オンラインギャラリー Fach & Asendorf Gallery で、Cèsar Escudero Andaluz氏の《File_Món》(2012−)が展示されている。Andaluz氏はスペイン生まれで、2011年からリンツ美術工芸大学 の「インターフェイスカルチャー・プログラム」において、ユーザとインターフェイスについての調査を行っている。
《File_Món》はインターネット上からチベット僧の焼身自殺や硫黄島に星条旗を掲げるアメリカ兵といった誰もが一度は見たことがあるような写真や絵画をデスクトップの「壁紙」に設定して、そこに「ファイル」や「フォルダ」を置き、その状態をスクリーンショットで撮影したものである。「デスクトップに『ファイル』や『フォルダ』を置く」と書くと、普段から多くのユーザが行っていることをAndaluz氏がやっているにすぎないではないかと思われるかもしれないが、実際に彼は何も特別なことをしているわけではない。ただ「ファイル」や「フォルダ」を壁紙にした画像をトレースするように置いていくという、その「置き方」が違うのである。
Andaluz氏によって画像の一部をトレースするように置かれた大量のファイルとフォルダには、それぞれ名前が付けられている。さらに「ファイル」は「JPEG」や「PNG」といった画像ファイル、PDFファイル、ワードなどのテキストファイルといった多種多様な種類が混在しており、その違いが「色」として機能している。Andaluz氏はアイコンの置き方を変え、それをスクリーンショットでデスクトップを撮影することで「フォルダ」や「ファイル」のアイコンの機能を剥奪して、単なる「色」や「かたち」として使っている。その結果、元の画像はその歴史的意味を変えることはないがその見え方が変わり、同時に「ファイル」「フォルダ」はその存在の仕方を変えるのである。
例えば、多くの人はFach & Asendolf Galleryで最初に掲載された作品に見ることになる「ファイル」「フォルダ」のアイコン群に、「重さ」を感じるのではないだろうか。アイコンの下に敷かれている写真は、女性が石を引っ張りあげているという実際にはあり得ない情景をドイツの写真家Grete Stern氏がフォトモンタージュで作成したものなのだが、Andaluz氏はその石を覆い尽くすようにアイコンを置いている。その結果として、元画像との関係でアイコンが「重く」見えるのはもちろんであるが、あり得ないほど密集して置かれたアイコン群自体が「重さ」をつくりだしている。私たちは普段ディスプレイ上のアイコンに「重さ」を感じることなくパソコンを操作しているが、この画像を見ていると、「ファイル」と「フォルダ」というもともと「重さ」を持った物理的なものを模したアイコンは、やはり「重さ」を持っているのかもしれないと考えさせられる。
また、チベット僧の焼身自殺を撮影した写真には、炎のなかのチベット僧の身体部分に重なるようにアイコンが配置されているのだが、「ファイル」「フォルダ」のイメージ部分はほとんど見えずにそのタイトルの文字のみが何十にも重なり合っている。意味不明な文字が密集するそのアイコンの置き方に対して、私は元のオリジナルの写真よりも強く悍ましさを感じてしまった。それは普段はファイルの識別のために使われているタイトルの「文字列」が、チベット僧の、そしてAndaluz氏の「怨念」を表していると解釈したからであろう。この他にも《File_Món》はアイコンを密集させている表現が多い。それはタイトルやイメージの違いによって「他と違う」と識別されることが重要な機能であるアイコンからその機能を奪ってしまうことで、アイコンをコンピュータの操作のためではなくひとつの表現の媒体に仕立てる「置き方」だと考えられる。
Fach & Asendolf Galleryに展示された最後の画像にはひとつのアイコンのみが置かれている。その画像に映る一人の男性が持つ指輪の上に置かれた「system preferences」フォルダのアイコンにあなたは何を感じるであろうか。私はこの画像には「デスクトップ」を感じた。それもまた《File_Món》=《ファイル_世界》である。
Andaluz氏は《File_Món》について「イメージ制作のソフトウェアを使うことなく、コンピュータであたらしい画像をつくる可能性を試すものだ」としている。Mac、Windowsや一部のLinuxのようにGUIを採用したOSは、その機能を伝えるための基本要素として「イメージ」が使われている。だから、PhotoshopやIllustratorのようなグラフィック編集ソフトだけでなく、OSというコンピュータ操作の基本的な部分にもイメージ制作のために使うことができる画像や機能がまだあるのかもしれない。そして、OSレベルでのアイコンなどは普段「イメージ」として意識せずに使っているものだけに、それらが改めて「イメージ」としてディスプレイに置かれると、その「置き方」は見る人に違和感を与えることになる。Andaluz氏の作品はコンピュータにおけるイメージ制作の可能性が汲み尽くされていないことを教えてくれる。
File Món ← César Escudero Andaluz at Fach & Asendorf Gallery
http://fa-g.org/ongoing/cesarescuderoandaluz-filemon