インディペンデント・カルチャー・マガジン「MASSAGE」の第9号が刊行された。「MASSAGE」は2004年に創刊され、5年のブランクを経て発売される今号は、ヴィジュアルと音楽という2つの軸で「インターネット・カルチャー」を紹介している。本記事ではネットアートを制作するアーティストを多く含むヴィジュアル面を取り上げる。

ヴィジュアル面で取り上げられているのは、Megazord、fourfiveX、Feréstec氏、Joe Hamilton氏、Luke Wyatt氏、Enrico Boccioletti氏、Kim Asendorf氏、Subtrança、Kevin Heckart氏、Killian Loddo氏、James Howard氏、James Howard氏、thereisamajorprobleminaustralia、Ryder Ripps氏、Manuel Fernandez氏、Badsmellingboyである。これらのアーティスト、グループ、プロジェクトに共通しているのは、Boccioletti氏の「現代では、オンラインとオフラインの生活を区別する意味がもうないと思う。それは等しいというか、現実の一部とまったく同じもの。車や公共交通機関に乗っているか乗っていないかを区別している人はいないだろう?(p.48)」という言葉に代表されるインターネットとリアルが地続きになっているという認識である。それでもなおインターネットを活動の拠点にしている人が多いという事実は何を示しているのだろうか。その理由を「歴史」と「スピード」という2つの観点から考えてみたい。

 

 ・歴史

Tumblrの黎明期に活躍した「Megazord」ことChristian Oldham氏は「作品を作ってインターネットに載せても2年後にはなくなっている。3年後には、別の人が新しい作品を公開してネットに載せている。インターネットのアートには歴史がない(p.13)」と述べている。Oldham氏は歴史を生み出さずに流れていくインターネットの環境に疲れ、現在では作品をネットにあげていない。ドイツでパブリッシング・プラットフォーム「fourfiveX」を運営するCreative Researchは、現在のインターネットには作品が溢れていて「新しいものも、すぐ古くなってしまって、すぐに流行遅れになってしまうのがあたりまえになった(p.22)」と指摘している。また、フォトショップ的質感を示す画像を描くKillian Loddo氏は「インターネット上で起こっていることが、たくさんの人たちを感動させたとしても、それは長くは続かない。それは、ムーブメントになった場合に多く見られることだね(p.75)」と考えている。

なぜインターネットではすべてがあっという間に廃れて、流れていってしまうのであろうか。それは「著作権」に関してインターネットがもつ独特の感覚であろう。多くのアーティストが「インターネットには著作権がない」と考えている。例えば、現実の素材とデジタルの質感をコラージュした作品を多く制作するJoe Hamilton氏は「著作権は重要な問題だけど、作品を作るときはそれについて考えないようにしているんだ。すべてを使用可能な素材として扱って試してみている(p.34)」と語っている。

ネット上にあるものをすべて自分の作品のソースとして扱うという感覚によって、これまで出会うことがなかった多くの素材がひとつの作品のなかに組み込まれていくなかで、新しい感覚や質感が生まれ、それらが圧倒的な速さで拡散されひとつのムーブメントをつくる。けれど、そのムーブメントは歴史をつくることもなく、あっという間に消費され、「歴史がない」という無時間的な場所に次々と滞留していく。「歴史」は残らないけれども、新しい動きだけは常に生まれていく、インターネットはそのような場所になっているのであろう。

 

 ・スピード

インターネット上で発表される作品は歴史をつくる暇もなく流れていってしまう。では、なぜそのような場所に多くのアーティストが作次々と大量に作品を発表していくのであろうか。作品制作だけでなく、自らオンライン・ギャラリーを運営するKim Asendorf氏は「デジタル化の結果として、世界のスピードが速くなりすぎていると多くの人が言う。でも、僕が思うコンピュータがなかった時代はスピードが非常に遅かったけれど、今はやっと適切なスピードで表現できるようになったんだと思うんだ。僕は、本当に速い流れが好き。アイデアを見つけることと、制作することは時間的にものすごく近いはず(p.52)」と述べている。インターネット自体のスピードは歴史を生じさせないほど速いものだが、Asendorf氏が指摘するように、その速さは表現活動においてアイデアと制作、そして作品の発表を直結させるものとしても機能している。

アートユニットFeréstecとして活動するFerran Pla氏は「インターネットを活動のベースとするのはなぜか」という問いに対して、「作品作りが楽で、世界中の人にすぐ届けられるから。すると、観客というのはある意味虚構で、抽象的な存在ということになるかな(p.27)」と答えている。さらに、Pla氏は「習作のようにみえる作品を作ることに興味がある。とても冷たくて、感情がない、合理的な感じを目指している。インターネットのいいところは、良いものと、悪いものどちらでも見せられること。自分の間違いを見せて、それは時間と共に何かポジティヴで面白いことに変わっていく。変貌を待つのが好き(p.27)」とも述べている。このPla氏の考えは、ウェブサービスがβ版でリリースされていく感覚に近いものがある。思いついたらすぐにつくり、まずは発表する。そのような習作=β版を繰り返しネットにあげることで、A/Bテストのように作品を試していく。

Asendorf氏やPla氏のコメントから、制作とアイデアとのあいだのスピードが「インターネット・カルチャー」のひとつのポイントだと言えるだろう。頭のなかに浮かんでは消えていくアイデア。その頭のなかのアイデアの誕生と消滅の速度を現実で実現可能な環境としてインターネットがつくられ、頭のなかとインターネットを流れるアイデアのスピードが同期した結果として、アイデアスケッチのような習作が大量にネットにあげられていると考えられる。それが可能なのはネットが広大だからであり、広大さゆえにひとつひとつの作品がすぐに流れていくスピード感がそこにあるからである。そして、インターネットの至る所で発表されている膨大な量の作品・習作はすぐにブラックホールのようにすべてを飲み込んでしまう暗くて深い無時間的な場所に行き当たり、そこに滞留するようになる。それでも表現は続けられる、なぜなら、インターネットは頭のなかのアイデアをかたちに直結できる場所だからである。

インターネットには作品を拡散させるスピード、制作とアイデアを直結させるスピードという2つの種類の「速さ」があり、それらが「歴史のなさ」につながる無時間的な感覚をインターネット上の表現全体に与えているのではないだろうか。そして、この今までにないスピード感とそれと結びついた「歴史のなさ」が、多くの若い表現者をインターネットに惹きつけ、新たなカルチャーを生み出しているのであろう。

 

MASSAGE 9

http://www.themassage.jp

MASSAGE EXHIBITION "INTERNET CULTURE SHOP"(TOKYO CULTUART by BEAMS 展示)

http://www.beams.co.jp/news/detail/2739