2012年9月11日より11月4日まで開催されている、第7回ソウル国際メディアアート・ビエンナーレ「メディア・シティ・ソウル2012」のテーマ「Spell on You」は、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスの歌「I put a spell on you」から借りている。曲の印象とはやや異なるがが、丁寧に直訳すと「私はあなたに魔法をかける」という意味になる。主催側によると、「魔法」あるいは「呪文(韓国語訳)」とは、「超越的権力を提供できるテクノロジーの使用と、絶えず自分を表現したがる人間の欲望などが結合され、個人と個人、個人と集団、そして集団と集団の間に作用する力の関係」の意味だという。この力学関係が、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、マス・コミュニケーション、エンターテインメント産業などの影響の中で、いかなる「社会現象」として現れるのかを提示することを試みているのである。

メディア・シティ・ソウルとビエンナーレの季節

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(上・下)メイン会場のソウル市立美術館。(上)入り口付近に白く見えるものは、ソウル市内のすべての獅子(獅子舞用の仮面)を集め、1日中、自然の獅子のようにのんびりさせる様子をストライキとして演出した、ホン・ソンミン氏の作品「ナショナル・ジオグラフィック」の一部。

メイン会場は例年と同様にソウル市立美術館。「メディア劇場」「千の魔法」「クロストーキング」という3つの小テーマが設定され、3フロアの会場に分かれている。また、一部の展示はソウル市のデジタル産業クラスターDMC(デジタル・メディア・シティ)のギャラリーで開かれている。同時に、DMC、ソウルスクエアハンビット・ストリートという市内3カ所では外部スクリーニングが設置されている。ソウル市立美術館のレジデンススペース「ナンジ美術創作スタジオ」ではワークショップを開催、グムチョン芸術工場でも「産業とメディアアート展」が開催されている。グムチョン芸術工場は、ソウル市内各地に点在しながら有機的に連携されているアートスペース「ソウル市創作空間」のひとつである。さらに、大規模なストリート芸術祭「ハイ・ソウル・フェスティバル」とも会期が重なった。文字通り、メディア・シティ・ソウルだ。


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(上・下)オープニングの様子。(上)会場の左側の壁面に見える作品は、常設作品であるナムジュン・パイク氏の「ソウル・ラプソディー」。真ん中に見える作品は、ルワンダの大虐殺事件を扱った、アルジェリア出身アーティスト、アデル・アブデセメド氏の「記憶」。

その背景に、過去10余年間のソウル市の行政が関わっていることは自明だろうが、それより本稿で注目したいのは、2年に1回、韓国の秋を彩る「ビエンナーレの季節」の方である。今年も、全国主要都市で6つの国際ビエンナーレが開かれ、世界50カ国より394人のアーティストが参加している。第9回光州ビエンナーレを先頭に、第7回釜山ビエンナーレ 第4回大邱写真ビエンナーレ第5回錦江自然ビエンナーレ、そして科学都市大田では新生ビエンナーレ「プロジェクトテジョン2012:ENER気」が開催中である。さらにここに国際アートフェアとギャラリーの主な企画展などが開会期を合わせて開催されている。このようにビエンナーレが群雄割拠の様相を呈している中、メディア・シティ・ソウルは、他都市と差別化し、首都ソウル市の文化的アイデンティティを提示する機能を行う一方で、現代アート・シーン全般と深く関わっている。


日本からの参加

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3B.jpgニナー・フィッシャー氏とマロアン・エル=サニー氏の「Spirits Closing Their Eyes」の展示風景と作品イメージ。観客によって「目を閉じる」行為は異なる意味で解釈されるだろう。

企画面において、メディア・シティ・ソウルと日本との縁は深く、第2回の東谷隆司氏、第4回の長谷川裕子氏、第5回の松本透氏、第6回の住友文彦氏に続いて、今年は四方幸子氏が共同キュレータとして参加した。四方氏は、昨年の12月に開催された、メディアアートの現状と本展示の方向性を検討する事前シンポジウムにおいて「3・11以後:芸術、生、科学と社会の融合を試みる新しい大衆のために」という論考を発表した。そして、今回のビエンナーレでは、3・11が福島以外の地域の日本人に与えた影響をテーマとする新作「Spirits Closing Their Eyes」を発表したドイツの作家、ニナ・フィッシャー氏とマロアン・エル=サニー氏などとともに、「震災と芸術:新しい観点?」というテーマで議論する場を、駐韓ドイツ文化院との協力プログラムとして企画した。

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自己紹介、耳の掃除に続き、耳の構造と音の原理について、エデュケーターが簡単なレクチャーを行っている。(画像提供:山口情報芸術センター[YCAM])

教育プログラムと展示については、YCAM(山口情報芸術センター)との協力が目立った。9月16日には、YCAMのエデュケーターである会田大也氏と井高久美子氏により、空間を意識した作曲について学ぶワークショップ「ウォーキング・アラウンド・サウンド」が開かれた。参加した子どもたちは、目隠しをして歩きながら音の空間を経験し、ワイヤレススピーカーを様々な形で配置しながら空間を構成するサウンドデザインを体験した。


会場1階の三上晴子氏の「Eye-Tracking Informatics」(2011年作)と、3階の真鍋大度氏、石橋素氏による「Particles」(2011年作)は、両方ともYCAMとのコラボレーションで制作された作品である。同じくメディア・シティ・ソウルで展示されている「Super Eye to See the World」(1998〜2011年作)の出品チームdoubleNegatives Architectureの市川創太氏と三上氏のコラボレーション「Gravicells:重力と抵抗」(2004年作)もYCAM委嘱作品だが、この作品は小谷元彦氏などが参加しているプロジェクトテジョンに出品された。

その他、日本からの参加は、池田亮司氏の「data.matrix [n°1-10]」(2009年作)、クワクボリョウタ氏の「10番目の感傷(点・線・面)」(2010年作)、エキソニモの「desktopBAM」(2011年作)、菅野創氏と山口崇洋氏による「SENSELESS DRAWING BOT」(2011年作)などがある。

近年制作された話題作を網羅する選定だが、メディア芸術祭などで既にこれらの作品を目にしたことのある日本人の観客には、ある意味、あまりにも定番であるかのように見えるのも否めない。とはいえ、ここ2年間の日本のメディアアートをまとめて外国に紹介する目的からすると、申し分のないセレクションであるのは確かである。もし可能であれば、今回アメリカのZERON1ビエンナーレとメディア・シティ・ソウルの共同コミッションによって制作された、モーリス・ベナユン氏の「Tunnels Around the World
 」(2012)のような新作が、将来にYCAMとメディア・シティ・ソウルの協力で制作されることを期待したい。

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中央日報、朝鮮日報、ヘラルド経済新聞など、マスメディアの報道で頻繁に取り上げられた、三上晴子氏の「Eye-Tracking Informatics」。観客に強烈な体験を与えた点と、社会的意義が高く評価された。

むしろ気になったのは、これら「国家代表作品」に与えられた評価である。まだ公式的統計はないが、作品の前に足をとどめる時間が個人の興味を反映するとすれば、エキソニモとクワクボリョウタ氏の作品は一般の観客に広く愛されたといえよう。とりわけ、クワクボ氏の作品について、週刊時事雑誌シサIN(時事IN)は、今年のメディア・シティ・ソウルの新しい傾向として「デジタル技術をもう一度アナログに置換した作品が目立った」と指摘し、クワクボ氏の作品と、アクラム・ザタリ氏の「Tomorrow Everything Will Be Alright 」を取り上げた。

ディレクターのユ・ジンサン氏はある美術雑誌のインタビューの中で、注目すべき作家と作品を聞く質問に対して、大きく分けて、「テクノロジーとメディアによる心理的、社会的関係の変化を叙事的あるいは批評的に取り扱っている映像作品」と「メディア装置の技術的特性を劇的演出の道具として発展させたインスタレーション作品」という二通りあったと答えた。ロベル・ルパージュ氏とサーラー・ケンダダイン氏とジェフリー・ショー氏、3人のコラボレーション作品「FRAGMENTATION 」とともに、三上晴子氏、真鍋大度氏と石橋素氏の作品は、後者の例として取り上げられた。また、プロジェクトテジョンのディレクター、キム・ジュンギ氏も「繊細でありながらもスケール感のある作品」として、三上氏と市川氏、小谷元彦氏の作品に言及した。これらの評価は、日本人のメディアアーティスト個人の特徴なのか、全体の傾向なのか。あるいは、日本のメディアアートに求められる要素を示唆しているのだろうか。


メディアアートは魔法よりは日常

「City: between 0 and 1」「月の流れ」「デジタル・ホモルーデンス」「二つのリアリティ」「転換と拡張」「信頼」というテーマで、2000年開幕以来、過去12年間(開催6回)で約1000人以上の世界のアーティストを紹介してきたメディア・シティ・ソウル。2012年は世界17カ国の作家50人が参加している。

入場料が無料とはいえ、メディア・シティ・ソウルは、ゲーム、マンガ、アニメーションなどの魅力要因がないだけではなく、むしろ敷居の高くみえる現代アート展である。したがって、日本のメディア芸術祭やアルス・エレクトロニカとは客層を異にしている。だからといって、現代アートマーケットや批評家の注目を浴びているとも言いがたい。人口移動の激しい首都の特性上、国内的に光州市のような、歴史意識に基づいた地域市民の団結と協調意識が働いているわけでもない。いまだに「メディアアート」が市民一般に理解される言葉として定着していないのも事実である。

その中で、筆者の個人的観察にすぎないかもしれないが、メディア・シティ・ソウルの観客は、美術業界とはやや距離を持つ、10代から30代頃までの若い人々が占めているようだ。今年もたまたまエキソニモのラップトップ・コンピュータが演奏を始める瞬間、そのビットに合わせて踊り出す女の子を目撃した。それを見てきゃっきゃっと笑いこけながらも、少し音楽にノリながら楽しく作品を鑑賞している制服姿の高校生たち。この子たちにとって、テクノロジーも、そのテクノロジーを用いたアートも、不思議な「魔法」よりはむしろ「日常」の楽しい断面なのである。

「メディアアートとは、テクノロジーに関する芸術ではなく、今の時代を生きていく人間の生活と思考に関する芸術だ」と、ディレクターのユ・ジンサン氏は強調する。メディアアートは、今日の生、私たちの日常といかなる関係を結び、現代アートとの関係性の中で適切に転換、拡張されていくかもしれない。メディア・シティ・ソウルは、その推移を見守るための、重要な場として位置づけられるだろう。

*画像提供:メディア・シティ・ソウル2012

(山口情報芸術センター(YCAM)提供画像を除く)