現在も整備が進む「メディア芸術データベース」は、マンガ、アニメ、ゲーム、メディアアートの全4分野を総合的に検索できる、分野横断型のデータベースだ。2019年11月からはベータ版がリリースされ、誰でもアクセスし、活用できるサイトとして公開されている。本稿ではゲームメディアの「電ファミニコゲーマー」編集部による、データベースの開発を担当する4名へのインタビューをお送りする。網羅的な作品資料の収集・保存を実現するための礎としてデータベースがどのように構築されていったかについて、貴重な現場の声となっている。

聞き手/TAITAI(電ファミニコゲーマー編集長)
文/伊藤誠之介
編集・撮影/実存(電ファミニコゲーマー編集部)

左から三原鉄也氏、大坪英之氏、福田一史氏、大向一輝氏

三原鉄也(みはら てつや)
博士(情報学)。筑波大学図書館情報メディア系特任助教。
大学でのマンガのメタデータ技術の研究の傍ら、マンガ制作のマネジメントも行っている。メディア芸術データベースの関連プロジェクトでは複数の分野や機関、データ源の連携が容易なメタデータモデルの設計や機能開発の助言を担当している。

大坪英之(おおつぼ ひでゆき)
特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)所属。
日本で制作されるアニメーション作品では大部分の生産量を占めるテレビ放送の業務的なデータ構造や実運用を熟知している。本事業においては、アニメ分野において、産業界とシステム開発/運用面から助言を行う。

福田一史(ふくだ かずふみ)
博士(学術)。立命館大学大学院先端総合学術研究科授業担当講師。
専門はビデオゲーム・メタデータ・経営史。メディア芸術データベースではタスクチームメンバーとして、DBの設計に参加するほか、ゲーム分野のメタデータ作成を担当する。同データは、立命館大学ゲーム研究センターのオンライン目録においても公開される。

大向一輝(おおむかい いっき)
東京大学大学院人文社会系研究科准教授。博士(情報学)。
専門はウェブ情報学、人文情報学で、学術情報サービスCiNiiの開発リーダーを約10年間務めた。メディア芸術データベースではサービス全体の「プロデューサー」としてシステムの基本設計やユーザーインターフェイスを主に担当している。


文化庁から2019年11月より公開されている「メディア芸術データベース(ベータ版)」。「メディア芸術」(註1)とはあまり聞き慣れない言葉だが、「メディア芸術データべース」においてはマンガ・アニメ・ゲーム・メディアアートの4分野に整理されている。なかでもゲームを含んでいる点は、ゲームメディアである我々「電ファミニコゲーマー」にとっても興味深いところだ。
しかし、マンガやゲームに関する情報はある意味、すでにインターネットの世界で大量にあふれているような印象を受ける。そのデータベースをなぜ今、しかも文化庁という日本の官公庁が自ら提供しているのだろうか? そこで今回、我々は「メディア芸術データベース」の開発を担当しているタスクチームのメンバーに、詳しいお話をうかがった。
東京大学で人文情報学を専門とする大向一輝氏、立命館大学ゲーム研究センターでゲームの学術的研究を行っている福田一史氏、筑波大学特任助教でマンガをコンピュータ上で管理するメタデータの研究を行っている三原鉄也氏、特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)のメンバーである大坪英之氏の4名という、学術界だけでなく産業界からも集まった錚々たる顔ぶれだ。
以下のインタビューから明らかになったのは、この「メディア芸術データベース」が単にマンガやゲームの情報を提供するだけには留まらない、これからの時代に不可欠な事業だということだ。それは先人たちが1000年単位の時間をかけて積み上げてきた文化の歴史を、新たなメディアにおいて再構築するという、まさに国家プロジェクトにふさわしい壮大な試みだと言えるだろう。
情報のオンライン化が加速度的に進みつつある今、「文化をアーカイブする」ことはどういう意味を持つのか。そしてそのアーカイブを実現するために必要とされる要素は何なのか。ここで問われているのはメディア芸術について考えるだけでなく、文化立国・コンテンツ立国としての日本の新しいあり方を考えることでもあるのだ。

建物をつくるのではなく、情報のデータベースをつくることで「メディア芸術」を振興する

我々電ファミニコゲーマーでは、このような取材は初めてなので、みなさんには周知のことを、あえて聞かせてください。そもそも「メディア芸術」というのは、いったいどういうものを指しているのでしょうか?

福田氏(以下、敬称略):まず「文化庁メディア芸術祭」が1997年から開催されて、2001年には「文化芸術基本法」(制定時は「文化芸術振興基本法」)という法律が制定されたんです。この法律の第九条で、「メディア芸術」の振興を図ることが定められたという経緯があります。ここで言う「メディア芸術」の主な対象となるのは、マンガ、アニメ、ゲーム、メディアアートの4分野だと決まってきて。それがメディア芸術データベースにも引き継がれて、今はその4分野のことを指すということになっています。
「メディア芸術」という語自体に対する疑義は、もちろんあると思います。メディア芸術のなかにメディアアートがあるというのも、けっこう複雑な構造ですから。そのあたりは議論があるところですけれども、一方でマンガやアニメやゲームというのは、文化の塊としてある程度近しいものだと、みなさん認識しているようなので。そこで日本の文化のひとつの特徴として、そういう塊を「メディア芸術」と呼びましょうと。

福田氏

三原氏(以下、敬称略):そもそもメディア芸術というのは、いわゆる「伝統芸術」に対立する概念なんです。日本は伝統文化がたくさんあって、それを文化庁が包括的に支援してきたことに対して、「新しく生まれてくる文化も同じように支援しなくていいのか?」と生まれてきたのが、メディア芸術という概念です。
つまりこれは、新しい国では発生し得ない。古い文化というものが社会的に確立されていないとできないわけです。そういう意味だと、あらゆる国で通用するわけではない概念だと言えるでしょうね。

三原氏

なるほど。では、そのメディア芸術のデータベースをつくろうという話は、どこから出てきたのでしょうか?

三原:メディア芸術を振興する施策を検討するなかで、「メディア芸術は保存が進んでいないよね」という話が出てきたんです。何がどれだけあるかわからないし、そもそも古いものはあまり残っていないので、保存するための施設なり、組織なりをつくろうと。それで立ち上がったのが「国立メディア芸術総合センター」を整備するという計画だったんですが、2009年にいったんは予算が成立したものの、政権交代後の事業仕分けで、設立が撤回されてしまうんです。
その結果、フィジカルな建物ではなくて、ソフトや情報にお金を使うべきではないですか、という話になって。それで立ち上がったのが「メディア芸術データベース」だと聞いています。

福田:2010年から始まっているプロジェクトなんですが、我々も最初から関わっているわけではないんです。僕が入ったのは2012年頃で、その頃はまだデータをかき集めながら何とか進めているという感じでしたね。
「国立メディア芸術総合センター」のときは、いわゆる箱物の施設をつくろうという考え方だったんですけど、実際にはひとつの建物にあらゆるモノを集めるという構想自体が非現実的だった、というのもあったんじゃないでしょうか。そうではなくて、日本全国にすでにある図書館や博物館や研究施設をネットワークでつなげていって、基本となる資料集めや保存活動を展開しようという発想が、根っこにあったんだと思います。

大向氏(以下、敬称略):モノを直接1カ所に集めるのではなく、日本各地にあるどの施設がモノを持っているかという「情報」を集めましょうと。

大向氏

大坪氏(以下、敬称略):物理的に保管する、コレクションするということと、体感として作品を感じるというところが、今はズレてきていると思うんですよ。
昔はモノそのものが重要だったと思うんです。でも今はそういう形ではなくて、体感すること、経験すること、視聴すること。つまり行為的なことですよね。行為でその作品を認識することが主になっているので、そういった意味ではモノと情報の価値が大きく変わってきているんだと思うんです。

大坪氏

たしかにそのとおりですね。メディア芸術について聞いた時に、マンガやアニメやゲームといったパッケージとして流通しているものと一緒に、体験やイベントの要素も強いメディアアートまで同じ括りになっていて、最初は違和感を覚えたんです。でもそういったお話を聞くと、そんなに不自然ではない気がしますね。

三原:アーカイブの観点からも同じことが言えて。結局、開かない本に価値はないんですよ。もちろん存在すること自体にも価値はありえますが、置いてある場所に行って開いたところで中身が真っ白だったらガッカリですよね。
それはデータベースだとか、そもそもアーカイブ自体についても同じことで。そこから何らかの情報や経験を得られなければ、その存在には価値がないわけですよね。
逆説的に言うと、あらゆる保存されているもの、データだけじゃなくて事物も本も、そこから得られる情報があって初めて価値がある。単にモノを保管しておくだけではなくて、そのモノから得られる情報を、どんな人でも平等に手に入れられる環境をつくりたい。アーカイブでやりたいことはそこなんです。

モノを集めることがアーカイブの目的ではなくて、モノから得られる情報を活用できる仕組みをつくることに意義があると。

三原:そのためにまず必要なのは、モノのある場所をオープンにすることです。例えば、どこかの蔵に貴重なモノがあるんだけど、でもそれは倉庫番みたいな人しか知らなくて、その人以外は誰も存在を知らないという状況があったとします。でもそれは結局、残っていないのと同じですよね。
だからまず、その情報をオープンにしましょうと。そのためには蔵を開けてなかに何があるのかを調査したり、蔵のなかに何があるか知っている人に尋ねて、目録をつくるといったことをしなければいけない。
その次に必要なのは、何かあるたびにいちいちその蔵まで調べに来るのは大変なので、蔵のなかにあるモノにもっと簡単にアクセスできたり、入手できたりする方法を整備することです。
例えば図書館だったらデータを共有して、本をお互いにやり取りする相互貸借の仕組みがあったりするわけです。でも今ならWebの技術を使えば、そのモノの内容とまったく同じとは言いませんけど、限りなく近いもの、必要十分なものをデジタル上でやり取りするということができるわけで。
これがたぶん、アーカイブの世界にデジタルの技術が入ってきて、すごく変わっている部分だと思います。将来何かのために、とりあえず貴重だから取っておくほかなかったものが、モノにダメージをなるべく与えずに、そのモノの代わりになるデータをつくれるようになってきた。じゃあこれをもっと広く使えるよねと。
なぜならアーカイブの目的はモノを保管しておくことではなくて、そのモノの中身をみんなで上手く使いたいということですから。メディア芸術データベースも、その大きな流れの渦中にあって、その役割や目的の位置づけの変化がここ5年の大きな変革点だった気がします。

書籍が1000年かけて整備してきたことを、アニメやゲームにも行っていく

メディア芸術として扱われていないもの、例えば書籍では、そういった情報のネットワークが整備されているのですか? 

大向:書籍ということは、つまり図書館ですね。僕は大学図書館の情報システムづくりをずっとやっていたんですけど、それに関してはかなり整備されています。メディア芸術を扱うようになって思うのは、本はなんて「わかりやすいメディア」なんだろうと(笑)。形態がだいたい安定しているし、タイトルもあって、著書名も基本的に記載されていて、巻末の奥付に何を書くかもだいたい決まっているので。
大学図書館は研究に使うものなので、必要な本がもし自分たちの大学の図書館になければ、ほかから取り寄せなければいけないわけですよね。持っていないから諦める、というわけにはいかないので。そのネットワークをちゃんとつくって、どの本がどこの図書館にあるのかというのを整備するデータベースづくりは、かなり組織的に行われています。
大学図書館のあいだで情報データベースをつくろうと始まったのは1980年代ぐらいですし、世界を見れば、あるいは大学ではない文脈を見れば、1970年代ぐらいからコンピュータを使った管理が行われています。それ以前にはもう1000年単位のレベルで、図書館という情報の塊を整理しなければいけないという認識があったわけなので。
そういう流れのなかで、普通の本や雑誌の一部については、ずっと情報の整理が行われてきた。メディア芸術データベースは、それを新しいメディアにも提供しよう、というふうにも言えるわけです。

マンガ・アニメ・ゲーム・メディアアートといった新しいメディアを、書籍が1000年かけてやってきたのと同じ文脈に乗せていく。そうやって説明されると、すごくちゃんとしたタイムラインのなかにある、誰かがやるべき事業ですよね。

大向:でもじゃあ「誰が実際に作業をやるの?」となったときに、いきなりそこにものすごくコストをかけて、ビジネスとして回るかというとなかなか難しい話になってしまいます。こんなに大々的に国がやるというのは、これまでにはなかったことかもしれないですけど、でも誰かがやったほうがいい公共的な領域であるのも、また確かなことなので。
こういう「誰がやるか問題」は今、あちこちで起こっていると思うんです。国がやるべきだ、コミュニティがやるべきだ、企業がやるべきだと、いろんな議論はあるにせよ、メディア芸術データベースに関しては今、文化庁が中心となってやっている。もちろん実際には、それぞれいろんな業界の方が力を出し合って進めているんですけども。

福田:以前、産業界の方にいろんな意見をうかがったんですけど、ゲーム産業の方からは「アーカイブとかそんなもの、いらないでしょ」という声が多くて。というのも、ゲームは産業として元気があるから、アーカイブなんて後ろ向きだと反発したり、国が支援すること自体に拒否感があったりするみたいで。そのご意見自体はすごくダイナミズムがあって、ある種、創作の活力がみなぎっているみたいなところもあるので、それはそれで素晴らしいと思うんですけど。
でも一方で、図書館的なもの、博物館的なものが永遠に要らないのかというと、そんなことはないはずで。特に研究や教育のためにもそういう資料は不可欠ですし、それを個人や市場に全部委ねることは、やっぱり疑問がありますから。

福田氏

三原:メディア芸術、特にマンガは書籍であるにも関わらず、これまではなぜ蓄積がなかったのか。それについてのお話をすると、よりわかりやすくなると思います。
そもそも約10年前に「国立メディア芸術総合センター」の予算が通らなかったというのも、当時はマンガやアニメやゲームに対して、「国がお金をかけて保存するのは不適切なんじゃないか」という意見が多かったんです。

そういえば当時は「国立マンガ喫茶」みたいに揶揄されていましたね。

三原:10年前と今とではそれぐらい、温度感がぜんぜん違っていて。そこからさらにさかのぼると、「公共の図書館がマンガを扱うなんて不適切だ」とか、「公的機関がエンタメコンテンツを扱うのはふさわしくない」とかいう考え方が強かったんです。
同じ書籍媒体であるマンガですらそうなので、ソフトであるアニメだとか、ゲーム機が必要になるゲームでは、そういう状況がもっと長く続いていた。この10年で状況は少しずつ変わってきてはいますけど、根本的にはまだそんなに変わっていないというのが、背景としてあると思います。

そういう無理解というか、文化と政治の“きしみ”みたいなものは、どうしてもついて回るものなんでしょうか。

福田:でも僕としては、きしむのは良いことだと思っていて。きしむことによってお互いのブラックボックスが分解されていって、相手に対する理解が進みますから。
立命館大学のゲーム研究センターも以前、古いゲームがなぜか勝手に送られてきたので、それならということで「現物を寄附できますよ」という制度を発表したんです。そうしたら「無料でもらおうとしてやがる」みたいに叩かれたんですけど(笑)。
でも、そうやって遡上に乗せていかないと進まないというのもあって。逆に言うと、むしろそのきしみをどうやってつくっていくかも問題なんです。メディア芸術なんですから、専門家同士で進めていくよりは、いろんな人たちの意見を集約できる場づくりみたいなものが大事なので。そういう意味ではメディア芸術データベースもこれから、一きしみ、二きしみしないといけないかなとは思います。

三原:日本の文化がおもしろいのは、大衆文化が目立っているという点です。社会の不特定多数の人がアクセスすることで成立している文化が、昔からすごく多いんですね。
これが政治の話にも関わってくると思うんですが、文化と政治って本来、どちらが市民に近いのかと言えば、政治のほうが近いはずです。日本は間接的とはいえ、民主制を敷いているわけですから。でも日本人の感覚だと、政治よりも文化のほうが近いと感じていると思うんです。
世界の他の国で、これまで貴族が動かしてきたような文化というのは、すごいテクニックを持っていて、徒弟制なり大学なりでコンテクストを学んで、自分でもすごく修行した、そういう人がやる行為なんですよ。
でも日本で言うところの文化、特にメディア芸術の多くはそうではない。草の根で動いてきた文化だからこそのおもしろさがある一方で、データベース的には難しい。草の根をどういうふうにデータとして把握・理解していけばいいのか、という難しさがあるとすごく思うところです。

草の根だから、国が全体像を把握するのがそもそも難しいわけですね。

三原氏

三原:もともとが草の根だから、国が関わると対立するというのを、我々は江戸時代から続けてきたわけですよね。民衆のあいだで凧揚げが流行ると、凧が禁止になった、みたいな。
一方で近年、僕がすごく驚くのは、「国はマンガやアニメやゲームやメディアアートにもっと支援するべきだ」と、意見が変わってきている点です。僕は毎年授業で学生に、これについて意見を聞くようにしているんですけど、過半数から7割ぐらいの学生が「支援するべきだ」と主張するようになっています。僕が学生だった頃は、オタクというのを隠さないといけなかったのに比べると(笑)、これは大きな違いだなと。
もうひとつおもしろいのは、授業の同じタイミングで「マンガは新しいか、古いか」と聞くようにしているんですが、3年ぐらい前は、半々だったんですよ。「どちらでもない」という人も多かったんですけど、それが去年ぐらいには「マンガは古い」という人のほうが増えてきたんですね。
つまり、伝統的な文化に対して新しい文化だと考えられていたものが、古いほうにだんだんと推移していくわけです。そうすると、もはや「古い文化」と考えられるようになったマンガを社会的に確立しておく意味は当然あると、その時すごく感じました。
さらにおもしろいのは、今年になると「マンガは古い」という人が、目に見えて減ったんです。これらはもちろん統計的にきちんとしたデータではないんですけど。たぶんそれは、スマホでマンガを読むことがすごく増えて、マンガというものの位置づけが入れ替わって、また新しいものになったのかもしれないと、個人的には考えています。
メディア芸術データベースを通じて、「文化はそうやって循環するのだ」ということを、日本固有の文化社会として発信していくのは、国際的にすごく意義のあることだろうと思います。

メディア芸術のコンテンツを「検地」して、絶対に変わらないID番号を割り振る

ここまでのお話で、メディア芸術とそのデータベースがどういうものなのか、なんとなくわかってきたんですけど。でもこのデータベースをなぜ、国が整備することが必要なのでしょうか? いったいそこにはどんな意義があるのでしょうか?

大向:メディア芸術データベースって、人間が検索語を入力して情報を引き出すという部分だけを見ると、Wikipediaのショボいヤツとか思われがちなんですけど(笑)、じつはそうではないんです。そのことが、僕がこのプロジェクトにアサインされている理由でもあるんですけど。
僕がプロジェクトに参加する以前のメディア芸術データベースは、人間が入力して情報を引き出すもの、つまり人のためにつくられていました。でもデータなんだからコンピュータが扱えるもの、コンピュータがその情報を扱うためのデータとして整理できないか、というのが僕に与えられているミッションで。つまり、コンピュータが処理しやすいようにデータを構造化したりだとか、そういうことをたくさんする必要があるわけです。
なぜコンピュータが扱えるデータにする必要があるのかというと、みんながこのデータをコンピュータで解析したり、別のデータとつないでみたりした結果、僕らが想像もつかないような付加価値が生まれる。そういうものとしてこの情報が使われるようになってほしい、という意図があります。これはとても大きなファクターだと思っています。

三原:例えば、日本で1年間にマンガがどれだけ発行されているかという情報は、その統計を取っている団体はたぶんひとつしかなくて、しかもそこはマンガ流通の業界事情を加味して特殊な数字のまとめ方をしていて、直観的にははっきりしないんです。だから僕は、メディア芸術データベースで「****年〜****年」と検索して、その結果を授業で使っています。

福田:僕ら立命館大学では、一橋大学や早稲田大学の先生方と一緒に、ゲーム産業史のオーラルヒストリーをつくるプロジェクトをやっているんですけど、そこにもうちょっと、量的な研究も混ぜてやりたいよね、という話をしていて。
ゲーム関連の企業がいつ頃生まれて、どういうクラスターができていったのか、みたいなデータのまとめがほしかったんですけど、でも例えば帝国データバンクさんの資料なんかだと、ゲーム関連の企業だけをパッと選び出すことは難しいんです。その時に僕らがやったのは、メディア芸術データベースからゲームを出版した企業のリストを出して、それを外のデータと突き合わせるということで。
あと、これはちょうど三原先生とやっている研究のひとつの成果なんですが、メディア芸術データベースに入っている1万件ぐらいのゲームのデータを使って、タイトルの長さがどう変遷したかをカウントするということをやっています。昔は一過性だったゲームがだんだんシリーズ化するものが増えていって、サブタイトルとかがついて、どんどん文字数が長くなる。それをデータで実証する研究ですね。これもけっこう簡単な、14行ぐらいのクエリ(註2)で書けるんですけど。
これらは本当に一例です。そういうさまざまな要求や検索ができるためのデータ構造を、僕らは整備しているんです。

さっき話に出たような「無理解」に対してどう反論するかという際に、データを使って科学的なアプローチや冷静な実証から攻めるというのは、わりと正攻法だと思うんです。マンガやゲームやアートに対する無理解と戦うための文脈として、データベースの存在は大事なものかもしれないですね。
ちなみにコンピュータで処理するということは、メディア芸術データベースのデータには数値的な情報、例えば発行部数といったものも入っているのですか?

大向:タイトルや著者といった、事実としてずっと変わらないデータに関しては、一回入れてしまえば絶対に変わらないですよね。それに対して部数などのデータは、もしかしたら年々変わっていくかもしれないというのがあって。
今のところメディア芸術データベースでは、主にずっと動かないデータをカバーしましょうということになっています。それに対して、売り上げなどのダイナミックに変わっていくデータは、メディア芸術データベースではないところで整備されたほうがより使いやすいかもしれないと思っていて。

それはなぜですか?

大向:今の大きな問題は、売り上げに関する情報は誰かが持っているんだけど、じゃあそのデータに出てくるこのマンガとこのマンガは本当に違うものなのか、それともじつは同じものだったりするのかというのを、それについてわかっている人が一つひとつ確かめないといけない点なんです。
もちろん、紙の本であればISBN(註3)や、他にもJANコード(註4)とか、流通用の番号がいくつかあって。今はそういった番号を使って売り上げのデータなどが管理されています。これ自体はかなり強固に上手く動いているわけですけど、一方でISBNのついていない本もかなりありますし、電子書籍もあります。
それに何かの理由で、そうした番号が急に変わるかもしれない。コンピュータの力が使えるにも関わらず、コンピュータでは判別できないものがどんどん増えていってしまうので、それを防ぐためには、“絶対に変わらない番号”を用意する必要があるんです。

なるほど。その番号を供給するのが、メディア芸術データベースの役割なんですね。

大向氏

大向:そうです。すでに存在する番号は、流通用だとかそういった何らかのアクティビティの中で管理や整理が行われているわけですが、その総体的な関係性はわからない。そこで基準となる、動きがたいものをつくる必要があるんです。
僕はよく「北極星をつくる」という例えをしているんですけど。ほかの星はグルグル回っていて、それは当然動いていくべきものだけど、その星々の位置や動きを捉えるためには、その中心にみんなが「あれは北極星だね」と共通で指せるものが必要なんです。その北極星自体の情報がリッチである必要はまったくなくて、とにかく動かないものであるということが大事で。その動かないものをどういうプロセスで、どのコミュニティとの協力でつくっていくことができるのか。
長期的に見たときに、メディア芸術データベースの番号がスタンダードになっていくかどうかはわからないにせよ、その努力を仕掛けておかない限り、綺麗な番号が勝手に自生することはないので。それだけにこれはどうしてもやっておかないと、というところがあったわけです。

今のお話から、メディア芸術データベースを国の事業として行う意義が、かなり見えてきた気がします。今回の取材に行うにあたって、事前にメディア芸術データベースというプロジェクトに対してぼんやりとイメージしていたのは、昔の「太閤検地」みたいなものなんです。
日本が国家として、マンガ・アニメ・ゲーム・メディアアートという文化を世界に広めて、産業として発展させていくためには、まず国としてその全体像を把握することが必要じゃないですか。その昔、田畑を検地して、そこに住所や番地を割り振ることで、領地全体の作物やその収穫量を把握していったわけですけど。メディア芸術データベースをつくるという事業は、まさにメディア芸術の「検地」を行って、そこに住所や番地を割り振った「台帳」をつくることなんだろうと。

大向:今、TAITAIさんがおっしゃられた「全体像を把握する」というのは、ものすごく大事なことだと思っています。まず全体像がわからないと、いろんな振興政策ができないんですね。逆に言うと、メディア芸術の分野で何が起きて、何が生まれているかを国が把握して、その情報を文化振興に活用するというのは、日本の武器になる話だと思うんです。
そこで僕らとしては、マンガ・アニメ・ゲーム・メディアアートの4分野について、ID番号という形で、できるだけ細かい番号付けをするようにしています。まさに検地して、住所となる番号をつけて、という話なんですけど。
例えば『メタルギアソリッド』というゲームだと、『メタルギアソリッド』という概念そのものにIDが振ってあるだけでなく、「初回生産版」だとか「廉価版」だとか、パッケージ1個1個の種類全部に、別々のID番号が振ってあるんです。少なくとも情報が集められる経路と仕組みにおいていちばん細かい番号付けをして、しかもその番号はずっと変わらないということだけは保証しておく必要がある。
このID番号が世のなかに広まって、これをベースにして情報の整理が進んでくれたら、それこそコンピュータの力を使ってこんなグラフもつくれますよとか、そうなっていってほしいなというのが、僕らの思い描く世界観のひとつです。それはある種、分野横断のマイナンバーシステムですよね。もちろん、本当はこの4分野だけにあればいいというものではないんでしょうけど、とにかくできるところからやらないといけないので。
国がその全体像を把握しているというのは、これから日本が文化立国として、メディア芸術を世界中に推していきましょうというときの、最初の基盤になる一歩だということを、できるだけ多くの人に知ってもらいたいですね。

メディアの異なる分野を共通して管理する「データモデル」をどうつくるか

福田:僕らとしては、メディア芸術データベースを一般の人に使ってもらいたいというのももちろんあるんですけど、何よりもまず、メディア芸術の資料を所蔵している図書館や研究所の人たちには、絶対に必要だと思っていて。番号と番号を関連づけてつなげていったり、データを足していったりするのは、台帳を基に他人同士が協力して、同時並行でやる作業なので。
例えばさっき例に出た『メタルギアソリッド』のパッケージを渡されて、「これは初回生産版ですか?」「廉価版ですか?」「それともこのなかに当てはまらないものである可能性はありますか?」ということが識別できないと、その次のデータをつくれないわけですよね。
なのでそれを識別するための特徴を書く属性が、このデータベースにはズラッと並んでいます。ここに「THE BEST」と書いてあるからこっちだ、これは「THE BEST」じゃなくて「PlayStation THE BEST」と書いてあるからこっちだ、という簡単なものもあれば、ちょっとした版違いだとか、バグが直っているか・いないかみたいな、そういうことまで含めた番号付けになっているかもしれないし。そういうことを書けるようにしているのが、今のメディア芸術データベースなんです。

大向:とりあえず土台としては、ですけどね。現状のデータでバグ直し版まで識別しているのかと聞かれたら、まだしてはいないので。

福田:まだしてはいないんですけど、そういうことができる機能をつけていて。それは所蔵館の人たちにとっては、絶対に必要なものですから。最初にお話ししたように、ひとつの所蔵館に全部のものを集めるみたいな話は、今のポピュラーカルチャーでは難しいでしょうから。
分散的に持っているモノに対して協力態勢をつくることで、いろんなものを網羅的にカバーできるはずで。メディア芸術データベースを、そのための土台というかハブというか、そういうものにしたいというのが僕らの、少なくとも僕にとってのいちばん重要なところですね。

いろんなものの根っことなる台帳、ということですか。

福田:そうです。

今のメディア芸術データベースだと例えば、ジャンルの情報はないですよね。このデータベースを実用で使おうと思うと、ジャンルをつけましょうとか、僕のほうでもいくつかイメージは浮かぶんですけど、そのもうちょっと手前の、絶対に動かない最低限のカテゴライズでの情報管理というのが、今ひとつわかりにくくて。

インタビューの様子

福田:じつは最低限のカテゴライズではない、内容に関するデータについても、すでに入っているものがあるんです。これがすごくややこしいんですが……。
さっきお話ししたように、ID番号を細かくするために、物理的な特徴を書いていくという、そちらのデータにはすごく力が入っているんです。一方でWikipediaみたいに、作品や内容についての知識を書くということに関しては、記述を分けているんです。それらがつながることで、『メタルギアソリッド』の○○版のデータの塊となるような設計になっているんですよ。僕らはそれを「データモデル」と呼んでいるんですけど。
今のメディア芸術データベースを検索したら、そのうち物理的な特徴だけが見えるんです。内容を書くデータのほうは、一部入っているけれど今は表示されていないという。そういう問題なんです。

では内容の詳細についても、データとしては持っているわけですか?

福田:全部にあるというわけではないんですが、例えば、僕ら立命館大学ゲーム研究センターでつくっているデータには、そうした内容に関する情報の入っているものが、たくさんあったりするんです。

大向:メディア芸術データベースのためだけにデータをつくる人というのは、基本的にはいなくて。それぞれの業界だったり分野だったりの、何かの制度のためにつくっているとか、研究のためにつくっているとか、データがつくられる理由は、基本的にはデータベースとは別の目的なんですよ。そうしたデータをメディア芸術データベースに引っ張ってきているんです。
そのために、データのどの部分が作品そのものに関することで、どの部分がパッケージそのものに関することなのか、といった仕分けも分野によって違います。それを現場の方に「このルールでイチからデータをつくり直してください」とか、口が裂けても言えないですし、やっても意味がないので。
各分野のふだんのビジネスから手に入るデータを、何とか共通した姿として見せるためにはどうしたらいいんだろうかというのは、類似する例があまり見つからないですね。

左から福田氏、大向氏

福田:このタスクチームの態勢になって2年ぐらいなんですけど、僕らがいちばん時間をかけたのは、サービスの後ろ側にあるデータの塊の構造、つまりデータモデルをどうつくるかということなんです。
こういう標準的なモデルで、それを各分野でどう解釈して具体的な仕様にするか、というところまでは、かなり議論が進んでいて。でも、それをいかに実装させるかというのは、正直、バタバタと進めたという感じですね。データモデルをいかにこのサイトに入れ込んでわかるようにするかは、今も現在進行形な状態で、どうしようかと話しているところなんですけど。

大向:とにかく異なる分野を同じ土俵に乗せる、事情の違う分野を乗せるというところに、本当にまる2年かかっていますね。それで上がってきたものは、なんだか普通の検索エンジンっぽくて(笑)。
とはいえ、まずはこの状態をとにかくつくって、世に問うというところからしか始められないので。「思っていたものと違う」という意見をおっしゃる方も、Twitterとかを見ているといらっしゃいますし、それはもちろん理解しています。けれども、出すまでがゴールではなくて、ここからが本当のスタートだと思っていますから。
公共系のサイトだと、出すこと自体が目標みたいなものも見かけますけど、ウェブのビジネスをされている方なら当然ご存じのとおり、世に出してからが本当のスタートなので。

福田:僕らがとにかく大事にしていたのは、奥にあるデータの塊の構造だし、そのデータにAPIとかで直接アクセスできるための仕組みをつくることだったので。表で見えているものは正直、いったんなんとか形にはしたけど、これからどうしていこうかという感じですね。逆に言うとAPIがあるわけだから、表は勝手につくってもいいよ、みたいな。

絶対に変わらないデータを提供して、それ以外は外部のデータとリンクさせることで網羅する

データモデルについて、もう少し詳しく聞かせてください。異なる分野を横断するデータベースをつくるにあたって、特にどんな点が問題だったのでしょうか?

大向:これまで僕は、論文のデータベースをつくってきたり、本のデータベースをつくってきたんですけど、その経験からすると、メディア芸術データベースは本や論文より数段難しいなと思いました。
例えばマンガを例にすると、『ドラゴンボール』の単行本が1巻、2巻、3巻とあって、それには流通用などの番号が振ってあるわけです。でも『ドラゴンボール』というマンガそのものには、誰も番号を振っていない。というのも、『ドラゴンボール』の1巻を買うことはできても、『ドラゴンボール』という概念そのものは誰も買うことができませんから。
誰かが『ドラゴンボール』について検索するときには、どちらかというと個々の巻よりは、『ドラゴンボール』という概念のことを効率よく調べたいなと思っていますよね。だけど現実に存在するデータは、一つひとつの単行本についてのものしかない。
アニメも同様で、各話が何年何月に放映されたという情報は集められるけれども、『ドラゴンボール』がどういうマルチメディア展開をしているのかという答えに関しては、個々のデータをいくら探しても出てこない。

たしかにそのとおりですね。

大向氏

大向:先ほどお話ししたように、メディア芸術データベースのデータは各分野のいろんなところから引っ張ってきているんですが、ゲーム分野に関しては、もともとパッケージを集めてそれを整理しているひとつの機関(立命館大学ゲーム研究センター)が、まさにそういう概念から整理してデータをつくっています。
一方で、図書館はあまりそういうことはやらなくて、個々の単行本や雑誌に関するデータがメインなんです。図書館はモノの貸し借りを大事にするというのもあるので。
そんなふうに、分野ごとにデータのつくりがぜんぜん違うんです。今のところは、元データとしてかき集めたものが表示できるところまでは、とりあえずやってみましたという形ですね。
一応、みんなが頭のなかで「これが作品だ」と思っている概念と、それを構成する個々の要素とのつながりまでは定義しています。でも概念としての作品を見たときに、これがアクションであるとかラブコメだとかいったジャンルの部分や、こっちの分野では整理されているデータがあっちの分野にはないとか、異なる分野同士の関係をどう見せるとわかりやすいのかといったところは、まだかなり未解決な問題ですね。

三原:僕がデータモデルづくりで意識していたのは、情報の本質的な確からしさに即して整理を行うことです。まず最初に目を向けたのは「誰が見ても事実として、おおむねそうだと確認できること」の情報です。これは奥付に日付が書いてあるから、タイトルが書いてあるから、というふうに、モノに付随する情報は基本的に誰でも入れられるから、それを一次情報とする。これがまずひとつ目です。
次に、モノには書いてないんだけど、受容している多くの人が社会的に「それはそのとおりだ」と判断できるもの。「これは『ドラゴンボール』だよね」「これは『ドラゴンボール』じゃないよね」という。これが2つ目。
逆に言うと、世のなかの人が見たときに意見が割れる情報、例えばジャンルのように「これはアクションだ」「いえ、ファンタジーです」というようなものは、揺れうるわけで。この3つ目の情報は、さらに難易度が上がるわけです。
メディア芸術データベースはこの検証の段階を、一段ずつ上ってきているんです。今の仕組みとしては、まずひとつ目のモノに付随する情報は、おおむね仕組みとして担保されている。次に2つ目をどうやっていくか。読めばだいたいわかるんだけど、中身を受容しないとわからないようなもののデータを、どういうふうにつくっていくかを考えていく。
そして3つ目の、世のなかの人が見たときに意見が割れる情報については、ひょっとしたらメディア芸術データベースではできないかもしれない。それより前にある情報がつくれていないと上手く定まらないし、そこは人によっていろんな使われ方があってもいいんじゃないかという、オープンな考えにしているんです。

メディア芸術データベースとしてはまず、誰が見ても絶対に変わらないデータを提供する。それ以外の、人によって見方の異なる情報や年々変わったりする情報は、メディア芸術データベースとつながっている外部のサイトに置かれていても構わない、ということですか。

大向:自分としては、メディア芸術データベースがすべてを網羅する情報を持っている必要があるとは、到底思っていなくて。メディア芸術データベースは本当にコアになる、それこそ作品が実際に存在するかどうかの情報だけを担保するようなものだと思っています。
それ以外の情報に関しては「LOD(Linked Open Data)」とかで、利用しようとする人自身が信頼性を自分で担保できる情報を、自由に組み合わせて使うものだと思っているんです。
だからメディア芸術データベース自体はそんなに多くの情報を持たないし、持たせようとしても現実的に不可能なので。他のところにある美術館でも博物館でもいいんですけど、それぞれの分野でまとめられたものにIDさえ紐付いていれば、自由に組み合わせて使える。その先で自由に加工できるベースとして使うものだと認識しているんです。

福田:「LOD」は注釈を入れておいたほうがいいんじゃないですか。

大向:「LOD」はまさに私自身の研究テーマで、要するに「データがつながっている」ということです。ウェブサイトがページを公開してそれぞれがつながり合っていることは、今さら説明しなくても理解できるぐらい広まっていると思いますが、より細かなレベルで1個1個の情報も同じようにつながっているんです。
「作者の情報についてはこちらのサイトを見てください」とか、「売り上げの情報はこっちにありますよ」といったものは、メディア芸術データベースが持っている作品情報からちゃんとリンクできていれば、それでいいと。
もちろん、リンクするためにはリンク先の住所がはっきりしていないといけないとか、引っ越しを繰り返していると追跡できなくなっちゃうので、そこでまた「番号はキチンとつけましょう」という話に戻ってくるんですけど。
ともかくデータに番号付けをして、それをネットで公開してほかの人につないでもらいましょうという考え方を、「LOD」と呼んでいるんです。メディア芸術データベースも、そういうLODのプレイヤーのひとつになれたらいいよねと。
それで話を戻すと、さっき話に出たジャンルとか、意見とかレビューとかそういうものは、メディア芸術データベースそのもので扱うことはたぶんなくて。外のサイトが「***番に対するレビューですよ」というときの、その住所としてメディア芸術データベースを使ってもらえればと思います。

大坪:レビュー自体はメディア芸術データベースの外に載っているから、その情報を使うか使わないかは、検索しようとする人が自分で判断すればいい。そういうことですね。

ネットの世界に情報があふれるなかで、どうやって信頼性を獲得するか

イメージとしては、まず大元の台帳となるリストがあって。そのリストを使って各分野のデータみたいなものが、そこに紐付けられてくると。例えば販売本数はこの協会が調べますとか、輸出額の合計はここが調べますとかいう形で、あくまでこの台帳をベースにして、いろんな使われ方がされていって。
しかも、それぞれの使われ方というのもリストによってつながっているから、より俯瞰的な調査をしたい人は、そのつながっているデータのどれを使うかを、自分で取捨選択できる。そういう感じでしょうか。

大坪:そうですね。といっても、まだ行政がオープンデータ化されていないので、絵に描いた餅かもしれないですけど。

福田:でも、これ自体がそうやってつないでいくための、最初の一歩でもあるので。

三原:ただ僕としては、これに関連して今のメディア芸術データベースですごく問題だなと思っていることがあります。このサイトのデータを一次情報だと信頼してもらうためには、「一次情報でこう書いてあります」というのをちゃんと宣言しないといけないわけですけど、今はそういう情報が提供できていないんです。具体的に言うと、このデータはここから採っています、こういう態勢でつくっていますということが、アバウトにしか書かれていない。
なので、それをもっと発信していって、「こうつくっているんだったら大丈夫だよね」という信頼性を獲得していかなきゃならないと、強く思います。図書館はそういうことまでルール化してやっているわけだから。

左から大坪氏、三原氏

大向:長期的に信頼してもらうために今やるべきなのは、プロセスをちゃんと説明できるようにすることです。今はそのために、どこから情報を提供してもらっているのか、といったことを説明できるような態勢をつくっているところですね。
よく「ユーザーからもデータを入れられるようにしたほうがいいんじゃないか」と言われるんです。もちろん、情報の幅を広く取るためにはいいかもしれないけれど、今のところは自分たちが説明不可能なプロセスを入れないことで、ある種の信頼を得たいと思っています。
ユーザーが参加できるということで信頼されているサイトもあるんだけど、ここではそうではない。いっぱい情報はあるんだけど、「これは何なの?」と聞かれて答えられなくなるようになってしまったら、土台となる番号付けまでも信頼を失ってしまうのではないかと思っています。

ネットにある情報って、世代がどんどん変わっていくにつれて、社会のインフラだと捉える人が多くなっていて、特に子どもは鵜呑みにするわけじゃないですか。それを逆手に取ったビジネスもあるし、極端な例だと「○○について調べてみました。その結果、わかりませんでした!」みたいなものまであるわけで(笑)。とにかく今のネットの情報は、正しいか正しくないかの議論で言うと、そこはまったく担保されていない世界になっていますよね。
そこを誰が、どのような仕組みで担保するかは、国もそうですけど、本来はGoogleとかがもっと責任持ってやれよ、という話だと思うんです。あまりに担保してなさすぎでしょうと。

福田:今はネットをパッと検索したらいろんな情報が引っかかって、そこには十分な内容があるように感じるかもしれないですね。でも、例えばWikipediaだと編集合戦みたいなこともあって、公平な内容を保つことは難しいですよね。

大向:Wikipediaの情報はみんな、大自然に自生して勝手に生えてきているぐらいに思われているんですけど(笑)、実際にはそうではない。ボランティアやコミュニティの人たちが、情報を記述するのと並行して、裏付けのない情報が載らないためのいろんなチェック機能を維持管理しているわけで。
特にWikipediaの場合は、基になる情報では自己申告的なデータはあまり好まれないんですね。第三者がチェックした情報を出典として明記しているとか、そういったものはある程度信頼されて消されないわけですけど。
そういうところに対して、どういう情報源を提供できるかが、すごく大事だと思うんです。Wikipediaの内容を書く際の基本となる情報、そもそもどういった作品があるのかといったことは、コミュニティでイチから探すのではなくて、ある種まとまった形で提供できるルートをつくっておくべきだろうと。

大坪:世のなかにあふれている情報にどの程度の信用性があるか、多くのみなさんは意識していないと思うんです。Wikipediaの情報って、ウェブサイトに書かれているからそれが「真」だと思っているかもしれないけれど、ある程度情報がわかる人間からすると、これは二次情報、三次情報が基になっているとか、これは筆者の思考が入っているとか、すぐわかるんですよ。
私もWikipediaを参考にはするんだけど、何ら信用はしていなくて。そこから検証して調べ始めるアタックリストのいの一番ぐらいにしか、見ていないんですね。
それに対してメディア芸術データベースに関しては、もちろん検証したほうがいいでしょうけど、すでにいったん検証されたものだと思うと、少なくとも検証するコストと探すコストを軽減できるというのは、良いことのひとつなんだろうなと思います。
もうひとつの良いこととしては、情報の純度に関して意識を払う姿勢というか、そういったものを示せるのではないのかなと思うんです。これは学術的というか、教育的な話になっちゃうんですけど。
メディア芸術データベースは基本的に一次情報、つまりモノを実際に持っている人から採録した情報になると思うんですよ。それはそれぞれの分野で研究されているデータをコピーしたものだから、ほとんど一次情報と見なしていいと思うんです。
そこから派生するものが二次情報、三次情報なんですが、そういった情報を見たときに、例えばWikipediaを見て思考停止してしまうのではなくて、その情報が準拠しているものを見に行く。つまり私だったら、Wikipediaの個々のページのいちばん下にある「参照」のリンクを見に行くんですけど。
あの「参照」のリンクを見に行くかどうかというのは、情報リテラシーという意味ではすごく重要で。メディア芸術データベースは、その「参照」先のいちばん上か、いちばん下に来るものだと思うんです。

大坪氏

福田:Wikipediaのなかにも、内容的に良く書けているものもあります。また、じつはWikipediaの情報は今、図書館の典拠などともつながってきています。「Wikidata」や「DBpedia」というプロジェクトは、Wikipediaのデータを構造化し、さらにそれを全世界的な外部のデータに接続できるデータセットに変換しようというもので、注目を集めています。
そういう意味では、メディア芸術データベースがマンガやゲームの所蔵情報を集めて、それをWikidataみたいなインターネットの情報とつなげていくというような形で、上手く役割分担をしたり、補完的な役割をどうつくるかということを考えたりしないといけないと思っていて。そういう意味ではコミュニティと対立するんじゃなくて、いかに関係をつくっていくかだと思っています。

大向:それなりに情報を整理している人たちがすでにいて、その人たちのアクティビティを止めないということも大事だし、そういったものをきちんと世のなかに開いていって、それが信頼できる情報だとみんなに認めてもらえる環境をつくる。メディア芸術データベースそのものができることは、そのあたりかなと思っています。
もともとやられているアクティビティと、世のなかの「こうあったらいいよね」という要求とをつなぐというか、そういうところとして認められたいなと、自分のなかでは思っています。
その観点で言えば、20年後に「この番号がなかったら、どうやって仕事していたんだろう?」と思ってもらえるのが最高のゴールですね。ただ今はこの番号の存在を、みんなまだ意識しているわけではないので。そこを広めていくための活動も、していかなきゃいけないと思っています。

ID番号はなぜ、数字でなければならないのか?

ここまでのお話のなかで、個人的にモヤッとしているところがひとつあって。IDが数字の番号であるメリットって何ですか? 
例えばWikipediaにしてもGoogleにしても、今はみんなキーワードベースで検索しているわけじゃないですか。もちろんWikipediaだって、内部のデータベースにはID番号があるんでしょうけど。でも実務として、キーワードではなくてID番号を紐付けましょうというのは、ちょっと大変ですよね。番号で管理する必要性は、どんなところにあるのでしょうか?

大向:メディア芸術データベースを多言語化するときはどうするのか、という問題がずっとあるんです。今は多言語化といっても、データ名は日本語でつけられたものしかないですけど、後々はそういうことまで広げたいですから。
英語にすればいいんじゃないですか、という話もあるんだけど、英語に訳せない単語なんていくらでもあって。Wikipediaの場合は最初に英語版をつくって、そこから徐々に広げていく際に「現地語でやりましょう」となったんです。
日本語版Wikipediaでは「https://ja.wikipedia.org/wiki/」の後ろに日本語の見出し語を入れるとその語の記事にアクセスできるんですが、これは日本人なら当然わかりますけど、日本語を読めない人にはほぼ100パーセント、アクセスできない情報になっているわけですよね。ただあれは、日本語の事典だからそれでいいということになっているんですけど。
でもじゃあ、Wikipediaのイタリア語のこのページと、同じ項目の日本語のページは、はたして同じ内容なのかというのは、究極的には誰も説明できない。それでも一部の人が一生懸命リンクしたりしていたんだけど、「きりがないから、もうこれは止めよう」ということになったんですね。
今は作品や概念がまず先にあって、Wikipediaのページに窓をつくってそこに情報を表示するように、大幅なつくり替えが始まっています。
そのコアになっているのが、Wikidataというデータベースです。WikidataのIDは番号なんです。アルファベットのQから始まる番号が、どんなジャンルの何であってもひたすらつけられていて。WikipediaにあるものはWikidataにもあって、それが人であろうが何であろうが全部番号扱いされるんですけど、でもその番号ならどの言語版のWikipediaでも表示できるんです。

なるほど、今はそうなっているんですね。

大向:もうひとつ別の例を挙げると、ISBNコードってじつは、図書館で集めていると「この番号は使い回してる!」というのが出てくるんですよ(笑)。参考書のある年の版と、その翌年版が同じISBNを使っているとか。図書館業界ではブラックリストみたいに「こことここの出版社のISBNは信用するな」みたいになっているんですけど(笑)。
発行する側としては、次の年度の版が出たら前の年のものは絶版にするといった形で、実務上は問題ないんでしょうけど、そのISBNを基準に整理する側はたいへん困るわけです。
だから「IDとは何か」ということが、じつはそんなに共有はされていないところがあって。メディア芸術データベースに関しては、新しくイチからつける番号なので、それは絶対に起こらないようにしよう、ということですね。
とにかくすべての項目に、固有のID番号をつける。しかもそのID番号がURLの一部になっているので、番号を入力したらその作品に関する情報がとにかく出てくると。
特に、「内部の管理番号と、外から見えるアドレスの番号を同じにする」というのは、メディア芸術データベースのサイト上の大きなコンセプトのひとつなんです。ほかのサイトだと、バラけていることがけっこう多いんですよ。でも、バラけていたら単なる管理番号に過ぎなくなるので、「番号そのものを流通させたい」んですね。それはWikidataがやろうとしていることを、ほとんど真似しているというか、同じアプローチを取ろうとしています。

福田:ゲームでも、『ファイナルファンタジー』に最適なラベルとかキーワードって難しいですよ。カタカナとアルファベットの両方の表記がパッケージに表示される場合があります。それを決めるとしたら、そこには人の解釈が介入しているじゃないですか。そこですでに分岐していますから。

作品そのものの表記自体にゆらぎがあったりしますからね。

福田:そうなんです。結局はゆらぎが生じるんですよ。「・(ナカグロ)」を入れるか入れないかとか、半角スペースなのかアンダーバーなのかといった具合に、いろんな表記揺れが出るんですけど、順番に割り振られたシリアル番号にすれば、そういうゆらぎは生じない。
そして「LOD」の世界では、URLがネット上の識別子になるんです。URL自体が識別子として成立するので、そこが強固じゃないとダメなんですよ。メディア芸術データベースの個々のページは、ID番号がそのままURLの一部になっていますから、番号を順次振っていくことにすれば、重複が絶対に発生しないので、ID体系として非常に強固になる。

大向:急に「システムを入れ替えたので、番号が全部変わります」とか言ったら、もう阿鼻叫喚ですよね(笑)。そういうことは絶対にしてはいけない。といってもありがちなんですけど。

福田:じつはメディア芸術データベースも、開発版から現在までに1回、全部振り直したんです(笑)。

大向:でもこれが最後です、もう二度としませんと。

左から福田氏、大向氏

大坪:アニメの話になりますけど、例えば『機動戦士ガンダム』という作品には、広義の「ガンダム」と呼ばれる作品群と、狭義の「ファースト・ガンダム」と呼ばれる作品がありますよね。
でも狭義の作品って、後から振り返って「ファースト」と呼ばれるけれども、作品自体にはどこにも「ファースト」なんて書かれていないんですよ。だからただ『機動戦士ガンダム』と言ったときに、狭義の作品を指すのか、広義の作品群を指すのかわからないときがあるんです。なので、そこを識別するためにも、必ずその双方にIDを振られていないといちいち「狭義の」「広義の」と付けないといけない、みたいな問題が出てくるんです。
あとは、人の名前になるんですけど、アニメ業界には「小林治」問題があって(笑)。同じ表記の小林治さんが3人(註5)いらっしゃるんですよ。その3人が一堂に会するイベントがあるぐらいで(笑)。
それに限らず、同姓同名の問題って難しくて。外国の方になると漢字の違いもないので、特に区別がつかないんです。そこにIDが振られていると、特定ができるというのはすごく大きくて。

三原:どの分野でもそうですよ。僕は『銀河鉄道の夜』のマンガ化を手がけたことがあるんですけど、『銀河鉄道の夜』という表記は世のなかにありすぎるんです(笑)。同じ原作で、同じ作家さんが、違うバージョンの作品を描いていたりするんですね。
そうすると、どれがどれだかわからない。しかもデータの表記的に、作者のところに宮沢賢治が入っていたりするわけですね。マンガ化した人は「絵:○○」みたいになっていて。そうなるとデータの上では探索不可能ですよね。そんなことも実例としていっぱいあります。
またさっきの『機動戦士ガンダム』みたいな問題は、Wikipediaを見ると非常におもしろくて。『ドラゴンクエスト』で例えると、“『ドラゴンクエスト』(シリーズ)”となっていてシリーズのいろんな情報が出ているページもあれば、1作目のページのなかに“続編”という項目があって『ドラゴンクエストⅡ』の説明があるとか、(アニメ)とか(ゲーム)という項目が共通して1個に包含された概念のページもあれば、原作としてもともとある作品にぶら下がっているものもあれば、そもそもエントリがちゃんとなくてカテゴリしかないものもあるとか、すごくバラバラな状況で。
そうなると、誰かが調整して番号で管理しないと、先ほどから申し上げているようなデータの利用なんて無理ですよね、ということがよくわかると思います。僕は逆に、メディア芸術データベースの作品群をつくるために、Wikipediaのそのデータを機械的に判断して、コンピュータで峻別する研究をしているぐらいですから。

大坪:研究の例で出てきた、ゲームタイトルの文字数が長くなる話って、すごくよくわかるんです。なぜ長くなるかというと、後ろに「完全版」とかつけていくことで、自然言語で名前をユニーク化しているからなんです。文字コードでユニーク化するという意味では、あれも一種のIDなんですよ。
アニメでもう少し厄介なのは、『ゲゲゲの鬼太郎』の(第5期)とか(第6期)とか呼ばれるもので。でも作品タイトルの表記上は全部『ゲゲゲの鬼太郎』で、特に違いはないんです。
あとはすごく発音しづらいんですけど、作品名に“’(ダッシュ)”がつく作品があるんですよ。例えば『DOG DAYS』というアニメの2期は『DOG DAYS'』(ドッグデイズ ダッシュ)という表記で。さらにダッシュが2個ついて『DOG DAYS"』(ドッグデイズ ダブルダッシュ)というのもあって、パッと見ではほぼ区別がつかない(笑)。

左から大坪氏、三原氏

映画のデータベースとかだと、同じタイトルの作品は年号で区別したりしていますよね。

大坪:タイトルの後ろに「(2016)」というのがつく形ですよね。だからそういう、個別で認識しなければいけないものがある以上、IDは必須ですよね。まぁでも、IDというのは機械ファーストではあるので、コンピュータがIDをわかれば、人間はそもそも考えなくても済むというのはあります。

福田:ID自体も本当は数字である必要すらないんだけど、番号に置き換えるのが、人間にもちょうどいいというか、中ぐらいな感じですよね(笑)。

大向:中ぐらいですね。これがランダムなアルファベットの羅列になったりすると、機械には判別できても人間には耐えられない(笑)。数字だと、業界によっては一定の数字の並びを見ただけで符丁としてわかってくる、みたいなこともありますからね。ISBNを見るだけでどの出版社の本なのかわかっちゃう人とか。

全容を把握できる「台帳」が存在するからこそ、そこに価値が生まれる

こうやってお話を聞いてみて、メディア芸術データベースの本質が、根っことなる台帳というか、検地のデータであるということがよくわかりました。
でも一方で、その根っこの台帳を使うと何が便利なのか、このデータがいかに応用性があるのかということを人々に示すプロモーションというか、ある種の見本としての何かを示すことも、別軸で考えてやっていく必要があるんじゃないかと、個人的には思うんです。

福田:それはどうしたらいいですかね(笑)。僕らは根っこの台帳づくりで必死になっているので。データを上手く展開できるようなAPIの仕組みだとか、データを提供できる環境はつくっているんですけど、じゃあそれをどう出していけば一般の人に伝わりやすいかというのは、もうちょっと頭をひねらないといけないかな、とは思いますね。

三原:でも「台帳」ってそんなに刺さらないものですかね? 「台帳のないところに価値なんかないだろ」と、むしろそう考えるほうがわかりやすいんじゃないかと思うんですけど。

そこは何か、具体的な説明が必要だとは思いますね。

三原氏

三原:例えば骨董の世界で古伊万里(註6)がなぜ珍重されだしたかというと、まず現存するであろう古伊万里のリストをつくった人がいたからなんだという話を聞いたことがあります。リストをつくると、それをコンプリートしたいと集めたくなる人が出てきて、価値が上がる。なぜなら「全体がわかる」から。この話はあくまで噂話の類なんですけど、それはたしかにそうだろうなと思うんですよ。
メディア芸術に関してもそうで。僕らが保存の観点から「残っていない」という現状を話してしまうので誤解を受けている気がするんですけど、じつは古いマンガとかそういうものは、けっこう残っているんですよ。みんなが捨てていいと思っているなら、こんな仕事はしなくてもいいわけですが、でもそうじゃなくて「これは貴重なんじゃないか」と持っている人たちが大勢いるんです。
だけど問題は、それが本当に貴重かどうかわからないということです。最近よくあるのは、持っていた人が亡くなったら、家族の人が貴重なのかどうかわからなくなって、捨てるに捨てられなくなるっていうケースですね。

コレクターにはわりと共通する悩みですね。

三原:だからこそ、本当に貴重なのかどうかを示すためにも、メディア芸術データベースみたいな台帳が当然必要なんです。それは学術的にもそうだし、一般的な人たちの生活のなかにおいてもそうです。
個人のコレクターと言うとごく限られるかもしれないですけど、いろんなモノのコレクションを持っている人が地方にいて、それを核にして地域興しをしたいとか、それに関連する人たちをつなげたいとか、そういうプロジェクトっていっぱいあるわけですよ。
最近だと日本刀がそうですよね。そういうものがあったときに、相互の価値を組み合わせてより大きな価値を持たせるためには、それらをつなぐ必要があって。みんながそれぞれバラバラに「こういう価値がある」と主張しても、どの価値が正しいのかという突き合わせができない。だから突き合わせる仕組みが必要だ、という話になる。
これまでは図書館や博物館、美術館が、そういうことをやってきた組織なんです。結局僕らは、図書館がやるべきミッションと、そんなに外れたことはしていないつもりです。ただ、メディア芸術データベースの場合は扱っているのが本ではないがゆえに、いろんなモノが入ってくる。
「これもそうじゃない?」「これは違うの?」と言っているなかで、それらを同じ粒度や水準で扱うのがすごく難しい。そこがこのプロジェクトの難しいところなんですけど、本質的にはそういうことをやっています。

大坪:ファインアートだと「レゾネ」という作品目録が、それぞれの作家ごとにつくられるじゃないですか。いったん固まったリストに対して、新しいモノを発見したときには真贋を確かめる委員会が開かれたりして。逆にそういった全体を把握できるリストがあるからこそ、経済的な価値もついてくると思うんです。

コンテンツが多様化するなかで、そのデータを記録しておくことの意味とは

なるほど。アートの文脈でいうと、メディアアートは全体を把握する台帳がまだない分野かもしれませんね。メディアアートは形がないモノというか、体験じゃないですか。移り変わりの早い情報技術を作品の媒体にするものが多いので、そのままに保存するのが難しいジャンルだと思います。しかも、マンガ・アニメ・ゲームに比べても新しい分野だから、評価基準や批評の体制も発展途上で。
そうやって新しく出てきた文化で台帳をつくろうとすると、例えば「メディアアートであれば全部記録すべきだ」とか、いやそうではなく、「ある程度文化が成熟して一定の評価が定まってから載せるべきだ」とか、そういう話になってくると思うんです。台帳がつくられてきた文化では、そのあたりの問題はどうやってクリアしてきたんでしょう?

福田:台帳やリストが本来的に必要かどうかは、それに関わる人たちが必要と思うかどうか、だと思います。そういう意味ではリストの存在が、コミュニティの成熟度を示していると思うんです。
文化を形成するコミュニティが発達すると、人材育成をする機関が出てきたり、批評とかの研究も進んで、どこかでひとつの文化してのまとまりができてきますよね。リストの存在は、そういうまとまりの成立を指し示すひとつの指標だと捉えて間違いないでしょうね。

福田氏

三原:台帳がつくられるかつくられないかというのは、歴史的にどこかのタイミングでそれが必要になったか? というコンテクストに依存していると思うんです。ただ、その文化が進んでいった先のどこかのレイヤーでデータ、モノ、情報を流通させるためには今、どんなものでも台帳を整備しておいたほうがいいですよね。
スポーツなんかはその最たるもので、なぜ相撲が日本の国技なのかというと、台帳が残っているからだと思うんです。いつどこで誰が勝った、誰が負けたというのが、江戸時代からさらにもっと昔まで遡れたりするからこそ、国技として成立するわけですよね。
文化を支えるためには、何があったかという履歴をつくっておくというのが、根源的に必要なことなんです。

歴史の価値というのは、履歴の積み重ねでしかなくて。文化に価値がある、歴史に価値があるということを示すために履歴をつくりましょう、というのはド正論だと思います。

大向:戦国時代の実像を知るには結局、当時の人が書き残した手紙や日記しかないわけですから。戦国時代の手紙からなぜ『信長の野望』をつくることができるのかと言えば、「誰かが整理したから」としか言いようがない。
「誰かが信長にこれだけの年貢を納めた」みたいな手紙から、僕らはこの国が数千年続いているという理解をするところまで到達しているんです。通史を最初からつくっている人はいないので。

日本が文化立国だとか、コンテンツ立国をしていくんだというときに、海外でイベントを開きましたみたいなことよりも、コンテンツの履歴をつくりましょう、歴史を形にしましょうというほうが、もしかしたら正攻法なのかなと思いますね。そもそもそれがないと、アニメの歴史も何も語れないわけですから。

三原:カッコ良すぎることを言うと、日本は世界に対して、「日本のメディア芸術に責任を持つべきだ」と、僕は思っていて。その例として僕はフィリピンの話をするんです。
フィリピンでは日本の『超電磁マシーン ボルテスV』(註7)というアニメが、国民的作品になっているんですね。親・子・孫と、3代にわたるコンテンツなんですよ。
これには政治的背景がありまして、時の独裁政権が『ボルテスV』を禁止したんですが、その政権が倒れたら再放送が始まったという。つまりフィリピン国民の自由の象徴なんです。だから日本にいるフィリピンの方に『ボルテスV』の話をすると、だいたい知っているんですよ。
でも日本人に『ボルテスV』のことを聞いても、いったい何人知っているのかと。もし仮に日本で『ボルテスV』が失われてしまうと、フィリピンの文化のルーツが失われてしまうわけです。
これは『ボルテスV』の話だけじゃなくて、カタルーニャでは『クレヨンしんちゃん』が人気だし、フランスでは『グレンダイザー』が人気だしというふうに、こういう例はじつはたくさんあって。それらの作品の根源が日本にあるからこそ、海外とつなげるための情報源を、日本はちゃんと持っておかないといけない。

いい話ですね。

三原氏

三原:もっと大きな話をすると、仏教の資料の多くはインドではなくて中国にあるんですけど、中国の仏教資料は文化大革命のときにかなり失われていて、そのために、東アジアにおける仏教の研究に対して中国が責任を果たせない部分があるんです。そこを日本の仏教研究が支えたりしているんですけど。
世界にはそういう例がいっぱいあるので、マンガ・アニメ・ゲーム・メディアアートはそうならないように、日本がちゃんとやらなきゃいけない。

大坪:歴史ではなくて「人」にまつわる話をすると、アニメに関わった人って、関わった記録が残らないというか、テキストとして残りづらいんですよ。クレジットが画面に焼き込まれている形なので、検索の難易度が非常に高いんです。
本は書誌みたいな形で検索しやすいんですけど、アニメに関してはそれがすごく難しい。たぶんゲームも近いと思うんですけど。

大向:ゲームの場合は、クリアしないとクレジットが出てこないですからね。

福田:クレジットを動画OCRとかで取り込んでも、まだそんなに精度が高くないですから。

大坪:画面を見なきゃいけないという問題はありますけど、それでも作品がたしかに存在したことさえわかれば、その人の記録は残るんです。人の営みの証しがきちんと残るということですから、それはすごく重要なことだと思います。
でも今はまだ、そこまではできていなくて。なぜできていないかというと、アニメは関わる人数がやたらと多すぎるんです。1話に対して200人とかの単位で関わってきちゃいますから。
ただ将来、そこまでできるようになれば、生前ならその人の次の仕事につながってほしいですし、お亡くなりになった方であれば、その人の仕事の検証として使ってもらいたい。このメディア芸術データベースは、そういった意味ですごく役に立つんですよ。

今、コンテンツの捉え方が多様化しているというか、ミックス化していて。音楽でさえ、CDよりもライブの売り上げのほうが大きくなっている。パッケージから得られる情報だけではアーティストの盛り上がりを測れなくなった世のなかで、文化をアーカイブするとはどういうことなんだろうか、と思うんです。
これまでは、例えば古代だと土器の欠片とか、江戸時代だと瓦版に書かれたテキストの記述とか、そういうモノから読み取って当時の体験を想像するという作業だったじゃないですか。でもこれからは、そういったモノの形では残らない体験みたいなものを、どうアーカイブしていくのかというが課題になっていくはずで。
さきほどのメディアアートもそうですし、YouTubeの動画からこういう文化が発生しましたとか……まぁ、YouTubeだったら残るかもしれないですけど。例えばオンラインゲームのなかで起きた体験を、その当時の文化としてもう一回確認するためには、やっぱりパッケージだけではない情報のアーカイブが併走していないと、おそらくわからなくなると思うんです。
メディア芸術データベースは、今のところはパッケージに関するデータがメインになっていますけど、そういったパッケージ以外の情報については、どう考えているのでしょうか?

インタビューの様子

福田:そうですね。そのためにひとつやっていることとしては「関連資料」と呼んでいるものがあります。例えばゲームの企画書とか、マンガの原画やライセンス商品といった、作品の成立に関連したものや、作品から派生した資料も入れられるような構造を考えています。
例えばゲームの博物館の展示だと、何千という『パックマン』の関連商品の中心に『パックマン』の筐体が置かれることで、このゲームから『パックマン』が始まってキャラクターとして多彩な広がりを見せたということを伝えることができるじゃないですか。そういう関連資料も登録できたり、そこからさらに作品やパッケージにつながるような構造を持たせていくことができればと。

お話をうかがっていて思ったんですが、フィギュアみたいなものは、アーカイブの対象にはなり得ないんですか?

福田:なり得ます。なり得ますが……今の4分野のデータモデルをつくるのも、2〜3年必死にやってなんとか形にしたので、フィギュアならフィギュア分野の専門家とよく話して、彼らがこう分類したいという要求を分析するプロセスをたどらないといけないので。

今はとりあえずソフトウェア的なものに限っていて、それでも大変な思いをしてやっているけれど、より未来にはそこからさらに広がっていく可能性があると?

福田:そうですね。例えばeスポーツの大会での、個々の対戦動画にIDを振って。そこではどういうプレイヤーが対戦していて、ゲームは『ストリートファイターV』のバージョン○○だとか、使っているキャラクターはこれで、その結果こうなった、みたいなものをデータ化するとか。
今後そういう展開をするための根っこになるものとして、まずは作品やパッケージについて記述していくというのが、僕らのアプローチですね。
今は「パッケージ」と、個々のパッケージをつなぐものとしての「作品」、そして作品に対して責任を持っている「人」という、その3つのリストを正確につくるというのが、メインのタスクになっています。
データ化することを僕らは「記述する」って言うんですけど、その3つは今後、さらなるデータを記述するための根幹になるものなので、まずはその台帳をつくることに焦点を絞っているという形です。

広く参照されるデータベースとなるために、今後もアップデートを続けていく

福田:逆にこちらから質問なんですが、例えば電ファミニコゲーマーさんが記事のなかでゲームのタイトルについて触れたときに、メディア芸術データベースにどういうデータが入っていたら、典拠としてメディア芸術データベースにリンクしてくれますか? 
いろんな人たちが、喜んで僕らのデータベースを参照してくれるようになったら、結果としてそれ自体がデータとしてどんどんリンクして広がっていくので。

インタビューの様子

どういうデータがあったらですか……。でも電ファミ含むゲームメディアって、日本国内で大きなところはたかだか5媒体とか、多くても10媒体ぐらいですから、僕らよりも一般の人が使いやすいものになるほうが、ずっといいですよね。
といっても、少し前ならブログで使うためにAPIを公開しましょう、みたいな動きもありましたけど、今ではブログをやっている人も少なくなり、一般の人が使っているのはTwitterやTikTokなどのSNSですよね。そうなると、そこまでしてデータを参照したいというニーズって、むしろ減っていると思うんです。
仮に一般の人がメディア芸術データベースのデータを使うことがあるとしたら、画像を引用するために使う、みたいな形なのかなと。「これは正式に引用していい画像ですよ」という形で、例えばマンガ雑誌のタイトルリストと一緒に、それぞれの表紙の画像があるとか、それだけでも使われる用途はぜんぜん違うと思いますし。
理想を言えば、ゲッティやアマナ(註8)の公共版みたいに、「ここのテキストと画像は公共のものなので、文化史として引用するときにはここを使ってね」と言えるのがベストではありますよね。

福田:うーん。画像とかのコンテンツは、そもそも僕らのものではないので……。

三原:でもパッケージのサムネイルなんかは、インフラとしてたしかに需要があると思うので、やったほうがいいですよね。すべてじゃなくても、限定的でもいいので。

大坪:サムネイル画像に関しては、例えばキネマ旬報社さんみたいなところに、スチール写真やあらすじのテキストといった、映画の「宣材」と呼ばれるものを実務上どう取り扱っているのか、ヒアリングしたりはしているんです。
ただアニメの場合だと、現在進行形のビジネスとして動いているものだという点が、とても大きい問題なんですよね。アニメがどこでも見ることができるようになると、ビジネス側に悪影響が出てしまうので。
本の場合は写真や画像がなければ読みづらいという物理的な制約があるから、黙認されている部分があるんです。

雑誌などでアニメのスチール写真を載せる場合には、現行の商品の宣伝以外では、写真1点につきいくらみたいなお金を支払っている現実もありますからね。

大坪:ビジネス的にどう折り合いをつけるかというのは、継続的な課題ではありますね。あとはウェブサイトで公開されているものがどこまで転用可能なのかという法解釈的なものが、また別の話としてあります。でも今、ここで一度整理しておけば、みなさん使いやすくなると思うんですよね。
ビジネス側からは逆に、「宣材がメディア芸術データベースのなかに入っていたら、いちいち権利元に問い合わせしなくてもいいからラクですよね」という話はよくされます。それなら許諾を出してくださいよ、と思うんですけど(笑)。
でも実際問題として、担当者がいなくなると宣材がどこにあるのかわからなくなったり、権利元が倒産したりして窓口が不明な場合もあったりするので。
それを考えると「ビジネス利用がOKであれば」という前提ありきですけど、相当ラクになる話ではあると思うんですよね。ここを使えば人を介さなくても済むというのは、ビジネス側にとっても大きい話なので。

三原:出版の場合は、業界団体である「JPO近刊情報センター」のデータベースに、書影や概要などのデータが全部集約されていて、それがハブとして機能していますね。それを考えると、ほかの分野でもそういったものがあると便利ですよね。

さて、最後にお聞きしたいのですが。メディア芸術データベースのサイトには、今のところ「ベータ版」という文字がついていますが、これが取れて正式版になることはあるんですか?

福田:さっきも申しましたとおり、かなりバタバタと表面をつくったので、これは「ベータ版」とつけておかないと、ちょっと怖いなと。でも、つけたらつけたで、外すとなるとなかなか難しいね、みたいな(笑)。

大向:ベータ版じゃなくなるときは、ただ取るだけですよね。サイトに「正式版」とか書いてあったら、カッコ悪いじゃないですか(笑)。Googleの正式版なんてあるんですか、という。
もはやバージョン番号もなければ、でもいつの間にか変わっていて……と、そういうことなので。仮に「ベータ版」の文字が取れたとしても、それは完成を意味するものではなくて、今後も常にアップデートし続けるものだというのは、当然のことですから。
ほかの人たちの活動にとって、なくてはならないものだと思ってもらえるようになって、だからこそこちらとしてもキチンとやらなければいけないと、自他共に胸を張ってデータを整備できるようなところまできたら、それはもう、本当の正式版だと思います。やっぱり周りとの関わりがあってのものなので。そういう意味では、作業はまだまだこれからだと思いますね。

お話しいただいた面々

インタビュー本文にもあったように、「メディア芸術データベース」はもともと、「国立メディア芸術総合センター」のプロジェクトが頓挫したことに端を発している。頓挫自体は、当時の社会とメディア芸術との「きしみ」によって起こったものかもしれない。

だが結果的に、先んじてインターネット上のデータベースという形で文化振興の大きな基盤となる「台帳」構築が進んだことで、これから先の100年、あるいは1000年先に、本当に必要とされるものへと進化する機会を得たのではないかと、今回の話をうかがって思うのだ。

このインタビューは2020年3月に行われたが、その直後から日本をも大きく揺るがした新型コロナウイルスの世界的流行は、我々の生活そのものを否応なく変化させる大きな波となりつつある。これから迎える新たな時代において、あらゆるデータがオンラインで相互につながることの意味は、これまで以上に重要なものとなるはずだ。

その時に、日本が生み出すメディア芸術の全体像を記述するメディア芸術データベースの存在は、単なるデータの塊ではなく、日本を代表する文化及び産業を支える土台となる可能性を秘めている。近い将来、必ず必要になるものだからこそ、今この時点から整備を継続的に進めていかなければならない。このプロジェクトにはそれだけの意義があることを、今回のインタビューで理解してもらえたのではないだろうか。


(脚注)
*1
2001年に制定された「文化芸術振興基本法」の第九条において、メディア芸術は「映画、漫画、アニメーション及びコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術」と定められている。本稿で「メディア芸術」と指す対象はマンガ・アニメ・ゲーム・メディアアートの4分野だが、法律上はそのほかにも映画や特撮などを含む幅広いものとなっている。

*2
クエリとは、データベースを照会する際にコンピュータ上で使用する命令文のこと。

*3
ISBNとは「International Standard Book Number(国際標準図書番号)」の略で、書籍などを識別するための国際コードの一種。日本国内で流通販売される書籍を管理するため、日本図書コード管理センターが発行している。

*4
JANコードとは「Japanese Article Number」の略で、“どの事業者の、どの商品か”を表す、世界共通の商品識別番号。GS1 Japan(流通システム開発センター)からGS1事業者コードを貸与された事業者が商品ごとに設定し、通常はバーコードの形で商品パッケージに記載される。ちなみに「JANコード」は日本国内での呼び方で、国際的には「EANコード」と呼ばれている。

*5
劇場アニメ『がんばれ!!タブチくん!!』(1979)などの作画監督を担当し、TVアニメ『魔法の天使クリィミーマミ』(1983~1984)などで監督を務めている小林治氏、イラストやメカデザインを手がけるほか、TVアニメ『BECK MONGOLIAN CHOP SQUAD 』(2004~2005)、『Paradise Kiss』(2005)などを監督している小林治氏、「月刊OUT」の元副編集長で、ラジオパーソナリティや構成作家を務めている小林治氏の3名。

*6
伊万里焼の磁器のなかでも、江戸時代に焼成されたものを指す。骨董的価値が高く、世界的に珍重されている。

*7
1977〜1978年に放映された、長浜忠夫氏が監督を務めたTVアニメ。ボアザン星人の血を引く剛三兄弟とその仲間たちの操縦する巨大ロボ・ボルテスVが、ボアザン帝国の皇子ハイネル率いる地球侵略部隊に立ち向かう。1978年からフィリピンでも放送されて現地で大人気となるが、ボアザン星で革命が発生するストーリー後半に差し掛かったところで、時のマルコス政権により放送が打ち切られた(打ち切りの理由には諸説ある)。物語の続きがフィリピンで放送されたのは、革命によりマルコス政権が崩壊した後の1986年である。

*8
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