東京・三鷹市で開催中のマンガ家「川崎のぼる 〜汗と涙と笑いと〜」展(10月12日まで)が、初の本格的な回顧展として評判になっている。
原作者・梶原一騎と組んだ代表作『巨人の星』を筆頭に、ギャグマンガに新風を吹き込んだ『いなかっぺ大将』など多くのヒット作を生み出した川崎のぼるは、1967年から2003年まで三鷹市に居住し、その縁で三鷹市美術ギャラリーでの開催が企画されたという。
ビルの5階フロアに広く設けられた会場は、ギャラリーといっても小規模な美術館クラス。その三つの展示室全部とロビーを使って展示が行われているのだが、原画や著書、川崎のぼるの私物などが所狭しと配置されたその圧倒的なボリュームに、まず唸らざるをえない。プロデビュー以来60年に及ぶ画業が、まさしくここに圧縮されているのだ。
五部構成の展示は第1部から第5部が、順に「一球入魂〜『巨人の星』連載開始」「一騎当千〜汗と涙と笑いと」「一意専心〜マンガ家・川崎のぼる誕生」「一所不住〜少年誌から青年誌へ」「心機一転〜絵本・イラスト・熊本での活動」のテーマで構成されている。しかし年代順に作品を追うのであれば、貸本マンガ(昭和30年代に盛況を極めた"貸本屋"専用に作られた単行本マンガ)時代にスポットを当てた第3部を最初に見ておいたほうがいいだろう。1941年に大阪市浪速区で生まれた川崎のぼるは、16歳の時に描きおろしの貸本マンガ単行本『乱闘 炎の剣』(1957年)でデビューを飾ったからである。
その後、貸本マンガの主流となった"劇画"の作風を身に付けた川崎のぼるは、1963年に拠点を東京に移し、集英社の編集者・中野祐介によって一人前のマンガ家に育てられたという。だが月刊誌デビュー後に病に倒れ、一年間のブランクを経た後、中野氏からの依頼で忍者ものの『忍び野郎』と西部劇の『太平原児』を「少年ブック」に連載。さらに同社の「りぼん」で少女まんがも手掛けるなどして、作品の幅を広げていった。やがて週刊誌初連載の『アタック拳』(1965年)を経て、同じ「週刊少年サンデー」に次に連載した『キャプテン五郎』で、劇画と異なる少年らしい丸みを帯びたキャラクターに挑戦。それが新しい野球マンガを企画していた「週刊少年マガジン」編集部の目に止まり、作画の依頼を受けて1966年から連載した『巨人の星』で大ヒットを飛ばすことになったのだ。第1部ではその『巨人の星』の名場面を生原稿で堪能できるほか、商品展開された『巨人の星』グッズも展示されている。
続く第2部では『いなかっぺ大将』のほか、アニメと同時展開したコミカライズ作品『スカイヤーズ5』、最初期のアマチュアレスリングマンガ『アニマル1』、山川惣治の絵物語が原作の西部劇『荒野の少年イサム』などの原画が展示され、『巨人の星』で超多忙だったにも関わらず、平行して様々な作品に挑んでいたことに改めて驚かされる。少年マンガ作家として不動の地位を確立した川崎のぼるはその後青年マンガも手掛け、第4部では小池一夫原作の『長男の時代』、『う〜まんぼ!』(主人公がニューハーフ!)、また人気作の続編『新・巨人の星』などが展示される一方、新ジャルのスポーツものに挑んだ『フットボール鷹』や時代劇の『ムサシ』など、その後の少年誌連載作品の原画もここで見ることができる。
それでも連載作品が減ったこのころはアシスタントの数を減らし、自分だけで作画するようにしていったという川崎のぼるだが、62歳となった2003年、長年住んでいた三鷹を離れ、夫人の実家がある九州・熊本県菊池郡への引っ越しを決断。以後はマンガよりも絵本や挿絵、さらには頼まれて学校の壁画を描いたり、御当地キャラクター(五木の子守歌から生まれた『いつきちゃん』)をデザインしたりという、転居から現在に至るまでの活動が第5部で紹介されている。
それら川崎のぼるの仕事の全貌は原画や書籍で示されるばかりでなく、単行本化されていない短編などをデジタル出力した冊子も会場に並べられており、自由にマンガを読むことができる。今のところ巡回展の予定は無いらしいだけに、この機会に足を運んでおきたい回顧展であることはもちろんだが、そんな貴重な読書までできるからには、ぜひとも時間の余裕を持って会場に向かってほしい。
*開催期間・8月1日(土)〜10月12日(月・祝)、休館日・月曜日(10/12は開館)
、場所・三鷹市美術ギャラリー(〒181-0013 東京都三鷹市下連雀3-35-1・CORAL5階、主催・三鷹市芸術文化振興財団、三鷹市美術ギャラリー(http://mitaka.jpn.org/gallery)、協力・講談社、ソニー・デジタル エンタテインメント、神戸新聞社
*参考・インターネットミュージアム:レポート(http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=view&id=630)