医療分野にマンガの手法を導入する研究領域「グラフィック・メディスン」が、フィクション・ノンフィクションの境界や言語文化圏の枠組みを超え、拡張しながら推進されているなかで、日本からの発信もますます注目されていくと予想される。第3回では日本で活況を呈している闘病エッセイマンガに着目し、病気の捉え方や表現方法についての可能性を探る。

水谷緑『こころのナース夜野さん』表紙

領域を拡張して進められる「グラフィック・メディスン」の研究

「グラフィック・メディスン」叢書として、2015年以降『グラフィック・メディスン・マニフェスト(Graphic Medicine Manifesto)』などの研究書や作品の刊行を牽引しているアメリカのペンシルヴァニア大学出版局は、2020年9月18日付で2021年春から新しい叢書「グラフィック・ムンディ(Graphic Mundi)」をスタートさせることを発表した(註1)。「ムンディ」はラテン語で「世界の」を意味する言葉であり、「世界をともに描こう」というキャッチフレーズのもと、「健康・人権・政治・環境・科学とテクノロジー」を主題とし、フィクションとノンフィクションの境界性を越え、言語文化圏の枠組みも越えたグラフィック・ノベルの紹介を推進する方針が打ち出されている。新型コロナウイルス(COVID-19)をめぐるパンデミック状況を描いた短編アンソロジー集や、南米エクアドルにおける石油開発と環境破壊をめぐる回想録、摂食障がいをめぐる物語、あるいは、事故による四肢切断に対する義肢装具(義足など)の歴史など、これまで以上に多彩なラインナップとなるようだ。対象となる領域を拡張し、英語圏にとどまらず目配りしていこうとする姿勢がさらに明瞭に示された動向である。日本からの発信もますます期待されるであろう。

そして日本でも、ヴィジュアル・ナラティヴとして視覚表現を用いた物語である「医療マンガ」をめぐる社会実践の取り組みとして、「医療マンガ大賞」が創設されている(註2)。患者とその家族、医療従事者など立場が異なることで、同じ医療にまつわる出来事であっても受け取り方や感じ方が異なることをマンガ表現によって体験する試みであり、マンガを通して医療を取り巻く状況を展望するグラフィック・メディスンの実践になっている。

医療をめぐるエッセイマンガの多様性

このように医療マンガは現在進行形で活発な進展を示しているが、「医療マンガ」と一口に言っても、「ストーリーマンガ」もあれば、ギャグに力点を置いた「4コママンガ」、行政パンフレットなどに起用される「解説マンガ」などさまざまにあるなかで、とりわけ近年活況を呈しているのが「エッセイマンガ」の領域であり、主として闘病体験に基づく作品が多く発表されている。マンガという視覚文化を通して「病」をどのように表現することができるか。また、「病」とともに生きることによって日常の生活や世界の見え方がどのように変容していくものであるのか。マンガ家ならではの視点による「病」の捉え方、気づき、気持ちの伝え方に特色がある闘病エッセイマンガは、同じ病や症状を抱える読者に共感をもたらすだけでなく、あらゆる読者に健康や人生について多くのことを考えさせてくれる。

グラフィック・メディスンの観点から読む内田春菊

内田春菊『がんまんが〜私たちは大病している〜』(ぶんか社、2018年)は、直腸がんが発覚してから人工肛門(ストーマ)を造設するに至るまでをめぐるエッセイマンガである。サブタイトルに込められているように、作者は『南くんの恋人』(1986〜1987年、「月刊漫画ガロ」連載)をはじめとするストーリーマンガ作品に加え、1993年に開始されて以後、現在なおも継続されている『私たちは繁殖している』(1993年〜、「みこすり半劇場」「本当にあった笑える話」連載 )の自伝的エッセイマンガを代表作に持つ。『私たちは繁殖している』はシングルマザーとしての第一子の妊娠、出産、育児からはじまり、その後も計4人の子どもたちとの日常をめぐる一代記となっており2020年までに累計19冊の単行本にまとめられている。妊婦および新米の母親が直面する当時の因習的な価値観が、時にコミカルに、時にラディカルに乗り越えられていく。

『がんまんが〜私たちは大病している〜』はこの『私たちは繁殖している』の番外編として位置付けられる作品であり、直腸がんの発覚以後の家族生活の様子がつづられている。がんと向き合うことになってから、たとえそれまでの日常とは異なるかたちとなるにしても日常の生活は続く。思春期を迎えた子どもたちとの生活、年下の恋人と別れたばかりであった私生活、マンガ家として、そして役者や講師なども務める仕事をめぐる状況など、闘病エッセイマンガの枠組みからは闘病生活以外の要素が多く見受けられるものであるかもしれない。親しい医師に相談をしている場面が繰り返し描かれていることからも、作者は医療にまつわる助言を常に得られる状況にあるが、作品における描写が医療の観点から「正しい」ことに力点が置かれているわけではなく、患者としての「気持ち」がどのようなものであるかを率直に示すことが本作の特色である。医療現場において患者は概して自分の視野でしか状況が見えないものであり、自身の身体をめぐる目に見えない異変に対する不安やいら立ちを抱えることも当然のことであろう。その時々の「気持ち」や、手術や治療をめぐって多大な困難に直面していても家族や社会と切り離せない「生活」が克明に描かれている。

内田春菊『がんまんが〜私たちは大病している〜』198ページ

続編となる『すとまんが~がんまんが人工肛門編〜』(ぶんか社、2018年)では、抗がん剤による化学療法を経て、ストーマの造設以後、器具の取り付け方などをめぐる具体的な描写を交えて病とともに生きる新しい生活の様子に焦点が当てられている。ストーマを造設した状態での生活がどのようなものであるのかを知ることができると同時に、病を隠さず、また、美化された物語として感動的な演出を凝らすわけでもなく、あるがままに「生」を肯定するその姿勢から勇気付けられる読者もいることだろう。マンガによる物語の力を示すものである。

人間と「病」を描く闘病エッセイマンガ

作家性を強く感じさせる作品のなかでも、卯月妙子『人間仮免中』(イースト・プレス、2012年)、およびその続編『人間仮免中つづき』(小学館、2016年)はその極北といえる。ストリップ劇場やAV女優としての体験に基づくマンガやパフォーマンスにより、サブカルチャーの分野で注目される存在であったが、統合失調症の悪化に伴いオーバードーズや自殺未遂、閉鎖病棟への入退院などを経て、描き下ろし単行本として自伝的エッセイマンガ『人間仮免中』が発表される。顔面を骨折し片目を失明するに至った歩道橋飛び降りによる実際の自殺未遂の場面から語り起こされる。アルコール依存症を患う25歳年上の恋人との壮絶だが愛情にあふれた暮らし、幻覚や幻聴に悩まされる様子や、事故の後遺症、不安定な精神状態をそのまま反映するかのようなラフな筆致がすごみをもたらしている。描くことがすなわち生きることに繋がる人生そのものをめぐる作品として刊行当時も大きな話題となった。グラフィック・メディスンの枠組みにこの作品を位置付けることにより、表現を通して精神的な病に向き合うことの可能性を探ることもできるだろう。

卯月妙子『人間仮免中』4ページ

さらにアルコール依存症とうつ病をめぐる観点からは、吾妻ひでお『失踪日記2 アル中病棟』(イースト・プレス、2013年)をその代表作として挙げることができる。不条理ギャグマンガの分野で活躍していた作者であったが、突如失踪しホームレス生活を送っていた時代の回想録『失踪日記』(イースト・プレス、2005年)がベストセラーとなり、第9回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞するなど高い評価を得た。『失踪日記2 アル中病棟』はその続編として、精神科の特別病棟に入院していた際の回想録であり、アルコール依存症患者の視点から幻覚がどのように映るかを含め、アルコール依存症に対する治療の過程や同じ問題を抱えた自助グループとしての断酒会コミュニティのあり方などについて当事者の視点からルポルタージュとしてまとめられている。依存症は当事者(およびその家族)以外からはその困難さが見えにくいものであり、意志が弱いために依存症から脱却できないなどの誤解が多くつきまとうものでもある。実態は壮絶な状況であるに違いないが、作者ならではの親しみやすい絵柄とユーモアによって幅広い読者に開かれた作品になっている。作者自身も「当事者」であるのだが、「観察者」の視点からさまざまに問題を抱えた個性的な人々があるがままのあり方で受けとめられている。

吾妻ひでお『失踪日記2 アル中病棟』6ページ

統合失調症をめぐる『人間仮免中』や、アルコール依存症とうつ病にまつわる『失踪日記2 アル中病棟』からは、幻覚がどのように見えるのかをマンガという視覚文化を通して表現されている点も見どころになっている。あるいは、くも膜下出血により倒れた体験とそこからの闘病生活を軸にしたエッセイマンガとして、中川学『くも漫。』(リイド社、2014〜2015年、ウェブコミック「トーチweb」連載)がある。くも膜下出血に関しては「頭をバッドで殴られたような激痛」という比喩でよく語られるが、この作品においても、頭をバッドで殴られる描写で示されている。『くも漫。』は自虐的な自伝エッセイマンガの色彩が強いため医療マンガだと連想することはあまりないかもしれないが、くも膜下出血は生還が難しい病であり、大変な後遺症を伴うことが多いことからも貴重な証言の記録になっている。

ほかにも、たむらあやこ『ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!』(講談社、2016年)など珍しい難病を扱った闘病エッセイマンガを通して、さまざまな病をめぐる症例について知ることができるのも医療マンガの大きな社会的役割といえる。

エッセイマンガとストーリーマンガの境界線を越えて

現在もっとも精力的に医療にまつわるエッセイマンガを執筆している作家として水谷緑を挙げることができる。最初の単行本となる『あたふた研修医やってます。 24時間お医者さん修行中コミックエッセイ』(KADOKAWA、2014年)は「水谷緑&POCHI」の名義で刊行したものであり、研修医を経て離島の地域医療に携わった若手医師(POCHI)への取材によってもたらされた作品である。その経験を通して、作者と同世代となる女性医療従事者を紹介されたことから、『まどか26歳、研修医やってます! 女の子のお仕事応援コミックエッセイ』(KADOKAWA、2015年)、『じたばたナース 4年目看護師の奮闘日記』(KADOKAWA、2016年)へと繋がっていく。いわゆる「お仕事系マンガ」として研修医など若手医療従事者の奮闘をユーモア交じりに描いたエッセイマンガとして話題を集めた。医療従事者の視点によるエッセイマンガがその後多く現れることになるが、その潮流の先駆に位置付けられる。

代表作『精神科ナースになったわけ』(イースト・プレス、2017年)および『こころのナース夜野さん』(2019年〜、「月刊!スピリッツ」連載 )は看護師の視点による精神科を舞台にした作品である。『精神科ナースになったわけ』は、OLをしていた主人公が母親の病死を経て自身も心のバランスを崩してしまったことから心のあり方とそのケアに関心を抱くようになり、一念発起して看護師資格を取得し、精神科看護師として勤務するに至った背景から語り起こされる。新人看護師として、そして自分自身も精神的な問題を抱えたことがある立場から、精神科に集うさまざまな人たちに寄り添う姿が描かれている。『こころのナース夜野さん』もその延長線上に位置付けられる作品であり精神科看護師をめぐる物語であるが、『精神科ナースになったわけ』が「コミックエッセイの森」というレーベルから刊行されているのに対して、『こころのナース夜野さん』は医療監修を明示した「取材に基づくフィクション」であることが強調されている。綿密な取材に根差した作風で定評ある作者であるが、エッセイマンガ(コミックエッセイ)からストーリーマンガへと領域を横断していく活動のあり方も興味深いものである。

さらにほかにも自身の体験を踏まえたエッセイマンガ『32歳で初期乳がん 全然受け入れてません』(竹書房、2018年)もある。がん検診により初期(ステージ0)の乳がんであることが発覚したことを契機に、自身の体にまつわる見えない異変に対する不安や、担当医に「気持ち」が通じないいら立ちなどがつづられている。がんで亡くなった父をめぐる回想なども挟み込まれており、取材を通した物語を得意とするこの作者においては異色の自伝的作品になっている。

「病」とともに生きる~作品の中で生き続ける

場合によっては残念ながら絶筆となってしまう作品もある。くりた陸『乳がんに襲われ余命宣告を受けた少女漫画家の家族への手記 陽だまりの家』(秋田書店、2017年)は、少女マンガを中心に長年にわたって活躍してきた著者の遺作となる単行本であり、『陽だまりの家』(2011年、「月刊フォアミセス」連載)、『娘とともに…』(2017年、「月刊フォアミセス」連載)の中編2作品が収録されている。がんの再発転移が発覚して以降も最期まで執筆を続けながら、病状を公表し生原稿などの資料を読者にオークションを通して販売する身辺整理にも着手していた。『陽だまりの家』、『娘とともに…』は2002年に病気が発覚してから15年におよぶ闘病、その後の再発に至る「病とともに生きた」記録と、娘の誕生から大学卒業までの成長をめぐる家族の足跡とが重ね合わされている。死を意識しながら制作されたであろう作品であり、病に対する不安や恐怖が色濃い影を投げ掛けながらも、家族に対する愛情、日常の生活に対する愛おしさが力強く描かれている。ファンの読者層以外にも届いてほしい、長く読み継がれてほしい作品である。

医療をめぐるエッセイマンガは、作家性が強いそれぞれに個性的な闘病体験記から、闘病の過程における「気持ち」の揺れ動きを丹念に記録したもの、取材に基づいたいわば疑似エッセイマンガ的趣向によるもの、あるいはドキュメンタリーやルポルタージュであることを前面に押し出したものに至るまで、そのスタイルや方法論も多岐にわたっている。同じ症例の診断がなされても個々人の身体や精神の状況によって病状や快復のあり方が異なるように、書き手の数だけ医療をめぐるエッセイマンガの可能性も開かれており、ますます注目が高まる領域であろう。


(脚注)
*1
ペンシルヴァニア出版局による「グラフィック・ムンディ」叢書創設の告知。
https://news.psu.edu/story/632255/2020/09/18/arts-and-entertainment/penn-state-university-press-announces-graphic-mundi
「グラフィック・ムンディ」特設サイト
https://graphicmundi.org/

*2
医療マンガ大賞の第1回となる2019年度は総数55作品の応募の中から大賞1作品、入賞7作品、特別賞3作品が選出された。第2回は2020年9月から10月にかけて募集された。「コミュニケーションの難しさ」「2020年の医療現場」といったテーマに対して、「患者視点エピソード」「従事者視点エピソード」「医師視点エピソード」「看護師視点エピソード」といった細目が設けられ、全9項目が募集されており、マンガ投稿サイトだけでなくTwitterでの応募もできるなどユニークなマンガ賞となっている。主催:横浜市・横浜市医療局。
「医療マンガ大賞」ホームページ
https://iryo-manga.city.yokohama.lg.jp/

※註のURLは2020年10月9日にリンクを確認済み