1996年に欧州型の専修学校として設立された
開学から20年以上を経て、学校にはどのような変化があったのでしょうか。
三輪:IAMASができた当時は、テクノロジーが新しい文化や未来をつくっていくというとてもポジティブな雰囲気に包まれていました。IAMASはアートの学校だと見られていたし、僕らもそういう自覚でいました。それは、美術の文脈のなかでテクノロジーを使った表現をするという捉え方です。けれども現在は、美術というカテゴリにとどまらず、もっと客観的に現代社会において僕らはどのような未来をつくっていくのか、そのためにはどのような研究をするのかを考えなければならない、という問題意識があります。しかし文脈やジャンルを取り払うと、何でもありだし、どうしていいかもわからない。実はそんな状況のなかに僕たちはいて、教員は常に模索しているのが現状です。
伊村:私自身はIAMASに赴任する前に、国立新美術館やNTTインターコミュニケーション・センター [ICC](以下、ICC)でアーカイブや展覧会、ワークショップの企画に携わってきました。ICCに関わった時期は、IAMAS開学やICC開設(1997年開設)から10年ほど経ったころです。1990年代は、いろいろな分野がコンピュータの可能性を探っていたので自然に領域を横断する状況がありました。その後徐々にコンピュータが社会に浸透し、インターネットがインフラ化しました。日本のメディアアート史を考えると、2000年代半ば頃に流れが大きく変わったと私は考えています。背景にあるのは、インターネットとスマートフォンの普及です。かつては一部の限られた人たちがメディアアートの可能性を先験的に見出していましたが、メディア技術が社会に浸透することにより、新たな局面を迎えています。私の研究分野は芸術学ですが、IAMASではメディアアートが探ってきた過去の知見を現在にどのように生かせるのかを考えています。
三輪眞弘氏
美術の文脈で捉えきれないメディアアートにどう向かっていくか
そうした現在の状況に対して、IAMASではどのように取り組んでいるのでしょうか。
伊村:メディアアートを学ぶだけではなく発信する取り組みとして2年に一度、「岐阜おおがきビエンナーレ」を開催しています。2017年には「新しい時代 メディア・アート研究事始め」と題して、藤幡正樹、三輪眞弘、久保田晃弘の3人を中心に、美術・音楽・工学の立場からメディアアートが追究してきたコンピュータと人間の関わり方についてディスカッションしました。今年度は「メディア技術がもたらす公共圏」というタイトルで開催します(筆者註:インタビュー時は未開催。その後、2019年12月5日(木)から8日(日)にかけて開催された)。この企画は、アーティストやデザイナーが直面している制作環境を起点に、現在の表現を捉えてみたいという考えから始まっています。IAMASの教育の特徴でもある2つの「プロジェクト」の活動を軸に、AI、デジタルファブリケーションをテーマとした展示を行い、シンポジウムを通してメディア技術と社会の関係を「公共圏/親密圏」の観点から考えます。
「岐阜おおがきビエンナーレ2019」でのシンポジウムの様子(2019年12月6日)
「岐阜おおがきビエンナーレ2019」関連展示《協働的デザイン環境のプロトタイピング》より
岐阜おおがきビエンナーレには学生はどのように関わっているのでしょうか。
伊村:今回の岐阜おおがきビエンナーレでは、「アクション・デザイン・リサーチ」と「アーカイバル・アーキタイピング」という2つの「プロジェクト」が参加しています。「プロジェクト」は複数の教員が少数の学生を受け持つ形式の授業で、外部との連携や共同研究を通じた実践的な教育の場となっています。ビエンナーレでは、学生は教員と一緒に展示制作を行うだけでなく、映像配信や運営にも携わっています。
三輪:「プロジェクト」はIAMAS創立以来の中心的な授業であり大きな特徴です。学生は実践を通して学んでいく。ただし、これはとてつもなく難しいことです。というのは、プロジェクトである以上、成功させたい。でも学生は同時に学ばなければならない。その間で教員は本当に悩みます。学生と一緒にやるより一人でやったほうが速い場合がいくらでもあるわけですから。結果を出しつつ、学生がそこから学ぶ仕組みをどうつくるのか、と。教員にとっては非常に負担が大きいのですが「『プロジェクト』はいらない」という教員はいません。
学生と先生が協働して「プロジェクト」を行っていくのですね。
三輪:教員がやるのを学生が見るというパターンや、ここは学生だけでやってみなさいというパターンなど、学生それぞれの能力に応じていろいろな方法で進めています。対照的なのは座学ですね。教員が知っていることや大事なことを学生が腰を据えて学びましょう、という授業ももちろんあります。
伊村靖子氏
分野の違う複数人で知見を共有する「プロジェクト」という授業
実際にプロジェクトを進めるときの学生との距離の取り方、作業の割り振り方などを教えていただけますか。
伊村:私自身はアクション・デザイン・リサーチという「プロジェクト」に、研究分担者として関わっています。この「プロジェクト」は、インタラクションデザインを専門とする赤羽亨(あかばね・きょう)が研究代表者を務めています。近年、デジタル工作機器の普及によって個人でのものづくりの幅が広がりましたが、従来の産業技術との併用可能性やデザイン・プロセスの開示によるデジタルファブリケーション(筆者註:アイディアなどや個人の身体データなどをデジタルデータ化したうえで、それらをデジタル工作機械により木材やアクリルなどの素材を加工・成形する技術)の可能性はまだ十分に開拓されているとは言えません。それに対して地元の企業と共同でデザイン・プロセスのリサーチを行い、協働的なデザイン環境の可能性を考えていくという「プロジェクト」です。
私はフィールドワークの観点から、学生たちと一緒に企業にインタビューに行き、デジタル工作機器の使われ方や職人が持つ知見との接点についてディスカッションを行っています。企業とIAMASの双方で、オープンソースの図面を使って実際に制作しながら意見交換する部分もあります。
三輪:「プロジェクト」は教員一人ではなく複数人で取り組みます。ジャンルが違う教員同士でチームを組むので、「プロジェクト」によってはそのなかの一人の分野が前に出たりしますが、違う分野の教員もそこに考え方を重ね合わせていく。どの「プロジェクト」も3年くらい続けて行います。ひとつが成果を上げて、それを引き継いで次の「プロジェクト」が始まったりもします。
「アクション・デザイン・リサーチ」にて、デジタルファブリケーションの活用事例に関して、木工什器、テキスタイル印刷企業にインタビューした際の映像。「岐阜おおがきビエンナーレ2019」関連展示より
教育の難しさがある一方で、「プロジェクト」を続けられているのはなぜなのでしょうか。
三輪:苦しいけれどその価値は教員みんなが認めている。そのポイントとはどういうところなのでしょうね。
伊村:メディアートの定義が変わってきているからこそ、「プロジェクト」のような授業が重要なのだと思います。これまでもメディアを使った表現は常に新しい領域を切り開いてきました。いまは誰もがメディアを使わなければ生きていけない時代です。新たなものを一からつくるだけではなく、すでにあるメディアをどのように使っていくのかという新たな知のあり方が必要とされているのではないでしょうか。そこでは過去に培ってきた知見が生かされると思っています。
そこが、ジャンルも超えた複数人の教員で取り組むことに意義がある部分なのですね。
伊村:教員だけではなく、学生たち自身が持っている知見を共有する場としても、「プロジェクト」に可能性があると思っています。どのような領域もそうですが、常に領域は変質しています。変わらないものと変わるものがあるなかで、教員としては変わらないものを見据えつつ、変わっていく要素を取り入れる環境が維持できたら良いというのが理想です。
三輪:その理想を叶えるには「プロジェクト」という授業なしには考えにくいですよね。
(information)
情報科学芸術大学院大学[IAMAS]
〒503-0006 岐阜県大垣市加賀野4-1-7
TEL:0584-75-6600
https://www.iamas.ac.jp
※URLは2020年2月21日にリンクを確認済み
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