theplay.jpg
プレイ《雷8》記録写真 1985 年6 月9 日〜9 月9 日 京都府相楽郡和束町鷲峰山山頂 撮影者不明 © THE PLAY

国立国際美術館(大阪府)にて、2016年10月22日より「THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ」展が開催されている。本展は1967年から関西を中心に活動している芸術家集団、「プレイ(THE PLAY)」の大規模な個展である。

「芸術家」といっても、プレイのおこなっていることはいわゆる絵画、彫刻でもなければ、オブジェやインスタレーションの制作でもない。そのほとんどは、美術館の外、野外にておこなわれる活動で、1970年頃までは「ハプニング」、それ以後は「パフォーマンス」や「行為」とよばれている。

一例をあげよう。《雷》という作品は、京都・鷲峰山の山頂に丸太で20メートルほどの三角錐を組み、その上に避雷針をたて落雷を待つというものである。彼らは、1977年から1986年までの10年間、毎夏これをおこなった(1981、82年のみ京都・大峰山にて)。その年の計画を練り、告知をして、協力者を募り、終われば収支を計算し、報告書をつくる。ついに雷が落ちることはなかったが、そのタイムスパンと着実に「行為」を遂行していく姿勢には驚かされるばかりである。本展プレスリリースにおいても、その「粘り強い時間感覚」が指摘されている。

このような行為の性格上、本展はプレイの作品そのものではなく、彼らの活動の資料で構成されている。先述した《雷》における丸太の三角錐の縮小復元品(それでも会場内に入りきっていない)に始まり、彼らの実践のひとつひとつが現存する写真資料や当時のチラシとともに丁寧に提示されていく。

筆者にとって印象的だったのは、これらの資料が展示される造作(ぞうさく)である。最初にひときわ大きくスペースをとられた《雷》の展示を抜け奥へと進むと、その後はそれぞれの作品資料が展示室の壁ではなく、壁に斜めに張りだすよう建てられた板壁に展示されている。それぞれの作品の間には数年の間があるが、ちょうど日めくりカレンダーか日記帳を思わせるかたちである。通常の美術展が、壁に作品を展示し、最初から最後までひとつなぎの時間を提示するとすれば、プレイ展は個々の作品ごとに時間の跳躍と連なりを感じさせる別の時間の流れを取り込んでいる。このような展示のつくりによって本展は、プレイ自身の途切れながらも持続する空気感をとらえることに成功していると言える。そして、「行為」や「パフォーマンス」の目的のひとつが美術制度のなかにその外部を持ち込むことだとすれば、そうした時間感覚はとりもなおさず、日常と地続きの時間、生活の時間と関わるものなのである。プレイの活動が興味深く、私たちが心打たれるのは、彼らの作品のクリエイティビティーがなにか啓示のように生まれるのではなく、あたかも日々の生活を営むかのようにこつこつと積み上げられていると思えるからではないだろうか。

本展は、2017年1月15日まで開催されている。

会期: 2016年10月22日〜2017年1月15日
会場: 国立国際美術館
http://www.nmao.go.jp/exhibition/2016/play.html