ほとんどの日本人が小説『雪国』の冒頭の一文を知っているように、チャールズ・ディケンズの小説『二都物語』も、英文学を代表する一文から始まる―「それは善き時代であり、悪しき時代だった」。この相半ばする感情は、アメリカにおける日本の翻訳マンガの状況にも当てはまる。これについて説明する前に、アメリカの翻訳マンガの歴史を簡単に振り返っておきたい。

80年代、90年代の日本マンガブーム

アメリカに第一次日本マンガブームが起こったのは1980年代後半で、私は中学生だった。それまでスーパーヒーロー一辺倒だったアメコミの業界とファンにとって、日本マンガの登場は画期的な出来事だった。私は『アキラ』の緻密で大人っぽいテーマに衝撃を受け、『カムイの剣』や『子連れ狼』のような作品にダイナミックに描かれる歴史に魅了された。当時、日本の漫画はアメコミ専門店でしか売られておらず、読者はコミックブックのファンに限定されていた。

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アメリカの書店のコミック売り場(撮影:Deb Aoki)

1990年代にマンガの第二次ブームが起こると、アメリカの出版社は日本と同じ「単行本」サイズで漫画を出しはじめた。ペーパーバックのサイズと似ていることもあって、TokyoPopなどの出版社は、漫画を一般書店に売り込み、店頭に並べてもらうことに成功した。アメコミ専門店の外に出るや、漫画は大きくブレークスルーし、女性を中心に新しい若いファンを大勢獲得した。

この間にアメリカ市場そのものも劇的に変化した。商店街のある日本とは異なり、アメリカ人は従来から、一箇所に集中するショッピングモールを受け入れ、それはやがて巨大な倉庫、いわゆる「スーパーセンター」になる。コストコやウォルマートなどのスーパーセンターによって、食料品や日用品の購買スタイルが変化した。それと同じように、バーンズ・アンド・ノーブルやボーダーズのような巨大書店が、アメリカ人の書籍購入のスタイルを変えたのである。


電子書籍増加の影響

しかし21世紀に入り、書籍市場では再びパラダイムシフトが起こっている。Amazon.comが電子書籍の増加に拍車をかけると、アメリカの書籍市場の様相は一変する。2011年のボーダーズの破産申告はそれが最も顕著に現われた例であり、同社はアメリカ中の200店余の書店を閉鎖した。そしてマンガの主要市場も劇的に変化する。

タブレット型コンピューターの普及によって、2013年現在、電子書籍はアメリカのスタンダードになっている。一般的な書籍のほとんどは発売時に電子版もリリースされ、実際、電子版のほうを選ぶ読者も少なくない。本の中身にすぐにアクセスしたい読者には、電子書籍は非常に便利だ。しかし翻訳マンガに関して言えば、様々な理由から、物理的な紙の媒体が今なお主流の消費形態である。

最大の理由は、電子書籍の購入にはクレジットカードが要ることだ。日本の翻訳マンガ市場は、ほとんどが十歳前後から十代の読者で構成されているが、彼らのほとんどはクレジットカードを使えない。

もうひとつの理由は権利面にある。日本の権利関係は複雑で、そのために日本の出版社は、アメリカの出版社と比べて書籍のデジタル化に対する動きが鈍い。アメリカの場合、ほぼすべての電子書籍がAmazonで購入できるが、日本の書籍のデジタル化には様々な権利や制限があるために、アメリカの販売代理店が運営するウェブサイトでしかデジタル版は入手できない。したがって漫画の電子版の読者は、これらのサイトに最初から意識的にアクセスする人たちに限られることになるし、ブラウズしていて偶然に新作を見つけることもあまりない。少年ジャンプなどの翻訳版を手がける「ビズメディア」は、翻訳デジタル漫画は今まで同社のウェブサイトでしかリリースされなかったが、これからはAmazonのKindleでも購入が可能になると2013年10月1日に発表した。

さらに、漫画の主要な読者である若年層は、すぐに中身を見たがることも理由のひとつである。彼らは情報時代に育っている。新作のニュースは瞬時に世界中をかけめぐるのに、日本で新作が出ても、販売の契約を結んで翻訳し、出版するまでに時間がかかる。そのためにバイリンガルの若者たちは、新作が日本で発売されると同時にスキャンし、自分から進んで翻訳しアップロードするわけである。熱心なファンであるほど海賊版の「スキャンレーション(訳注:漫画のオリジナル版を母語に翻訳して無料配布されたもの)」に飛びつくから、正統な権利保有者は権利の保護に躍起にならざるを得ない。

ファンは着実に増えている

このように、マンガは今「悪しき時代」に直面しているのだが、その反面、「善き時代」でもある。

英語で読める作品は増加の一途をたどっているのだから、日本のマンガ家にとっても読者を増やすチャンスである。『NARUTO -ナルト-』や『BLEACH』など大人気のシリーズは、日米でほぼ同時にリリースされているし、水木しげるの『ラバウル戦記』や手塚治虫の『アドルフに告ぐ』など往年の作品、さらには辰巳ヨシヒロなど1960年代のマンガ家の劇画までが英語版で読めるようになり、アメリカ人にとっては、新しい、重要な文化・歴史観を得る機会になっている。

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2011年に開催されたComic-Con International : San Diegoの様子

これはすばらしいことである。英語で読めるマンガが増えれば、新しいファンも増えていくからだ。アメリカのマンガファンにとって、紙媒体のマンガを読む場所が減少しつつあるのはたしかである。とはいえ、日本のマンガ/アニメ・コンベンションに集まるファンは年々増加している。米国のアニメ・コンベンションのトップ10をあわせると、2012年の参加者数は約25万人にものぼる(最大規模のアニメ・エキスポは2013年のコンベンションに6万人以上を動員した)。ファンは着実に増えている。市場はある。参入する日本の出版社にとっては、大いにうま味があるだろう。