「週刊漫画サンデー」編集長を務めた上田康晴は、本誌史上最大のヒット作品である新田たつお『静かなるドン』の編集を担当した。後編では、当時の制作状況についてお伝えする。また、本作はマンガのみならず、Vシネマ化やテレビドラマ化もされており、メディアミックス展開への編集部からの視点もお話しいただいた。

「創刊50周年記念特大合併号」として刊行された「週刊漫画サンデー」2009年8月18・25日合併号表紙

大看板『静かなるドン』誕生

1985年以降の「週刊漫画サンデー」は牛次郎・原作、笠太郎・作画の料理対決マンガ『流れ板竜二』(1984〜88)なども加わり、連載陣にも幅ができた。

しかし、この時代の大看板作品といえば新田たつおの『静かなるドン』である。女性下着メーカーのダメ・デザイナーが、実は1万人の構成員を持つ広域暴力団「新鮮組」総長。ふたつの顔を持つ近藤静也は、争いごとを好まず「静かなるドン」の異名を取っている……。1988年11月15日号からスタートしたこの作品は、2013年1月8日号まで、足掛け24年連載され、単行本は108巻。2013年には日本漫画家協会賞大賞を受賞している。

「新田さんに原稿をお願いしたいなと思ったきっかけは、双葉社の『別冊漫画アクション』に連載されていた『ビッグマグナム黒岩先生』(1982~84)でした。ところが、新田さんの連絡先を聞くために双葉社に電話したら丁重に断られました(笑)。当たり前ですよね。僕だって断ります。ところが、当時担当していた小島功さんの誕生会で偶然、双葉社の編集者と知り合って意気投合したんです。縁というのはわからないですね。その編集者から教えてもらった新田さんのお宅に電話したら、僕の家とも近い。早速おじゃまして、原稿を依頼したのです。こうして『サンデーまんが』に連載していただいたのが、『家庭にほえろ』(1983〜85)。子どもの家庭内暴力に悩む敏腕刑事が主人公のギャグマンガです。評判が良かったので『マンサン』(週刊漫画サンデー)にも描いてもらうことになり、『ローン・ウルフ』(1983)や『満点ジャック』(1984~86)、『なちゅらるキッド』(1986~88)を連載してもらいました。いずれもパロディギャグマンガで人気は高かったんですが、新田さんはパロディではない新しい作品を描きたかったのだと思います。新連載の打ち合わせで新田さんは『静かなるドン』というタイトルと、「スーパーマン」のようなマンガということを口にしました。スーパーマンは普段はクラーク・ケントという冴えない新聞記者だけど、メガネをとったらスーパーマンになる。そういうキャラクターを描くということです。スーパーマンのヒロインであるロイス・レーンは静也の会社の秋野さんですね」

試しに第1話が掲載された『週刊漫画サンデー』の表紙を見ると、『静かなるドン』の扱いは小さい。巻頭カラーや大増ページもなく、文字通り静かにはじまっているのだ。

「週刊漫画サンデー」1988年11月15日号表紙(左)、『静かなるドン』第1話扉絵(右)
画像提供=京都精華大学 国際マンガ研究センター

「それは新田さんの希望です。さりげなくスタートして、トップも狙わない。無欲なんですね。ところが、連載が始まって1カ月くらいしたところでファンレターがどっと来たんです。しかも、驚いたことに女性からのはがきが多い。強さを隠して女性に優しいドンがかっこいい、というのです。それまでの『マンサン』では考えられないことでした。こうなると“さりげなく”なんて言ってられません。表紙を飾ることも増えました。ただ、残念なことに女性の声は雑誌の部数にはあまり反映されないのです。『マンサン』は女性がわざわざ買って読むタイプの雑誌ではない。誰かから借りたり、飲食店などで読んでくれているのだと思います。そのかわり、総集編としてまとまったものを別冊で出したり、単行本を出すと飛ぶように売れるのです。少し前はコンビニ向けの廉価版が、現在は電子コミックが、とても売れているそうです」

メディアミックスでさらに人気拡大

『静かなるドン』は実業之日本社そのものを引っ張るパワーを持つわけだが、この時点で、編集部には24年続く大ヒット作になるという確信はあったのだろうか?

「はっきりいってわかりません。新田さんだって100回か長くて200回程度と考えていたんじゃないでしょうか。ただ、ドンがひとりになって“静かだ・・・”とつぶやくラストシーンは連載開始のときにはできていて、このラストシーンに向かってストーリーをつくっていく形なので、そのへんはフレキシブルだったと思います。一度だけ“そろそろ終わるつもりだな”と感じたのは、マンガのなかで新鮮組ナンバーツーでドンを支えてきた鳴戸竜次が、ドンを助けるために命を落としたときです。もう少し続けてほしいとお願いして、死んだはずが実は生きていてドン・ファンと名乗って登場するのですけど、まあこのへんがマンガのいいところですね」

『静かなるドン』は1991年に香川照之主演でVシネマ化。1994年には日本テレビが中山秀征主演で連続ドラマ化している。ドラマ版では桑田佳祐が歌う主題歌「祭りのあと」も話題になり、ファン層はさらに広がった。

「テレビドラマで人気はさらに上がりました。『マンサン』を読んでいない人にもドンのファンができました。テレビの力は偉大ですね。中山秀征さんの明るいキャラクターもよかったと思います。ただ、Vシネマと違って、お茶の間に流れるテレビでは反社会勢力が主人公というのが結構問題になりました。ですから、なるべく反社会的なところは出さずに、ドンも刑事ドラマのヒーローみたいになってますね。実はそこがドンの本質なんですけどね、スーパーマンですから……。描かれている世界も幕末の新選組なんですよ。新選組を現代に置き換えて描くとどうなるのかという発想から生まれたのが『静かなるドン』です。新田さんは歴史関係の本をたくさん読んでいて、映画もお好きなんでこのマンガができたと思うんです。いずれにしても視聴率はほぼ14%で、ドラマとしても成功。ドラマの完結記念パーティの時には、新田さんや編集部はもちろんたくさんの人がお祝いに集まって、桑田さんも来て、主題歌を歌ってくれました。あれは忘れられない思い出ですね。あの時に感じたのは、ドンは実業之日本社だから生まれたヒット作なんだということです。連載のきっかけは僕ですけど、編集部全体が今で言う“ONE TEAM”でしたね。みんな新田さんの作品のファンでした。編集部も販売も、全社の人間がドンを愛し、新田さんを尊敬していたからよかったのですよ。他社ではドンは生まれなかったでしょう」

雑誌があるからマンガは生まれる

最後に、30年以上、マンガ編集に関わっている上田さんに、マンガ雑誌の役割を聞いてみた。

「マンガは雑誌で連載するからいいものができるんです。雑誌は毎週、毎週山場が必要です。しかも、1カ月くらいでもう少し大きな山場を求められる。それを繰り返しながらクライマックスまで向かっていきます。締切もあるし、編集者との緊張感がマンガ家の先生方のテンションを上げていきます。読者はその緊張感を楽しんでいるわけです。雑誌が売れなくなっているから描きおろしでもいいんじゃないか、と言う人もいますけど、描きおろしでは面白いマンガはなかなか生まれないでしょう。だから、会社の経営判断とは言いながら『マンサン』が休刊したのは残念ですね」

マンガの復活には、マンガ雑誌復活が欠かせないのではないか。インタビューを終えてそんなことを思った。


上田康晴
1949年生まれ。1972年に「週刊小説」のアルバイト編集者に。1977年、実業之日本社に正式入社。ブルーガイド編集部を経て、1978年に「週刊漫画サンデー」編集部に異動。人気コミック『静かなるドン』の連載に携わる。1995年に「週刊漫画サンデー」編集長、2001年、取締役編集本部長、2009年、常務取締役を歴任し、2013年3月に退任。現在、フリーのエディター。

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