本書は、レトロゲームが今なおユーザー間で盛んに親しまれている事実に対して、その要因を「懐古趣味」という一言で片付けてよいのかと疑問を呈した著者が、なぜ新作が多数あふれる現代においてレトロゲームが遊ばれるのかを考察し、現代および未来のゲームに対して提言を述べることを目的として執筆されている。
考察にあたっては、著者がゲーム史においてムーブメントを起こしたエポックメイキングなタイトルと考えるものを、ジャンルごとに細かく選別して章立てをしたうえで執筆している。本書で取り上げられているのは『スペースインベーダー』や『ゼビウス』『スーパーマリオブラザーズ』などの有名タイトルだけでなく、ごく一部のマニアしか知らないであろうマイナーな作品やPC用シミュレーションゲーム、あるいはLSIゲームのゲーム&ウォッチシリーズなど実に多岐にわたる。
よほどのゲーム好きでない限り、本書に掲載されたすべての作品を知っている人はおそらくいないだろう。ゲームファンなら誰でも知っているタイトルに限らず、たとえマイナーな作品であっても、著者がゲーム史を語るうえで外せないと考えたものをピックアップし、その面白さの要諦を豊富な画面写真とともにきちんと説明しているのが本書の最も面白いところある。
また、任天堂のバーチャルコンソールなどで配信されている、レトロゲームの移植再現度についての考察も書かれている。現在では、旧ハード向けに発売されたソフトをWii Uなどの現行機種、つまり異なるプラットフォームで動作させるための、いわゆる「エミュレータ」と呼ばれる技術を用いてレトロゲームが遊べるようになった。しかし、エミュレーションはあくまでも「仮想的にターゲットマシンを再現する技術」(※本書より引用)であり、ソフトの移植再現度は常に100パーセント完全であるとは限らないと著者は指摘している。
実際、筆者も楽しみにしていたオールドゲームのダウンロード配信版を購入したところ、オリジナルとは明らかに違う挙動だったり、サウンドの音色が異なっていてがっかりした体験を何度となくしている。レトロゲームの場合、ユーザーは新作タイトルを買う場合とは異なり、自身が過去に熱中したイメージや思い入れを強く持ったうえで購入するため、その移植再現度にはどうしても固執してしまう。そこで著者が、「結局、移植にせよエミュレータにせよ、オリジナルが遊べないための代替手段であり(中略)、オリジナルと同等のものを遊びたいならオリジナルを遊ぶほうが確実と決まっているわけで、異色にせよエミュレータにせよ、代替手段であることを遊ぶ側は認識する必要があると思う。」とする指摘は、まさに傾聴に値する意見である。
多数のゲームの考察を経て、最終章ではゲームの面白さを「操作する面白さ」「操縦する面白さ」「達成する面白さ」「物語的な面白さ」の4要素に分類できると述べ、さらにゲームのジャンル別にどの面白さが該当するかをまとめたところが、本書の中でも特に勉強になるところであろう。さらに、ゲームメーカー勤務の経験を持つ著者ならではの視点から、開発時にゲーム内の不要な要素を削り取り、最後に残ったものをゲームの「面白さの純度」という言葉で表現しているのも面白い。これこそがレトロゲームが今なお面白く、なおかつ遊ばれ続けている理由であり、本書のタイトルに対する答えにつながる最重要ポイントになっていると考えられる。
ゲームの歴史を記したデータに若干の間違いがあるのが少々気になるが、レトロゲーム論としてはもちろん、現在流行のゲーム実況、あるいは動画配信がなぜ人気なのかを分析する際にも、十分に参考になる一冊ではないだろうか。
■収録テーマ
【カルチャー】ゲーム史・ゲーム論
『僕らは何故レトロゲームを遊ぶのか』
著:前田尋之、出版社:オークラ出版
(鴫原 盛之)