多くの人々に親しまれているマンガ『ちびまる子ちゃん』の作者、さくらももこ。マンガ家としてだけでなく、エッセイストとしても活躍しており、1991〜1992年にかけて刊行された『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』(いずれも集英社)は、すべてミリオンセラーを記録した。本稿ではさくら氏のエッセイ群のなかから、発表後にマンガ化された作品『漫画版ひとりずもう』(小学館、2007〜2008年)を取り上げ、その中身をひもといていく。

さくらももこ『漫画版ひとりずもう』(上巻、小学館、2007年)表紙

多くの人に愛されるさくらももこ作品

国民的人気マンガ『ちびまる子ちゃん』の作者でマンガ家のさくらももこが2018年8月に53歳で死去したというニュースは、マンガファンだけでなく多くの人々に衝撃をもたらした。
2018年11月16日に東京で開催された「さくらももこさん ありがとうの会」では、アニメ版『ちびまる子ちゃん』で主人公まる子の声を担当した声優のTARAKO氏をはじめビートたけし氏や歌手の桑田佳祐氏、アニメ版の主題歌を担当したB.B.クィーンズなど、親交のあった関係者やファン約1,000人が参加した(註1)。
「りぼん」2018年11月号では追悼特集としてダブル表紙の1枚が『ちびまる子ちゃん』になり、特集「さくらももこ先生とりぼん」で投稿時代を含む軌跡が掲載された。また、永久保存版の小冊子「ありがとう」が別冊付録として付き、『ちびまる子ちゃん』の第1話である「おっちゃんのまほうカードの巻」と、「りぼん」本誌に最後に掲載された未収録の第132話「ぜんぜん知らない親せきの人の巻」が再録されている。さらに12月号からは追悼企画としてさくら氏とゆかりのある著名人が思い入れのある『ちびまる子ちゃん』のエピソードを選び、思い出話とともに再録する企画がスタートした。そしてさくらの自伝的作品である『漫画版ひとりずもう』(初出:「ビッグコミックスピリッツ」小学館、2006年、単行本2007年)も「りぼん」本誌に再録連載される運びとなった。
2018年12月25日には『ちびまる子ちゃん』の最新17巻、セルフパロディ作である『ちびしかくちゃん』の2巻や『COJI-COJI』の新装再編版1巻、東京新聞などで連載された『4コマちびまる子ちゃん』の電子版1巻も同時発売となった。
このような追悼企画や反響は、これまで彼女の作品がいかに多くの人々に愛されていたかを表している。さくら氏のマンガ家に限らない多岐にわたる活動を総括することはスペースの都合上としても筆者の技量としても困難であるが、ここではマンガ論の視点から、特にエッセイマンガ家としてのさくらももこを、『漫画版ひとりずもう』というマンガから振り返ってみたい。生前から「りぼん読者に届けたい」(註2)と話していたという本作品。代表作『ちびまる子ちゃん』と緩やかに連続性を持ちながらも、『ちびまる子ちゃん』とは異なる設定や表現方法を持つ自伝的エッセイマンガである。近年SNSなどの浸透によりオンライン上やマンガ以外の媒体でも目にすることの多いエッセイマンガというジャンルを、1990年代に一般人に定着させたさくら氏の功績を振り返るとともに、今彼女の作品から私たちは何を受け取れるのかを、『漫画版ひとりずもう』と『ちびまる子ちゃん』の比較を通して考えてみたい。

「りぼん」2018年11月号付録「ありがとう」表紙

エッセイマンガとは

そもそも、エッセイマンガとは何か。エッセイマンガとは、マンガのジャンルのひとつで、多くの場合作者自身が主人公となり、その主人公の一人称の視点から描かれるマンガである。日常生活の話題が中心となり個人的な話題や自伝的要素を含むものも多く、一般的な少女マンガや少年マンガのようなストーリーマンガとは異なり、単純な絵柄で1話のページ数が少ないものが多く、普段マンガを読まない人にも浸透しているジャンルである(註3)。
エッセイマンガのジャンルとしての成立は1980年代以降であるとされるが、それ以前でも単行本のあとがきやおまけのページとして作者の近況などが語られることは見受けられた。ジャンルとして定着し始めたのは1990年代だと考えられる。どの作品をエッセイマンガの元祖であるとするかにはより詳細な議論と考察が必要であるが、1990年代に少女マンガという枠のなかでエッセイマンガを試み、少女読者だけでなく幅広い層へ浸透させた作品のひとつが『ちびまる子ちゃん』であったことは間違いない。
『ちびまる子ちゃん』はストーリーの面だけでなく、表現上の特徴としてもエッセイマンガの特徴を備えている。主に少女マンガが表現面で多層的なコマ割りや瞳の大きな顔の造形、花や星などの過剰な装飾を特徴とするのに対し、エッセイマンガは単純なコマ割り、点のような目、シンプルで単純化された描線によるものが多い。少女マンガ誌の「りぼん」に連載されてはいたが、多くの読者は、少女マンガとして『ちびまる子ちゃん』を読んでいたというより、エッセイマンガ、もしくはギャグマンガとして『ちびまる子ちゃん』を読んでいたといえるだろう。
このような表現上の特徴や、過去の小学校生活を描くという普遍性と作者ならではの自虐的で絶妙な笑いによって多くの読者の人気を呼び、エッセイマンガというジャンルを開拓し定着させ、少女マンガの幅を広げたといえる『ちびまる子ちゃん』。それに対して、『漫画版ひとりずもう』は、同じエッセイマンガというジャンルにありながらも『ちびまる子ちゃん』とは一味違うものになっている。

『漫画版ひとりずもう』――『ちびまる子ちゃん』のその後

『ちびまる子ちゃん』は小学3年生の「まる子」が主人公であるが、『漫画版ひとりずもう』は「ももこ」の小学5年生から高校を卒業するまでの話である。マンガ以外のエッセイ作品も多く手掛けるさくら氏だが、本作もエッセイとして初めに出版されたもの(『ひとりずもう』小学館、2005年)をマンガ化したものだ。同じく半自伝的作品でありながらデフォルメやフィクションが多めの『ちびまる子ちゃん』と比較すれば、主人公の呼び名は「まる子」から「ももこ」に変わり、より現実の作者に近い設定になっている。『ちびまる子ちゃん』では代表的なキャラクターとして登場していた祖父「友蔵」(実際の祖父は作中とは異なりあまり優しい人物ではなかったため、マンガ版のキャラクターは理想化されたものであるとさくら本人が語っている)がこのマンガでは不在であることがそれを象徴している。一方で、共通する登場人物も多く、父ヒロシや母、姉、たまちゃん、はまじなどおなじみのキャラクターが登場するため、まるでまる子の将来を見ているような気分にもなる。
『ちびまる子ちゃん』が1話完結型で、まる子やそのほかのキャラクターたちを俯瞰的な視点で見る第3者の視点(ナレーション)によってツッコミが入るのに対し、『漫画版ひとりずもう』では、時系列に沿って続いていくストーリーがあり、ナレーションの代わりにももこの心の声(内語)によって話が進行していく。作中では大事件が起こるわけではなく、道を歩いていて見つけたかわいい美容室に入ってみるとか、夏休み中部活をさぼったあとの気まずい空気をどうするかなど、何気ない日常生活を描くという点では『ちびまる子ちゃん』と共通点がみられる。しかし、年齢が上がっている分、男子への嫌悪感や生理が始まることへの不安、進路の悩みなど、思春期の女子が抱える繊細な心の動きにフォーカスを当てたものとなっている。そのため、基本的にはギャグタッチの『ちびまる子ちゃん』に比べ『漫画版ひとりずもう』の場合は感傷的な印象を与える。例えば、まる子が夏にカブトムシを飼うというエピソードは『ちびまる子ちゃん』にも登場するが、『漫画版ひとりずもう』では出来事自体よりももこの心理に焦点が当てられる。夏休みに入り周りの友達がキャンプや遊びに出掛けるなか、自分は毎日夜更かしをしてらくがきを描いて過ごし、高校1年生にもなって父ヒロシが毎年買ってくるカブトムシに心を躍らせる……。人とは違う自分の嗜好にこのままでいいのかなと不安を感じつつも、自分の「好き」という気持ちに正直でありたいと思うももこの心情がセンチメンタルに描かれる。
表現面も情緒的なストーリーに合わせ、ひとつのコマが大きくなり、ももこを中心とした登場人物の顔が大きく描かれるようになる。『ちびまる子ちゃん』では点のような目が特徴的であるが、『漫画版ひとりずもう』の場合は、よりももこの気持ちに注目させるように瞳の中に光が描かれることも多い。さらに、一部には少女マンガ的な多層的なコマ割りや一ページ一コマに顔のアップを使って、印象的な紙面をつくり出している場面もある。その意味では、内容だけではなく表現もより少女マンガに近づいているといえるだろう。
『漫画版ひとりずもう』を読んでいて、『ちびまる子ちゃん』の読者であれば、どこかで読んだ話だと気づくだろう。それもそのはず『ちびまる子ちゃん』の初期の単行本には、巻末にさくらの短編エッセイ作品が収録されており、『漫画版ひとりずもう』の内容とも重なっているものも多いからである。特に『ちびまる子ちゃん』4巻に収録されているデビュー秘話を語った「夢の音色」や3巻に収録されている高校時代帰り道で見る男の子に恋をする「みつあみのころ」などは、絵のタッチやギャグのトーンは異なるが、『漫画版ひとりずもう』にも同様のエピソードがある。『ちびまる子ちゃん』の読者は、こうした外伝的短編作を通してエッセイマンガの多様性に触れることにもなったのである。

左:「第8回 高一の夏休み」『漫画版ひとりずもう』上巻、p. 86
右:「第38回 卒業」『漫画版ひとりずもう』下巻、p. 176
左:「夏の音色」さくらももこ『ちびまる子ちゃん』4巻、集英社、1989年、p. 145
右:「みつあみのころ」さくらももこ『ちびまる子ちゃん』3巻、集英社、1988年、p. 163

マンガ家マンガとしての『漫画版ひとりずもう』

だが、『漫画版ひとりずもう』は過去の短編作の寄せ集めではなく、ひとつのストーリーがあり、作者の自伝的作品としても、ももこの成長物語としても読むことができる作品であるといえる。そして、この自伝的作品において話の主軸になるのはマンガ家を目指す自分とどう向き合うか、という問題である。下巻の中盤から、ももこが高校3年生になり進路を決めなければならなくなると、話が急速に展開されていく。それは、ももこがマンガ家になりたいという自分の気持ちに向き合い、夢に向かって進み始めるからである。
ももこは幼い頃からマンガ家に憧れていたが、その気持ちを誰にも打ち明けることができなかった。それは偉大なマンガ家「手塚治虫」との比較によって作中で何度も語られる。

「漫画家になりたいなんて
手塚治虫先生と同じ職業になりたいって言ってるわけで。
そんなめっそうもない事を私なんかが考えちゃいけないんだ……
ましてや人になんて絶対言えないよ。」
(「第8回 高1の夏休み」『漫画版ひとりずもう』、p. 84)

マンガ家になりたい自分の気持ちに向き合えず、マンガ家になるための努力を何もしないまま高校卒業が近づき、進路を決めなければならない状況になる。周りの友達はみんな大学進学や就職を選ぶなか、ももこは決めきれずにいた。
さすがにこのままではいけない、と真剣にマンガを描くことにする。しかし、初めて自分でコマを割ってマンガを描くが、もっと簡単に描けると思ったマンガなのに、思ったように絵が描けない、コマが割れない。やっとのことで仕上げたマンガを「りぼん」に投稿するも入選することはできず、この失敗からももこはとても落ち込み、同時期に投稿していた矢沢あいと自分を比較し、少女マンガ家になる夢をあきらめようとする。自分がなりたかったマンガ家になれないのではないか、自分が見ていた夢はあまりにも遠かったのではないかと打ちひしがれマンガ家になれないのなら落語家に弟子入りをしようかとまで思いつめる。

「第29回 遠い夢」『漫画版ひとりずもう』下巻、p. 86

しかしある時、ももこは高校の国語の論述テストで高評価を受ける。それをきっかけに、得意なエッセイをマンガで描いてみるのはどうだろうとひらめくのである。この場面はとても印象的に描かれている。

「それを思いついた時、
こんなにボロくて狭い風呂場に、
夏の光がいっぱいさしこんで、
風呂場全体がキラキラ輝き始めた。
私は…
人生が変わるかもしれないという予感がした。」
(「第33回 予感」『漫画版ひとりずもう』下巻、pp. 126-127)

「第33回 予感」『漫画版ひとりずもう』下巻、pp. 126-127

ほかの職業ではなくマンガ家になりたい、きっとなれる、という思いを確信し、寝る間も惜しんでマンガを描き続け、高校3年の冬、ついにデビューが決まる。
自分の好きなこと、やりたいことと将来の進路や職業とをどうやって折り合いをつけるのかという問題は、思春期に誰もが抱く悩みであるが、適性に気づき自分らしさを失わずに新しい可能性へ挑戦したことによって、少女マンガ家ではなくエッセイマンガ家としての一歩を踏み出すのである。

「少女マンガ」としてのエッセイマンガ

興味深いのは、さくら氏が一度は少女マンガ風の絵柄で「りぼん」に投稿していたという事実である。その作品では入選できなかったため、今度は自分の得意なエッセイを生かすように絵柄を変え投稿したところ、見事入選を果たしたのである。おそらく、当時としては少女マンガ的なスタイルがほとんどを占めていた「りぼん」のなかで、それとは違う作風やエッセイマンガというジャンルを採用する投稿者は多くなかったのではないかと推測される。デビュー作の「教えてやるんだ ありがたく思え!」(初出1984年、『ちびまる子ちゃん』1巻収録)をはじめ、「うちはびんぼう」(初出1985年、『ちびまる子ちゃん』1巻収録)などの「ちびまる子ちゃん」以前の短編作を見れば、これが少女マンガ誌に掲載されていた事実と「りぼん」掲載マンガの幅広さに驚かされる。絵柄に関しても、当時の少女マンガにおいては目が大きく星がちりばめられたキラキラした瞳を持つ「カワイイ」女の子ではない、平凡な女の子を描くということは現在よりも勇気のいることだったのではないだろうか。
周りと同じスタイルに自分を合わせるのではなく、自分に合ったスタイルを模索したことで、マンガ家さくらももこの道は開けていくことになる。現在ではエッセイマンガという形式もマンガの一ジャンルとして定着しているが、少女マンガというフィールドのなかでエッセイマンガというジャンルを定着させたことはさくら氏の功績が大きいのではないか。

左:「教えてやるんだ ありがたく思え!」さくらももこ『ちびまる子ちゃん』1巻、集英社、1987年、p. 109
右:「うちはびんぼう」さくらももこ『ちびまる子ちゃん』1巻、集英社、1987年、p. 119

自分の「好き」を貫く勇気

もちろん、プロのマンガ家として活躍するためには、自分のスタイルを確立するだけではなく技術力や構成力、時代や読者のニーズを察知する能力など様々なものが必要だろう。さくら氏のマンガに共通するのは、一見ほのぼのとした優しい世界を描いているように見せながら、そこに唯一無二で独特な鋭い視点が垣間見えることである。さらに、個人的な体験をとことん具体的に語ることで逆に共感を得るという手法や、自分を突き放して俯瞰的に見る自虐的な笑いによって年齢や男女問わず多くの人々に愛されたのである。しかし、やはり根本にあるのは家族や友人への愛情と、自分の「好き」なものに対する圧倒的な自信と自覚なのではないか。それはまさに『漫画版ひとりずもう』で描かれた、思春期に葛藤を重ねながら一人の少女がさくらももこというマンガ家になる過程で獲得されたものなのである。
彼女の才能はエッセイというジャンルを通して開花したが、エッセイマンガというジャンルも、彼女の才能によってより幅広く展開されていったといえる。もし、デビュー前に少女マンガ風の作品で入選を果たしていたら、『ちびまる子ちゃん』はこの世には誕生していないかもしれない。挫折に思えることでも、後で考えれば自分の可能性を広げるチャンスかもしれないということをさくら氏は体現しているのである。
それが、彼女がこの作品を「『りぼん』の読者に読んでもらいたい」と語った理由なのではないか。マンガ家志望ではなくても、将来に悩み周りの意見に流され自分を見失いそうになったとき、自らの道を切り開いたさくら氏の生き方に勇気づけられるだろう。そうした意味でも、『ちびまる子ちゃん』を知る世代にも、知らない若い世代にも今こそ読み継がれてほしい作品なのである。


(脚注)
*1
「ありがとうの会」は静岡でも「さくらももこ ありがとうの会 〜さくらももこから みんなへありがとう〜」と題して2019年1月11日(金)〜2月11日(月・祝)に開催された。原画やさくら氏が実際に使用していた道具などを展示
http://www.chibimarukochan-land.com/?p=8234

*2
「さくらももこ先生とりぼん」「りぼん」2018年11月号、p. 493より

*3
須川亜紀子「笑い、デイタッチメント、そして快楽――女性エッセイマンガのジャーナリズム的機能と可能性」大城房美編『女性マンガ研究 欧米・日本・アジアをつなぐMANGA』青弓社、2015年、pp. 225-226

※註のURLは2019年2月12日にリンクを確認済み


(作品情報)
『漫画版ひとりずもうずもう上』
作者:さくらももこ
出版社:小学館
出版年:2007年

『漫画版ひとりずもう下』
作者:さくらももこ
出版社:小学館
出版年:2008年

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