「僕はアーティストでも、エンジニアでもなく、ひとりの男になりたいと思います」と書かれた一枚のクリスマスカードで終わる、薄っぺらな本がある。そのカードを書いたのは日本のコンピュータアートの先駆的なグループCTG(コンピュータ・テクニック・グループ)の槌屋治紀氏であり、それを引用した著者は、芸術におけるコンピュータとその芸術的可能性を取り上げた国際展「Cybernetic Serendipity: the computer and the arts」(ロンドンICA他、1968)で世界的に知られている企画者・研究者のヤシャ・ライハート(Jasia Reichardt)氏である。

ここで注目したいのは、コンピュータのような複雑な電子機械と人間の神経システムにおける制御とコミュニケーションに関する学問である「サイバネティックス」と、幸運を発見する能力という意味の「セレンディピティ」からなる詩的なタイトルではなく、むしろ、平凡な印象の副題の方である。なぜなら「コンピュータと芸術」、当時の日本語で「電子計算機と芸術」とは、1967年多摩美術大学で開かれたシンポジウムのタイトルでもあったからである。このシンポジウムのパンフレットにおいて、東京大学で工学を専攻していた槌屋氏と多摩美術大学でデザインを専攻していた幸村真佐男氏を中心に結成されたCTGは、自らを「電子計算機およびその発達した形態の装置を中核とする多様な機械を駆使し、それらを支配して、人間の復権をはかる頭脳行動集団」として定義し、「芸術家、科学者、その他の多くのジャンルの創造的な人々との共同作戦によって、人間と機械との関係を冷静に見つめ、人間の生き方を考えてゆく」と宣言するマニフェストを発表した。

翌年の1968年、銀座の東京画廊で開かれた「コンピュータアート」展をきっかけにCTGと出会ったライハート氏は、「Cybernetic Serendipity」展にCTGの24点のCG作品、コンピュータ音楽作品、コンピュータ詩作品を展示することだけではなく、冒頭でふれた書籍『The Computer in Art』(Studio Vista / Van Nostrand Reinhold, 1971)においても、CTGの章を用意し、「アートとはシステムの発見である」という幸村氏の言葉を引用しながら、彼らの活動の特徴と代表的グラフィック作品と自動描画をめぐる実験的作品「APM (Automatic Painting Machine) No.1」などを紹介した。

カタログ『Cybernetic Serendipity』(Studio International, 1968)が、展示企画者の編集による1冊の共同研究書に近い側面がある反面、展示準備調査の成果でもある『The Computer in Art』は個人研究者としての著作であるため、ライハート氏の観点がより明確に現れているように思われる。後者において氏は、主に芸術の外部や周辺に属する人々の実践によって展開されてきたコンピュータをめぐる芸術的実験は、1970年前後の当時にはまだ十分探求されていない、未来に向けた可能性の領域であるといい、芸術におけるコンピュータの存在は、その複製性、抽象性、非人格性などを通して、美術館と作品の社会的・美学的意味に徐々に影響を及ぼしていくだろうと展望している。

このようなライハート氏の観点は、ある意味で「意外」なほど、現実的だったとも言えよう。なぜなら、『White Heat Cold Logic: the British Computer Art 1960-1980』(Paul Brown, Charlie Gere, Nicholas Lambert, Catherine Mason編, The MIT Press, 2008)
 などの書籍が示唆しているように、「Cybernetic Serendipity」展は、1970年大阪万国博覧会を目前とした同時代の日本の状況とも類似した、当時のイギリスの、技術に対する楽観的な雰囲気、一種のユートピア主義の文脈で語られる傾向があるからである。この紙面を借りて、2008年の近刊の代わりに、あえてほぼ半世紀前の書籍を取り上げる理由も、過去になった「時代」の方ではなく、その時代と向き合っていた「個人」の方に照明を当てるためである。

大阪万博の1年前、CTGは「解体」する。その最後のイベントにおいて槌屋氏は、「いまや、コンピュータアートは、エンジニアとアーティストの新しい関係を欲しているのであり、私にとって過去のものとなった」という文書を発表した。その新しい関係とはいかなるものであっただろうか。ライハート氏は、「コンピュータアートはアーティストによって切り開かれていくべきである」と、そして結局「コンピュータは、プログラムも、作品も、芸術も、我らの人生の意味も理解できない」と書いた槌屋氏の手紙を、芸術におけるコンピュータに対する最も痛烈なコメントとして引用した後、コンピュータがあろうがなかろうが、我らの人生は続いていくという究極の肯定も、結婚のニュースを告げる槌屋氏のクリスマスカードから見つけることができるという言葉で、『The Computer in Art』を結んでいる。

CTGに関する幸村真佐男氏のウェブページ

http://www.st.chukyo-u.ac.jp/z177113/CTG/ctg.html

「20世紀コンピュータアートの軌跡と展望:現代アルゴリズムアートの先駆者・現代作家の作品・思想」展(多摩美術大学美術館、2006)

http://www.tamabi.ac.jp/museum/exhibition/061103.htm