前編では、今日の妖怪という概念が成り立つうえで、柳田國男の定義した妖怪と、マンガ家・水木しげるが取り上げ、形にしていった妖怪が大きく影響していることを紹介した。今回は、そんな水木以外にも、私たちが思い描く妖怪のイメージに少なからず影響したであろう昭和のカルチャーなどを紹介し、今現在妖怪がどのように捉えられているかを探っていく。
隅田川にかかる橋に棲むといわれる「亀の間の大亀」(天野行雄/画)
お化けとされたものたち
古の時代から連綿と受け継がれてきた妖怪たちではあるが、その時代や生まれた土地によって、その捉え方は実にさまざま。その妖怪という姿形のはっきりしない存在を、水木しげるという、妖怪感度が鋭く、画力のあるマンガ家が形にしたことで、現代の私たちでも妖怪というもののイメージを感じとることができるようになった。
江戸時代のお化け、化け物の捉え方は今の時代の妖怪とは異なるということは前回記したとおりである。得体の知れない存在を表す言葉、「お化け」、「化け物」には、柳田國男が妖怪とは分けて考えようとした幽霊も含まれていた。化けて出るのは、人も動物も器物も同じ。不思議な現象を起こす超自然的な存在のなかには、私たちの周りを取り囲むいろいろなものが含まれていた。あらゆるものが「お化け化」する要素を持っているのである。
現代に残された江戸時代の資料をあたってみると、今の感覚からすると少し地味なものや、まるでSF映画に登場するような奇抜なものまで、昔の人が思い描いた怪異は実に幅広く、バラエティに富んでいたことがわかる。ここにいくつかその例をあげてみよう。
江戸時代の奇談集『絵本百物語』(註1)に描かれた鬼熊(おにくま)という妖怪がいる。これは長野県の木曽谷に伝わる妖怪で、歳を経た熊がなると言われている。夜更けや明け方に人里に姿を現し、家畜を捕らえては山中に持ち帰る。二足で歩行し、力が非常に強く、6、7尺(約180、210cm)もある岩を動かし、谷底に落としてしまうという。竹原春泉斎(註2)が描いた鬼熊は直立し、馬を担いだ大きな月の輪熊だった。一見するとただの熊だが、二足で歩行する点、普通の熊よりも力が強いことで妖怪視された。
鬼熊
多田克己編、京極夏彦他文『絵本百物語 桃山人夜話』国書刊行会、2003年、96ページ
同じく『絵本百物語』には、巨大なえい・赤ゑいの魚(うお)の話が載っている。安房(今の千葉県)の野島崎を出航した舟が、大風で遭難して島にたどり着いたが、人がいないうえに、食料も水もなかった。あきらめて島を離れたら、先ほどまでいた島が沈んでなくなってしまった。島だと思ったのは巨大な赤えいだった。『絵本百物語』には、このような巨大魚や疫病を撒き散らす風の神、伝染病を広げる虫など、幅広い生物や現象が怪異譚として紹介されている。
無機物である石も怪異を起こした。現在の静岡県、小夜の中山にある巨大な丸石は夜な夜な女の声で泣き、夜泣き石と呼ばれた。この石の近くで、身重の女性が殺された。霊となった女性は石に乗り移り、すすり泣くことで我が子の存在を知らせたという。石や地蔵といった無機物が起こす怪異というのは実に多く、東京都青梅市には深夜になるとこんにゃくのように柔らかくなるこんにゃく岩と呼ばれる奇石もある。
こんにゃく岩(東京都青梅市)
こうしてみると、怪異に当てはめられる事象は実に振り幅が広いことがわかる。これは、お化け、化け物が理解不能な事象をまとめるのに、とても便利な存在であったことを物語っている。とりあえずわけのわからないものはお化けにしておこう、お化けにすることでひとまず安心したいという、当時の人の気持ちの表れだったのかもしれない。
このようにお化けという言葉は、より幅広く怪異を取り込む力を持っていた。次からはお化けと少なからず関係のあった事象について紹介しよう。
怪獣と妖怪
1953年、アメリカで映画『原子怪獣現わる(The Beast from 20,000 Fathoms)』(註3)が公開された。翌年、この映画に影響を受けて日本でつくられた国産初の怪獣映画『ゴジラ』(註4)が封切られ大ヒットを記録する。怪獣の登場である。『原子怪獣現わる」のリドサウルスも、それに影響を受けたゴジラも、核実験という人為的な活動の結果生み出されたモンスターゆえ、SF的要素の強いキャラクターと思われがちだが、もともと日本のお化けには、怪獣的な要素のあるものも多く含まれていた。
日本では1843年編纂の『駿国雑志』(註5)に登場した有翼の猿のような生き物が、怪獣と呼ばれる生物の初出といわれている。しかし怪獣と呼ばれてこそいないものの、日本の妖怪のなかには、現代でいうところの怪獣的な要素の強いものもたくさんいる。
まずは日本の怪獣にも多い巨大生物タイプの妖怪。通常より大きな生き物は、それだけで妖怪視される素質がある。
1812年刊行の随筆集『北越奇談』(註6)には巨大な蝦蟇(がま)の話が載っている。現在の北海道、越後国村松藩の武士が、渓谷の大岩の上で釣りをしていたが、岩だと思っていたそれが巨大な蝦蟇の背中の上だった。向かいで釣りをしていた武士に教えられその場をはなれたが、後で見てみると岩は跡形もなくなっていた。
東京都荒川区、隅田川にかかる千住大橋の3番目と4番目の橋杭のあいだは「亀の間」と呼ばれ、大きな亀が棲んでいるといわれていた。橋杭に挟まれて出られなくなった大亀は橋を揺らしたり、あいだを抜ける舟を沈めたりした。千住大橋付近には、ほかにも小さな鯨ほどの大きさの片目の緋鯉も棲んでいたといわれている。
既存の生物が巨大化しただけでなく、姿形を大きく変化させ、今まで使えなかったような能力まで身につけた、まさに怪獣化してしまったような妖怪も存在する。
石川県には巨大な、ぐずという魚の妖怪の話が伝わっている。ドンコと呼ばれる淡水魚が化けた10mを超えるという巨大な怪魚で、口から火を吹いて暴れまわったといわれる。同県内の加賀市振橋神社では、巨大なぐずの山車が町を練り歩いた後燃やされる、「ぐず焼き」という祭りも行われている。
ぐず焼きまつり
加賀市観光情報センター KAGA旅・まちネットより
この町を練り歩くぐずの、目を光らせ、ワニのような大きな口を開く姿は、怪獣のイメージそのものである。
今まで見たこともない生き物と遭遇したとき、その驚きを伝えるためにその容姿を言葉で表現したり、絵に描いたりして伝えようとするだろう。そんな妖怪のなかには、唯一無二、オリジナリティあふれる現代の怪獣のようなものも存在する。福島には、1782年に磐梯山で浪人の松前三平が仕留めた「会津の怪獣」と呼ばれる奇妙な生物の記録が残っている。
奥州会津怪獣の絵図
川崎市民ミュージアム『日本の幻獣 未確認生物出現録 企画展解説図録』2004年、57ページ
大きさは4尺8寸(約145cm)、カエルのような姿にノコギリザメような長い鼻のある怪獣で、この付近で頻繁に起こっていた子どもの失踪事件は、この怪獣の仕業だといわれた。まるく大きな瞳、長い鼻、鋭い牙、後ろに伸びた尻尾と、非常に怪獣らしい容姿をしている。
絵巻物などに残る妖怪の姿は実にユニークである。人を襲う怖い存在として知られる牛鬼という妖怪がいるが、その姿は伝わっている地方や描かれている絵巻物によって実にさまざまな容姿で伝わっている。牛のような姿のものから、蜘蛛のような姿のもの、香川県の根香寺に伝わるものに至っては、二足で立ち、頭には角、手には鋭い爪、両腕の下にはムササビのような羽根まで付いたまるで現代の着ぐるみ怪獣に通じるようなデザインをしている。
このようにもともと怪獣的なキャラクターに対して豊かな感受性を持っていた日本人なので、当然といえば当然かもしれないが、リドサウルスやゴジラといった新たな怪獣もスムーズに受け入れられた。怪獣映画『ゴジラ』は大ヒットを記録し、その成功を受けて、『空の大怪獣 ラドン』(註7)、『モスラ』(註8)、『大怪獣ガメラ』(註9)といった怪獣映画が次々とつくられた。そして1966年にはテレビ特撮番組『ウルトラQ』(註10)が放映される。今まで映画館に行かなければ見られなかった怪獣をお茶の間で見られるようになったのだ。
この頃活躍していた怪獣は、恐竜タイプか既存の生物が巨大化したものが多かった。巨大生物に対する畏怖の念は、お化けとの付き合いでしっかりと磨かれていたので、当時の人たちも、巨大生物型怪獣の臨場感を味わい、存分に楽しむことができたことだろう。『ウルトラQ』に続いて円谷プロが制作した特撮番組が『ウルトラマン』(註11)だった。『ウルトラQ』はヒーローの登場しない特撮ドラマだったが、こちらはウルトラマンという正義の宇宙人が登場する特撮ヒーロー番組だった。このウルトラマンをデザインした造形作家・成田亨(註12)は、ゴジラ以降の怪獣映画や『ウルトラQ』に多く見られた既存の生き物を巨大化させただけの怪獣を嫌った。
成田はヒーロー、ウルトラマンをコスモス(秩序)、悪役である怪獣をカオス(混沌)と位置づけ、デザインにも反映させた。また怪獣の妖怪化を避けるため、欠損や奇形を避け、怪獣独自のデザインを模索した。『ウルトラマン』には、そういったコンセプトのもとデザインされた、従来の妖怪や怪獣とは違う、洗練された怪獣が多数登場する。
『ウルトラマン』より少し早く放映されたピープロダクション制作の特撮番組『マグマ大使』(註13)にも巨大怪獣が登場、こういった番組の影響で怪獣ブームが巻き起こる。同年東映とNETテレビ(現・テレビ朝日)は、円谷プロダクション、ピープロダクションのような怪獣ものではなく、水木原作のマンガ『悪魔くん』(註14)の実写テレビドラマを制作した。
そこに登場したのは紛れもなく妖怪だったが、着ぐるみでつくられた妖怪は、まるで怪獣のようなキャラクターになっていた。怪獣ブームのなか、妖怪が怪獣キャラクター化したのだ。この頃の特撮作品は怪獣も宇宙人も妖怪も混在しており、妖怪も怪獣のように扱われていた。子ども向け雑誌などでは、怪獣と一緒に妖怪が紹介されていたりして、子どもたちは妖怪を怪獣と同じようなキャラクターとして受け止めるようになった。
ロボットと妖怪
SFの世界で怪獣以上に人気のあるキャラクターにロボットがいる。ロボットという言葉が最初に使われたのはチェコの作家カレル・チャペック(註15)が1920年に発表した戯曲『R.U.R(ロッスムのユニバーサルロボット)』である。
人造人間を製造・販売している工場で、人間の労働を肩代わりしていたロボットたちが反乱を起こし、人類を抹殺していくというストーリー。ここに登場するロボットは、金属で出来たものではなく、人体の機能を人工物に置き換えた所謂バイオノイドのようなもの。ロボットというのは「労働」を意味するチェコ語「robota(ロボタ)」からつくられた造語で、カレルの兄であるヨゼフ・チャペック(註16)が考えたと言われている。
このように、ロボットの原形を、命を吹き込まれ、生き物のように動き回る「物」とするならば、神話や伝説のなかに、すでにその姿を見ることができる。
ギリシャ神話に登場するクレタ島のタロスは、鍛冶の神ヘーパイストス(工匠ダイダロスとも)がつくった青銅の自動人形で、1日3回島を走り回り、島に近づく者から島を守っていた。ほかにも錬金術師がつくり出すといわれる人造人間ホムンクルスや、チェコに伝わるユダヤ教の伝承に由来する泥人形ゴーレムなども人がつくりし人、ロボットの原型とされる。
芳賀矢一校訂『撰集抄』冨山房名著文庫、1927年
日本において最初にロボットが生まれたエピソードとして取り上げられるのが、西行(註17)が高野山でつくったといわれる人造人間の話である。西行について書かれた説話集『撰集抄』(註18)には、彼が人間の死体を集め、反魂の術を使って人間のようなものをつくったと記されている。生み出された人のようなものは、血色が悪く、魂も入っていなかったため、そのまま山中に置き去りにして来てしまう。人造人間をつくることができたとされる源師仲(註19)によると、西行のつくり方にはいくつかミスがあったそうだ。師仲のつくった人造人間は、人間社会に適合し、なかには大臣にまで出世したものもあったという。
人造人間というテーマは、多くの作家のイマジネーションを刺激し、その後、彼らを取り上げた物語が多数つくられるようになる。制御できない、人のつくりしものの恐怖と悲しみを描いたメアリー・シェリー(註20)の『フランケンシュタイン』、ロボットと人間の関係を守るためのロボット工学三原則を定義したことで知られるアイザック・アシモフ(註21)の『われはロボット』(1950年)など、SF小説の世界で頻繁に取り上げられるようになったロボットは、やがて日本においても知られるようになる。チェコのゴーレムやフランケンシュタイン(正式にはフランケンシュタインが生み出した怪物)は創作でありながらも、西洋の妖怪として取り上げられ、子ども向けの妖怪図鑑などで紹介された。
アシモフが『われはロボット』を発表した後、1952年、マンガ家・手塚治虫(註22)はロボットマンガ『鉄腕アトム』(註23)を世に送り出す。1956年には横山光輝(註24)の『鉄人28号』(註25)が連載を開始。ともにアニメ化もされて、日本の子どもたちのあいだでも、ロボット人気が一気に高まっていく。
遊びの世界に息づくお化け
江戸時代の黄表紙やおもちゃ絵の流れで、子どもたちのあいだに浸透した日本のお化けたちは、明治〜大正〜昭和へと受け継がれていた。文明開化後、前近代的とされたことで、衰退しかけたものの、紙芝居やマンガなどのフィクションの世界、特に子ども向けの駄玩具の世界では依然人気があり、一定の需要を保っていた。
駄玩具「夜光お化け」
昭和の時代、お化けはキワモノでありながらも、時代もの、戦争もの、スポーツものなどと並ぶ、子どもたちに人気のキャラクターとして支持されていた。そこに現れた新たなキャラクターが怪獣やロボットであった。おもしろいことに、当時登場した怪獣やロボットは、駄玩具の世界においてはカテゴライズがなく、「お化け」に入れられていた。
駄玩具「光るお化け」の鉄腕アトム
駄玩具「夜光お化け」になったヒーローや怪獣たち
怪獣やロボットは、時代物でも戦争物でもなく、ましてやスポーツものでもない。それらを入れるとしたら、得体の知れない存在、よくわからないものをまとめた「お化け」が、もっとも適当だったのだ。
物事を把握する際、分類するという作業はとても重要だが、大きなカテゴリーをつくるには、ある程度のデータ量が必要になってくる。登場したばかりの怪獣やロボットが、キャラクターとして、1つのカテゴリーを与えられるまでには、まだ少し早すぎた。そんな時、お化けという枠組みはとても便利なものだったのである。もともと振り幅が大きく、怪しいもの、理解しづらいものを表す「お化け」という言葉は、後々現れた新たなキャラクターをも取り込んでしまったのである。
西洋妖怪
前述の怪獣やロボットはもともと西洋からやってきたキャラクターだった。西洋では日本における妖怪のような扱いをされていなかったものでも、日本独自のお化け感覚で捉えられることで、日本においては妖怪として扱われることもある。このように日本の妖怪の枠組みで捉えられた海外の幻獣やモンスターたちを、やがて「西洋妖怪」と呼ぶようになる。
民俗学者であり、児童文学研究家でもあった藤澤衛彦(註26)が、著書『妖怪画談全集』のなかで早くに西洋に伝わる妖怪的な物を紹介していたが、そういったものの影響を受け、主に児童書を中心に西洋の妖怪的なものが「世界の妖怪」として紹介されるようになった。
前述のフランケンシュタインやゴーレムといった映画に登場したモンスターや怪人などがそうで、夏になると子ども向け雑誌で特集が組まれたりもした。このことは、水木にも多分に影響していて、「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズでも西洋妖怪軍団と日本の妖怪軍団が戦うというストーリーを度々描いている。
この時、西洋妖怪と設定されていたのは、ユニバーサル・スタジオにより映画にもなっている吸血鬼、フランケンシュタイン、狼男といったモンスターたちである。ここに、西洋妖怪のボスとしてアメリカ出身のバックベアードという妖怪が登場する。水木の設定ではアメリカの妖怪ということになっていて、大きな目で睨みつけると睨まれた者はめまいを起こしてしまう。
ベアードは、ことあるごとに鬼太郎の宿敵として登場する大変人気のあるキャラクターである。ところがこの妖怪、実は名前の由来も出自もはっきりしない、謎の多い妖怪なのだ。元ネタは1965年に発行された『少年ブック』8月号の北川幸比古による「世界の幽霊・おばけ100選」に登場した目がたくさん描かれた妖怪だが、このような妖怪がアメリカで伝承されているというデータは今のところ見つかっていない。
目のたくさんあるバックベアード(天野行雄画)
アメリカでは、昆虫の目を持つモンスターのことを「Bug Eyd Monster(バグ・アイド・モンスター)」と呼ぶ。これが転じてバックベアードになったのではないかともいわれているが、確証を得るまでには至っていない。
ちなみに水木の描くベアードでは、複数あった目がひとつ目になったのは、写真家・内藤正敏のコラージュ作品のイメージをこの妖怪の姿として持ってきたためである。バックベアードはじめ、児童書などで日本の子どもたちに親しまれた西洋のモンスターたちは、やがて登場するゲームなどでも取り上げられるようになり、日本の伝統的な妖怪と同じように、子どもたちにとって馴染み深いキャラクターとなっていく。
余談だが、この「Bug Eyd Monster」という名称は、頭文字をとって「BEM(ベム)」とも読める。この呼び名をキャラクター名にしたのが第一動画制作のアニメーション『妖怪人間ベム』(1968~1969年)だった。登場する妖怪人間たちは、別に昆虫のような複眼ではなかったが、妖怪人間というキャラクターの名称に使われたことで、BEMという言葉が妖怪そのものを表す英語だと思われるようになってしまった。
1982~1984年連載のかぶと虫太郎『ベムベムハンターこてんぐテン丸』というマンガ作品がある。魔界から逃げ出した108匹の妖怪を退治する天狗の子の話で、アニメ化もされた。この作品のタイトルに「ベムベムハンター」という言葉がついている。妖怪人間で使われた「BEM」という言葉が妖怪を表す言葉として用いられたのである。
妖怪は、伝言ゲームのように、伝わっていく過程で、名前や性質が微妙に変化してしまうことがある。最近話題の予言獣アマビエも、元はアマビコという名前の予言獣だった。カタカナの「コ」が飛び出しているものを見て、カタカナの「エ」だと思った人がいたものと思われる。さらにその名前を見た人が、自分の記憶にあるものの名前に置き換えてしまい、その情報を発信してしまう。嘘のような話だが、1991年刊行の水木しげる『日本妖怪大全』(講談社)には、この予言獣が「アマエビ」という名前で紹介されている。
さて、「BEM」に代わる妖怪の英訳だが、「MONSTER」「GHOST」「MONONOKE」などなど、妖怪的なものを表す英語はその都度その都度、さまざまなものが使われてきた。ところが最近は海外でも「YOKAI」で通じるようになっているのだそうだ。妖怪が世界でも認識されるようになったという証拠だろう。
世界に飛び出す水木しげると妖怪
妖怪が多様な文化を取り込み進化するなか、水木は日本の妖怪画の第一人者として活躍するかたわら、海外の伝承も積極的に取材し、絵にしていく。その視点は水木独自のもので、現地では日本の妖怪のように認識されていたわけではないものもあったが、水木の目を通すことで、日本の妖怪のように受け入れられていった。
水木は世界各地を精力的に取材し、自身の妖怪画とその情報のライブラリーを着実に拡張して行く。西洋妖怪においても、民芸品や儀式で使う装飾品などのディテールを活用し、独特の質感や実体感を表した。残念ながら世界中の妖怪を遍く形にするまでには至らなかったが、水木によって初めて形にされ、紹介された妖怪も少なくない。
今や水木に影響を受けているのは日本国内の作家に留まらない。中国や台湾などでは、空前の妖怪ブームが巻き起こり、水木しげる的な手法でまとめられた日本的な妖怪図鑑が多数出版されるようになっている。日本発の妖怪表現が海外メディアの影響を受けつつも進化して海外へも影響を及ぼすようになったのだ。
それもこれも、よくわからないものを、よくわからないものとして受け入れ、自分たちの文化として来た日本人のお化け感覚のおかげだろう。過去の伝統を継承しつつ、さまざまな文化を取り入れ、時代に合わせて進化する妖怪たち。彼らは世界中で愛され、今もなお生まれ続けているのである。
(脚注)
*1
1841年刊。江戸時代後期の戯作者・桃山人が書いた奇談集。5巻44話からなり、各話に竹原春泉斎の挿絵がついている。
*3
1953年制作のアメリカ映画。監督はユージーン・ルーリー。核実験で蘇った恐竜リドサウルスと人類の攻防を描いた特撮映画。日本で公開されたのは1954年。
*4
1954年公開の日本初の特撮怪獣映画。制作は東宝、原作は香山滋、監督は本多猪四郎。
*6
1812年刊行の橘崑崙(たちばなこんろん)による随筆集。挿絵の多くを葛飾北斎が描いている。
*7
1956年に公開された東宝制作の特撮怪獣映画。ラドンは翼竜であるプテラノドンが突然変異して生まれた怪獣。
*8
1961年に公開された東宝制作の特撮怪獣映画。モスラは巨大な蛾の怪獣。幼虫形態から繭をつくって、成虫形態に変わる。
*9
1965年に公開された大映制作の特撮怪獣映画。ガメラは巨大な亀の怪獣。
*10
1966年放送の円谷プロダクション制作の日本初の特撮テレビ映画。
*11
1966~1967年放送の特撮テレビドラマ。制作はTBSと円谷プロダクション。
*12
青森県出身の美術家、彫刻家。『ウルトラマン』や『突撃! ヒューマン!!』(1972年)、『マイティジャック』(1968年)などの特撮番組のキャラクターデザイン、メカニックデザインを手掛けたことで知られる。
*13
1966~1967年放送、原作は手塚治虫による同名のマンガ。地球の創造主アースが生み出したロケット人間マグマが、宇宙から来た侵略者ゴアと戦う。
*14
1966~1967年放送。1万年に一人の天才児・悪魔くんが、呼び出した悪魔の力を使って人類の理想郷をつくるために戦う。
*15
チェコスロバキアの国民的作家で、小説や劇の戯曲を手掛ける。ジャーナリストでもあった。代表作は『山椒魚戦争』(1935年)など。
*16
チェコの画家であり、著作家。カレル・チャペックの兄。
*17
平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武士、僧侶、歌人。俗名、佐藤義清。
*18
作者不明の鎌倉時代の仏教説話集。全9巻で121話が収録されている。
*20
イギリスの小説家。彼女の代表作であるゴシック小説『フランケンシュタイン』(1818年)はSFの先駆的作品といわれている。
*21
アメリカの小説家、生化学者。代表作に「夜来たる」(1941年)、「ファウンデーション」(1942年)など。
*22
マンガ家であると同時にアニメ作家でもある。日本のストーリーマンガ、アニメーションのパイオニア。代表作に『ビッグX』(1963~1966年)、『ジャングル大帝』(1950~1954年)、『ブラックジャック』(1973~1983年)など。
*23
1952~1968年発表のロボットマンガ。21世紀を舞台に、感情を持つロボット・アトムが活躍する。
*24
マンガ家。代表作に『伊賀の影丸』(1961~1966年)、『バビル2世』(1971~1973年)、『魔法使いサリー』(1966~1967年)など。
*25
1956年発表のロボットマンガ。リモコン操縦で動くロボット鉄人28号が犯罪者や悪のロボットと戦う。
*26
小説家、民俗学者、児童文学研究者。彼の著書である各国の妖怪画の図版を多数収録した『妖怪画談全集』(中央美術社、1930年)は、水木しげるをはじめ、妖怪に携わる多くの人間に影響を与えた。
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