2013年から2019年にかけて刊行された『水木しげる漫画大全集』。そのラインナップを見てみると、誰もが知る『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』『河童の三平』から、貸本マンガ時代の作品を集めた「貸本漫画集」、雑誌「ガロ」への掲載作品を収録した「『ガロ』掲載作品」など、単行本初収録となる作品も多く網羅している。これら103巻に加えて、別巻が5巻、補巻が5巻、作品の索引などをまとめた「総索引/年譜他」も刊行されており、水木作品のすべてを収録しようという気概が感じられる。そんな『水木しげる漫画大全集』の監修を務めたのが小説家の京極夏彦氏。妖怪文化への造詣も深く、水木しげるとのつながりもあった同氏が、当時の制作過程を振り返りつつざっくばらんに語ってくれた。

協力:天野行雄

京極夏彦氏。水木しげるグッズを並べた「水木庵」にて
以下、撮影:田上浩一

これまで「水木全集」が刊行されてこなかった理由

まずは『水木しげる漫画大全集』を監修されることになった経緯からうかがえますか?

京極:「水木全集」、あるいは「鬼太郎全集」という企画は、定期的にいろんな出版社から出されていて、僕のところにも何度も話が来ていたわけですけど、いつも全力で阻止してきたんですよね(笑)。なぜ阻止せねばならなかったかというと、いざ企画内容を聞いてみるとですね、ぜんぜん「全集」じゃないんですよ、これが。だいたい今あるものを寄せ集めれば何とかなると思っている。水木さん自身、どれくらいの作品を描いてきたのかわかってないくらいなのに。ちなみに我々の仲間で、もう50年近く水木マンガを追い続けて、それこそ見つけるたびに細かく表にしている変質者めいた人がいるんですが(笑)、それだけ執念を持ってやっている人のリストでも漏れがあるんです。たぶん、全作品を把握している人間なんて、どこにもいませんよ。

『鬼太郎』に限定したところで、とんでもない量とバリエーションがありますしね。

京極:そうなんです。「雑誌初出と単行本で改変箇所があったりするけど、どのバージョンでつくるつもりなんですか?」って訊いても、何のことを言われているのかわかってもらえない。かつて某社で鬼太郎全集の企画が立ち上がったとき、どうして全集ができないのか、レポート用紙にして10枚ぐらいにまとめて提出したことがあったくらいです(笑)。これだけの障害を乗り越えないと鬼太郎全集と呼べるものはつくれない。もっと枠を広げて「水木全集」を制作するとなれば、さらに数倍、数十倍の艱難辛苦が待ち受けているんですよ、と。それを引き受ける自信があるんですかと問うと、大体は消えちゃうんですね。そんな状況が十数年続いていたんです。

では、ついに気骨のある出版社が声を上げたということですか?

京極:水木作品を長くつくっている講談社の関連会社が、「水木全集」を出したいと言ってきたんです。最初はどうかなと思ったんですけど、講談社は水木さんが贔屓にしている出版社でもありますからね、無下にはできない。かつて水木さんを貧乏から救ってくれたところですから(註1)。ただ、水木さんも80歳を超えてらっしゃったし、個人全集が何度も出されることなんてまず考えられないじゃないですか。前のは不備があったのでまた出し直しますというのも難しいことです。だから変なものを出されたら困るわけですよ。

京極さんのデビューも講談社ですよね。

京極:縁はあるんです。なので講談社を内偵してみたんですよ(笑)。講談社って、『手塚治虫漫画全集』(1977~1984年、1993~1997年)の版元でもあるわけです。そこで当時、どのくらいの人数と年月をかけてつくったのかリサーチをしてみたんです。そしたら当初は編集室みたいなものがあったんだけど、だんだんと数も減っていって、最後はお一人でやられていたそうなんですね。ただ、そうなったのは最後の4期ぐらい、手塚先生が亡くなってからのことらしいんですが。とにかく随分と時間は掛かっているんです。あとは、どのくらいお金が掛かったかですね。そこら辺を全部聞き取りしたうえで、講談社の役員やら僕の担当やら関連会社の偉い人やらに集まっていただいて、レクチャーしたんです。これこれこういう障害があるので、今の体制ではおそらく納得のいく全集は無理ですねと(笑)。

いつもと同じ流れじゃないですか!(笑)

京極:それと当時、潮出版から『鉄人28号(原作完全版)』(2009~2010年)が刊行されていたんですが、古い作品なのにかなりきれいだったんですね。原稿の欠けている部分を雑誌からスキャンして、デジタルで修正しているんです。ああ、やればできるんだよなと思った。水木作品も原稿がないものは多いから、雑誌からコピーを取ったまんま、ザラザラで線が潰れたような全集をつくったら、水木さんの名折れになるから、それは絶対にダメですよという話もしました。貸本作品も含めるなら、水木作品の原稿は半分も残ってないと思ってくださいと(笑)。ただ、今から時間もお金も掛けて、きちんと体制を組んで手間を惜しまずにやればできないことはないし、そういう良質な全集を出していただけるなら全面協力しますということで、そのときは話が終わったんです。で、半年ぐらい何も連絡がなかったので、やっぱりあの話は消えたんだなと思っていたら、何とチラシが出たんですよ。そこには「『水木しげる漫画大全集』、3月8日発売」というようなことが書かれていたんです。あと半年もないじゃん! というタイミングだったと思いますが。

幾度かの依頼をへて、監修を務めることになった

徐々に集まっていった制作スタッフ

当初は、水木さんの誕生日に合わせて発売する予定だったわけですね。

京極:それに特化した常駐の編集者が3人くらいいて、作品の情報収集と調査・整理をしつつ、デジタル修正を徹底し、ちゃんと販売戦略を考えたうえで、水木先生のコメントも付くのであれば……という厳しい条件を全部飲んでくれたのか! と少し喜んだんですが、同時に本当にできるのかなと心配にもなりました。そしたら講談社から電話が掛かってきて、今回の監修を頼まれたんです。でも業界の慣習でいうと、監修なんて名前貸しがほとんどじゃないですか。編集者が編集作業をして、監修者は目を通してちょっと文句をつけるくらいでOKみたいな。でもそういうのは性に合わないんですよ。だから、どんな設計の全集なのか問いただしたんですね。どういうスケジュールで、どんなラインナップなんですかと訊いてみた。そしたら、何とまだ白紙の状態だったんです! でも水木プロさんにも話は行っているわけだし、広告も出ちゃってるし、もうどうしようもないという。この場合、引き受けないという選択肢はないの(笑)。水木先生に不義理はできないし、僕が適当に流してしまえば悪夢のようなものが出来上がっちゃうかもしれない。ただ、僕一人だと本当にどうしようもないので、ちょっとは味方が必要じゃないですか。とはいえ、お金がないから大きな編プロに頼むわけにもいかない。そこで水木作品が大好きで、水木さんのことも大好きな独立系編集者の梅沢一孔さん、それに水木一門でもあるライターの村上健司くんに手伝ってもらうことにしました。3人ですよ。

そんな見切り発車だったんですね。俄には信じがたいな……。

京極:内実を言っても、誰も信じてくれない(笑)。いずれ五里霧中ですよ。まず誰も水木作品の総体を知らないですから。これ、作品数がわからないと巻数もページ数も決められないし、ページ数が決まらないと値段も決められないでしょう? そこで、さっきも話した仲間内で共有している作品リストをベースに、ネットに上がっている好事家のつくったリストなんかを付け合わせてみるところから始めました。僕は出版された水木さんの単行本は全部所有しているわけですが、リストにはあって、本に載ってない作品があったなら、それは単行本未収録作ってことじゃないですか。あるいは嘘か幻ね(笑)。そういった作品をリストアップして、実際に初出にあたり、とりあえずの仮リストをつくり上げたんです。これで大まかな全体量が掴めたので、それをページ数で割り、全体の巻数も見えてきました。その段階でデザイナーが必要だなということになって、懇意にしている坂野公一くんというブックデザイナーをオルグしたんです。「これは一種の文化事業だから、ギャラも手間も度外視しておくれ」とか都合のいいことばっかり言って(笑)。

なるほど。少しずつメンバーが揃ってきましたね!

京極:で、当時は水木さんも元気だったので、丁度その時期に「アンタ、別荘に来なさい」って言われて、坂野くんたちを連れて遊びに行ったんですよ。富士山の麓に水木山荘っていう別荘があるんです。そこに当時の「怪」(註2)の初代編集長なんかもいたので、他社なんですけど(笑)、一緒に作戦会議を開いたんですね。収録作をカードにして、分類整理し、巻数や発行順を決めようぜと。ところがね、そのときに講談社側から「全部いっぺんには出せないので、1期、2期、3期くらいに分けてくれませんか。もしも売れなかった場合、1期で終わります」って宣言されちゃったんですよね。この頃、小学館から『藤子・F・不二雄大全集』が出ていたでしょう。あれをじっくり見ていただくとわかるんですが、実は通し番号が振られてないんですよ。たぶん、向こうも同じ条件だったのじゃないかしら。いざというときのために巻数をつけなかったという可能性はありますよね。結局、あっちは最後まで無事に駆け抜けて、たしか受注生産的な4期まで出されたわけですが、後発になる『水木しげる漫画大全集』はちょっと心配だった。だから、逆に通し番号を付けることを条件にしたんです。いざというときになっても、途中で辞められないように(笑)。

藤子・F・不二雄、水木しげるというビッグネームであっても確実ではないんですね。

京極:こういうマニアが読むようなものは売れないという固定観念があるんですよね。でも僕、それは間違いだと思うんです。マニアも喜ばないものが一般に届くわけないですよ。もちろん、一般の人が楽しめないようにつくっちゃったらダメなんだけど、やっぱりコアなファンがすげーぞ、すげーぞと言ってくれて、そこで初めて周りにも広がっていくんだと思うし、いちばん大事にしなくちゃいけないコアな読者を袖にするようなことはしちゃいけないと思いますね。で、とりあえず全3期を目指すということで33巻ずつぐらいに分けてみたんです。

紆余曲折をへてたどりついた第1回配本

おおよそ100巻くらいだろうという想定でスタートしたわけですね。第1回配本は『ゲゲゲの鬼太郎』の第1巻、『「忍法秘話」掲載作品』、そして『不思議シリーズ』という取り合わせでした。

京極:まあ、最初に『鬼太郎』を出さないわけにはいかないですよね。それから水木さんぐらい作家歴が長くなると、初期の作品と後期の作品ではタッチも作風も変わってます。しかも昔のファンと現在のファンは、わりと対立しがちなんですね。これはよろしくない。往年のファンには今の作品を、今のファンには古い作品を読んでもらいたかった。だから貸本から雑誌への移行期である「忍法秘話」(註3)収録作品と、大御所になってからの『不思議シリーズ』を並べてみたんです。第1回配本だったら、どっちかのファンでも一緒に買ってくれそうじゃないですか。で、「あっ、昔のやつもいいね」とか「最近のやつもおもしろいじゃん」と思ってもらえたらいいなと。まあ、僕も一時は広告業界にいたので、そこは考えました。ただ長編が分冊される場合は連続刊行にしないといけないし……半年後くらいに続きが出てもわからなくなるでしょ。だから組み合わせが大変でした。本屋さんに毎月行くような生活習慣をつけてもらったり、あるいは毎月届く形で定期購読してもらえるようなラインナップにしなくちゃいけないなと。

各巻に収める作品の組み合わせひとつとっても工夫がなされている

ちなみに講談社の編集さんは一人ですか?

京極:最初はそうでした。ただ、主に印刷所なんかとの調整、進行が業務でしたね。だから台割(註4)も僕と梅沢さんでつくってました。並行して校正や調査もしなくちゃいけなかったし、デジタル修正もあったから、見かねた「怪」の関係者まで知恵を貸してくれたりもして。いや、お前カドカワの人間だろっていう(笑)。あと、いつも巻末に有名な人の解説を載せていいるんですけど、あれは解説と称してはいるものの、要はエッセイなんですね。本当に解説しなきゃいけないということになると、「解説できるのは誰?」「お前やれ!」みたいなことになりかねない感じだったし(笑)。他ならぬ水木さんの全集なんだから、そこは立派な人に頼もうという。

第1回配本の解説陣は、高橋留美子さん、白土三平さん、荒俣宏さんという錚々たるメンツでした。

京極:立派ですねぇ!(笑) ただ、このお歴々との交渉もこっちでやっていたんですよ。白戸さんの忍者屋敷みたいなご自宅にも、僕と梅沢さんと村上くん、それから水木プロの原口社長(当時)で伺ったんです。でも流石に毎月それをするのは大変なので、そこは講談社にお願いしたいと頼み込んで、のちに渉外担当の人を一人出してもらいました。結局、関連会社の編集も一人増やしてもらったし、アルバイトも一人雇って、外部に校閲も頼むようになり……最終的に修正要員も含めて10人くらいのチームになりましたかね。でもそれは第1期の終盤以降、チームがちゃんと機能しはじめたのは3期以降のことで、最初は難航の極みですよ。普通、準備万端な状態になってからスタートするもんだと思っていたけど、こういうこともあるんだなと。いい勉強になりましたね(笑)。

最終的に第1回配本は、2013年6月3日になっていましたが。

京極:やっと大枠ができてスタートできるぞという段階で、もう残り1カ月を切っていたんです。こんなの絶対に無理じゃないですか。結局、3カ月くらい延ばしたんですが、もう背水の陣どころか首まで水に浸かってて、だから首を賭けて交渉しました。今回の全集がうまくいかなかったら、弟子として水木さんに顔が立たないから、僕はこの業界から身を引かざるをえないと啖呵を切ったわけです。ハッタリじゃなくて本気だったんですけどね。それでも3カ月延びただけですよ。小説家人生と引き換えで3カ月(笑)。だから本当にね、最初はもう、自転車操業というか飴がない鞭だけの世界みたいな感じでした(笑)。まあ、僕も梅沢さんも村上くんも、水木さんのことが大好きですからね。もう水木作品に関われるだけで、とりあえず幸せだなぁっていうところはあるんです。あるんだけど、一方でプロとしてプロの仕事はしなきゃいけないし、プロとしてはタダではできないし……そこをなあなあにすると、業界に悪しき前例を残してしまうでしょう?

「京極さんはやってくれましたよ!」って言われたら、大半の人はぐうの音も出なくなりますからね。

京極:だから、そこはうちのオフィスを通して、きちんとギャランティの交渉はさせてもらいました。チーム全体の待遇にも影響しますからね。全部監修費にコミコミじゃなくて、原稿をデジタル修正したら1枚いくら払ってくださいとか(笑)。

そうか! さっきおっしゃっていたデジタル修正も、京極さん自らやられていたんでしたね。

京極:あとで詳しく説明しますけど、初めは僕しかできなかったんですよ。というか僕だって本職じゃないんだけど。すぐに坂野くんのパートナーが「私が勉強します!」って、一緒にやってくれるようになって、2期、3期とスタッフを増やすことができた。それもギャラの交渉をしていたおかげです。ただ、巻末に資料というページがありますよね。単行本を出すときに改稿されているページとか関連記事、未使用原稿なんかを掲載しているんだけど、あそこの原稿料はタダでした(笑)。要はページ合わせのために入っているパートなので、資料が全然ないときは文章で誤魔化さなきゃいけなくて、かえって仕事が増えちゃうの(註5)。それから今思えば帯の惹句とかも無料奉仕でしたね。とにかく馬車馬のような努力と情熱だけで乗り切った感じです。

京極氏はあらゆる面で『水木しげる漫画大全集』に携わった

お話を聞いていると、京極さんは自ら進んで仕事を増やされている感じですね(笑)。

京極:小説家としてはね、お前は6年間も何をやってたんだって怒られるわけですよ。監修者としてもね、もっとちゃんと監修をしろよと。レタッチなんかしてんじゃねーよというお叱りもあります。ただ、レタッチとか修正に関していえばですよ、本業でもないのによくやったなぁって自分でも思うんだけど(笑)。そういう意味では、これだけのものをつくったんだと思えば決して無駄な6年間なんかではなかったなと感じてはいます。水木作品を網羅したいというファンとしての欲求は、それこそ幼い頃から持っていたものですしね。もちろん、もう1回やらせてもらえるならば、もっと精度の高い全集がつくれますよ。でもまた同じくらい時間を掛けるとなると、僕の人生も終わっちゃう(笑)。この先、誰かがもっと優れたものをつくってくれるなら大歓迎だけど、僕の生きているあいだは無理っぽいですね。あと、『うる星やつら』(1978~1987年)のカラー原稿をすべて収録した本だとか、つげ義春さんの2色カラーページや4色カラーページを完全再現した本だとか、この手の企画本がいくつか刊行されたでしょう。あれはうちの影響も多少あるんじゃないかしらと、思わないでもない。『水木しげる漫画大全集』をやってよかったなと思うことのひとつですね。

『藤子・F・不二雄大全集』と『水木しげる漫画大全集』以降、マニア向けのコミックはここまでやらなきゃっていう新たな基準ができた気がします。

京極:マンガなんか読めればそれでいいじゃん、どうせ読み捨てでしょという時期はそれなりに長かったわけで。こういう見せ方もあるんだということが、ちょっとでも知られたとすれば本望ですよ。だってまだまだ水木さん以外にも全集を出してほしいマンガ家さんがいっぱいいますから。

京極氏の書斎の一角にずらりとLの字型に並べられた『水木しげる漫画大全集』

(脚注)
*1
斜陽化する紙芝居業界に見切りをつけ、貸本マンガに活路を見出した水木だったが、こちらの業界も衰退していき、ますます生活は苦しくなっていった。そんな折、「別冊少年マガジン」からの依頼で執筆した『テレビくん』(1965年)が第6回講談社児童まんが賞を受賞。43歳にして人気マンガ家の仲間入りを果たす。

*2
1997年から2018年にかけて、角川書店より発行されていた世界で唯一の妖怪マガジン。水木が永世会長を務める「世界妖怪協会」公認の雑誌であり、『神秘家列伝』や『目撃画談』、『妖怪人類学フィールドワーク』などの連載があった。2019年、日本初の怪談専門誌「幽」と合併、「怪と幽」としてリニューアルを果たしている。

*3
1963年から1965年にかけて、青林堂より発行されていた貸本雑誌。水木は、のちに「月刊漫画ガロ」を立ち上げた長井勝一から直接原稿を依頼されるかたちで計16作品を発表している。1992年に『忍法秘話傑作選』として単行本にまとめられたが、今回の「水木全集」によって全作品完全収録が達成された。

*4
本の設計図にあたるもの。どのページにどういった内容をどれだけ入れるのかをわかりやすくまとめたもので、これがないことには何も始まらない。

*5
スタッフのこだわりにより追加された要素として、ほかに毎巻封入される月報「茂鐵新報」(村上健司責任編集)がある。収録作品の解説や水木マンガ/アニメのグッズ紹介ページ、さらに水木の存命期には新規インタビューも掲載されていた。必ずしも収録作品について語っているわけではないが、京極らにとって晩年の水木との貴重な触れ合いの時間だったという。


(information)
『水木しげる漫画大全集』
全114巻
出版社:講談社
刊行年:2013~2019年
判型:A5判
https://comic-sp.kodansha.co.jp/mizuki/

※URLは2022年3月3日にリンクを確認済み