コロナ禍に伴い、日常生活の様式から社会的ルール、人々の価値観などさまざまな事柄が変化しはじめ、人々はこれまでの生き方や社会的常識について振り返り、問い直す機会を得た。それに際して、多くの人が過去のマンガを読み直し、この状況をマンガで表現した。この社会的で集団的な出来事に際して、人々はマンガに何を求め、マンガによって何を表現し、これからマンガにはどのような可能性が開かれていくのか。本記事では、関連する具体的なマンガ作品を取り上げながら、マンガの想像力や社会的な役割、マンガをめぐるメディア状況そのものの変化について考える。

こうの史代『アマビエさん』

コロナ以後注目を集めた過去のマンガ

新型コロナウイルス感染症の流行以降、過去に発表された感染症について取り上げたマンガが再注目された。代表的な作品のひとつとして、朱戸アオ『リウーを待ちながら』(講談社、2017〜2018年)が挙げられる。本作は日本の架空の都市で、もしペストが流行したらという仮想的世界を描いており、コロナ禍を予見したような内容であるとして注目が集まった(註1)。主人公の女性医師と疫病の研究者が市内の感染拡大に対して奔走する医療マンガであるが、緊急事態宣言による都市封鎖、品薄になった商品棚、マスクを着用し間隔をあけて並ぶ人々など、今日ではおなじみになった風景が描かれ、フィクションであるにもかかわらず、現実をなぞっているような感覚に捉われる。

朱戸アオ『リウーを待ちながら』第2巻、54・58ページ

タイトルにある「リウー」という名前は、カミュによる著名な小説『ペスト』(宮崎嶺雄訳、新潮社、1969年)に登場する主人公の医師の名前である。『リウーを待ちながら』では登場人物たちが『ペスト』を読む場面が登場し、『ペスト』から引用した言葉もちりばめられている。『ペスト』もコロナ以後世界的に売り上げが伸びたとされるが、『リウーを待ちながら』も注目度の高さから、ネット書店で一時品切れ状態が続いた。高額転売もされるほどであったが、6月以降重版され入手できるようになった。4月1日から講談社のウェブサイトで最終話まで週刊連載されたほか、10月現在も第1話が無料で読めるようになっている(註2)。

『リウーを待ちながら』以前に、日本での感染拡大を描いたマンガに外薗昌也『エマージング』(講談社、2004年)があり、こちらも16年前に描かれたとは思えないほど現在の状況とリンクしている部分があるとして、驚きをもって読まれた。『エマージング』は、エボラ出血熱に似た未知のウイルスが東京で流行するという設定で、ワクチンも治療薬も存在せず対応法が確立されていないウイルスに対して立ち向かう若い医師と研究者たちの姿や、パニックとなる市中の人々の様子が描かれる。作中では日本におけるウイルス研究の現状にも言及され、「コロナウイルス」「BSL(バイオセーフティーレベル)4の研究施設」という言葉も登場する。

マンガ表現の観点から見れば、時折ウイルスを小さな丸で描き、空間に浮遊しているさまを表現している点が、目に見えないものを可視化するというマンガ表現の特性を生かしており印象的である。『エマージング』はLINEマンガというマンガアプリで無料配信されたこともあり、若い世代にも読者を広げた。 

外薗昌也『エマージング』第1巻、108・134ページ

さらに時代をさかのぼれば、マンガ界の巨匠・手塚治虫も『陽だまりの樹』(小学館、1981〜1986年)で感染症、特に天然痘とコレラの流行について取り上げている。幕末期の日本を舞台として、実在する手塚の曽祖父・蘭学医、手塚良庵と幕末の武士の2人を主人公としながら、蘭学者たちが西洋医学の観点から感染症についての知識や「種痘」と呼ばれた予防接種を広めようとする努力が描かれている。史実に基づきながらもフィクションを交えた作品であり、コロナ以後に読めば、過去の日本でも疫病の流行が人々の生活様式や価値観などを大きく変化させ歴史の転換をもたらしたことが現在と重なるように感じられる(註3)。

その他、パンデミック後の学校生活を描いた海法紀光原作、千葉サドル作画『がっこうぐらし!』(芳文社、2012〜2019年)、菌やウイルスを取り上げる石川雅之『もやしもん』(講談社、2004〜2014年)、「東京オリンピック」のイメージが登場する大友克洋『AKIRA』(講談社、1982〜1990年)など、コロナ禍をきっかけに既存の作品を読み直したという声も多い。「ゾンビもの」のような形で「感染」のイメージを描く作品を想起した人も少なくないだろう。

コロナ以後のマンガ

コロナ以後、多くの人がこの状況をマンガによって取り上げている(註4)。まず、流行初期の緊急事態宣言と一斉休校・自粛の際には、多くのマンガ家が感染予防についての啓発的な作品を発表した。例えば、羽海野チカは4月に『3月のライオン』(白泉社、2007年〜)に登場する3姉妹が手洗いの大切さを伝えるイラストを自身のTwitterで発表した(註5)。

羽海野チカによる「感染症対策のための手洗い」イラスト

また、この時期「アマビエ」という日本古来伝わる妖怪が「疫病退散」にご利益があるとして、SNS上でハッシュタグ「#アマビエチャレンジ」などをつけて二次創作作品などを投稿しあうムーブメントが起きた。この流れのなかで、こうの史代もネット上で『アマビエさん』というマンガを発表(註6)。5月にはマンガ家やクリエイターによるアマビエ作品をまとめた書籍『みんなのアマビエ』(扶桑社、2020年)も発売された。

マンガならではのイメージ力をもって、コロナウイルスを擬人化した作品も登場した。4月29日に、西島大介による「映画『レオン』に学ぶ理想的な自粛生活──マンガ「コロナくんの追憶」」がウェブ上で発表された(註7)。マンガ雑誌でも、「月刊コミックビーム」(KADOKAWA)2020年7月号からしりあがり寿による『NEW NORMAL DAYS』の連載が開始された。しりあがりは、2011年3月の東日本大震災と原発事故の直後から発表した作品をまとめた『あの日からのマンガ』(エンターブレイン、2011年)にて、震災後の空気感を多様な表現方法で発表し話題を呼んだが、本作もコロナ禍の状況をマンガで刻み込もうとする意欲作といえる。

しりあがり寿『NEW NORMAL DAYS』「月刊コミックビーム」2020年7月号、236-237ページ

コロナ禍の日常を複数のマンガ家が描く短編マンガプロジェクト「MANGA Day to Day」も6月15日から始まり、「2020年4月1日」以降を舞台設定としてそれぞれが独自の視点から短いページ数で表現したマンガが、公式Twitterおよび「コミックDAYS」で毎日発表されている。

SNS上に見られるアマチュアマンガ制作者たち

プロのマンガ家によるコロナ関連の作品だけでなく、アマチュアのマンガ制作者によるマンガも特にSNS上でよく目につくようになってきた。TwitterやInstagram、pixivなどの画像を共有できるSNSで、さまざまな話題についてマンガがシェアされることがもはや一般的になっている。そうしたマンガは、エッセイ的な形式によって個人の立場から自分の抱えている不安や様々な思い、意見をマンガの形で表しているものが多い。

例えば、7月17日に「大学生は、いつまで我慢をすればいいのでしょうか。」というテキストとともにTwitterに投稿されたマンガは、大学1年生の視点から、慣れないオンライン授業に対応しなければならないことや、大学の対面授業が開始されないことへの疑問などが描かれ、さまざまな議論を呼んだ。

maki(@D6Hy1q0FQJuxtPO)によるTwitterに投稿されたマンガ

ネット上に投稿されるアマチュアの描き手によるエッセイ形式のマンガは、特に東日本大震災以降、新たなジャーナリズムのあり方として注目されるようになってきた。震災以後のアマチュアマンガ制作者の創作活動に着目する文化研究者の鈴木繁によれば、震災に関連して市民が作り出す自主制作マンガは「既存のマスメディアから大量に流された「情報」とは決定的に異なる」性質を持ち、「個人的かつ主観的な解釈のフィルターを通して」対象をマンガ化しているという(註8)。

2011年以後、SNSの発展と普及、そしてタブレットを含めたデジタルツールを使ったマンガ・イラストを制作する環境が一般化し、マンガ家を目指さない一般人でも気軽に作品を制作し発表できるようになった。2020年現在、SNSがマンガ発表の場として完全に定着したということができる。SNS上でシェアされるアマチュア制作者によるマンガは、読者にとっても大手出版社から発表されるマンガとはまた別のカテゴリのマンガとして認知されており、より個人の意見を反映しやすく、人と人とのあいだでシェアされるというコミュニケーション・ツールとしての役割が見出せる。この10年間で、マンガを読み、描き、発表する場の形態がさらに多様化してきたのである。 

マンガ表現の課題――現実の社会問題をフィクションとしてどう描くか

コロナ禍と関連するマンガ表現に関して、興味深い動きも見えてきた。「現実を反映」したような大人向けのリアリズム系マンガが主流である青年マンガにおいて、マンガの登場人物の描写や設定をどこまでコロナ以後の現実に近づけるかという問題が浮上してきた。例えば、「島耕作」シリーズで知られる弘兼憲史が「MANGA Day to Day」で発表したマンガには、作中の登場人物にマスクを描くと、表情がまったくわからなくなってしまうという苦悩が描かれている。

「MANGA Day to Day」#2(2020年4月2日)弘兼憲史『マスク島耕作』より

この作品で端的に示されるように、日本のマンガにはキャラクターの顔のクローズアップが多く登場し、顔の表情や描き方によってさまざまなものを伝えているため、登場人物にマスクをつける場合、作風によっては、登場人物の顔の表情が見えにくくなり、キャラの描き分けも難しくなってしまう(註9)。

7月20日に発売された「週刊少年ジャンプ」(集英社)33・34合併号に読み切りの形で掲載された秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』には、4年に一度、五輪の年に眠りから覚める日暮が、東京五輪の中止を知らずマスクをつけた登場人物たちを不思議に思う場面が登場する。今後、マンガを読む私たちが、マスクをつけたキャラクターたちに疑問を感じるか、むしろマンガのなかのマスクをつけていない日常の風景に違和感を覚えるようになるのかは未知数だが、マンガにおける「リアル」の問題を考えるうえでも興味深い事例であるといえる。

現実の出来事とフィクション表現に関して、3.11の東日本大震災とマンガ表現についての議論を参照すれば、コロナ以後どのような問題が顕在化していくかを推測することも可能だろう。具体的には「表現の自由」や「自粛」という問題である。代表的なものを挙げれば、2014年の雁屋哲原作、花咲アキラ作画『美味しんぼ』(「ビッグコミックスピリッツ」4/28号、小学館)第604話に描かれた「鼻血の表現」について、「正確な情報」と「表現の自由」をめぐる議論が巻き起こった。作中で、主人公の山岡が福島に取材に行った後、鼻血を出す場面が登場し、一連の描写について批判が相次いだ。菅官房長官(当時)が記者会見において不快感を示し「科学的な見地に基づいて正確な知識をしっかりと伝えていくことが大事だ」とコメントを出すなどの異例の事態となった(註10)。

自主規制や自粛という形で、何らかの表現や作品が掲載を見合わせるということも起こり得る。天王寺大原作、渡辺みちお劇画『白竜LEGEND 原子力マフィア編』(日本文芸社、2011年)は、3.11の直前に原子力発電所事故に関する章をスタートしていたが、福島第一原子力発電所事故の発生後、連載中止となった。

すでに新型コロナに関連して、4月2日に浦沢直樹が自身のTwitter上に「#アベノマスク」というハッシュタグをつけて、安倍首相(当時)を思わせるマスク姿の一人の男性のイラストを投稿したことに対して、多数の非難の声が投げ掛けられた。コメントには「マンガ家が政治的な主張をのぞかせる作品を投稿すべきではない」という意見が相次ぎ、マンガ表現と政治的な主張が結びつくことへの拒否反応とも捉えられる。

浦沢直樹(@urasawa_naoki)によるイラスト

マンガのメディアとしての特性を考えれば、マンガは「正確な情報」や「正しい」メッセージを伝えることよりも、多くの人の声や立場を具体的に記述しながら可視化し、多様な視点を提供することに向いているといえる。新型コロナに関するマンガの表現の問題について、3.11の事例から学べるのは、多様な視点や立場を考慮しながらマンガをきっかけにいかに活発な議論ができるかが重要ということだ。そのためには、権威的な規制や過剰な自粛によって表現そのものが押さえ付けられることや、一義的な「正しさ」を求めることよりも、批判的な意見も含めて自由に表現できる空気を保つことが求められるだろう。その点で、表現の問題は表現者だけでなく、読み手の側の態度の問題でもある。

マンガ表現の社会的役割

コロナ以後のマンガ界の対応や、人々のマンガとの関わり方について俯瞰的に見てきたなかで感じられるのは、マンガというメディアはこの状況のなかでむしろ新しい可能性を私たちに提示し続けるのではないかということである。過去には、マンガ雑誌や単行本の売上も伸び悩みマンガ産業そのものが斜陽化したと言われ、もはやマンガが「古いメディア」と見なされつつあった時代もあった。しかし、SNSが普及し、より個人が発信力を高めていく現在、マンガの想像力がさまざまな場で活用され続けている。

文学や芸術のように「作品」としての強度を持ち、時代を超えて読み継がれるものだけでなく、より生活に根差して読者同士がマンガを「読み/描き」するプロセスそのものが価値を持つコミュニケーション・ツールとしての役割も含めて、多様な表現の幅や楽しみ方があるということがマンガの表現としての強みといえるのではないか。マンガは新しい状況下でさらに大きな可能性を開いていく。


(脚注)
*1
朱戸アオは『リウーを待ちながら』以前にも『Final Phase』(PHP研究所、2011年)で感染症についてのマンガを発表している。

*2
編集部ブログ「2020年04月01日 感染拡大と都市封鎖を描いた『リウーを待ちながら』週刊連載開始」「コミックDAYS」(2020年4月1日)
https://comic-days.com/blog/entry/riu_muryo

*3
以下のウェブ記事も参照。吉村和真「手塚治虫は『陽だまりの樹』で感染症をどう描いたのか? マンガがつきつける「蔓延後の世界と生命への問い」「日刊サイゾー」(2020年4月2日)
https://www.cyzo.com/2020/04/post_236168_entry.html

*4
ライアン・ホームバーグによる日本国内外におけるコロナ関連のマンガについてのまとめは以下を参照。
Ryan Holmberg「What Was Alternative Manga? Corona Cartoons, Japan」「THE COMICS JOURNAL」(2020年7月14日)
http://www.tcj.com/corona-cartoons-japan/
Ryan Holmberg「What Was Alternative Manga? More Corona Cartoons, Japan」「THE COMICS JOURNAL」(2020年7月21日)
http://www.tcj.com/more-corona-cartoons-japan/

*5
「「3月のライオン」川本3姉妹と一緒に手を洗おう!印刷可能なデータ公開」「コミックナタリー」(2020年4月22日)
https://natalie.mu/comic/news/376502

*6
「「アマビエさん」が手洗いうがいアベノマスク!? こうの史代さん新作漫画を特別公開」「AERA dot.」
https://dot.asahi.com/photogallery/archives/2020051500077.html

*7
マンガ=西島大介、編集=森田真規「映画『レオン』に学ぶ理想的な自粛生活――マンガ「コロナくんの追憶」第1話(西島大介)」「QJWeb」(2020年4月29日)
https://qjweb.jp/journal/17222/

*8
鈴木繁「物語」の力を蘇生させること――3.11以降の女性による自主制作のオンライン・マンガ」大城房美編『女性マンガ研究』青弓社、2015年、247-265ページ

*9
この観点については、マンガ研究者、岩下朋世氏にアドバイスいただいた。

*10
「官房長官、「美味しんぼ」の鼻血描写に不快感」「日本経済新聞 電子版」(2014年5月12日)
https://www.nikkei.com/article/DGXNASFL120L8_S4A510C1000000/

※URLは2020年10月9日にリンクを確認済み