The French Comics Theory Reader(『フレンチ・マンガ論アンソロジー』)は、これまでフランス語で書かれたマンガに関する文章のうちからテーマごとに最も重要なものを選びとり、英語に翻訳して1冊の本として編んだ書物である。いわゆる「リーダー」と呼ばれる、初学者向けに基本文献を集めた論文アンソロジーだ。編者はアン・ミラー(Ann Miller)氏とバート・ビーティー(Bart Beaty)氏の二人。
ミラー氏には、Reading Bande Dessinée: Critical Approaches to French-language Comic Strip(『バンド・デシネを読む:フランス語圏コミック・ストリップの研究』)という、フランス語で書かれたマンガおよびマンガ批評・研究を概説した著作があり、またビーティー氏は、以前メディア芸術カレントコンテンツでも紹介したように、フランス語圏のマンガ理論書を積極的に翻訳・紹介してきた人物である。
本書の構成は、大きく以下の四つのセクションに分けられている。▽起源と定義▽マンガ研究への形式的アプローチ▽マンガ批評▽マンガ産業、という四つだ。もちろんアンソロジーという性格上、ページ数の制約のため選ぶことのできる本数が限られているうえ、重要な論文でも長いものはそのままでは載せられない。それでも二人によって選ばれた著作は、フランスのマンガ研究が端緒についたといわれる1960年代の重要な著者によるものから、現代最も注目されているマンガ研究者によるものまで、比較的バランスよく、しかも現在の「フランスにおける」マンガ研究のメイン・トピックスが垣間見える興味深いものとなっている。
詳しい目次についてはリンク先のTable of contentを参照してほしいが、いくつかの論文について少しだけ紹介しておこう。
「起源と定義」のセクションでは、まず「バンド・デシネ」という用語がいつ生まれたかについての貴重な証言であるJean-Claude Glasser(ジャン=クロード・グラッセ)氏の、「The Origin of the Term 'Bande Dessinée'」(「"バンド・デシネ"いう用語の起源について」、1988年)が巻頭に置かれており、日本には伝言ゲームのように伝えられてきたこの名称について、ようやく正確な情報が英語で読めるようになった。また「第九芸術」というフランスにおけるマンガの別称を(発明者ではないにせよ)世間に広めたと目されるFrancis Lacassin(フランシス・ラカッサン)氏の著作からは、「Dictionary Definition」(「辞書のための定義」、1971年)が選ばれている。
続く「マンガ研究への形式的アプローチ」では、フランスにおいて記号論と強く結びついた、内容よりも形式に注目するアプローチをアカデミックな世界で樹立したPierre Frenault-Deruelle(ピエルール・フレノー=ドリュエル)氏による「From Linear to Tabular」(「線条性から紙面性へ」、1976年)という記念碑的論文や、日本でも2冊の翻訳があるThierry Groesteen(ティエリ・グルンステン)氏の、まるで佐々木マキのような意味の連関が取りにくいコマ割り作品から、無関係なマンガのコマを寄せ集めた思考実験作までを考察し、物語が生成する臨界点について探った「Narration as Supplement: an Archeology of the Infra-Narrative Foundation of Comics」(「追加される物語:マンガの物語基底部の考古学」、1988年)などが選ばれており、例えば翻訳されたグルンステン氏の著作を理解するためには欠かせないこれらの論文へ、より容易にアクセスできるようになった。
特定の作家や作品を扱った論考については、「マンガ批評」のセクションに集められている。またアメリカ、あるいは日本でも同様ではあったが、フランスのマンガ研究はアカデミック内部だけではなく、商業的な批評の場で鍛えられてきた側面を持つ。そのような著者たち、例えばBruno Lesigne氏やBenoît Peeters氏の書いた文章もここで読むことができる。そして最後の「マンガ産業」にはフランスにおけるマンガ界の成立を社会学の観点から描いたLuc Boltanski氏の「The Constitution of the Comics Field」 (「フランスにおけるマンガ界の成立」、1975年)や、歴史学者のPascal Ory氏による占領下のパリで発行されていた「プチ・ナチ・イリュストレ」に関する研究書からの一章を抜粋した「The New Disorder」(「新たな無秩序」、2002年)などが採録されている。
安い本ではないし、もちろんこれだけが全てではないが、それぞれのセクションの前には編者による解説が加えられており、英語でフランスのマンガ研究を効率よく知ることができる、とてもいい本になっている。
The French Comics Theory Reader
編著:Ann Miller & Bart Beaty
出版社:Leuven University Press
出版社サイト
http://upers.kuleuven.be/en/book/9789058679888