海外における日本アニメーションの研究者の状況について、アニメーション研究者のキム・ジュニアン氏によるレポートで数回に渡りお届けします。

現在、日本のアニメーションは、世界のいたるところで観られていると同時に、それに関する本格的なレベルの研究も行われている。2013年6月、日本国際交流基金のフェローシップでスペインから訪日したラウラ・モンテロ=プラタさんも、日本アニメーションの研究に取り組んでいる一人である。宮崎駿をテーマにした論文で博士号を取得し、『宮崎駿の見えざる世界』(2012)という著書もある彼女から、日本アニメーション学会のメールアドレス宛に連絡が届いたのは5月中旬だった。日本アニメーションの先駆者の一人である政岡憲三が今回の研究テーマだそうで、その映像資料に関する問い合わせだった。

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三鷹の森ジブリ美術館のチケット売り場の前のプラタさん。今回が初めての来日だそうだ

政岡憲三は1920年代からアニメーションを制作し始め、日本で初めてセルロイドを導入したり、アニメーションのことを初めて「動画」と命名したりするなど、多方面で歴史にその名を残している。また、氏の『力と女の世の中』(1933)は、トーキー・アニメーションとして先駆的な作品である。戦後においては、東映アニメーションの前身に当たる日本動画株式会社(通称日動)の設立者の一人でもある。

海外で、戦前の日本アニメーション、中でも政岡憲三を研究するというプラタさんからの連絡は非常に興味深いものだった。ということで、日本アニメーション学会の小出正志会長と筆者二人が、彼女の研究をサポートすることになったのだが、その過程でスペインにおける日本アニメーションの事情も少し知ることができた。

ヨーロッパにおける日本アニメーションへのレスポンスは交錯中

同国で日本のアニメーションはというと、やはり昔から放送されているテレビアニメの方がよく知られており、人気があるらしい。一方、劇場用の長編アニメーションは、なかなか公開されず、フランスまで観に行った方が早いとの話である。そんな中、2006年頃、スペインを代表するシチェス・カタルーニャ国際映画祭に今敏監督が招待された際、映画雑誌「フィラ・シエテ」のために監督にインタビューができたことを思い出しながらプラタさんは瞳をきらきらと輝かせた。
しかしスペインでアニメーションは、子供の観るものという見方が根強く(これは、他の欧米諸国でもほぼ同様の状況だといえるだろう)、人気のテレビアニメの場合、その一部の表現に対する先入観から、一般(おそらく、主に大人たち)の認識は必ずしも良いとは限らないようである。だからこそ、宮崎駿(とスタジオジブリ)のアニメーションがスペインで、さらにいうとヨーロッパでとてもポジティブな意味を持つというプラタさんも、実は、偶然『もののけ姫』(1997)を観たのがきっかけで、日本のアニメーションに魅了されたのである。それまでの彼女の専攻は映画史であり、政岡憲三を今回の研究テーマに据えたのも、初期の専門を生かしながら、日本アニメーション史における政岡憲三の意味合いを考察するという意図があるわけだ。


日本アニメーション史上の父なる存在たち

プラタさんによると、現在ヨーロッパでは手塚治虫が「日本アニメの父」として知られており、研究者たちの間でも受け入れられているのが現状であるが、彼女は別の見方を取っている。つまり、手塚治虫は「日本のテレビアニメ」の父かもしれないが、「日本アニメーション」の父ではないということだ。手塚治虫以前の日本アニメーション、そして宮崎駿により直接つながりそうな歴史的流れを探ろうとしているプラタさんが、政岡憲三に着目したところがとても意味深い。確かに、氏に対しては既に日本国内でも「日本のアニメーションの父」という評価がなされているようだ。
政岡憲三のフィルモグラフィーの中で、後期の作品はDVDなどになっているものの、戦前に作られた多くの作品は、残念ながら現在フィルムが残っていないため観られない状態である。数年前、日本の映画アーカイブ専門家から聞いた話だが、当時の日本では税制上、フィルムは財産として看做され、映画館での公開が一旦終了し商業性がほとんどなくなった作品にさえも税金が課せられたので、それを避けるために持ち主側は廃棄するしかない事情もあったらしい。プラタさんと一緒に3人で動いている中、あるアニメーション関係者から貴重な情報を入手できた。政岡憲三の初期作である「ターチャンの海底旅行」(1935)が発掘、復元され神戸映画資料館(関連URLで公開されたということで、これは極めて大きな収穫であった。このような偶然があるからこそ、現地での研究活動やそれを支える制度が如何に重要かということは、言うまでもない。

交流から生まれること、交流を続けるということ

異なる文化圏の研究者との交流は、なにげない会話だけでも様々な刺激がある。 例えば、プラタさんはテレビアニメシリーズのことに言及する時、「ドラマ」という言葉をよく使っていたのだが、そもそもシリーズとは連続物という意味なので、アニメーションによる連続ドラマという理解、さらには、テレビアニメ連ドラのような呼び方も可能かもしれない。蛇足になるが、英語ではシリーズとは別の意味でシリアル(serial)という単語も使われている。
日本のアニメーションを通して言葉一つからも面白い発想ができるこうした海外研究者との交流は、それほど日常的なことではなく、ヨーロッパ内でさえも日本アニメーションの研究者同士の交流はそれほど進んではいない様子である(ただし、広義のアニメーション研究分野における学術ネットワークは、ある程度構築されている)。それだけに、国際的なレベルのアニメーション研究者との交流は、まさに一期一会の心持ちにならざるを得ないわけだ。

キム・ジュニアン