寺田倉庫が運営する画材ラボ「PIGMENT TOKYO」(東京都品川区)にて2019年8月10日(土)、色を扱うプロフェッショナルを招いたトークセッション「PIGMENT COLOR PHILOSOPHY」が開催された。シリーズ5回目のゲストは、数々の名作アニメーションにおいて美術監督として背景画を手掛けてきた山本二三(やまもと・にぞう)氏。「くものいろ、そらのいろ ~アナログが生み出す色彩の情景~」と題された本イベントでは、PIGMENT TOKYO館長の岩泉慧氏とともに、アニメーションの背景における重要なモチーフである雲と空について語られた。また、山本氏が実際に雲と空を描くというデモンストレーションも行われ、山本氏の制作過程を間近に見ることができる貴重な機会となった。
会場で行われたデモンストレーションの様子。薄い青色の絵具で雲の影を表現する
数々の名作アニメーションの背景を手掛ける
最初の話題は、2019年7月19日に公開された新海誠監督作品『天気の子』。同作の重要な場面で登場する、気象神社にある大きな龍の天井画は、山本氏によるものだ。同氏によると、『天気の子』の天井画を依頼されていた折、別件でたまたま岡山県総社市の宝福寺のお堂に入ったところ、龍の天井画を見つけ、新海氏に「こんな龍の絵があった」と連絡したという。その龍の天井画を導きとして、制作にとりかかった。
そんな経緯で生まれた天井画について、山本氏は「難しかった」と一言。通常、監督や作画監督、原画担当が描くレイアウトも山本氏が担当したが、新海氏からは幾度かリテイクがあったことを明かした。
また、新海氏からは「龍の目をあまり強く描かないでほしい」という要望があった。これを実現するため山本氏は、狩野派の描く龍のようにギラっとさせず、それと同時に長谷川等伯の描く龍のように優しくしなければ、と悩んだという。最終的にうっすらと黒い色を入れることで新海氏の要望に応えた。
雲に関しても、山本氏は大いに頭を悩ませたが、中国の絵画の雲や三十三間堂の風神・雷神像の足元の雲のかたちをとりいれ、天井画の完成に至ったそうだ。
実際の制作では、ポスターカラーで下地を描き、その上にアクリルホワイトを乗せ、絵具を使い分けたという。「絵具の質感が、カメラワークによって動くことにより、逆にデジタル画のようにも見えて違和感がなくなったのではないか」と話した。
夜に水を呑みに出てくると言われる「水呑みの龍」。宝福寺ホームページ(http://iyama-hofukuji.jp/photoroom02.html)より
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続いて、『時をかける少女』(2006)の象徴的な踏切のポスター。同作の監督を務めた細田守氏は、大学生のときに山本氏が美術監督を務めた『天空の城ラピュタ』(1986)を見て、山本氏に対して「雲」のイメージを持っていたこともあり、積乱雲を描くように頼んだという。山本氏が描くさまざまな雲のなかでも、特にボリューム感があり空に悠々と広がる雲は現在「二三雲」と呼ばれているが、この命名をしたのは細田氏であったことを明かした。それ以前は「ラピュタ雲」と呼ばれていたものが、細田氏の命名を契機として自身の名を冠するようになったことについて、山本氏は「大塚水」や「友永プロペラ」(註)といった名前を挙げながら、こうした個人の名前と特徴的な描写が結びつくことは日本のアニメーションの歴史ではたびたび見受けられることだとも指摘した。
また、『天空の城ラピュタ』で「竜の巣」と呼ばれる積乱雲について、制作時に監督を務めた宮崎駿氏との間であった印象深いエピソードを述懐。同作の積乱雲は月夜から夜明けにかけてのシーンで登場するのだが、山本氏が積乱雲は夜には崩れてしまうと意見したところ、宮崎氏から「台風が来ているし、アニメーションだから大丈夫」との返答を受け、その結果の産物であったことを明かした。山本氏は、現在気候の変化により、同作での描写のように夜間でも積乱雲が発生することに触れ、宮崎氏の慧眼を称えた。
『時をかける少女』より《踏切》
©「時をかける少女」製作委員会2006
実際の景色を基に描く
実際に制作現場で背景画を描く時は、写真を撮りに取材に赴くことが多いという山本氏。というのも、温度、湿度、風、光、空気感などを自分の肌で感じてきて、それを撮影した写真と統合することで制作に生かすためだそうだ。『もののけ姫』(1997)の制作時には、「鬱蒼として神秘的な森」を描くために屋久島に行ってきたという。
岩泉氏は、このようなアニメーションの背景画の組み立て方は、さまざまな地域を実際に回って集めたいろいろな風景を組み合わせて異郷を描く、中国の山水画の手法に似ていると指摘する。また、同じ画家でも、環境の違いによって、北宋では湿度が低くなるためはっきりとした画風に、南宋では湿度が高くなるためぼんやりとした画風になると話した。
これを受けて山本氏は、ロサンゼルスに半年ほど滞在したときのことを振り返った。夕方、空気が澄んで乾燥しているところに、光が入ってくるトワイライトタイムでは、白いビルが黄色くなり、その影が青っぽく見えたという。「アメリカで生活していたら、自分の絵も変わってくると思う」と話した。
雪舟や長谷川等伯が好きだと話す山本氏。ポスターカラーを使った伝統的な手法で45年間、絵を描き続けている
シーンによって描き分ける雲と空
次に話題は、アニメーションにおける雲の描き方へ。山本氏によると、雲の種類や形は、季節やシーンで描き分けているという。なかでも「夏から秋にかけてのうろこ雲は難しい」と話した。
岩泉氏が撮影した写真を見ながら、雲の描き方について説明
PIGMENT TOKYOの館長を務める岩泉氏
岩泉氏は、積乱雲や巻雲など空の変化の仕方が激しい夏が、アニメーションにおいてよく描かれているのでは、と問いかけた。これについて山本氏は、「アニメを見るのは中高生が多いとなると、王道的な少年少女の出会いを表現することが多くなる。夏は夏休みもあることですし、高揚感があるのではないですかね」とコメント。また雲と空から少し脱線して、食べるシーンが好きだと明かし、なかでも『耳をすませば』(1995)で山本氏が背景を描いた、冬、部屋で暖をとりながら、主人公が友人のおじいさんと一緒に鍋焼きうどんをすするシーンが好きだったとも話した。
さらに岩泉氏は、実際の空の写真を示しながら、雲や空の様子は時間帯によっても変わることに言及。山本氏は、朝日と夕日の違いを描き分けるようにしていると答えた。色合いとしては同じだが、夕方は空気が淀んでいるため、少しスモッグがかった色合い、朝日は皆が寝静まった後で空気が澄んでいるため、きれいに描いているという。また、都会と同氏の故郷である長崎県五島市では、「夕日の色が全然違うと思う」と付け足した。
その上、同じ時間帯の空でも、登場人物の心情によって描き分けているそうだ。代表的な例として、『時をかける少女』の2種類の夕暮れが引き合いに出された。主人公が元気なシーンでは、アメリカで習得したドライ・ブラシという技法を採用。エアブラシで水を吹き、細い削用筆でホワイトをハイライトとして入れ、唐刷毛をかけてぼかした。通常、エアブラシは絵具を入れて吹き付けることが主だが、当時のアメリカの美術スタッフたちは、絵が粉っぽく煙ってしまうと不穏な雰囲気が出てしまうと考えた。そのため、エアブラシで水だけを吹き付け、部分的に湿らせて筆で彩色し、周りと馴染ませるドライ・ブラシを開発した。山本氏はアメリカでの仕事の際にこの技法を知り、取り入れるようになったそうだ。一方で主人公が泣いているシーンでは、伝統的な地塗りの唐刷毛仕上げで、包み込むような「感情を癒してあげる感じ」に描いたという。
『時をかける少女』より《夕暮れ》。上が主人公が元気な時、下は主人公が泣いている時。同じ夕暮れでも表現の仕方が明らかに異なっている
©「時をかける少女」製作委員会2006
会場で実際に描かれた二三雲
続くデモンストレーションでは、最近訪れたという壱岐の海が描かれた。まずは紙の両面に筆で水をなじませる。次に、絵具を混ぜて10色ほどの色をつくる。絵具をつくり終えると、初めに空を描き、そして雲、海、砂浜と描いていった。道具は、細い削用筆、水彩用の平筆、日本画で使われる唐刷毛が使われ、雲の影を描く際などは定規を使ったスケールテクニックを披露した。それぞれのテクニックや、五島の絵を100枚描くというライフワーク「五島百景」などについて話しながら、絵は1時間ほどで完成した。
まずは紙の両面に筆で水をなじませる。加減は季節や時間帯によって異なるとのこと
絵具を混ぜて色をつくっていく。1色をつくるために、4色の絵具を混ぜるという。派手な色の彩度を落としたりするためだそうだ。「男鹿さんだと3色くらいが多いかな」と、山本氏と同じくアニメーションの背景画の名手である男鹿和雄氏の名前も度々登場。今回は10色ほど作成したが、普段はもっとモチーフが多いため30色ほど用意するそう
左:途中、立って描く場面も。山本氏は「昔は立って描かないと怒られた」と話す。岩泉氏も「立って描いた方が全体を見渡しやすい」とコメント
右:雲の影や波を描くときには定規のミゾを使ったスケールテクニックも用いた。筆と軸棒(山本氏はボールペン)を箸のように持ち、軸棒をミゾに添えて筆を左右に引く。固定することで安定した彩色ができる。また、時に唐刷毛を使い、絵具をぼかす。唐刷毛はもともと日本画で使われる道具だったが、岩泉氏は「技術の継承自体が行われておらず、今や日本画では絶滅危惧種」だと言う
夏の雲が悠々と浮かぶ壱岐の海。同じ青でも、雲、空、波でそれぞれ質感が異なっている
トークショーからは、一口で「雲と空」と言っても、その描き方には幾多のバリエーションがあり、物語に寄り添いながら、仕上げていく山本氏の現場の様子が想像できた。また、夏の日差しのなか、水平線の向こうに雲が浮かぶ海辺が、わずか1時間のデモンストレーションの時間のなかで生き生きと描かれていくさまを目の当たりにするのは感慨深かった。今回は雲と空がテーマだったが、山本氏は『じゃりン子チエ 劇場版』(1981)では生活感あふれる大阪の下町の町並み、『火垂るの墓』(1988)では空襲で燃える街、『もののけ姫』では神秘的なシシ神の森など、さまざまな景色を描いてきた。そのどれをとっても、物語の特性、キャラクターの心情を捉えた上で、試行錯誤しながら描かれているのだろう。ついついキャラクターばかりに目を向けがちなアニメーション、その背景美術の世界を垣間見せてくれる有意義な時間だった。
(脚注)
それぞれアニメーターの大塚康生氏と友永和秀氏が担当した特徴的な描写を指す。
山本二三(やまもとにぞう・アニメーション映画美術監督)
1953年6月27日生まれ。長崎県五島市出身。子どもの頃から絵が得意で、岐阜県の高校で建築を学んだ後、東京の美術系専門学校在学中からアニメーションの美術スタジオで働きはじめる。宮崎駿氏の初演出テレビシリーズ『未来少年コナン』(1978)で自身初の美術監督を務め、以降、『天空の城ラピュタ』(1986)、『火垂るの墓』(1988)、『もののけ姫』(1997)など、美術監督として数々の名作に参加。2006年、アニメーション映画『時をかける少女』で第12回AMD Award'06大賞/総務大臣賞を美術監督として受賞。2011年夏、「日本のアニメーション美術の創造者 山本二三展」が神戸市立博物館で開催され、来場者約8万5千人という盛況を博し、その後、全国で巡回され累計入場者数75万人を突破。2019年現在も巡回中。画集等の著書多数。2018年7月には故郷の五島市に「山本二三美術館」がオープン。五島市ふるさと大使、京都造形芸術大学アニメディレクションコース客員教授、東京アニメーションカレッジ専門学校講師。
絵映舎 http://www.yamamoto-nizo.com/
岩泉慧(いわいずみけい・PIGMENT TOKYO館長、画材エキスパート)
PIGMENT TOKYO館長、画材エキスパート。京都造形芸術大学博士号(芸術)。京都造形芸術大学日本画コース専任講師。2015年に絵画表現における膠使用方法の論文で博士号を取得。PIGMENTや京都造形芸術大学にて膠を基点としたさまざまな画材の研究、指導を行いながら、アーティストとしても物質存在に関するテーマをコンセプトに活動を続ける。
PIGMENT COLOR PHILOSOPHY Vol.5
くものいろ、そらのいろ~アナログが生み出す色彩の情景~
日時:2019年8月10日(土)16:00~18:00
会場:PIGMENT TOKYO
TEL:03-5781-9550
住所:〒140-0002 東京都品川区東品川2-5-5 TERRADA HarborOneビル 1F
アクセス:りんかい線「天王洲アイル」駅から徒歩3分/東京モノレール「天王洲アイル」駅から徒歩5分
※数量限定サイン入り書籍『山本二三 風景を描く』(美術出版社、2013年)込みだと4,104円
https://pigment.tokyo/ja/
※URLは2019年10月3日にリンクを確認済み
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