新津保建秀氏の個展「\風景+」が、2012年12月18日より2013年1月14日まで、代官山のヒルサイドテラスフォーラムで開催されている。「風景+」の展示は三つの部屋に分かれており、Room_1は複雑系研究者の池上高志氏との共作「Rugged TimeScape」や東京大学知の構造化センター pingpong project からの作品が展示されている。Room_2、3には、新津保氏が2012年に出版した写真集『\風景』が「展示」という形式で展開されている。タイトルにある「\(バックスラッシュ)」とはその後にくる言葉の意味を無効化する記号であるから、「\風景」とは風景のもつ本来の意味を無効化するということになる。写真家として「風景」のフレームを無効化しながら拡大し続ける新津保氏は、普段私たちが見ることができない「情報の流れ」を徹底的に見つめて、写真に定着させる。それは「もうひとつの自然」を構成する膨大な情報の存在を確かめる作業でもある。
「\風景+」で展示された新津保氏の写真を見ていると「見えないものの可視化」はもちろんのこと、可視化の果てに「それに触れえるのではないか」という感覚が引き起こされ、写真の体験が「見る」と「触れる」のあいだで彷徨う。写真集では紙に印刷された写真を見ながらそれに触れることで、そこに映しだされている存在を確かめられたが、今回の展示では作品に触れることができず、見ることしかできない。そして、よく見れば見るほどそこに写っているものの存在を確かめたくなり、紙にプリントされた写真やアルミマウントされた写真に触れたくなる。しかし、新津保氏が写し撮る「もうひとつの自然」はマウスやタブレットのガラス越しに触れているような感じがあるが、もともと触れ得ないものであり、その触感は想像するしかない。写真集『\風景』では写真が印刷された紙に触れているがゆえに、そこに可視化された「もうひとつの自然」への視覚的想像力が強く喚起されるとすれば、展示「\風景+」では作品に触れ得ないがゆえに、「情報の流れ」が示す可触と不可触のあいだの曖昧な手触りが視覚的想像力のなかに不意に挿入されるのである。
アメリカの哲学者グレゴリー・ベイトソン氏は二つ以上の異なった感覚のデータを合わせて存在を認識することを「二重記述」と呼んだが、「\風景」は「写真集」と「展示」のあいだで、写真を体験している人に「視覚」と「触覚」の「二重記述」を要請すると言えるだろう。「見るだけで信じられないなら、触れてみろ。触れられないなら、しっかりと見ろ。それでもだめなら、また触れてみろ…」この延々とループする「二重記述」のプロセスを新津保氏は「見る」ことを機械化した写真と、私たちに「触れる」ことを要求するコンピュータとを組み合わせて表現しながら、膨大な情報とともにある「\風景」の存在を示しているのである。
さらに、新津保氏の「\風景」には今回は言及することができなかったが、電子版も展開されている。「写真集|展示|電子版」すべての「\風景」を体験することをお勧めしたい。
新津保建秀氏の個展「\風景+」
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