東京・曙橋の公益社団法人日本漫画家協会のギャラリーにて、2019年2月25日(月)から5月31日(金)にかけて「日本漫画家協会賞の歴史」展が開催されている。同展示は、文化庁が実施する「メディア芸術アーカイブ推進支援事業」に採択された「日本漫画家協会所蔵本・および資料の調査整理・データベース化事業」の一環として行われた。この展示をきっかけとして、日本漫画家協会と日本漫画家協会賞について辿っていき、日本における「マンガ」のあり方の変遷を論じてみたい。また、展示の概要も紹介する。

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© Japan Cartoonists Association

日本漫画協会賞の移り変わりからみる「マンガ」観

2000年代以降のマンガ研究の特徴のひとつとして、「マンガ」は本質主義的なある実体を持ったジャンル、メディアではなく、地理的、歴史的に規定されたコンテクストによって見出される可変的な概念なのではないか、という観点の導入があげられる。

例えば現在の日本社会においては一般的に「マンガ」とはいわゆる「ストーリーマンガ」を指し、それが物語メディアであることがほぼ自明視されているが、70年代までの日本社会においてはこうした考え方が必ずしも主流ではなかった。むしろ美術的に「マンガ」の本質を一コマのイラストレーション的なスタイルの作品に求めたり、文学的な諷刺、報道的な時事性に求めたりする考えが当時は根強くあり(註1)、こうした観点からマンガが論じられ評価されていた。1955年に設立、発表された「文藝春秋漫画賞」(2001年廃止)の第1回受賞作が谷内六郎『行ってしまった子』という抒情的なイラストレーション作品だったことからもこうした「かつてのマンガ観」の存在は看取することができる(註2)。

1964年、戦前から新聞、雑誌で活動していたマンガ家たちを中心に設立された日本漫画家協会註3)は、今日まで継続してマンガの創作支援と普及活動、マンガを通じた文化交流を行ってきたマンガ家の職業団体である。2018年、初の女性理事長である里中満智子理事長の下での新体制となった同協会は、その主要事業のひとつである「日本漫画家協会賞」(1972年設立)の選定と贈賞を通してこのような戦後の「マンガ」観の変遷と直接向き合ってきた。

「日本漫画家協会賞の歴史」展展示パネル。さまざまなマンガ賞を比較した年表。日本漫画家協会賞は1972年に設立され現在も続いている(図版作成:池川佳宏)

日本漫画家協会賞は「マンガ家自身が主催し、受賞作を選定する賞」として同協会が立ち上げ当初から企画していたものだが、その「大賞」受賞作は大賞そのものが2001年に「コミック部門/カーツーン部門」の2部門に分けられるまでは、3分の2以上が一枚もの(「カーツーン」と呼ばれるイラストレーション、カット的な一コマ作品)であり、じつはストーリーマンガ(コミック)はあまり多くない(註4)。そこには「近藤日出造、杉浦幸雄、横山隆一といった『漫画集団』(註5)をはじめとする戦前、戦中から活動していたマンガ家を主体に設立されたマンガ家の職業団体」(註6)という日本漫画家協会の団体としての性格、戦前から引き継がれた「マンガ家」のあり方(註7)やその「マンガ」観が反映している。

逆にいえば2001年以降「大賞」に「コミック部門」が設けられたこと自体、こうした日本漫画家協会が保持してきた戦前からの「カーツーン」中心の美術的な「マンガ」観、「マンガ家」観が所属作家の世代交代や社会通念の変化によって変更を迫られた結果であると捉えることもできるだろう。

現在も多くのカーツーン系のマンガ家が会員として参加し、またコミックマーケットなどでの同人活動を積極的に行っているような若いマンガ家も入会するようになった(註6参照)日本漫画家協会という団体は、このような戦後の日本社会のなかで時に対立し、変容を繰り返してきたいくつもの「マンガ」のあり方が混在し、並列に存在する場になっている。

『鳥獣人物戯画』をモチーフにした日本漫画家協会賞の記念の盾。第3期加藤芳郎理事長の名前が入ったサンプル

日本漫画家協会の所蔵品を展示

文化庁が実施する「メディア芸術アーカイブ推進支援事業」の支援により、筆者を含む調査グループ(幸森軍也、原正人、椎名ゆかり、池川佳宏)は、2015年(平成27年度)より「日本漫画家協会所蔵本・および資料の調査整理・データベース化事業」として、継続的に同協会の所蔵資料、活動についての調査、電子化を含む整理、整備事業を行ってきた。平成27年度28年度の同事業の報告書が日本漫画家協会のホームページ上で公開されている。

その活動のなかで私たちがある意味で「発見」せざるを得なかったのも、これまで述べてきたような戦後の日本における「マンガ」の多層的なあり方、ある意味で混沌とした日本漫画家協会という場における「マンガ」の実態である――ギャラリーを借りての展示(註8)やデパート等での催事、イベント、美術館等の施設での原画展、文化人としてのマンガ家の講演や社会貢献活動、海外のマンガ家との国際交流など、そこにはコンテンツを見ているだけではわからない、さまざまなマンガ家の活動があった。

この事業の調査報告を兼ねた成果発表として、私たちは昨年2018年2月から3月に日本漫画家協会1Fに設けられたギャラリースペースにおいて「ポスターに見る漫画展黎明期」と題する展示を行っている。この展示は1968年に日本漫画家協会の主催で当時の「明治100周年記念事業」の一環として行われた(奇しくもこの年は明治150周年である)「漫画100年」展のポスターや80年代、90年代に商業施設で行われた「マンガ博覧会」、「まんが大博覧会」といった協会の関与が深いイベントのポスターを展示したもので、あまり顧みられることのないマンガ関係イベントを振り返る興味深い契機となったと考えている。

「ポスターに見る漫画展黎明期」展(2018年2月~3月)会場

なお、これは余談になるが、同展示の準備作業において、「漫画100年」展ポスター(シルクスクリーンで刷られたたいへん美しいものだ)の展示許諾を得るために作者である水野良太郎(註9)氏に連絡を取らせていただいたところ、協会と疎遠になられていた水野氏がこれを契機として名誉会員として復帰され、展示に合わせて画稿を描きおろしていただいたという感慨深い小事件があった。水野氏は2018年10月、残念なことにこの展示からほどなくして病没されたが、そのご冥福を深くお祈りしたい。

同展で展示した水野良太郎氏による「漫画100年」展ポスターのバリエーション

この「ポスターに見る漫画展黎明期」展に続き、2018年(平成30年度)の同事業の成果発表として2019年2月25日(月)から5月31日(金)までのあいだ同じく日本漫画家協会1Fギャラリースペースにて前述した「日本漫画家協会賞」について歴史的に振り返る「日本漫画家協会賞の歴史」展を開催している。

「日本漫画家協会賞の歴史」展会場

今回の展示は先に述べたような日本の戦後「マンガ」観の変遷を反映した日本漫画家協会賞をその選考委員長でもあった6人の日本漫画家協会理事長(近藤日出造、杉浦幸雄、加藤芳郎、小島功、やなせたかし、ちばてつや)ごとに受賞作を振り返り、当時の協会会報とともにその受賞傾向や時代ごとの特徴を考察したものだ。

ギャラリースペースでの展示という環境の問題から各期の受賞作は写真パネルによるものだが、明治大学米沢嘉博記念図書館のご厚意により、収蔵されている受賞作と関連資料書籍を集めた棚展示を同館2F閲覧室にて連携展示として開催し、こちらでは作品を手に取って読めるようになっている。

「日本漫画家協会賞の歴史」展展示パネル。第1回協会賞の結果を伝える当時の会報(1972年6月1日発行の35号)。写真は左から大賞のヨシトミヤスオ氏(『動物漫画百科』)、奨励賞の佐川美代太郎氏(『ぐろう』)、努力賞の木曽秀夫氏(『日本現人ドナイショーントロプス』)と辰巳ヨシヒロ氏(『人喰魚』)

手前味噌ではあるが、戦後の日本における「マンガ」の歴史を知る観点のひとつとして興味がおありの方は是非ご覧になっていただきたいと思う。


(脚注)
*1
例えば劇作家の飯沢匡は「マンガ」を「漫分(ユーモア、ギャグなどアイディア的側面)」と「画分(絵画的な側面)」からなる表現だと主張しており、この「漫分/画分」という考え方はほかの選考委員も含めて「文藝春秋漫画賞」の選評に頻出する(文藝春秋編『文藝春秋漫画賞の47年』、文藝春秋、2002年)。

*2
同時期(1955年)に現在でいう「ストーリーマンガ」を主な対象として現在まで続く「小学館漫画賞」も設立されているが、こちらは小学館(1967年以降、小学館設立の「日本児童教育振興財団」との共催)という児童向け学年誌の出版社の主催であり、設立当初の目的が「健全明瞭な少年少女向け漫画の振興」に置かれていた点から、じつは(少なくとも設立当初の)賞としての主旨は「マンガ」そのものの顕彰、振興ではなく、「児童の健全育成」という教育的配慮にあることがわかる。

*3
2014年より公益社団法人化。

*4
第1回から辰巳ヨシヒロ『人喰魚』が「努力賞」を受賞し、以降も「優秀賞」などの名目で受賞する作品は年を追うごとにストーリーマンガが増えていっており、ストーリーマンガを無視しているとはいえない。ただ、「大賞」の受賞作品を見るとその評価基準が、近年の『このマンガがすごい!』(宝島社)のようなマンガの年次人気投票企画に見られる「ストーリーマンガ/物語としてのおもしろさ」にあるわけではないことははっきりわかる。

*5
戦前から戦後にかけて新聞、雑誌といったマスメディアで風刺マンガ、イラストレーション、エッセイなど広範な活動をしていた有力なマンガ家のグループ。

*6
じつは日本漫画家協会は「マンガ家の団体」ではあるが、鳥山明や尾田栄一郎のような現在のストーリーマンガにおけるベストセラー作家、人気マンガ家はあまり会員として所属していない。これは「職業団体」としての協会の大きな機能のひとつが社会保障、税務相談など会社組織などに所属していないフリーランス(自由業)としてのマンガ家の社会生活上のサポート業務であり、キャリアの初期にヒット作を出し、成功したマンガ家は所属する理由が希薄だということがその一因と考えられる。ただ、ストーリーマンガの場合はマンガ雑誌の新人賞を経て雑誌の専属のようなかたちで若年でデビューするケースも多く、そのような場合、マンガ家自身が協会の存在自体を知らないケースも多い。2015年に理事に就任した赤松健氏はこうした若いマンガ家、協会相互の利益のためにSNS等で若手作家に協会への参加を呼び掛けており、この活動が功を奏するかたちでここ数年日本漫画家協会は飛躍的に会員数を伸ばしている(2019年現在所属会員数は約1,700名)。

*7
当時の「マンガ家」はその多くがイラスト、マンガを描くだけではなく、エッセイや座談会企画などで積極的に発言する「タレント」的な側面を持っていた。

*8
一回性が高く記録も残りにくいギャラリー展示は話題になること自体が少ないが、カーツーン系のマンガ家グループによるグループ展やストーリーマンガ家の原画展、特定のテーマを定めたグループ展など、ベテランマンガ家からネットで活動する若いマンガ家(イラストレーター)まで幅広い層が活用しており、「マンガ」においても無視できない役割を果たすようになっている。

*9
マンガ家、イラストレーターとして60年代から80年代にかけて幅広い雑誌、出版メディアで活躍。しとうきねお、伊藤典夫、豊田有恒、広瀬正、小鷹信光、片岡義男とのユニット「パロディギャング」での活動や小説の挿絵、グラビア企画、鉄道模型制作などマンガ以外にも多面的な活動をしている。協会では設立初期から「海外部」(現国際部)の中心メンバーだった。


(information)
「日本漫画家協会賞の歴史」展
会期:2019年2月25日(月)~5月31日(金)(土・日・祝祭日休館)
会場:日本漫画家協会1Fギャラリー(都営地下鉄新宿線曙橋駅 徒歩2分)
〒160-0001 東京都新宿区片町3-1 YANASE兎ビル TEL:03-5368-3783
開場時間:10:00〜18:00 入場無料
http://www.nihonmangakakyokai.or.jp/?tbl=exhibition&id=7712

明治大学 米沢嘉博記念図書館関連展示
会場:明治大学 米沢嘉博記念図書館2F閲覧室
〒101-8301 東京都千代田区神田猿楽町1-7-1 TEL:03-3296-4554
開館日時:土日祝 12:00~18:00
     月金  14:00~20:00(火水木休館)
*2F閲覧室のご利用には当日会員登録の手続きと会員登録料金300円が必要になります。