「日本マンガの海外における実態」を調べるに当たって、どういう問題を抑えておくべきなのだろうか。手塚治虫およびマンガ研究の第一人者として知られ、2001年には『マンガ世界戦略―カモネギ化するかマンガ産業』を出版し、早くから日本マンガの海外受容に関心を示してきた学習院大学教授の夏目房之介氏と、当プロジェクトのディレクターで、日本のコンテンツが海外で評価される上で歴史的に重要な役割を果たした永井豪さんのダイナミックプロダクションで勤務された経験を持つ幸森軍也氏に、同リストと日本マンガの海外での受容について話を聞きました。

第1回 夏目 房之介(学習院大学教授、マンガエッセイスト)

 

聞き手 幸森 軍也 (大阪芸術大学キャラクター造形学科客員教授)

 

進 行 原  正人 (バンド・デシネ翻訳者)

 

椎名 ゆかり(文化庁「メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業」コーディネーター/海外マンガ翻訳者)

 

海外で翻訳された日本マンガの実態は誰も知らない

夏目
まずは、幸森さんがこのプロジェクトを始めた意図をお伺いしたいですね。

幸森
大学教員になって、大学の先生は、講義をするのではなくて、研究するのが仕事だと先輩教員に教えられたんです。お前も論文書けと(笑)。ところが、いざ研究するにしても、海外で翻訳出版されている日本マンガのデータって何もないんですよ。そもそも何もないこと自体を誰も知らなかった。これは作らないといけないでしょうということが第一です。

日本のマンガが世界で売れていると言われています。でも、「世界って、どこのことを言っているんですか」と。北米なのか東南アジアなのかヨーロッパなのかということでも、状況は全然違うはずです。

日本のマンガって1990年初頭から本格的に海外に出始めているんですが、今やもう20年以上が経ち、翻訳された作品も膨大な量になってしまった。これを一から調べ直すというのは、ものすごく大変な作業で、手掛かりとして、手塚先生から始めていくのがいいのかなということで始めたわけです。

夏目
最初は、もっと広い範囲でやろうと思ったんですか。

幸森
そう思っていました。だから、出版社にも声をかけました。

夏目
ダイナミックプロはどうなんですか。

幸森
ダイナミックプロも、契約書はあっても翻訳ものの現物がどこにあるか......。倉庫のどこかに、ぽつん、ぽつんとあるという状況です。ある海外版が1巻から10巻まであるとして、途中でどこか抜けていたりするかもしれない。海外の版元からの献本が途中で止まっているということもあり得ます。ほとんど読めはしないんですけど実際の翻訳出版物に当たらないと、契約書だけでは、紙の質や印刷のきれい汚いなどもわかりませんし、日本のように書店で見つけられないから実際に出版されたかどうかも確認できませんから。出版社にしても、プロダクションにしても、どこまでちゃんと管理できるかというのが実情で、そういう意味では、手塚プロダクションはものすごく立派に管理されているんですよ。

日本マンガの海外翻訳を改めて考える

『マンガ世界戦略』を出された当時、夏目さんは日本マンガの海外受容や海外のマンガについていろいろと調査されたとうかがっています。そもそもなぜそのような調査をされることになったのでしょう。

夏目
90年代前半に香港に行って、マンガの出版社を見学したことがあるんですが、その時のカルチャーショックがきっかけなんです。ビルのワンフロア全部がマンガ工場になっていて、流れ作業でマンガ(香港オリジナルのマンガ)ができていく。一番感動したのは、ホワイトですよ。右手にホワイトの筆を持って、左手にライターを持って、ホワイトで直しては乾かす(笑)。今はパソコンだから、ああいうことはしないだろうけど、職人の魂を見たね(笑)。そんな彼らも、いつかはマンガ家になりたいと思っている。たぶん連環画1の工房が発達したようなものだと思います。しかも、1階が印刷所で。

もう一つショックだったのは、現場でマンガを描いている人たちの名刺は一色だった。彼らの上にその会社のトップたちがいるわけですが、この人たちの名刺はカラー。それで、現場の人たちは、香港なのにまったく英語がしゃべれない。だから、我々とはもう手まねと絵で会話をするんだけど、すごくいい人たちばっかりなわけ。こっちもマンガ好きだから、マンガ好き同士は、マンガ愛があれば、何人であれ、すぐ仲良くなっちゃう。でも、上の階の人は、英語でしゃべる。もうベラベラなやつじゃないと追いつかないぐらいの英語で。エリート・ビジネスマンなんだよね。日本だとあんまり感じないですが、そこには歴然と階級差があったんです。

それから、日本のマンガでは重要な役割を果たしている編集者がいなかった。

そういうのを見ると、逆に日本のマンガがわかってくると思ったんですよ。日本の(マンガ家が編集者と密接に組んで作品にとりかかるという)マンガのシステムが当たり前だと思っていたけど、香港を見るとまるで違う。おそらくアメリカに行ったらもっと違うだろうし、フランスに行っても違うだろうと考えて、それで少しずつ興味を持ち始めたんです。ちょうどその頃に、海外からいろいろな人が訪れてきて、つながりができて、やっぱりこれはいろいろ調べたいなと思って、始めました。

1中国で20世紀の初頭に数多く出版された小さい判型の本。物語は、挿絵と見出し文で描かれた。

なるほど。日本マンガとの違いというところから関心を持たれたのですね。日本のマンガと海外の自国産マンガが異なるのはある意味当然だと思いますが、日本マンガも国内版と海外版では違ったりするものでしょうか。

夏目
例えば、中国は、新聞にマンガが結構出ているんですが、紙が高いので、1ページにマンガ何ページ分かを縮小してぼんぼんと入れちゃう。見開きを4つぐらい入れちゃうみたいな、日本から見ると結構乱暴な載せ方をしていたんですよ。それが、そのまんま雑誌とか単行本にもなっていて、森薫さんの『エマ』なんて全2巻で完結です。

幸森
中国にはその手の翻訳が多いですね。しかも、そういう8ページ組みのページと普通のページが併存していたりもする。

夏目
そうそう。見せ場のところは元のサイズで普通に載せたり。だから、視線誘導もへったくれもない(笑)。中国のマンガ家さんはそれで育っているから、絵はめちゃくちゃうまくても、視線誘導的におかしかったりする。

幸森
僕は大連で『名探偵コナン』が2種類並んでいるのを見たことありますよ。

8ページ組みのやつと普通の2ページのやつと。

なるほど。同じマンガ作品でも日本版と海外版でそんなに違うこともあるのですね。90年代の前半、夏目さんが海外のマンガや日本マンガの海外版に興味をお持ちになった時代というのは、ちょうど日本のマンガが海外で評価され始めた時代でもあります。その当時のことは著書の中でも書かれていますが、日本のマンガの海外翻訳をめぐる状況は、現在とは異なっていたようですね。

夏目
僕がたまたま80年代初頭に買った、『鉄腕アトム』の中国の海賊版に『鉄臂阿童木』という本があって、実はこの本を作り手がわざわざ手塚プロに送ってきたというエピソードがあります。普通海賊版は送ってきませんが、善意で送ってきた。海賊版を作っているという意識がまったくないわけですね(笑)。当時、中国は日本と著作権条約を結んでいない。国際条約に入っていないんですよ。だから、厳密に言うと、海賊版ではないんです。このエピソードは、『ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から』というマンガの3巻にも載っていますが、この本を送られて、手塚さんが激怒したんだそうです。周りは違法に海賊版を出されて怒っているんだろうと思ったら、そうじゃなくて、判型の変更や絵の描き直しが気に食わないと(笑)。こんなにしちゃってと言って、「次から私がやります」って、全部自分でやり直した。それも、タダで。

マンガが海外で出始めた初期にはそんなこともあったのですね。やがて出版社間で正式な契約を結んで翻訳される時代がやってくるわけですが、それがいつ頃始まり、どのような経過を辿って今に至るのか、興味深い問題です。

夏目
中国が条約2に加盟したのって、結構最近ですよね。たぶん2000年代だったと思います。台湾だって、そんなに昔じゃないし、そもそも国ではないので条約を結べない。現地の会社で、海賊版を作ってた出版社が、自分が勝ち残るために正規版で市場をクリーンにしちゃおうと。それはタイでもそうで、それが進みつつありますよね。

2中国の「ベルヌ条約」加盟は1992年だが、その後、WIPO著作権条約調印は2007年。

幸森
ダイナミックプロダクションは、インドネシアではサイアムスポーツというところと契約をしましたが、そこも戦略的には同じです。自分のところが正規版を出して、他は駆逐しようと。

夏目
10年ぐらい前ですけど、ジャカルタへ調査に行ったんです。立派な書店に連れていかれて、「ここはうちの書店です」と。でもよく見ると、海賊版も売っている。「これ海賊版だよね」と言ったら、「ないと棚が埋まらない」と言うんです(笑)。そのくらいの状況だった。10年たってもあまり変わっていないのかな。

幸森
本が結構ペラペラで、本というよりは冊子的な感じ。やっぱり東南アジアでは、昔の月刊マンガ誌の付録的なものが多いですよね。

夏目
もともとがそうなんですよ。タイのバンコクなんかに行くと、露天で売っている小さな妖怪ものの本があるんです。全員、水木しげるみたいな(笑)。たしかラーメン一杯分ぐらいの値段だよね。何バーツだったかな。すごく薄い。香港マンガも薄いし、インドネシアでもその手のものがあって、インドネシアの日本のマンガの最初のヒットが、『キャンディ・キャンディ』だったと思います。それはもちろんアニメが行って、それで『キャンディ・キャンディ』のマンガが行って、それが大ヒットして、そこから始まったみたいですね。

タトル・モリエイジェンシー3から聞いた話ですが、日本のマンガが正式契約時代に入るのは、1991年ぐらいからなんです。今回のデータを見ると、古いものはないんですよね。たしか、一番古いのが95年だったか。

3日本マンガを多く扱う版権エージェント会社。

幸森
おそらく平成25年度版のリストで一番古いのは台湾ですが、そこはまだデータがきちんと取れていません。ちょうど今作業を進めていて、これから出てくるところです。平成26年度版のリストは現在流通している本を優先的に作成しています。

1990年代後半以降のマンガ翻訳をめぐる状況の変化

90年代前半に日本マンガの海外との正式契約時代が始まったということですが、おそらく当時はまだ過渡的な時代だったことと思います。その後、状況は変わったとお感じになりますか。

夏目
変わったと思います。90年代の後半、例えばドイツの出版不況の只中で『ドラゴンボール』がバカ売れしたんですよね。その後、日本マンガの翻訳ブームが起こるんですよ。要は為替の問題があって、東アジアでいくら売れても、たかがしれてる。その段階では東アジア、例えば台湾、韓国、香港なんかで日本のマンガはバンバン売れていたが、日本側からすると、うま味はなかったんですよ。逆に言うと、版権部は大体赤字だったですよね。

幸森
ダイナミックプロは自社で海外の出版社とやりとりをしていましたが、当時、国際電話やファックスを一回やったらもう赤字でした(笑)。3000部ぐらいしか発行しなくて、8%の印税しか入ってこないんですから。せいぜい2万円ぐらい。電話を掛けたらアウトですよ(笑)。

夏目
そういう時代だったんです。それがたぶんドイツで売れ始めてから変わるんですよ。要するに為替の問題です。2000年代以降は、相対的に言えば、版権部はむしろ重要な部署になってきているんじゃないかな。2、3割ぐらいが海外からの収入だという作家さんも出てきている。ということは、どう考えても、版権処理がビジネスの重要なところを占めているはずで、その辺は幸森さんが詳しいと思うんだけど。

幸森
海外の版権収入というのは、マンガの本なのか、アニメなのか、商品化なのかということで、全部違ってくると思うんですよ。確かに海外からの収入が3割ぐらいという作家さんもいるのかもしれないけど、それはそれらを全部合わしたものであって、マンガの翻訳の印税だけではないという場合もあると思いますよ。

夏目
なるほど。ただ、そのレベルまでいったということは、契約の仕方も変わってきているんじゃないですか。どう考えても、初期の頃はバタバタでやっていたんじゃないかと思うんですよ。

幸森
場合によるとは思いますが、海外へのアニメの番組販売や、商品化許諾など細かな交渉をしての契約なんか、あまりやってこなかったのではないでしょうか。

夏目
なるほどね。よく「世界で日本マンガがブーム」とかいわれるけど、そんな甘いものでは全然ないわけです。むしろ厳しい状態ですよね。それはたぶん、知っている人はみんな知っている。アニメなんかでも、有名な話ですけど、いい加減な契約したものだから、アメリカで勝手に作っちゃったとかね。アニメ3本ぐらい合わせて1本にして。

幸森
それは、著作権ごと売っている場合かもしれません。日本も『ポパイ』とか、一定期間著作権ごと買っているんです。だから、森田拳次さんが『ポパイ』のマンガとか描けるわけですよ。昔は、アニメーションというのは、音楽著作権も含めて、著作権ごと売るのが常識だったんです。今は違いますよ。だから、昔は『UFOロボグレンダイザー』でも、アニメ会社がフランスに著作権ごと売って、フランスからブワーッと45カ国ぐらい流れちゃうわけです。ダイナミックプロにはサブライセンス料は一銭も入っていない(笑)。

データを整備することの意義

夏目
僕はもともとマンガ表現論というのをやっていたんだけど、世界の事情とかを調べ始めたら、視野が広がってしまいました。社会学とか、言語学とか、いろんなものが入ってくる。マンガってね、研究対象として考えると、こんな面白いものはない。学際的な領域なんですよ。だから、こういうデータをちゃんとそろえてくれば、いろいろなことが言えるはずなんです。手塚さんだけじゃなくて、例えば鳥山明がわかったら、比較していろんなことがわかるんです。

幸森
それが今までなかった。誰もやっていなかったわけですよ。

夏目
できないでしょう、普通。これは幸森さんだからできたんだよ(笑)。出版なんて日本の産業の中では本当に中小企業に類するものなので、彼らが自力でちゃんとデータを整えて管理できるかというとね、無理です。だから、「やれ」ということじゃなくて、でもそこに問題があって、それがあればいろんなことがわかりますよというのが言えれば、もうちょっと動かしようはあると思うんだよね。

幸森
省庁もクールジャパンと言ってマンガやアニメをもちあげているけど、これまでたいして支援してません。海外翻訳出版にかかわらずいろんなデータがあれば産ではマーケティングに、官はソフトウェアを政策にも活かせると思うですけどね。ただ、どうしても調べられないのは、部数ですね。出版社にデータはちゃんとあって、著作権者には知らせるんだけど、外には出せませんからね。日本のマンガが売れていますといっても、何千部なのか、何万部なのか、最終的にはわからないんです。

部数については、いくつか海外で作成されたデータが存在していますし、売れ筋のものについては、ジェトロなどで報告されている場合もあります。しかし、そもそもどんなマンガが翻訳されているのかということすら、網羅的な形では把握されてはいませんでした。今回の調査では、手塚作品の何が正式に翻訳されているのかということがわかるようになり、例えば、『フースケ』や『アポロの歌』、『空気の底』、『上を下へのジレッタ』、『夜明け城』などといった作品まで翻訳されています。

幸森
手塚治虫って、児童マンガから大人マンガまで、あるいは青年マンガ、少女マンガ、全部描いているんですよ。そういう意味では、世界指標にはなりやすいんです。

夏目
これがあれば、例えば海外で取材するときに、一応基礎情報になりますよね。

日本マンガの受容はこうして始まった

理想的には海外で出版された日本マンガの翻訳の全体像がわかるようにしたい。その足がかりとしての手塚治虫作品の単行本のリストを作成していますが、歴史的に見れば、このリストにあがっている最初の作品以前にも翻訳があって、それが場合によっては本ではなく雑誌に掲載されていたりする。また、部数や地域の広がりという点で、手塚より重要な作家・作品も存在するはずです。そもそもまず、海外における日本マンガの翻訳の歴史というのは、大まかに言ってどのようなものだったのでしょうか。

夏目
講演なんかで簡単に説明するときに言うのは、世界的に、東アジアでもヨーロッパでも、80年代に衛星チャンネルの増加でコンテンツ不足が起きて、そこに日本のアニメがどっと廉価で流れた。それを見た子どもたちが、やがて日本の原作マンガというものに気づき、キャラクターを消費するようになり、それがマンガの翻訳出版につながったというのが大筋だと思います。アメリカはまた経緯が異なるでしょうね。

ただ、それ以前で言えば、韓国と台湾でかなり早くから海賊版が始まっていて、かつ、その海賊版に影響されたマンガが作られてきた。前史としてはその辺がかなり古くからあるんです。タイですら向こうのマンガ家に聞いたところでは、60年代に既に、日本の忍者マンガを真似したものが始まっていたらしいです。

幸森
へえ。

夏目
だから60年代からもう徐々に、とてもビジネスとは言えないようなささやかな形ではあれ、海賊版文化は始まっているんです。

なるほど。それが日本のマンガ翻訳の下地になっていたかもしれないわけですね。一方、フランス語圏では、70年代後半に、ある日本人が『Le Cri qui tue』という雑誌を複数号出し、手塚や石ノ森章太郎、さいとう・たかを、辰巳ヨシヒロらの作品を紹介するという先駆的な試みをしています。おそらく他の国でもこういう動きはあったんじゃないかと思います。

幸森
今回、私たちが調査したのは単行本なんですが、雑誌は残らないことも多く、把握しにくいですよね。例えば、フランスの普通の雑誌に何ページかだけマンガの翻訳が載っていようものなら、まずわかりませんよ。

夏目
それはわからない。おそらくフランスのコレクターでも探さないと無理でしょうね。結局ネットワークだと思いますよ。そういうコレクターなり、データを持っている人は、どこかにいるはずですから。物好きというのは、どの世界にもいるので。(笑)

そうですね。そういう人たちとのネットワークを作りつつ、雑誌に掲載された翻訳や手塚作品以外の翻訳をさらに調べていけたら、もっといろいろなことがわかってくるのかもしれませんね。

 

世界マンガの中の手塚治虫

ひとまず今回は手塚治虫作品の海外翻訳リストができたわけですが、これに目を通してみて、何か面白かった点などありますでしょうか。そもそもこれだけ翻訳が出ていることに驚くわけですが......。

夏目
手塚治虫って実は世界では非常に特殊なんです。たぶん、『ドラゴンボール』と『美少女戦士セーラームーン』、それから『ポケットモンスター』、この3つのコンテンツで、日本マンガ・アニメの世界的認知度が一気に上がったんですが、手塚はそこには全く絡んでいない。手塚が絡むのは、むしろ「日本マンガって何だろう」って思い始めた知識層が、日本のエッセーなんかを読んで、どうもこの人はすごいらしいという回路で来ているので、決してバカ売れしているコンテンツの中に入っているわけではない。

幸森
国内でも手塚さんって、もちろん神様かもしれないけども、ずっと大人気だったわけではなかったからね。

夏目
大人気だったのは、40年代の終わりから50年代で......。

幸森
週刊誌時代になると、もう別に、特別、人気作家で日本のマンガを牽引していたわけでもないからね。

夏目
そう、既に50年代から、横山光輝さんとか、ライバルのほうが売れていたわけ。たしかに、ずっと現役で、一度も降りなかったというのはすごい。ただ、常に大ヒットを生んでいたわけではない。そういう人なのに、亡くなったときに、僕なんかが衝撃を受けて本を書いてしまうわけじゃないですか。つまり、アーティストにとってのアーティストみたいなところがあって、トキワ荘系の漫画家の伝記などで、どんどん「神様」になるわけ。結局、日本の今のマンガ論もここから始まっているんですよ。手塚さんの死を契機に、今、我々が日本でマンガ論と言っているものが出てきているといってもいいです。

幸森
現代マンガの根っこは、間違いなく手塚さんにあるから。

夏目
今、マンガ研究界隈では、本当にそうなのか、みたいなことを言われて、でも重要は重要だよね、みたいなことになっているんだけど......。それはともかく、手塚さんはたぶん国内ではそういう位置づけの人で、たぶん世界のマンガ言説でもそれを反映してるんです。

幸森
日本でも、たぶんインテリしか読んでなかったんだよね、手塚マンガって。

夏目
それにしても、『アドルフに告ぐ』と『ブッダ』は何でこんなに翻訳されているんだろうね。このリストは、全体としては、2000年代のデータだなという感じがしますが、フランスとアメリカは、一足早く90年代から手塚に注目していたことがわかる。おそらく日本のマンガやアニメを好きな人たちの情報誌に評論とかのるんじゃないかな。そこで手塚が見出される。そのテの情報誌は世界中にあって、日本語教室みたいなページや、日本文化紹介ページもある。例えば鳥居って何だろう、とか。フランスに『アニメランド』っていう情報誌がありますが、僕が調査したときはタイやインドネシアにも似た類があった。そういう誌面で、当たり前のように、日本のマンガの神様として手塚は扱われるわけですよ。そういう文脈がフランスとアメリカに関しては、かなり早くから成立したんだと思います。じゃないと、こんなに早くから翻訳されて、未だに売れているということは、ないと思うので。

ここにアメリカのマンガ翻訳家・研究者フレデリック・ショットさんが1983年に書かれた『Manga! Manga! The World of Japanese Comics』という本があります。これは日本マンガを紹介した最初の専門書で、例えば、この中でも手塚の『火の鳥』が取り上げられていたりします。アメリカで手塚のマンガを扱った最初期の1冊ですね。

夏目
ショットさんは手塚さんと仲良かったからね。手塚さんがアメリカに行ったときは通訳をやっていたので。それにしても、たぶんアメリカの読者なんかが素直に手塚のマンガを読むと、絵柄がシリアスじゃないので、戸惑うはずなんだよ。それでも出ているということは、たぶん枠組みとして、今の日本マンガを作った人みたいな位置づけから来ているんじゃないかしら。いいか悪いかわからないんですが、おそらく、日本の影響で、海外でも古典として知られるという流れになると思います。

グラフィック・ノベルとしての手塚マンガ

手塚の海外版の表紙をこうしてずらりと並べてみると、日本語版とまったく違うものも多くて面白いのですが、例えば、『ブッダ』の英語版は、今夏目さんが言ったように古典としての手塚という印象を補強しているようで興味深いですね。そもそも、日本マンガを海外に翻訳する場合、表紙が変わることは多いのでしょうか。

幸森
たいてい、日本で出たやつをそのまま出している場合が多いです。『NARUTO』など、その好例でしょう。手塚作品の場合、国によって作り直していることが多いですが、それは手塚プロダクションが管理しているからこそかもしれませんね。出版社が窓口をしていると、そう簡単には作り直せないんです。

夏目
逆に『NARUTO』は、そのままやらないと、海外のマンガファンが納得しないかもしれませんね。表紙を自由に変えるというのは、手塚だからあり得るんだと思う。

幸森
なるほど。それもあるでしょうね。

夏目
大人向けのマンガだと、『子連れ狼』米国版など、現地の有名なアーティストがわざわざ表紙を描いている例もあります。ただ、『NARUTO』とかは......。

幸森
アニメ先行のものやアニメの商品化としてマンガが出ている場合って、ものすごく多いと思うんですけど、やっぱりそれは、そういう流れにしかならないんでしょうね。「マンガ単体としては評価されていない」という言い方したらきついかもしれないけども、アニメを見てオリジナルという感じになっちゃっている。だから、マンガ業界人としては、それはちょっと寂しいかなという気はしますけどね。

夏目
でも、日本の戦後マンガのマーケット自体が、TVアニメが60年代に成長し、子どもがアニメ見て、その前を知りたいのでマンガを買うという形で、雑誌連載と単行本、TVアニメというサイクルが出来上がって発展したので、それが世界規模で起きつつあると考えれば......。ただし、これは子どもなんですよ。

幸森
そうなんですよね。

夏目
結局、その子たちが大人になったときに、また別のサイクルをつくってくれればいいんです。そういう意味では今、手塚は少なくとも世界では、そういうサイクルにはないわけですから。

2000年代に入った頃に、海外におけるマンガの出版は飽和状態になったと言われたことがあるんですね。で、気の早い人は「もうこれで終わりだ」と言い出した。僕はそんなことはないと思ったんです。世界中のバイヤーが、一時期新しいものを買いたがった。新しいものを買い漁れば、それはやがてなくなる。でも、それは単に飽和したからで、そのあと市場を整える安定期に入る。僕はそう読んでいた。

今は、ある程度安定期に入っていると思います。それを象徴するのは、おそらく「グラフィック・ノベル」という言葉でしょう。グラフィック・ノベルというのは、日本ではあんまり聞き慣れないですけど、米仏など世界の知識人向けのマンガで一般書店で売れる。要するに大人用のマンガみたいな意味もある。手塚さんの本って、欧米では、かなり多くがグラフィック・ノベルとして流通しているんです。グラフィック・ノベルというのは、たぶん、そういう子どものサイクルとは別のサイクルでできてきたものなので。

幸森
ということなんでしょうね。

なるほど。手塚本人は、もともとディズニーを始めとする海外のアニメ・マンガから影響を受けていたり、あるいはサンディエゴのコミコンやアングレームにも自分で行ったりと、世界へと開かれた人でした。そういう意味で言うと、日本の文脈から離れ、海外の文脈で受容されているというのは、とても意義のあることですね。

夏目
うん。たぶん、手塚さん自身が知ったら、むちゃくちゃ喜ぶでしょうね。

今後の課題

最後に、今後の課題についても、お話を伺えたらと思います。マンガ翻訳の全体像を探りたいという思いはありつつも、それが簡単にはできないというのが現状です。せめて比較の対象があればというお話でしたが、その点について改めていかがでしょう。

夏目
さっきも言ったように、手塚はバカ売れコンテンツではないから、手塚だけやっても全体像は見えてこない。そう考えると、バカ売れコンテンツのどこかと、手塚と、それからオルタナティブという位置づけで、『ガロ』 4系を一人とか、その辺を比較できたら、もうちょっと立体的な世界が見えてくるかな。

41946年〜2002年に青林堂から出版されていたマンガ雑誌。商業性よりも作家性を重視した作品を主に掲載し、数多くの独自の才能を持つ作家を輩出した。

なるほど。『ガロ』系というと、例えばどんな作家さんがいいでしょうか。

夏目
ヨーロッパで、結構インテリや変なやつに知られているのは、丸尾末広とか。

2014年のアングレーム国際漫画フェスティバルに招待されていましたね。

夏目
フランスは、普通の書店とバンド・デシネ専門店と、それ以外に、オルタナティブショップみたいなのがあるのよ。そこへ行って、びっくりした。僕が知らないようなマイナーなのが、ものすごくあった(笑)。『ガロ』系は日本では別にアンダーグラウンドってわけじゃない。そこが日本の面白いところだけど、海外的な枠組で言うと、たぶんオルタナティブ。だから、その3点ぐらいを調べて、比較していくと、日本のマンガないしその周辺の文化というのが、世界にとってどうなのかというのが、もうちょっと立体的にわかるような気がします。

日本のコンテンツ輸出は数字的にははっきり言って、アメリカのコンテンツ輸出に比べたら、はるかに小さいわけだけど、ここ20年ぐらいで、世界市場の中で米国につぐ存在感をもったかもしれない。そうした現状の調査と研究分析をまずやって、今後生かせるかどうかでしょうね。

調査の方法については、どうでしょうか。今回は手塚プロダクションに教えていただいた情報をベースに、現物の奥付に当たって、その写真を撮影し、そこから情報を拾い上げるという、非常に地道なやり方をしたんですけれども。

夏目
そういえば、リストに年度が入っていないものがありましたね。

幸森
そもそも本の奥付に出版年が入っていないケースもありましたし、本が見つからず、現物に当たれないケースもありました。契約だけ交わして本が出ていないものもありましたね。

夏目
とはいえ、手塚プロダクションは管理がしっかりしていてよかったですね。そういうところから始めるしかないでしょう。手塚プロダクションのものをもうちょっとやるというのは当然あるでしょうけど、その次に何をやるかでしょうね。作家レベルで管理している人だとやりやすいかもしれないけど、本を片っ端から捨てちゃう人もいるだろうし。

幸森
作家レベルだからデータがしっかりしているかというと、必ずしもそうではない。実際に、作家さんに当たってみないとわからないですね。

夏目
あと、今はインターネット上でファンがリストを作っている場合があるので、海外でのそういう情報も見ていくといいかもしれない。今回の話とは全然関係ないですが、2015年に「川崎のぼる展」をやるんです。それができるようになった理由の一つは、異常なくらい完璧なリストを作っているファンがいたっていうことがあったらしい(笑)。川崎のぼるを調べるのは、大変なんですよ。特に貸本をやっていたから。

あとは、大学にいると実感するんですけど、海外から日本のマンガを研究したくて来る人がいるわけ。そういう人は、結局、自分の国の研究もしなきゃいけないということになって、例えばタイ人は、やっぱりタイのマンガ事情を聞かれるので、帰って調査するハメに陥る。

幸森
聞きますよ、そりゃ、留学生に。「君の国のマンガ市場はどうなっているの」って、先生が聞く。

夏目
そう。うちのゼミなんて、中国人が4人もいるよ(2014年現在)。アメリカから、わざわざ『ガロ』の研究に来た研究員のライアン・ホームバーグは、日本にいる間、アメリカンコミックスのことをずっと聞かれるので、『ガロ』の研究をしに来たのに、アメリカンコミックスに詳しくなって帰っていった(笑)。

なぜ今日本マンガの海外版を把握する必要があるのか

根本的な質問ですが、そもそもマンガ研究の立場から、海外に翻訳されていった日本マンガのデータを収集することの意義はどの辺にありそうでしょうか。

夏目
マンガというよりは、いわゆる文化学だと思いますよ。文化とはどういうものなんだろうとか、異なる文化同士がぶつかったときに何が起こるんだろうとか、そこから何が生まれるんだろうとかということを研究する場合、マンガは今現在として考えたら、最もビビッドな、動いているものだと思いますね。興味をもってる若い人も世界中にいる。

僕はハイ・アートではなくて、ロウ・アートと呼ばれているものをずっとやってきた。そもそもロウ・アートと呼ばれる大衆文化って、越境性が非常に高いんですね。そこで何が起こるかというのが、それこそ文化研究の鍵だと僕は思っているんですよ。ハイ・アートというのは、言ってみれば、上へ上がって固まったものだから、それをまた柔らかくするのは大変だったりする。で、前衛的なこととか変なことをしたりするわけですね。対して、大衆文化というのは、もう最初からおぼろ豆腐のようなもので、だからこそ僕はそこに文化というものの一種の原型があるのだと思っています。

日本は翻訳大国で、外から来たものをすごく受け入れてきていましたけれども、その中で、日本のマンガはすごく外に出ていっているわけですよね。それが現在進行形で進んでいて、非常に面白いんですが、まだ実態がそんなによくわかっていない。

夏目
たぶんマンガだけではなくて、その場合、マンガ、アニメ、あるいはキャラクター文化という枠組みで考えたい。よく言われることではありますが、おそらく、日本のあるジャンルの文化が、欧米、東アジア、世界レベルで浸透し、これほど反響を起こしたことはかつてないですよ。よく浮世絵と印象派みたいな、ジャポニスムの問題が言われますけど、規模が違う。村上春樹はもはや世界的なネームバリューを持っているわけですが、それと並行しているのかどうか。市場としては、小説とかよりははるかに大きなレベルで、マンガやアニメは動いているので、歴史上始まって以来のことだと思います。当事者はみんな、あんまりそういう意識はないですけど。今まで経験したことがないもんだから、「へえ」と言って終わるんだけど、これは間違いなく、日本の文化が初めて迎えている経験の一つだと思いますよ。

そうですね。出版している当事者は、外から来たオファーに対して、許諾することで対応していると思いますが、そんな中で、研究者であるとか、あるいは、ちょっと客観的に見える人が少し引いた目で見るというのもいいことかもしれません。そこに何か、「産」の立場から言えば、また別のビジネスのチャンスがあるのかどうなのか。

夏目
それがあれば、インセンティブになるね。ただ、研究者レベルで言うと、海外の研究者は、当然日本では研究がされていると思って来るわけですが、「すいません、ないんだよ」という話なわけです(笑)。「一緒にやってくれますか」みたいな話になる。一般の日本人は、マスコミが、日本のマンガ、アニメがこんなにすごいんだよと、コスプレの映像とともにテレビで語るのを見たりはしているが、それ以上のことは何も知らないと言っていい。もうちょっと正確に知ったほうがいいですよね。

実際問題として、何かすごいことが起きてはいるけれども、それが実態としてよくわかっていない。だから、そこはきちんと「マンガ、アニメ」といったときに、マンガなのかアニメなのかキャラクターなのかという、そういう腑分けもしなければいけないし、そういうこともしつつ、何が起きているかというのをもっとよく考えたほうがいいですよという、そういうことですか。

夏目
だと思いますね。

幸森
マスコミが口で言っている分にはいいんですけども、いざ、じゃあ本を書くとか論文を書くとかといったときに、基礎となる文献が何もない状況なんですよね。「何を根拠にして言っているんですか」というのが全くない状況だったわけです。ただ、それをやっぱり、誰が作るかは別として、積み重ねていくしかないんだろうと思いますけどね。

夏目
そうだと思います。大学とか、研究・教育機関というのは、世間からずれているんですよ。それは、ことの本質からして、そうなんです。たまにそこで成果が出ると、もう世間が、マスコミを通じて「すごい」という話になるんだけど、研究者は大変な思いをして10年、20年かけてやっているものを「すごい」と言われて、みんな、すごいんじゃないかなと思ってるだけで、わかっていないわけですよ。で、それが良い悪いじゃなくて、そういうものなんだよね。

幸森
そもそも儲けようと思ってやっていないから。

夏目
幸森さんや僕は、たまたまマンガの周辺で仕事をしていて、気が付いたら大学にいたから、ちょうど境目にいるので、両方が見えてしまうわけですよ(笑)。

"マンガ世界戦略"再び

あらためて今この時代に『マンガ世界戦略』を読み直してみると、そのまま通用しそうな気がしますね。

幸森
後半に問題意識とか書いてあるじゃないですか。全然変わっていないからね。

夏目
そういう意味では、「だから言ったじゃない」って思うんだけど。ただ、状況は変わっています。あの本が書かれた頃よりはだいぶ変わっている。

文化庁がこのような事業をするようになったというだけでも、違うかもしれませんね。さらに、だからそれを使って広げていけたら、もっと面白いことが、あらためてできるのかもしれない。

夏目
そう思いますし、やっぱりそのためにはインセンティブが必要だと思う。

幸森
そうですね。

夏目
うん。大学なんていう場にいると、一応、研究と教育でお金をもらっているから、当たり前のように考えちゃうけど、民間ってインセンティブが働かなきゃ動かないんですよ。

幸森
そうなんですよ。

夏目
だから、どうやってインセンティブをつくるかが問題なんだね。

どうやったら「産」の人がこれにインセンティブを持てるか。とにかく何か可能性を探りたいという時代に入ってきてはいると思う。ただ、もう出版社が自力でというのは難しいと思いますよ。プロダクションではなおさら難しい。アーカイブズをやろうとしている大学なり、研究機関があるんだから、そういうところが「産」と組んでやれば、もうちょっと何とかなるんじゃないかという気はしますけど。

幸森
そもそも国会図書館にマンガの海外版なんて網羅的には収集してないんですからね。国立国会図書館法を改正しないと受け入れられないと。私立のマンガ図書館とかそういうところは、もう少し身軽に動けるかもしれませんね。マンガやアニメが世界に対してせっかくアピールできているんですから、産学官が手を取り合ってもっと活用していければ、みんなしあわせになれると思います。そのためにはそれぞれができることを支援し合う。正しい業界の在り方でしょう。

夏目さんにはぜひ今の時代に見合った新しい『マンガ世界戦略』を書いていただけたらと思います(笑)。本日はお二人ともありがとうございました。