ここに紹介するのは、異なる著者、内容、構成ではあるが、いずれも「メディアアート」をテーマとした日本語による書籍である。
『メディアアートの教科書』は、メディアアートを学ぼうとする人のために大学で教鞭を執る4名が執筆した書籍である。第1章では、メディアアート誕生の背景が、第2次大戦後のコンピュータアート(アート&テクノロジー)、ビデオアート、テレマティックアート(電話や衛星回線を用いたアート)にさかのぼって解説される。2章前半では、20世紀の思想史、技術史、美術史、音楽史とメディアアートの関連が語られる。あらゆる現代史がそうであるように「いま起こりつつある出来事」の歴史を描くことは、誰にとってもチャレンジングな課題である。メディアアートの歴史を書くということは、複数の「証言」からひとつの「事件」を描く行為に似ているかもしれない。本書は、教科書にふさわしく、コンピュータアートとビデオアートを主軸に据え、思想史、技術史、美術史、音楽史を補助線に加えることで、バランス良くメディアアート史の全貌を描き出そうとしている。
ただし、これを理解するためには視聴覚資料の手助けが必要不可欠となるだろう。ある程度評価の定まったメディアアートの名作を誰もがいつでも閲覧することのできる環境がないことは、この分野の進展を妨げている大きな要因のひとつであると思われる。また、個々の作品や事象の説明は決して多くはないので、専門課程などでは、巻末の年表や参考文献、用語集を参照しつつ、各自で調査を進めることが必要となるだろう。2章後半では90年代以降の具体的なメディアアートについて、作品の特徴を示すキーワードに沿った解説がなされている。これらのキーワードはいわば「タグ」のようなものであり、系統樹では整理しきれないメディアアートの多元的広がりを示している。3章では8人のメディアアート作家が紹介される。特に先駆者として、ジェフリー・ショー氏とジャン=ルイ・ボワシエ氏に多くのページが割かれている。同時代にあって、似たような技術を用いていても、ひとりの作家がある表現を選ぶ理由には、他の作家にはない必然性がある。群としての運動体ではなく、個の内的な歴史を遡ることで、その表現を生み出すに至った理由がより明快になるだろう。4章は実践としてのワークショップの記録だが、すでに一部の内容が技術的に古いものになってしまっている。5章の年表も含め、メディアアートの教科書を適切にアップデートし続けるためには、今後ウェブとの連携、電子出版や電子書籍の導入などが必要となるだろう。
『メディア・アート創世記—科学と芸術の出会い』は、半世紀にわたり科学と芸術の境界領域を見続けてきたジャーナリスト、坂根厳夫氏の待望の著書である。著者は世界の誰よりも多くのメディアアート作品に接してきた人物である。60年代から世界中の展覧会、博覧会、アトリエ、大学、研究所などを訪れ、先端的なアーティストや研究者を、記事や著書、展覧会を通じて、多くの人々に紹介してきた。
また、新聞社を退社した後は、IAMASをはじめとするメディアアート教育研究機関の立ち上げにも尽力してきた。タイトルに「創世記」とある通り、本書の内容は、狭義のコンピュータを用いたメディアアートにとどまらず、科学、技術、芸術の混ざり合う広範な創造性の領域にわたっている。本書を特徴づけるキーワードは「触発」である。近代以降、社会を覆い尽くした分業による効率化は、科学と芸術の間に深刻な溝をつくってしまった。しかし、本来、科学と芸術は、区別し、排除し、敵対する関係ではなく、互いを触発する関係だったのではないか。そればかりではない。科学と技術、芸術のなかの様々なジャンル、作り手と受け手、触発を拒む壁は幾重にも張り巡らされている。私達は、そのような壁を取り払い、互いに触発し触発される、互恵的関係を築くことができるのではないか。著者はポジティブに問題提起する。本書には無数の固有名が登場するが、それらは著者を取り巻く星座のようにしてネットワークを形成し、さらに新しい関係(=読者)に向かって開かれている。『遊びの博物誌』などを通じ著者に興味を持たれた読者は第1章から、科学と芸術の関係に関心のある読者は第2章から、メディアアートの具体的作品を知りたい読者は第3章から読まれることをお勧めする。
『メディアアートの世界—実験映像1960-2007』は、「映像芸術を愛するすべての人に」と帯にある通り、コンピュータなどのデジタルテクノロジー中心に捉えられがちなメディアアートを、実験映像・映像芸術の立場から逆照射しようとする書籍である。計11名の執筆者がそれぞれの語り口で映像の魅力を伝えているが、とくに第一部の松本俊夫氏、飯村隆彦氏、かながわのぶひろ氏といった先駆者たちの文章からは、実験映像というジャンルが誕生した時代の息吹を感じ取ることができる。その時代の作家には自明のことであったことが、デジタル動画(moving image)に囲まれた現代の私たちに同じように見えているとは限らない。むしろ、新しい盲点が生まれているかも知れないと本書は警告する。
執筆者のひとり、1974年生まれの阪本裕文氏は、初期のビデオアートに「メディアに対する鋭利な批評性」を指摘している。例えば、フィルムとビデオの決定的な違いとは何か。その違いは、作家の探求の方向性を左右し、結果として、異なる芸術的な質を生み出すに至ったわけだが、私達はその歴史を深く理解することで、過去の作品をより的確に理解できるだけでなく、現在のメディアアートをより多様で豊かなものに変えることができるのではないか。本書には、メディアアートというすべてを包摂するかにも見えるジャンルに対する警戒と期待の両方の念が刻まれている。
『メディアアートの教科書』白井雅人+森公一+砥綿正之+泊博雅 編(2008年)フィルムアート社
http://www.filmart.co.jp/new/001079.php
『メディア・アート創世記 科学と芸術の出会い』坂根厳夫(2010年)工作舎
http://www.kousakusha.co.jp/BOOK/ISBN978-4-87502-432-3.html
『メディアアートの世界 実験映像1960-2007』伊奈新祐 編(2008年)国書刊行会