1971年より始まった「仮面ライダー」シリーズは、2019年に放送を開始した『仮面ライダーゼロワン』でテレビシリーズ31作目を迎えた。昭和、平成、令和と世代・時代を超えて愛されるヒーローである仮面ライダー。本連載では、「仮面ライダー」シリーズにおけるテクノロジーの描き方に注目する。第1回目の本稿では、石森章太郎(現・石ノ森章太郎)が『仮面ライダー』(1971~1973年)という作品にどのような思いを託し、それが石森存命中につくられた「仮面ライダー」シリーズのなかでどのような形で表れていたのかを確認していく。

石ノ森章太郎『仮面ライダー』第1巻(中央公論新社、1994年)表紙

1号誕生

「仮面ライダー」シリーズすべての原点である『仮面ライダー』は、1971年4月3日から1973年2月10日にかけて放送されたテレビドラマである。本作の企画は1970年の夏、毎日放送が東映テレビ部に1971年4月放送開始予定の児童向け番組の企画依頼を出したことから始まる。本企画を受けた東映テレビ部の渡邊亮徳は、プロデューサーの平山亨や企画プランナーの加藤昇と共に「仮面ヒーロー」番組の企画を練り上げる。そして、この「仮面ヒーロー」番組の原作者、およびキャラクターデザイナーとして、マンガ家の石森章太郎が企画に参加することとなる。

石森が番組のために最初に描いたものは、検討企画「十字仮面(クロスファイヤー)」のヒーローデザインであった。これは赤い十文字のついた白いヘルメットと白いライダースーツを身に付けたキャラクターとしてデザインされたが、石森自ら「インパクトが弱い」と判断を下す。そして石森は、以前自身が「週刊少年マガジン」の1970年3号に書き下ろしたマンガ作品『スカルマン』に登場するキャラクターをヒントに、髑髏をモチーフとしたヒーロー「仮面ライダー スカルマン」を提案する。しかし「髑髏」というモチーフに対して放送局サイドが難色を示したことによりデザイン変更を余儀なくされてしまう。試行錯誤の果てにたどり着いたのが、バッタという、髑髏の形状を思わせる頭部を持つ昆虫をモチーフにしたヒーローであった。こうしてのちに仮面ライダー1号して知られることとなるヒーローのデザインが完成することとなった。

石森は、自然界に生きる昆虫(バッタ)の要素を体に持ち、風圧を受けて変身するという設定を持つこのヒーローに、「歪んだ道を歩んでいる“文明”(テクノロジーに代表される)」(註1)に対して警告する自然からの使者、という立ち位置を与えた。これは公害をはじめとする自然破壊に加え、人口増加による食糧危機やストレス増加による精神の荒廃など、同時代、そして我々の文明の未来に対する石森の問題意識を反映したものであった。そして石森は次のような意図の下で、仮面ライダーと悪の秘密結社ショッカーの戦いの構図を組み立てたのである。

「ショッカー」とは、歪んだ技術文明の象徴である。その技術の付加によって誕生するのが「仮面ライダー」だ。後には自然の守護神(平和の戦士)になるが、言うなれば”技術文明の申し子”あるいは鬼っ子のモンスターである。したがって、こうなる。自然(バッタによる象徴)が直接人類(文明の象徴)に反旗を翻すのではなく、『仮面ライダー』(バッタと人間のハーフ)、即ち自然と人間が協力して”悪”に立ち向かう……。自然と上手に共生することが人間の叡智。『仮面ライダー』こそが”真の文明”のシンボルなのだ。(註2

つまり、仮面ライダーは悪を倒す正義のヒーローであるだけでなく、自然を荒廃させる「悪しき」テクノロジーを打ち破り、自然と共生する「善き」テクノロジーへと人々を導く存在という、文明批評的なメッセージをもその原点に内包していたのである。

マンガ版『仮面ライダー』における仮面ライダー

この“真の文明”のシンボルという仮面ライダーの持つメッセージ性は、テレビドラマ『仮面ライダー』と並行して「週刊ぼくらマガジン」の1971年16号から23号、および「週刊少年マガジン」の1971年23号から52号に掲載された、石森によるマンガ版『仮面ライダー』において重点的に描かれた。

本作においては、仮面ライダーが「自然」の側に立つ存在であることが度々強調される。例えば、主人公である本郷猛が初めて仮面ライダーとしての姿を現わすシーンにおいては、自分自身のことを「……おまえたち『ショッカー』の地球征服という野望をうちくだき 人類の平和を守るため…… 大自然がつかわした正義の戦士 仮面ライダー」(註3)と名乗る。また仮面ライダー2号の一文字隼人が初めて「仮面ライダー」として怪人と戦う場面では「風よ! われに力をあたえよ! おまえをよごす“悪”と対決する力を・・・・!!」(註4)といったセリフも飛び出す。

マンガ版における仮面ライダー初登場シーン
石ノ森章太郎『仮面ライダー』第1巻(中央公論新社、1994年)40~41ページ

対するショッカーに関しても、自然を破壊する存在であることが度々強調される。作中では、ショッカーが経営する工場が垂れ流す排煙・廃液による公害に対し、近隣住民による反対運動が起きていることが描写されている。また、ショッカーの実行部隊であるくも男、こうもり男、コブラ男といった仮面ライダーと戦う怪人たちについても、同様の象徴性を見ることができる。自然界の動植物の力を外科的な手術によって人間に植えつけた存在であるショッカー怪人たちは、仮面ライダーとは異なり脳改造によってショッカー(歪んだ技術文明)に隷属させられている。自然と共生する人間の象徴である仮面ライダーに対し、文明の力によって歪められた自然の象徴がショッカー怪人であると言えるだろう。

ショッカーが経営する工場と、それによる環境汚染の描写
石ノ森章太郎『仮面ライダー』第1巻(中央公論新社、1994年)210~211ページ

こうした「自然」と「文明」の対立を描いたマンガ版『仮面ライダー』のなかで、“真の文明”を直接的なテーマとして取り扱ったのが、マンガ版の最終エピソードである「仮面の世界(マスカーワールド)」である。この回のゲストキャラクターである浩二は、広島の原爆の影響で白血病を患っている少年である。そんな浩二を救うために、一文字はショッカーの医療技術を利用することを思いつく。原爆という誤って発展した科学によって受けた傷を、歪んだショッカーの科学を正しく使うことによって克服しようというのである。歪んだ技術文明のテクノロジーであっても、使い方によって「善き」テクノロジーへ変えることが出来るのである。こうした石森のメッセージは、本エピソードに登場する、全身を機械化した本郷のセリフ「――科学はきさまらのように悪用するためだけのものじゃない!」に集約されるだろう。

だが一方で、「仮面の世界(マスカーワールド)」では、テレビや腕時計という人間の生活を向上させるテクノロジーを用いて人間を「ロボット化」(註5)させるショッカーの最終計画「10月計画(オクトーバープロジェクト)」の原点が、日本政府の「国民を番号で整理しよう」(註6)という計画にあることが語られる。最終的にこの一件は、日本政府が計画の要となる電子頭脳に、暴走時に発動する自爆装置を仕込んでいた(本郷曰く「日本政府のせめてもの良心」(註7))おかげで何とか事なきを得る。

現代文明の計画をアップデートさせた先にショッカーの計画がある、すなわち現在の人類の文明はショッカーに近しい存在だということである。だからこそ、仮面ライダーに象徴される、自然と共生する“真の文明”へと舵を切らねばならないというのが、「仮面の世界(マスカーワールド)」、ひいては『仮面ライダー』という作品における石森のメッセージなのである。自然と文明の対立、そしてその対立を超克する仮面ライダー。マンガ版において重点的に描かれたこのテクノロジーの問題に関する視点こそ、石森にとっての『仮面ライダー』という作品の根幹を支える要素と言えよう。

テレビドラマにおける悪の組織とテクノロジー

マンガ版『仮面ライダー』の核のひとつとも言える仮面ライダーの“真の文明”としての象徴性であるが、テレビドラマ版『仮面ライダー』において、その要素が重点的に語られることはなかった。初期こそ仮面ライダーはバイクに乗り、ベルトに風を受けることで変身していたものの、第14話における本郷から一文字への主役交代劇(註8)を境に変身ポーズをとっての変身へと変更される。このことは、テレビドラマ版『仮面ライダー』においては“真の文明”としての仮面ライダーの象徴性がほとんど機能していないことを端的に表すものであろう。結果としてこの変身ポーズ採用が仮面ライダーのブームを引き起こすことになるのだが、「風のエネルギーで戦う大自然の使者」という要素はほぼ失われてしまったと言える。

講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー昭和 vol.1 仮面ライダー1号・2号(前編)』(講談社、2016年)表紙

では対するショッカーの「悪しき文明」としての象徴性は、テレビドラマ版においてどのように扱われたのだろうか。テレビドラマ版においては、マンガ版のように、同時代の問題であった公害が正面から取り上げられた物語は、全体から見ればわずかな話数でしかなかった(註9)。だが、ショッカー怪人はマンガ版と同様に動植物の力を人間に組み込んだ存在であり、怪人の持つ文明に歪められた自然の象徴性はテレビドラマ版においても保たれていると言える。そしてマンガ版には無いテレビドラマ版の特徴として挙げられるのが、ショッカーが誇る科学技術の原点が、現実に人体実験を行い、優性思想といった歪んだ「科学」思想を持ったナチス・ドイツにあることを強調している点である。こうしたナチス・ドイツ≒ショッカーという表現は、ナチス・ドイツの国章をイメージさせるショッカーのシンボルや、ナチス・ドイツの軍人を彷彿とさせる姿をしたショッカーの大幹部・ゾル大佐の存在といったビジュアル面で大きく打ち出されている。また、人間を「優れた人間」と「下等な人間」とに振り分け、「下等な人間」に強制労働を行わせ、あまつさえ兵器の実験台にするといったショッカーの作戦行動もナチス・ドイツ的である。作中では人間を要不要に振り分ける根拠としてコンピュータが度々登場している点を考えると、ショッカーは、より現代的なテクノロジーによってアップデートされたナチス・ドイツの象徴として描かれていると言える。当時の日本政府の未来像としてショッカーを位置づけていたマンガ版と比べると、ナチス・ドイツという他国に「歪んだ科学文明」の象徴を仮託している点で、同時代に対する批判的目線はやや遠くなっているとも言えるが、やはりテレビドラマ版のショッカーもマンガ版と同様に「悪しき」テクノロジーの象徴であったのである。そしてこの「悪しき」テクノロジーの象徴としてのショッカーを基本フォーマットとして、その後の「仮面ライダー」シリーズの悪の組織が次々と誕生していく。

そして「仮面ライダー」シリーズの中には、悪の組織のテクノロジーを正しきことへ使う事例も確認できる。それが『仮面ライダーV3』(1973~1974年)の終盤に登場する新たなヒーローである、ライダーマン・結城丈二の存在である。

講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー昭和 vol.3 仮面ライダーV3』(講談社、2016年)表紙

結城は、もともとショッカーの後継組織デストロンのNo.1科学者であった。科学の力で人間のユートピアをつくることを目標にデストロンで活動していたのだが、結城の出世を妬むデストロンの大幹部ヨロイ元帥の策略により、首領から処刑を言い渡されてしまう。殺される寸前でデストロンから脱出した結城は、処刑によって失ってしまった右腕を機械仕掛けのカセットアームに改造し、復讐鬼ライダーマンとしてヨロイ元帥の命を狙っていた。だが結城は仮面ライダーV3・風見志郎と出会ったことで、デストロンの世界征服活動の実態を知り、復讐鬼から正義の戦士ライダーマンへと転身をとげることとなる。その後の結城は、ライダーマンとしてカセットアームの力を駆使してV3の戦いをサポートするだけでなく、デストロンの設備を使って傷ついたV3の修復を行うなどの活躍をした。こうしたライダーマンの物語は、歪んでしまったテクノロジーであっても正しく活用することができるという、マンガ版の最終エピソード「仮面の世界(マスカーワールド)」において描かれたテーマをテレビドラマ版において再演したものとも言えるだろう。

科学を正しく扱う仮面ライダーと、科学を悪用する悪の組織たち。こうした構図はその後の『仮面ライダーX』(1974年)や『仮面ライダーアマゾン』(1974~1975年)においても、ヒーローと悪の組織による超科学の争奪戦という形で描かれることとなる。マンガ版『仮面ライダー』のように物語全体を支える大きなテーマとして描かれているわけではないとはいえ、テクノロジーの問題に関する石森の視点は、テレビドラマの「仮面ライダー」シリーズにおいても確かに息づいているのである。

テレビドラマ版における「大自然の使者」のあり方

上述のように、仮面ライダーの自然と共生する“真の文明”としての象徴性は初代『仮面ライダー』のテレビドラマ版では直接的に描かれてこなかったが、のちの「仮面ライダー」シリーズには、この石森が作品に託したメッセージをマンガ版『仮面ライダー』とは異なる形で描いた作品が存在する。それが、『仮面ライダースーパー1』(1980~1981年)と『仮面ライダーBLACK RX』(1988~1989年)である。

仮面ライダースーパー1・沖一也は国際宇宙開発研究所の惑星開発用プロジェクトの一環で制作された惑星開発用改造人間である。世界征服のためにショッカーの「悪しき」文明によって改造された仮面ライダー1号とは真逆の、人類の進歩のためという「善き」文明の手で誕生したという生い立ちを持つ仮面ライダーである。このスーパー1には、もともとコンピュータの指令によって変身するシステムが採用されていたのだが、物語の第1話でそのコンピュータが国際宇宙開発研究所と共に悪の組織ドグマによって破壊されてしまう。開始早々変身不能に陥ってしまった一也は、コンピュータに替わる変身手段を探さなければならない。そしてその手段こそが、「変身の呼吸」を身に付けることであった。

講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー昭和 vol.8 仮面ライダースーパー1』(講談社、2016年)表紙

「変身の呼吸」とは、無念無想の境地に達することである。一也はその習得のため、赤心少林拳の道場で厳しい修業を受けることとなった。赤心少林拳の師範である玄海老師は「変身の呼吸」に関して次のように語る。「赤心少林拳の極意は気に転ずるという事なり。大気を体の隅々にまで染み通らせ、自らの肉体を大気と化する事なり。一也、お前がこの極意を身につけた時、いつどこででも自らの意思で改造人間へと変身できるであろう」(註10)と。この大気のエネルギーを体に取り込んで変身するという設定は、風をエネルギー源とする『仮面ライダー』に通じるものである。1号のように生物の要素を直接持っているわけではないスーパー1だが(註11)、テクノロジーによって改造された肉体と大気=自然がひとつになることで仮面ライダーへ変身するという点を考えると、石森の狙った“真の文明”の象徴性をテレビドラマのなかで体現した仮面ライダーだと言えるだろう。呼吸を通じて自然と同化し、仮面ライダーへと変身するという手法は、石森によるマンガ版『仮面ライダーBlack』(1987~1988年)にも採用されており、テレビドラマとマンガとの影響関係がうかがえる。

『仮面ライダーBLACK RX』は、前年に放送されたテレビドラマ『仮面ライダーBLACK』(1987~1988年)の続編である。『仮面ライダーBLACK』は原点回帰を目指して制作された作品であり、「バッタの改造人間」や「悪の秘密結社」といった『仮面ライダー』の要素を当世風にリブートした作品である。だがテクノロジーに関する視点に関しては、マンガ版である『仮面ライダーBlack』では度々描写されていたものの(註12)、テレビドラマ版では重点を置いて描写されていなかった。だがこのテクノロジーに関する視点が続編の『仮面ライダーBLACK RX』では大々的に取り入れられることとなる。

『仮面ライダーBLACK RX』の冒頭において、仮面ライダーBLACK・南光太郎は敵組織クライシス帝国に変身機能を破壊され、宇宙空間に追放される。だが体に埋め込まれていた変身するための力の源・キングストーンが太陽光線の生命エネルギーを吸収したことで、光太郎は新たな姿・仮面ライダーBLACK RXへの変身機能を手に入れる。仮面ライダー1号のエネルギー源が風であったように、仮面ライダーBLACK RXもまた大自然の象徴である太陽光線をエネルギー源とするのであり、1号の変身ベルトに風車が装着されているのと同様に、BLACK RXの腹部には太陽光パネル・サンバスクが装着されている。また、バイオライダーとロボライダーという2つの形態を駆使して戦うそのバトルスタイルも、自然とテクノロジーという仮面ライダーの持つ要素をそれぞれ前面に押し出したものと言えるだろう。

講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー昭和 vol.11 仮面ライダーBLACK RX』(講談社、2016年)表紙

一方、クライシス帝国には、厳しい身分制度による人心の荒廃と超科学の副産物である公害によって滅びゆく世界となってしまった別次元の世界・怪魔界から移住するために地球侵略を企てているという設定がなされている。これは優勢思想の下で活動しているテレビドラマ版『仮面ライダー』のショッカーと、公害によって自然を破壊してきたマンガ版『仮面ライダー』のショッカーを組み合わせた設定と言えるだろう。だが最終回において、クライシス帝国が地球に攻め込む原因となった怪魔界の荒廃そのものに、地球の環境破壊が関係していたことが判明する。怪魔界は地球の双子の星というべき存在で、両者は長い間バランスをとっていたのだが、地球の環境破壊に伴ってその汚染物質が次元を超えて怪魔界に流れ込んできたことで、怪魔界の崩壊が加速度的に進んでいたのである。「歪んだ科学文明」クライシス帝国と現代文明はともに地球侵略の原因をつくり出したという点で共犯関係にあり、現代文明の未来像としてショッカーを打ち出したマンガ版『仮面ライダー』の構図をアップデートさせたものと言えよう。

このように、石森がマンガ版『仮面ライダー』に託したテクノロジーに関するメッセージ性は、石森もその制作に関わったその後の「仮面ライダー」シリーズにも、形を変えて息づいているのである。そしてその「自然と共生する」あり方も、「呼吸」や「太陽光エネルギー」など、その時代や作風に合わせたリファインが行われているのである。

集大成としての劇場版ライダー

『仮面ライダーBLACK RX』において設定面で大々的に取り上げられたテクノロジーの問題は、その後の作品にも影響を与えることとなる。石森は『仮面ライダー』20周年企画として制作されたビデオオリジナル作品『真・仮面ライダー 序章』(1992年)の企画案のひとつとして、地球とその環境・動植物を一つの生命体として捉える「ガイア理論」をベースとしたものを出している。「大自然の使者」としての仮面ライダーの立ち位置に現代的な理論づけを試みたこの企画案は『真・仮面ライダー 序章』では実現しなかったものの、その後に制作された2つの劇場作品『仮面ライダーZO』(1993年)と『仮面ライダーJ』(1994年)において活用されることとなる。

立原耕司(てれびくん)編『仮面ライダーZO超全集(てれびくんデラックス)』(小学館、1993年)

『仮面ライダーZO』は、狂気の科学者によって改造された仮面ライダーZO・麻生勝と科学者が生み出した人工生命・ネオ生命体の戦いの物語である。本作におけるテクノロジーの要素は、冒頭のヒーローとライバルキャラクターの誕生シーンに凝縮されている。ZOは樹々が生い茂る大自然のなかで眠りから覚醒し、ライバルキャラクターのドラスはスクラップ置き場の鉄クズを取り込んで誕生する。サイボーグの体に大自然のエネルギーを宿したZOと、「歪んだ技術文明」の落とし子ドラスという、『仮面ライダー』より続く対立構造が明確にビジュアル化された瞬間と言えよう。『ターミネーター2』(1991年)に登場した敵キャラクターT-1000を思わせるCG描写で表現されたネオ生命体やドラスの能力も、「歪んだ技術文明」に対する同時代的なイメージを援用したものと言える。また、実際の作品では採用されなかったものの、石森が提案した本作の初期シノプシス「天空の騎士」においては「別荘地造りで森林を伐採する業者を登場させて、“樹々の悲鳴”を聴かせ環境保護のテーマをちょっぴり入れたい」(註13)との記述もあり、「自然との共生」というテーマに対する石森の関心の高さがうかがえる。

立原耕司(てれびくん)編 『仮面ライダーJ超全集(てれびくんデラックス)』(小学館、1994年)

『仮面ライダーZO』の翌年に公開された『仮面ライダーJ』は、石森が直接原作を担当した最後の仮面ライダーであり、マンガ版『仮面ライダー』のテーマをそのまま映像化したものと呼んでも過言ではないものであった。主人公・瀬川耕司は自然破壊の現状を調査するカメラマンとして設定されている。また前作『仮面ライダーZO』でシノプシスに書かれていたものの映像化されなかった、重機による開発で荒れ果ててしまった山林も本作では描かれている。この耕司は地球を貪り食らう宇宙機械獣フォッグによって物語冒頭で殺されてしまうのだが、地底に住む高等生物・地空人にその「自然を愛する心」が認められ、蘇生・改造手術を行われた結果、仮面ライダーJへの変身能力を得るのである。

耕司に仮面ライダーJへの変身能力を授けた地空人は、超科学のテクノロジーを持ちながらも、地の精霊をエネルギーとして自然と調和する種族として描かれる。まさに『仮面ライダー』における“真の文明”を体現する存在である。一方でフォッグの親玉・フォッグマザーは機械の体を持ち、他の生命を絶滅させながら自らの繁栄を謳歌するという「歪んだ科学文明」の象徴のような存在として描かれる。劇中では自走するフォッグマザーのタイヤが幾度となくクロースアップされるが、これはフォッグマザーの重量感を演出するとともに、環境破壊の象徴として登場した重機とフォッグマザーを重ね合わせるものであろう。

そしてフォッグマザーとの最終決戦時、仮面ライダーJは大地の精霊のエネルギーを全身に受けて巨大化する(註14)。フォッグマザーを圧倒する仮面ライダーJの姿は、まさに自然を破壊するテクノロジーに対する地球の怒りそのものである。『仮面ライダーJ』は作品全体を通して自然と文明の対立、そしてその超克がテーマとなっている。その意味で、『仮面ライダーJ』は、マンガ版『仮面ライダー』のテーマであった「大自然の使者 仮面ライダー」を映像作品の形でつくり上げた、「仮面ライダー」シリーズの集大成的な作品なのである。

“敵”と戦い続ける仮面ライダー

ここまで見てきたように、「バッタの改造人間」というデザインと共に生み出された「大自然の使者」としての仮面ライダーの設定や“真の文明”というメッセージは、石森が特に『仮面ライダー』という作品、そして「仮面ライダー」シリーズにおいて重要視した要素であった。石森は歴代の「仮面ライダー」シリーズを思い返しながら次のように述べている。

生みの親のボクには、仮面ライダーはいつでも仮面ライダー、変えているつもりはないのだが、シリーズや作品ごとに、ある程度の変化があるのは事実である。
敵もまた同様だ。<ショッカー>から始まって現在まで、名称は変わっているがその本質は変わっていない。つまり、自然、環境を破壊する、文明という名の、文明の持っている悪い部分、それが“敵”なのである。(註15

こうした石森が『仮面ライダー』に託した文明批評性は、映像作品として展開された「仮面ライダー」シリーズにおいては、すべての作品で十全に機能しているとは言いがたい。だがしかし、大自然のエネルギーを受けて戦う仮面ライダーや、科学技術を使って自然や人間を支配下に置こうとする悪の組織といった要素は、『仮面ライダー』の原点のひとつとしてその後のシリーズにも時代に合わせて形を変え、描かれてきた。そしてこれらの要素が『仮面ライダーJ』においてひとつの完成形を見ることとなったのである。

本稿では、石森章太郎が存命中に制作された「仮面ライダー」シリーズの作品(いわゆる「昭和ライダー」(註16))を概観し、そのなかで描かれてきたテクノロジーに関する視点に注目してきた。このような「仮面ライダー」におけるテクノロジーに関する視点は、石森没後の2000年より始まる「平成ライダー」ではどのように取り扱われていくのかだろうか。次回の連載ではその点について考察をしていきたい。


(脚注)
*1
石ノ森章太郎『仮面ライダー』第1巻(中央公論新社、1994年)261ページ。

*2 
石ノ森章太郎『仮面ライダー』第1巻(中央公論新社、1994年)262ページ。

*3 
石ノ森章太郎『仮面ライダー』第1巻(中央公論新社、1994年)41ページ。

*4 
石ノ森章太郎『仮面ライダー』第2巻(中央公論新社、1994年)264ページ。

*5 
ここでショッカーの言う「ロボット化」とは、人間を機械化するという意味ではなく、ロボットのように命令をただ聞くだけの奴隷化するということ。「ロボット」という言葉の初出であるカレル・チャペックの戯曲『R.U.R』(1920年)における用語の使われ方に近い。

*6
石ノ森章太郎『仮面ライダー』第3巻(中央公論新社、1994年)250ページ。

*7 
石ノ森章太郎『仮面ライダー』第3巻(中央公論新社、1994年)270ページ。

*8 
『仮面ライダー』第10話「よみがえるコブラ男」のオートバイシーンの撮影の際、本郷猛役の藤岡弘(現・藤岡弘、)が事故を起こして負傷してしまったため、第14話「魔人サボテグロンの襲来」より佐々木剛演じる一文字隼人が仮面ライダー2号として主役を引き受けることとなった。藤岡はその後、本郷役として第40話「死斗! 怪人スノーマン対二人のライダー」以降度々ゲスト出演し、第53話「怪人ジャガーマン 決死のオートバイ戦」以降は再び主役へと復帰する。

*9 
地下水の汲みすぎによる地盤沈下を利用して人工地震を引き起こそうとしたかまきり男が活躍する第5話「怪人かまきり男」、ヘドロを利用して殺人スモッグを生成する怪人ウツボガメスが活躍する第85話「ヘドロ怪人 恐怖の殺人スモッグ」は、テレビドラマ版で公害問題を直接取り扱った珍しい事例である。

*10 
『仮面ライダースーパー1』第2話「闘いの時 来たり!! 技は赤心少林拳」より。

*11 
スーパー1はスズメバチをデザインモチーフとして採用しているが、あくまでもデザイン上のものでしかなく、スズメバチの改造人間というわけではない。

*12 
例えば「PART⑦ 東京 狂風の街」における「……文明が、自然と人間をゆがめている狂風の街、東京」といったモノローグはその代表である。

*13 
立原耕司(てれびくん)編『仮面ライダーZO超全集(てれびくんデラックス)』(小学館、1993年)51ページ。

*14 
この「仮面ライダーが巨大化する」というアイディアは、石森の提案によるものではない。石森自身も巨大化には当初は反対していたが、「大自然の精霊のエネルギーを仮面ライダーが得ることによる、一度きりの奇跡の姿」であるとの説得により、合意することとなった(その後、仮面ライダーJはゲスト出演時に頻繁に巨大化することになるのだが)。

*15 
立原耕司(てれびくん)編『仮面ライダーJ超全集(てれびくんデラックス)』(小学館、1994年)2ページ。

*16 
「仮面ライダー」シリーズのうち、『仮面ライダー』(1971~1973年)から『仮面ライダーJ』(1994年)までの作品のことを指す名称。『仮面ライダークウガ』(2000~2001年)から『仮面ライダージオウ』(2019~2020年)までのテレビシリーズがファンやメディアにおいて「平成ライダー」と呼ばれていたため、昭和から平成にかけて制作された『仮面ライダーBLACK RX』(1988~1989年)、平成になってから制作された『真・仮面ライダー 序章』(1992年)、『仮面ライダーZO』(1993年)、『仮面ライダーJ』も便宜的に「昭和ライダー」のカテゴリーに含まれている。
なお、「平成ライダー」という言葉はもともとファンやメディアによって使用されていたある種の「非公式用語」であったが、平成ライダー10周年記念作品である『仮面ライダーディケイド』(2009年)を期に、公式サイドでも使用されることとなる。以後、元号は「仮面ライダー」シリーズにおいて特別な意味を持つ言葉となり、「昭和ライダー」と「平成ライダー」が戦う劇場作品『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』(2014年)や、「平成」を物語の軸に据えた劇場作品『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quarzer』(2019年)などが制作された。

(作品情報)
『仮面ライダー』
テレビドラマ
1971年4月3日~1973年2月10日 毎日放送・NET(現・テレビ朝日)系列放送
放送30分 全98回
原作:石森章太郎(現・石ノ森章太郎)
企画:平山亨、阿部征司
脚本:伊上勝ほか
監督:竹本弘一ほか

『仮面ライダーV3』
テレビドラマ
1973年2月17日~1974年2月9日 毎日放送・NET(現・テレビ朝日)系列放送
放送30分 全52回
原作:石森章太郎(現・石ノ森章太郎)
企画:平山亨、阿部征司
脚本:伊上勝ほか
監督:山田稔ほか

『仮面ライダースーパー1』
テレビドラマ
1980年10月17日~1981年9月26日(関西地区)・10月3日(関東地区) 毎日放送・TBS系列放送
放送30分 全48回
原作:石森章太郎(現・石ノ森章太郎)
企画:平山亨、阿部征司
脚本:江連卓ほか
監督:山田稔ほか

『仮面ライダーBLACK RX』
テレビドラマ
1988年10月23日~1989年9月24日 毎日放送・TBS系列放送
放送30分 全47回
原作:石ノ森章太郎
プロデューサー:吉川進、堀長文、井口亮、山田尚良
脚本:江連卓ほか
監督:小林義明ほか

『仮面ライダーZO』
劇場映画 
1993年4月17日公開
48分
原作:石ノ森章太郎
プロデューサー:渡辺繁、久保聡、堀長文、角田朝雄
監督:雨宮慶太
脚本:杉村升

『仮面ライダーJ』
劇場映画 
1994年4月16日公開
47分
原作:石ノ森章太郎
プロデューサー:久保聡、堀長文、角田朝雄監督:雨宮慶太
脚本:上原正三