◯4K・8K規格と映像コンテンツの未来(1)
◯高画質! 高解像度!
私たちは普段から、テレビや映画館、あるいはスマートフォンで「動く絵」「動く写真」を楽しんでいる。大雑把に言って、これらは「点」が集まって出来た「画像」を、高速度で切り替えることで「動いて」いる様に見せる技術だ。
以前、私はメディアアート作品として、ちょっと変わった「動画カメラ」を作った。これは、光ファイバーを利用して、18✕18 =324個の点の光の変化を動画としてフィルムに撮影・再生するものだ。300個ほどの点(画素)で記録された「動画」は、じっくり見れば辛うじて「何が写っているか分かる」といったレベルである。(※1)
テレビやビデオで、一枚の絵を作っている「点」=画素、ピクセル、あるいはドットの数は、DVDや昔のアナログテレビ放送で 720✕480 ≒ 約35万個、地上波デジタル放送で 1440✕1080 ≒ 約150万個である。(※2)この点の数が増えれば増えるほど、動画像の「画質」は高くなり、細かい情報まで見て取る事ができるようになる。この「細かさ」「点の多さ」が「解像度」と呼ばれる。いま売り出し中のスーパーハイビジョン=「4K」フォーマットでは、この数は 3840✕2160 ≒ 約800万個にもなる。
◯日本のアニメーションの「解像度」
実のところ、日本のTVアニメの多くは、放送やBlu-rayディスクではフルHD=1920✕1080 の解像度で記録・配信されてはいるが、制作過程ではそれより一段階小さな、1280✕720(一部は 960✕540)解像度で作られている。個人制作の短編アニメーションの多くが 1920✕1080 で作られているのに対し、商業作品のフォーマットが一見、劣っているというのは興味深い。
これは、商業アニメーションの現場のスケジュール的、予算的制約に起因していると思われる。アニメーションの制作現場では、コンピューター上で背景画と原画を合成したり、様々な効果を加える工程(カメラを使わない現在でも「撮影」と呼ばれる)が、1280✕720 と 1920✕1080 では、「点」の数、つまりデータ量がほぼ2倍違う。これはすなわち、計算時間が2倍になると言うことだ。アニメ制作で最も重要で手間がかかるのは、言うまでもなく「作画」であるが、その後にある「撮影」工程は常にスケジュール的な圧力が大きい。制作現場の機材の刷新、ワークフローの見直しがなかなか進まないこともあるだろう。個人制作のアニメーションが、どうせなら少しでも高画質に...というアーティストの手間を惜しまない姿勢のもとで作られる短編作品であることが多いのに対し、効率を重視しなくてはならない商業作品の苦労が察せられる。
しかし実際のところ、1280✕720で作られたアニメを見て、解像度が低いと思うことはほとんどない。1920✕1080と、1280✕720の「点」の差は2倍だが、大きさ(というか、細かさ)にすれば1.5倍であり、アナログ時代からの差と比べれば遥かに目立ちにくい。解像度が多少低かったり、ぼやけていても、それは「絵」であり、実写と比べれば粗が見えにくい。ソフトフォーカスやグロー(光のにじみ)効果などで、画面の質感向上と解像度の低さをカバーすることも積極的に行われている。さらに「絵」以外の要素、例えばタイトルやテロップの文字を乗せる際には 1920✕1080 で行えば、それに引っ張られる形で本編映像も高解像度に見えてしまったりもする。アニメ制作現場において、すでにハイビジョンメディアのための効率的なワークフローは成熟し、今のところはこれであまり問題はないのだ。(※3)
問題は、今まさに訪れつつある、スーパーハイビジョン「4K」環境で通用するのだろうか? 通用しない場合、新しいワークフローを構築出来るのだろうか、ということだ。
◯2000年代アニメの問題
少し遡ってみると、1995年〜2005年頃のTVアニメ、オリジナルビデオアニメの多くは、制作環境のデジタル化によって、従来の様にフィルムに撮影されることがなく、その完成形態はデジタルビデオテープになっていた。制作工程の多くをパーソナルコンピューター上で行えるようになり、表現の自由度と制作効率が上がった。デジタル効果や3DCGの導入も積極的に行われたが、当時のコンピューター性能やビデオ規格の制約と、何より想定されていた視聴環境に十分な品質であるということで、作品の解像度はSD=720✕480 であった。
これは数年後、ハイビジョン環境に移行する際に制約になった。デジタル化以前のフィルム作品は、新しくハイビジョンビデオに変換することで、以前のテレビ、ビデオよりも高画質で見ることが出来た。(※4)新しいデジカメで、昔の絵画を撮影する様なものである。しかし、SDデジタルビデオ作品は、そのままハイビジョン化すると「拡大」されてぼやけた状態になってしまう。「アップコンバート」と呼ばれる、高画質に拡大するための様々な手法もあり、一定の効果はある。しかし、「元がハイビジョンではない」ということ自体が商品価値に微妙な足かせになっていたようにも思う。「デジタルアニメ」という先進的な響きと、「非ハイビジョン」という言葉はちぐはぐな印象を与えた。『青の6号』(1998-2000)をはじめ、デジタル化による様々な挑戦があり、見るべき作品は多いのだが。(進化の過程にこそ、面白いものが生まれるのだ。)
これと同じような問題が、4K環境への移行期にも起きるのではないか。
○4Kは主流になるか?
そもそもこれから、本当に4K放送、4Kコンテンツが主流になるのだろうか? 私は、最初は4Kに懐疑的であった。しかし、スマートフォンの高解像度化や、4Kモニターの低価格化は想像以上であり、今は、仮に東京オリンピックがなかったとしても、多くの家庭で4Kコンテンツを視聴できる程度に普及するのは間違いないのではないか、と思っている。視聴環境の多様化は更に進むだろうが、安価なデバイスで多様な要求に対応できる方向に進むのは確実だ。その際、ハイテク文化立国を謳いたい日本のアニメーションは、それに対応できるのだろうか?
あるいは、解像度と言うものは鑑賞において重要な要素でなく、少なくとも映画やアニメにおいてはストーリーや演技、演出や絵の巧さなどの方が重要なのである、という反論もあるだろう。それでもやはり、「高画質化」は映像表現において重要なプラス要素で、高画質とは「良い作品をより良く味わう」ための意味のある道具なのだ。
次回は引き続き、4Kによる表現の変化と、旧来の映像コンテンツの展開に関して考えてみたい。
※1:『これは映画ではないらしい』(2014)―。この作品は、パラパラマンガからデジタルシネマまで、すべての映像のパラダイム「コマ(フレーム)」の概念に依存しない、おそらく史上初の動画撮影・再生システムである。光ファイバーを使って、画像を「画素」に分解し、それぞれの画素の光の変化を、途切れのないラインとしてフィルムに焼き付け、読み出す。詳しくは
http://www.goshiman.com/hp/03ttls/21_notmovie_j.html
を御覧いただきたい。
※2:ほとんどのBlu-rayディスクやBSデジタル放送は 1920✕1080 =約200万個である。これが所謂「フルハイビジョン(Full HD)」と言われる「解像度」である。一般的に、1440✕1080、1280✕720の解像度を単に「HD」、これに対しての従来の720✕480解像度を「SD(Standard Definition)」と呼ぶことが多い。
※3:むしろ問題は、制作現場よりも地デジ放送などの画像圧縮過程で生じている。ファンタジーテーマの作品で多用されるパーティクル(粒子)エフェクトなどで、映像が急に汚く見えることに気付かれたことのある人も多いだろう。夕焼け空などの滑らかなグラデーションが崩れてガタガタになっていることもある。
※4:ハイビジョン化によって、セルの傷が見えたり、少し浮き上がったセルが背景画に影を落としている様子などが見えることもある。これが作品にとってどういう影響を持つのか、次回も引き続き考察したい。