赤岩やえ氏と千房けん輔氏によるアートユニット・エキソニモの個展「エキソニモの『猿へ』」が、福岡・天神の三菱地所アルティアムで2014年12月1日まで開催されている。エキソニモは1990年代後半からインターネットを中心に活動しており、今回の展示は自らの記憶を辿るかたちで「1999」「2005」「2009」という3つのセクションで構成されている。
「1999」セクションに入る前に、入場者は細い通路を通り、回り続ける地球のGIF画像と地球と人類とインターネットについてのメッセージを見ることになる。
「1999」セクションには、ウェブの基本構造であるHTMLから意味を剥奪してデータそのものを幻視させる《Fragmental Storm》(2000-)、ディスプレイを構成する3原色RGB(赤緑青)を高速で明滅させて光のパターンを体験者がつくれる《rgb f__cker》(2003)という「インターネット」と「ディスプレイ」を題材にした2つの作品が壁面に大きくプロジェクションされて展示されている。これらの作品は「検索ワード」を打ち込んだり、マウスで光のパターンを描くといった体験者とのインタラクションが発生するものだが、このセクションにあるもう1つの作品はInternet Explorerという「窓」とそこから見えるGoogleの検索ページという「風景」を描いた絵画である。この「風景画」は2004年にインターネットを体験した人のほとんどが見ていた「風景」を現実の「モノ」として絵画に変換し、その絵画をネット中継することでウェブに戻すという現実とインターネットを入れ子状にした《Natural Process》(2004)で重要な役割を果たした。「風景画」のオリジナルをGoogle社が購入しているため、今回の展示では中国の贋作専門業者が描いたレプリカが展示されるというアップデートがなされている。
次の「2005」セクションでまず目に入るのは、一人称視点のシューティングゲームを改造した仮想世界で体験者と様々な工具を組み合わせてつくられた勝手に動き出すオブジェクトが「戦う」《Object B VS》(2006)である。スクリーンの表と裏にヒトとオブジェクトの視点がそれぞれ投影されており、それらは同時に見ることができない。対して、《DEF-RAG》(2008)では、実物の時計の後ろの壁にその時計を含んだ空間の映像が映し出されており、人間とコンピュータとの世界は重ね合わさっている。針がランダムに動く時計とその空間を撮影した映像を断片化してシャフル再生することから生じる時計の針のズレから、人間とコンピュータとのあいだの「時間」の流れの違いを想起させる。そして、人間とコンピュータとの世界の重ね合わせのなかで、全く動かない自動車の衝突試験用のダミー人形だけが双方の世界のズレをまたいで存在している。このセクションにはさらに、電子回路を改変して用いるサーキットベンディングという手法でつくられた3つのオブジェクト《exonemonster》(2005)、《Mother Hower》(2006)、《無題 -Web Designing- エキソニモ特集 表紙の為のベンド》(2010)と、マウスが破壊される際のカーソルの動きをマウスの「断末魔」として捉えた《断末魔ウス》(2007)が展示されている。
最後の「2009」セクションのはじめには、「あとはPCにまかせた」というキャプションの言葉の通りカーソルが音楽を奏でる《DesktopBAM》(2009)が置かれている。このセクションにあるすべての作品に「手を触れないでください」というマークが貼られており、マウスやキーボードはあるが鑑賞者はそれらに触れることはできず、「あとはPCにまかせた」状態になっている。人間との関係が絶たれた状態のセクションの中心となるのは、インターネットの神話的構造を明らかにしつつある連作「ゴットは、存在する。」(2009-)である。意味深なタイトルをもつこの連作から今回は、重なりあった2つのマウスがカーソルを動かす《祈》(2009)、Google日本語入力の「かみ」の変換候補を示し続ける情報彫刻《迷》(2010)、Twitterのタイムラインに「ゴット」が次々に降臨する様子を映し続ける《噂》(2009)が展示されている。そして最後に、iPhoneとプロジェクターを接続してあらゆる場所への映像の「爆撃」を可能にするiPhoneアプリ《VideoBomber》(2012)によって、私たちと情報、その間にあるインターフェースについての簡潔なメッセージが投影されている。
そして、会場を後にするとき、そこに描かれた年号は「2013」ではない(まだ会期があるのでぜひ、会場で確かめてもらいたい)。
「エキソニモの『猿へ』」という展示は、「エキソニモ」というアーティストを通して、私たちとコンピュータ及びインターネットとの短いながらも濃密な歴史が紡がれている。人類はコンピュータやインターネットを手に入れたことで「人から猿へ」と変化していくのであろうか。いやもともと人類は闇雲に情報を生み出す「猿」にすぎなかったのかもしれない。「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」。これはフランスの画家ポール・ゴーギャンの遺作のタイトルであるが、今回の展示はこの言葉を改めて考える時空に私たちがいることを教えてくれるはずである。ただここでの「われわれ」は人類だけでない。「われわれ」は人類でもあり、猿でもあり、コンピュータでもあり、インターネットでもあるようなそれらが入り混じった存在である。
エキソニモの「猿へ」