アニメーションにおいて、人物が列車に乗ったときに流れていく風景。この風景をつくり出すための手法のひとつが生まれた経緯をたどると、19世紀初頭に発明されたムーヴィング・パノラマに行き着く。セル画や背景画がコンピュータで処理され、3DCGが普及した現在、改めてこれらの手法に焦点をあてる。

多段スライド技法の一例、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』

『魔女の宅急便』(宮崎駿監督、1989年)の序盤、主人公キキが乗った貨物列車からの風景が描かれます。背景は緻密に描かれており、ゆっくりと流れていく田園風景は穏やかな印象を与えます(図1)。列車が海辺沿いにカーブを描くとき、風景描写はガラッと変わります。木々のディテールは失われ、色彩は単調になり、しかしながら画面全体がダイナミックに躍動しはじめます(図2)。これらの描写はセル・アニメーションにおいて一般的な2つの動きの制作法を示しています。この記事では、とりわけ前者の技法(スライド)による風景描写をその前史から見ていきます。

図1 スライド技法の一例、『魔女の宅急便』より
図2 背景動画の一例、『魔女の宅急便』より

アニメーションの2つの動き

コマ撮り撮影によって動きの錯覚をつくり出すセル・アニメーションには、大きく分けて2つの動きのつくり方があります。ひとつは一枚一枚異なる図柄の絵/画を描く作画です。これらを一枚一枚コマ撮り撮影することで動きの錯覚が生み出されます。ほかならぬアニメーターという言葉が作画を担当する人を意味しているように、アニメーションにおいて多く注目されるのは作画です。『魔女の宅急便』序盤の列車シーンを振り返るならば、色彩的には単調でありながらダイナミックな動きを見せる場面では、手前の地面や木々、列車などに作画が用いられています。作画は主にキャラクターを描く際に用いられますが、このように背景の動きを描くために用いられることもあり、その場合は背景動画と呼ばれます。

一方、『魔女の宅急便』序盤の列車シーンで緻密な背景が描かれている場面には、作画とはまた異なる技術が用いられています。セル・アニメーションにおけるもうひとつの動きの制作法であるスライドです(註1)。これは撮影台上でセルや背景を引っ張ることによって動きをつくり出す方法で、作画が異なる図柄の絵を描くことで(それらを連続表示することで)動きの錯覚を生み出すのに対して、スライドは描いたものを台上で引っ張ることで物理的に動きをつくり出すものとして理解することができます。これらの技法は併用することができ、例えば中央に作画したキャラクターを配置し、同時に背景をスライドさせることで、キャラクターの移動を表現することもできます(図3)。

図3 スライド技法の説明図
(Edwin George Lutz, Animated Cartoons: How they are made: Their origin and development, New York: Charles Scribner’s Sons, 1920, p.193)

背景を引っ張ることでキャラクターの移動を表現する背景スライド技法を初めて用いたのは、伝説的なアニメーターであるノーラン(Bill Nolan, 1894-1954)だとされています。「自分が楽になる方法をひたすら探し続けた人」(註2)だと言われているノーランは、長尺の背景を1コマずつスライドさせることでセルの枚数を減らすことができると発見したのです。これは1910年代半ば(1913~1916年頃)のことでした。

スライドする風景の歴史

中国や日本の絵巻物、インドネシアのワヤン・ベベル(絵巻物芝居)など、絵画をスライドさせて眺める文化は古今東西に見られます。なかでもノーランが発明した背景スライド技法は、後述するように19世紀初頭にイギリスで発明されたムーヴィング・パノラマ(以下M.パノラマ)が着想源になっていると考えられます(註3)。建物内360°に景色を描く円形パノラマはよく知られていますが、M.パノラマはそれとは異なり巻物状の絵画を機械で巻取りながら眺める装置です。機械式絵巻と言ったところでしょうか。1828年頃には米国にも登場し、舞台装置や風景を眺めるための興行に用いられ、とりわけ大きな流行を見せました。図4は米国の画家バンヴァート(John Banvard, 1815-1891)がミシシッピ川やミズーリ川の河岸を描いたM.パノラマです。

図4 バンヴァードのM.パノラマ
Scientific American, Vol.4 No.13, 1848, p.100)

当時はクランク式の機械を手動で回していましたが、19世紀末に電動モーターが実用化されるとM.パノラマにも用いられるようになります。もっとも興味深い例は1900年のパリ万国博覧会や1904年のセントルイス万国博覧会で展示された「シベリア横断鉄道パノラマ」(図5)でしょう。同鉄道のPRのために作られた展示で、車窓風景を表すためにM.パノラマが用いられていました。観客は会場に設えられた駅で切符を買い、実際の車両に乗り、そして車窓からM.パノラマの景色を眺めたのです。送風機による向かい風の演出や、蒸気や警笛の音の再現など臨場感を高めるためのさまざまな工夫が凝らされていました(註4)。M.パノラマの仕掛けにも工夫が凝らされており、低木や藪が描かれた近景、林などが描かれた中景、山並みなどが描かれた遠景の各レイヤーに分かれ、それらが異なる速度で動くようになっていました。さらにその手前には実際の石などがベルトコンベア上に配置され、これも同時に動く仕掛けになっていたのです。

図5 「シベリア横断鉄道パノラマ」の断面図
Scientific American Supplement, Vol.50, No.1285, 1900, p.13)

「シベリア横断鉄道パノラマ」が引き続き展示された1904年のセントルイス万国博覧会では、「ヘイルズ・ツアー」というものも出展されていました。さまざまなアトラクション要素で臨場感を高めるという点では「シベリア横断鉄道パノラマ」と同様のものですが、異なるのは風景描写のためにM.パノラマではなく、実際の列車から撮影した映像を観賞用車両の前面に投影するものだったということです。セントルイス万博においてM.パノラマを用いる「シベリア横断鉄道パノラマ」と実写映像を用いる「ヘイルズ・ツアー」が同時に展示されていたというのは象徴的で、映画の隆盛とともにM.パノラマは次第に忘れ去られていくことになります。

ただし、完全に消えてしまったわけでありません(註5)。スライド技法が発明された1910年代においても、1899年から20年にわたって上演された『ベン・ハー』をはじめとしてM.パノラマを背景に用いた舞台が多くの観客を集めていました。そして当時、ノーランはニューヨークで働いていました。とりわけ1916年頃に働いていたスタジオはブロードウェイの劇場街に隣接する7番街729番地にあり、徒歩で数分の距離に劇場があったのです。またノーランが1910年代前半に勤めていたエジソン・スタジオではかつて映画のトリック撮影の一種としてM.パノラマを用いていたことがありました(註6)。こうした状況から鑑みて、スライド技法はM.パノラマを着想源として生み出されたと考えるのが自然です。実際、スライド技法はM.パノラマと明らかに類似した構造を持ち、当時のアメリカで一般にM.パノラマを指した「パノラマ」という語で呼ばれていました。

アニメにおけるスライド技法

1910年代にノーランがスライド技法を発明してほどなく、日本においてもスライド技法が用いられるようになります。例えば山本早苗監督の『教育お伽漫画 兎と亀』(1924年)ではすでにスライド技法の使用が見られます。戦後においてもスライド技法は広く用いられてきましたが、後述するようにその使用法が日本アニメの独自性に結び付いているという議論もあります。

現実世界で移動する際には遠くのものほどゆっくり動いていくように見えます。平面の絵画を用いるスライド技法でそうした現象を再現するためには、「シベリア横断鉄道パノラマ」のように遠景と近景とを別の層に分け、それぞれを異なる速度でスライドさせる必要があります。そのためセル・アニメーションは多層化していき、のちにはディズニー社が用いたマルチプレーン(図6)のように各レイヤー間に間隔を設け、実際の奥行きをつくり出す手法も登場しました。

図6 ディズニーのマルチプレーン(1938年)
(William E. Garity, “Control Device for Animation.” US Patent 2198006, filed November 16, 1938, and issued April 23, 1940.)

マルチプレーンは日本においても用いられましたが、各レイヤー間に間隔を設けない比較的簡易な多段スライド技法、通称「密着マルチ」もまた広く用いられました。冒頭に紹介した図1の場面も密着マルチによるものです。こうした手法自体は海外アニメーションでも見られるのですが、日本アニメの傾向として着目したのが日本文化研究者のラマール(Thomas Lamarre, b.1959)です。密着マルチではマルチプレーンに比べてスライド時に各レイヤーの平面性が強調され(註7)、それぞれのレイヤーが分離しているような感覚を与えます。ラマールは(密着マルチという言葉こそ用いていないものの)こうした独特の感覚やそれを利用する方法を「アニメティズム」と呼び、日本のアニメにはアニメティズムへと向かう顕著な傾向が見られるとしています(註8)。出崎統監督『家なき子』(1977~1978年)第1話の冒頭(図7)などはアニメティズムが典型的に表れている場面だと考えられます(註9)。

図7 アニメティズムの一例、『家なき子』第1話「シャバノン村のレミ少年」

また、アニメ・特撮研究者の氷川竜介は、『アルプスの少女ハイジ』(1974年)などの高畑勲・宮崎駿コンビの後世への影響のうち、特に大きなものに「引きの微速度化」を挙げています。「引き」つまり、スライドをゆっくりと行うことによって日本のアニメは「ジワジワした速度感を獲得し、何かとチャカチャカ移動するカートゥーン系との差ができた」と氷川は考えます(註10)。もちろん、アニメには多くの作品があり、目まぐるしく視点が動く作品もあるのですが、微速度のスライドによって特徴付けられる作品があることはたしかでしょう。例えば押井守監督『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993年)の船上シーンでは、東京湾を進む警備艇に乗った後藤喜一が荒川茂樹との戦争をめぐる対話を回想する場面が約3分間にわたって続けられます(図8)。ここではアニメーションの神髄である作画によるアクションではなく、ゆったりとした音楽と2人の会話、そして多段かつ微速度のスライドによって流れていく臨海工業地帯の風景だけがほとんどの時間を紡ぎます。

図8 微速度スライドの一例、『機動警察パトレイバー2 the Movie』より

今日では撮影過程のデジタル化によって撮影台は用いられなくなり、セル画や背景画はコンピュータ上のレイヤーに置き換えられています。また同時に、3DCGの普及によってアニメにおいても徐々に3DCGが用いられるようになり、従来はスライドでつくられていた場面にも3DCGが用いられるようになっています。例えば、2001年に制作された宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』においてもっとも印象に残る場面のひとつは、主人公の千尋が海原電鉄に乗って沼の底へと向かう場面ではないでしょうか。この場面では孤島の一軒家(図9)、踏切、沼原駅の駅舎などが3DCGでつくられており、列車の移動に伴って感じられるそれらの立体性が印象に残ります。

図9 3DCGの一例、『千と千尋の神隠し』より

興味深いのは、3DCGの普及後もすべてがそちらへ移行したわけではないということです。コンピュータ上で平面のレイヤーをスライドさせる技法も多く用いられています。車窓風景に着目して見ても、新海誠監督『秒速5センチメートル』(2007年)序盤の小田急線からの車窓風景はスライドで表現されていますし、スライド自体は近作でも用いられています。宮崎作品においても2013年の『風立ちぬ』の車窓シーンでは、背景動画を用いた場面や仮想的な3D空間で2Dオブジェクトを合成した場面のほかに、スライド技法による場面が見つかります。日本史上最大のヒット作となった『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(外崎春雄監督、2020年)の列車シークエンスにおいても多段スライド技法を用いた場面は見つかります。

2022年現在においても日本のアニメは2Dと3Dのハイブリッドが主流であり、コンピュータ上でのスライド技法も多くのアニメで用いられています。これを単にコストの問題として片付けることは難しいでしょう。作画には3DCGにはない独自の良さがあるということに同意する方は多いでしょうが、スライドにも独自の魅力があるのではないでしょうか。絵巻物やワヤン・ベベルなどの絵画をスライドさせて眺める文化の存在やかつてのM.パノラマの隆盛はそのことを示しています(註11)。

そうして僕らは今でもM.パノラマから派生したスライドの姿を見ることができます。それはこのような話に似ているかもしれません。かつては絶滅したとされていた恐竜ですが、今日ではじつは鳥が恐竜の一種だという考えが主流になっています。遠い昔に滅んだとされた恐竜の姿を日々の生活のなかで見ていたように、僕らはアニメを見ているなかで、忘れ去られたM.パノラマの姿を見ています。


(脚注)
*1
台引きなどさまざまに呼ばれますが、この記事では便宜上スライドと呼びます。

*2
Paul Dickson, The future of the workplace: the coming revolution in jobs, New York: Weybright and Talley, 1975.

*3
小倉健太郎「セル・アニメーションにおける多層化の起源としてのムーヴィング・パノラマ」『映像学』108号、2022年。

*4
Marshall Everett, The book of the Fair: the greatest exposition the world has ever seen photographed and explained, a panorama of the St. Louis exposition, Philadelphia: P. W. Ziegler 1904.

*5
日本においても、1922年に開催された平和記念東京博覧会の航空交通館でM.パノラマが展示された記録が残っています(参照:『読売新聞』1922年3月10日朝刊)。これは日本郵船の航路に沿って横浜からアジア、アフリカ、欧州を経由してニューヨークまでの海路を体験できるものだったようです。

*6
例えばポーター(Edwin Stanton Porter)監督の『クリスマス前夜』(The Night Before Christmas, 1905)が挙げられます。

*7
ひとつには被写界深度の問題が挙げられます。マルチプレーンではピントの合っていない層がボケるのですが、密着マルチでは基本的にそのような効果は生じません。

*8
トーマス・ラマール『アニメ・マシーン:グローバル・メディアとしての日本アニメーション』藤木秀朗監訳/大崎晴美訳、名古屋大学出版会、2013年。

*9
この作品は片側を暗くした専用メガネをかけることで立体的に見えるアニメーションとして話題になりましたが、アニメーションの制作方法そのものは通常の密着マルチと同じだと出崎は述べています(参照:『家なき子』DVD-BOX付属ブックレット)。

*10
氷川竜介「【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第5回 追いかけてみる、心の視線」「アニメハック」2018年7月2日
https://anime.eiga.com/news/column/hikawa_rekishi/106634/

*11
ラマールが日本のアニメに見出したアニメティズムもまた、「シベリア横断鉄道パノラマ」などにおいて感じ取ることができたはずです。

※URLは2022年9月15日にリンクを確認済み