1995年の開館以来、マンガ原画の収蔵に積極的に取り組んできた横手市増田まんが美術館。2019年には原画保存とその活用に重点を置いたリノベーションを行い、リニューアルを果たした。流出や散逸の危機も聞かれるマンガ原画という史料をどのように扱っていくべきかは、業界内でもまだ意見の調整が続く段階にある。そのなかで、収蔵から保存、そして活用まで、先駆けとなる取り組みを続けてきた同館は、今、原画アーカイブをどう捉えているのだろうか。横手市増田まんが美術館の館長、大石卓氏に取材した。

1995年に複合施設である「増田ふれあいプラザ」の一角に「増田町まんが美術館」をオープン。2019年には、マンガ単体の施設となる「横手市増田まんが美術館」としてリニューアルオープンした。美術館に隣接し、「内蔵の町」として知られる「増田の町並み」は、2013年、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている

なぜ、かつて価値がないとされていた原画の保存が必要になったのか

もしかしたら何年か先、マンガがかつて紙とインクで描かれていたものだったことに好奇の目が向けられる日が来るかもしれない。さかのぼって半世紀前なら、まさかマンガの原画(以下、原画)が額装されて美術館に展示される日が来るとは信じられなかったことだろう。原画の位置づけは、時代とともに刻々と変化している。

原画は印刷工程における版下であり、その意味では中間生成物である。そのため、版元・出版社からマンガ家の手元に原画が返却されることが徹底されていない時期もあった。仮に返却される場合でも、マンガ家の側で原画を保管する意志がないまま押入、タンスの肥やし、ともすればゴミとして破棄されることも珍しくなく、原画には一部のファンを除くほとんどの関係者にとって「価値がない」と見なされる時代が、マンガ史の長い期間を占めてきたと言っていい。

原画の価値はどこにあるのだろうか。絵画的な価値はすぐに想像されるところだが、コマの欄外に目を向ければ、マンガ家がアシスタントに向けて鉛筆書きしたトーンの指示や編集者からのメモなど、制作プロセスを追いかける資料としての価値も見逃せない。そのような原画が注目されるようなったのは、美術館や百貨店の催事場で原画展が展示されるようになり、その文化的な価値とともに経済的な価値が一般に認められるようになってからだ(註1)。特に経済的な価値についてはオークションなどの原画の売買が近年増加しており、その価値をめぐる意識は変化の一端にある。

原画の保存を研究している主要な施設を開館年とともに併記してみると、南から北に北九州市漫画ミュージアムが2012年、京都国際マンガミュージアムの開館が2006年、明治大学 現代マンガ図書館が2009年(註2)、そして本稿で取り上げる横手市増田まんが美術館が1995年であり、マンガ文化に対する世間の認識の潮目として、おおまかに1990年代後半が境と捉えることができるだろう。

ミュージアムショップ。左手のマンガウォールには高さ10mの壁一面に、マンガの名シーンが彩られている
2階へ続くスロープから始まる常設展示室。74人分の原画が展示され、100名を超える収蔵作家の原画と定期的に入れ替えられている

2019年のリニューアルで明確になったアーカイブへの強い意思

横手市増田まんが美術館は、1995年の開館時には郷土のマンガ家である矢口高雄(註3)の原画収蔵を中心に、原画展示に特化した美術館として誕生した。2015年以降、高橋よしひろ、小島剛夕、能條純一、土山しげる、東村アキコ、倉田よしみと数万点レベルの原画を収蔵するマンガ家を増やし(註4)、そして2019年に「秋田県市町村未来づくり協働プログラム横手市プロジェクト」の主要事業としてリニューアル開館を迎えた。

リニューアル前後で何が変わったのか。実は2年に及ぶ工事で増床はされておらず、建物の間取りもほぼ変わらないままである。以前は地域の公民館としての性格もあった建物の、会議室を展示室に、調理室をカフェに、図書館をマンガライブラリーにといった旧間取りの機能を引き継ぐリノベーションが主であった。しかし目に見えてわかる大きな変化がひとつある。それはガラス張りの原画保存室の誕生だ。ここに原画アーカイブへの意思とメッセージを感じることができるだろう。同館は、原画展示の段階から一歩進んで、原画のアーカイブを大きな柱にするべく舵を切り、そのことを来館者にもわかりやすく示したのだ。

ガラス張りの原画保存室「マンガの蔵」では、今どのマンガ家の原画を保存整理しているかを示すプレートが掲示され、アーカイブ作業を間近に見ることができる。この空間のコンセプトを、かつて横手市市役所の職員であり現在は横手市増田まんが美術館の館長を務める大石卓氏はこう語る。

「公費をかけて収蔵していくことを市民に誇りに思ってもらえる、シビックプライドの醸成が行政としてのテーマでした。日本の文化を支えてきたマンガ家の原画が、地元の美術館でこんなに大切に保管されているという事実を伝えるには、実際に見てもらう以上の方法はないだろうと。そのための可視化なんです。市民が美術館に来ても、肝心の原画は遮断された収蔵庫に収められていて『立ち入り禁止』では、ピンとこないですよね」

この「見せる収蔵」は、美術館などで普段見られないものを公開するバックヤードツアーのイメージに近いだろうか。しかも限定された公開日ではなく、いつでも見ることができる(註5)。さらにこの部屋で見ることのできる工程は、アーカイブ作業の一部を切り取ったものではなく、台帳入力からデジタル化作業まで、アーカイブの全容であることも重要だ。来館者はアーカイブの実際の現場に立ちあい、収蔵する過程でどれほどのエネルギー、時間をかけられているかを見て、感じることができる。この空間こそが同館にとっての最大の展示物だともいえる。

「マンガの蔵」内には、原画をデジタル化する「アーカイブルーム」と保存管理をする「原画収蔵庫」とがあり、いずれもガラスの向こうで作業が見えるようになっている

道のないところに築いた工程

アーカイブ作業の工程は大きく、(1)原画と初出単行本との突き合わせ(註6) (2)台帳記入 (3)スキャニング (4)原画への中性紙素材の間紙(あいし)入れ (5)1話ごとの中性紙封筒入れ (6)1巻ごとの中性紙の箱入れに分かれている。

筆者が驚いたのは、この整理の仕方がすべて独自に編み出された方法であることだ。そもそも「マンガの学芸員」という資格が国内に存在しないなか、原画をどのように保存するかは同館職員と関係者とで手探りしていくほかなかった。近隣の美術館や県施設の学芸員から、紙の作品を扱う「作法」をヒアリングしながら、例えば紙の酸性化を抑制するために中性紙を挟むといった知見を積み重ねて、原画のためのルールを一つひとつ固めていったのだ。

デジタイズにしても解像度の基準はなかった。同館では1,200dpiの数値を設定しているが、恒久保存を想定した場合、もちろん解像度は高ければ高いほどよいわけで上にはきりがない(註7)。データ活用の可能性、スキャンに要する時間、データ容量のバランスをとりながら暫定的に決めた数値設定だ。そこにはジレンマもあったという。

「高解像度でスキャンすれば、時間もデータ容量も増えます(註8)。データのバックアップを複数とると、さらにハードディスクのコストもかかっていきます。つまり保存の精度はコストの問題に直結してしまいます」と大石氏。原画の文化的な価値を認め、それを広めるための活動ではあるものの、美術品と同等の扱いをするには原画の量はあまりに膨大である。バランスの取り方が肝要だ。

「絵画などと同じように扱おうとすると、とてつもない時間、お金、人手を必要とする。そのせいで誰も取り組めないということになってしまう。ですので、頭でっかちにならずに、原画に適した今のアーカイブの方法を模索しました。丁寧にやろうとすると、いろんな意見が入りすぎてしまって、決められなくなってしまうものです。だから、あえていえば『動き出してしまう』ことが必要でした」

アーカイブ作業に従事するための資格も、今は設定していない。取り扱う作品に対する知識も不要。「替えのきかない大切な1枚の作品であるということを理解して扱う」心構えのみが必要条件だ。今取り組むべきは、目の前にあるものをいかに整理して守っていくか。日々劣化していく紙とインクを相手にする以上、スピード感は重要だ。

同館が確立したアーカイブの手法は、メディア芸術連携促進事業の場などでも共有され、2019年度には「マンガ原画アーカイブマニュアル」としてまとめられるなど、全国の施設を巻き込んでのルールづくりは着実に動き出している。

後編ではアーカイブの先にあるもの、原画の利活用について同館の取り組みを紹介する。

【原画のアーカイブ手順】

原画台帳に原画の状態等を入力したあと、1,200dpiの解像度でスキャン
原画と原画のあいだに中性紙の間紙を入れる。紙の劣化と原画同士の癒着を防ぐ
1話分の原画に間紙入れをしたら、中性紙素材の封筒に入れる。封筒には作品名、作品IDなどを記した管理シールを貼る
1話ごとの封筒入れのあと、1巻ごとに中性紙素材の箱に入れる。管理用シールを貼って、温度・湿度などが最適な環境に整えられている収蔵庫で保管される

(脚注)
*1
マンガを主題とした主な展覧会は、手塚治虫の没年である1989年の翌1990年に開催された「昭和のマンガ展」(川崎市市民ミュージアムほか)を嚆矢とし、同年「手塚治虫展」(東京国立近代美術館ほか)は1,500ページにのぼる原画を集めた展覧会が開催された。マンガ家個人の展覧会が公立美術館で開かれるのはその後、1993年「鳥山明の世界」展(川崎市市民ミュージアムほか)、さらに1994年「岡崎京子展」(ギャラリーP-HOUSE)と続いて、2000年代以降には顕著に増えていく。

*2
前身は1978年の内記稔夫のコレクションをもとにした日本で初めてのマンガ図書館。2009年、蔵書が明治大学へ寄贈された。2021年3月には東京都新宿区から駿河台キャンパスに移転のうえ米沢嘉博記念図書館との一体化がなされた。約41万点の蔵書資料は国内最大。

*3
開館後には名誉館長を務めた。2020年11月に逝去。代表作に『釣りキチ三平』(1973~1983年、「週刊少年マガジン」「月刊少年マガジン」連載)など。

*4
大規模収蔵作家は、2021年5月現在、さいとう・たかを、浦沢直樹、やくみつるとさらに増えている。

*5
アーカイブ作業は毎月第3火曜日以外、シフト制で稼働し続けている。

*6
カラー原稿とモノクロ原稿が別々に印刷されるために、返却のタイミングが異なり、マンガ家の手元で整理できていないケースも多いという。「冒頭の4ページのカラーがない、ということもたまにあります。また展示会などに1ページだけ貸したままになっていて見つからないということも。だから突き合わせ作業は最初に行う、とても大事な作業です」と大石氏。

*7
ちなみに通常の印刷物は400dpi、モノクロのマンガ単行本は300dpiほどの解像度が一般的だ。しかしアーカイブ後の活用として複製原画や、展示会用に大きく引き伸ばしたパネルを制作するなどの用途を考えた場合は、400dpiでは足りなくなる。そこで写真集や「グラビアページ」の解像度を参考に、フラッドヘッドスキャナで取り込む形式での1,200dpiの数値を決めたという。このようにスキャン時の解像度設定はその後の用途、目的によって異なる。明治大学 マンガ図書館ではオーバーヘッドスキャナで300dpi、北九州市漫画ミュージアムではフラッドヘッドスキャナを使って600dpiで取り込んでいる。

*8
1,200dpiの場合、原画1枚あたりのデータ容量は700MB程度となる。


(information)
横手市増田まんが美術館
住所:秋田県横手市増田町増田字新町285
開館時間:10時00分~18時00分
休館:第3火曜日(祝日の場合は翌日)
入場料:常設展は無料(特別企画展は有料)
http://manga-museum.com

※URLは2021年6月16日にリンクを確認済み