明治大学米沢嘉博記念図書館では、2012年10月5日から2013年1月27日まで、「内記稔夫−−日本初のマンガ図書館をつくった男−−展」を開催する。
内記稔夫氏は1937年生まれ。手塚治虫の『ロストワールド(前世紀)』との出会いをきっかけにして、マンガにのめり込むようになる。1955年、高校三年生で貸本屋を開店。「マンガを資料として残したい」という思いから、1978年には日本初のマンガ専門私立図書館「現代マンガ図書館——ナイキコレクション」を設立する。開館直後には敬愛する手塚治虫も図書館を訪れたという。その後私財を投じてコレクションの拡充と図書館の運営に当たってきた。
現代マンガ図書館が設立された1970年代末といえば、劇画を認知するかどうかの論争が終息し、日本におけるマンガの社会的・文化的な承認が新たな局面を迎えた時代であった。とはいえ、まだまだマンガの文化的地位は低く、図書館で購入・所蔵すべきかどうかが大きな問題となる時代でもあった。たとえば「学校図書館」1977年9月号では「学校図書館の外側にあるもの--文庫本・新書本・マンガ・etc.」という特集が、「図書館雑誌」1980年2月号では「マンガ文化と図書館」という特集が組まれている。
絵画の殿堂としての美術館と同様に、書物の殿堂としての図書館は社会的・文化的な承認システムのひとつであり、マンガという制度成立を測る指標として興味深い。これらの特集を読むと、納本制度によって全ての資料を保存する使命を持つ国立国会図書館を別にして、概して公共図書館でマンガを収蔵する意識は低く、それも「マンガを資料として残す」というよりは、「公的に閲覧提供する意義があるか」が問題となっていた。
今日では、公共図書館や学校図書館にマンガが置かれている光景もそれほど珍しいものではなくなったが、あの時代にあって個人でマンガ・アーカイブを設立した内記氏の功績は大きい。とりわけ国会図書館への納本漏れが多い貸本マンガを多数保存し、我々に残してくれた。
内記氏は1997年に第1回手塚治虫文化賞を受賞している。また日本マンガ学会の理事を2001年設立当時から務めた。2012年、永眠。
2009年、現代マンガ図書館のコレクションが米沢嘉博記念図書館を開館したばかりの明治大学に寄贈された。現在では「明治大学 現代マンガ図書館」として運営が続けられている。
その米沢嘉博記念図書館で開催される今回の展示では、幼少時からのコレクション、マンガ図書館設立までの経緯、図書館のコレクション概要、マンガ家たちとの交流、そして資料保存のための様々な工夫などが紹介される予定。
関連イベントもいくつか予定されており、2012年10月14日にはトークイベント「現代マンガ図書館から受け継がれたもの」が開かれる。京都国際マンガミュージアム(2006年開館)、米沢嘉博記念図書館(2009年開館)、北九州市漫画ミュージアム(2012年開館)それぞれの設立・運営の中心人物である吉村和真氏(京都精華大学准教授)、森川嘉一郎氏(明治大学准教授)、表智之氏(北九州市漫画ミュージアム専門研究員)が登壇する。
「内記稔夫−−日本初のマンガ図書館をつくった男−−展」