2020年6月に米国・ニューヨークのクラウン・パブリッシング・グループより『Pure Invention: How Japan's Pop Culture Conquered the World』が刊行された。日本で生まれた製品を紹介しながら、日本文化が海外に与えた影響について論じられており、その時々の国内の状況を俯瞰できる一冊となっている。著者のアメリカ人翻訳家マット・アルト氏に、刊行のきっかけから、日本と米国の比較まで話をうかがった。
マット・アルト氏
撮影:畠中彩
日本が生み出したファンタジー
「ニューノーマル」や「新しい生活様式」が実践され、新型コロナウイルスの世界的大流行は社会や経済を大きく変えている。まだまだ先行きは不透明な状況で、私たちにできることは何だろうか。想像力を駆使すれば明るい未来を切り開くことができると期待する東京在住のアメリカ人翻訳家、マット・アルト氏は6月に『Pure Invention: How Japan's Pop Culture Conquered the World』を上梓した。カラオケやゲームソフト、携帯電話の絵文字に至るまで、今や世界中で日常的に使われている多様な製品のほとんどに見られる日本文化の影響を、丹念に探り、伝えている。本書のタイトル「Pure Invention(註)」は、オスカー・ワイルドが19世紀末の英国にて日本の芸術について述べている部分からの引用だ。
今回の出版に向けて、企画書が通るまでに約1年半かかりました。序章から各章の概要をそれぞれ10ページほど記し、全体で200ページに及ぶ企画書をニューヨークの複数の出版社に持ち込んだのです。企画が通ったあとの打ち合わせで、読者へのアプローチや全体のトーンなど、内容についての詳細が決まると、ゼロから原稿を書き直しました。
入念に調査された資料や取材に基づいて自身の思いが綴られた本書は、日本の文化史、特に第二次世界大戦後から現代に続く市井の生活者から創造されたものが、どのように世界に広まっていったかを知るにはもってこいの読み物だ。とにかく、すべての項目の内容が詳しく描写されている。
担当の編集者はミレニアル世代。日本のつくった“ファンタジー”の大切さをわかっていました。1990年代に生まれた人たちはみんな、ゲームボーイ、ポケモン、セーラームーンなど、“日本のファンタジー育ち”といえます。住んでいる国はアメリカでも、心の国は日本という人たちも少なくない。趣味でポケモンを楽しみ、つくった人たちの世界観を吸収し、消化しているのです。日本が世界のファンタジーを変えることによって、ある意味で現実をいじって、新しい現実をつくったに違いないと思って、僕はこの本を書きました。
日本のファンタジーとは何か。アルト氏は本書で取り上げた製品を、想像力を刺激する装置(fantasy-delivery devices)として紹介している。
カラオケをすると一時的にタレント気分になったり、ハローキティの商品を持つことで、きらめくような“かわいい”感情を増幅させたり、ウォークマンで好みの音楽を現実生活に加え、ドラマ性を高めることができるのです。それぞれが、個々人の現実と空想を混ぜ合わせる機能を持っているといえます。
それら製品は、いずれも「不必要なもの、避けられないもの、影響力のあるもの」(inessential, inescapable, influential)だという。
『Pure Invention: How Japan's Pop Culture Conquered the World』ⅳ-ⅴページより
2003年から東京に住んでいるアルト氏は、生まれ育った米国・メリーランド州で、幼い頃、日本のおもちゃに出会った時から日本文化に夢中だったそうだ。通った高校では、当時のアメリカの公立高校で唯一、日本語の授業が行われていた。そのクラスには、ある日、手塚治虫の作品がぎっしりと詰まった段ボール箱が届いたという。『鉄腕アトム』(1952~1968年)、『ブラック・ジャック』(1973~1983年)、『ブッダ』(1972~1983年)、『火の鳥』(1954~1986年)のほかに、サインの入ったイラストや、手塚が次に渡米する際には彼らに会いに行くという手紙も入っていたそうだ。残念ながら、手塚は1989年に他界したため、会うことはかなわなかったが、これらの作品との出会いも大きく影響しているのだろう。
手塚作品に影響を受けたというアルト氏
撮影:畠中彩
ブリキのおもちゃから絵文字まで
製品からみる時代性と海外へ与えた影響
徹底した調査を経て、全9章で構成された本書の第1章に登場するのはブリキでつくられたおもちゃのジープだ。これは、第二次世界大戦時、滋賀県大津に疎開していた小菅松蔵(1899~1971年)が、荒廃した街中を走る米軍のジープを見て製作したもの。アルト氏はこの人物の詳細な経歴にとどまらず、彼が1945年秋のある日、たまたま銭湯からの帰り、道端に駐車中の無人のジープに遭遇し、持ち合わせていた手拭いでジープの原寸を図り、急いで帰宅して設計図を描くところから描写している。ビールや食品の空き缶を再利用してつくった工程も説明したうえで、「海外で模倣はプロセスの終わりを意味するが、日本では模倣から創造のプロセスが始まるので、模倣は何か新しいものの始まりを意味する」と説く。小菅は1947年に東京に戻ると、完成度の高いキャデラックのブリキ玩具をつくり、輸出先の米国で人気を博した。日米関係がひとつの製品を生み出したともいえる。
第3章で展開するカラオケ装置は、日本のサラリーマン社会がもたらした製品のひとつ。80年代半ばに米国のロックシンガー、ブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』がカラオケバージョンとして制作されると、10代の若者へと広がり、さらに欧米でも楽しまれるようになったことを紹介。カラオケ装置開発者のひとりである根岸重一氏が1960年代半ばに手塚治虫のスタジオ(虫プロダクション)を訪ねたことがあり、手塚の仕事への取り組みに深い印象を持っていたエピソードも添えている(鉄腕アトムを描いたポケットサイズのトランジスタラジオに鉄腕アトムのキャラクターをつけるため、許諾を得るための訪問であった)。
続く第4章では、日本語の「かわいい」と英語の「cute」の概念に言及しつつ、人気キャラクターのハローキティを生み出した株式会社サンリオとその独創的な創始者・辻信太郎を紹介している。“Small Gift Big Smile”を企業理念として掲げる同社は、お中元・お歳暮を中心とする贈答文化がある日本だからこそ、この大人の習慣を子どもたちのために再構築することで発展したと指摘する。80年代、男性社会の日本にありながら、女性社員に対して自由にデザインを提案させ、創造、管理する自由を与えており、当時の日本のビジネス界では前例のない企業だったことも伝えている。
ソニー株式会社が試行錯誤を経て世に送り出したウォークマンが成功したのは、ストレスの多い都会の生活から自分だけの音の世界を求める人たちがいたから。ほぼ同時期にインベーダーゲーム(『スペースインベーダー』〔1978年〕)がヒットし、世界を席巻した。そのいっぽうで、対日貿易赤字が続いていた米国では、車、テレビやコンピュータなどの日本製品に批判が集中していた。ウォークマンは、米国で対抗できるものがない画期的な製品だったため、受け入れられていたのだ。
『Pure Invention: How Japan's Pop Culture Conquered the World』書影
撮影:畠中彩
世界経済に影響力を持っていたバブルが崩壊すると、日本の若者たちは内向き志向となり、新たな文化を求めるようになる。のちに「失われた10年」と呼ばれるこの時代、「サラリーマンが築いた“日本株式会社”が崩壊していくなかで、女子高生らはマンガからサンリオ製品まで、大人になると捨てられると思われていたものを臆することなく消費し、大人たちより早く新しい技術を受け入れ、業界全体をも変えてしまった」と本書で指摘する。アルト氏は、絵文字というオンラインの言語を発展させ、カラオケ装置から通信カラオケへと導いたのも女子高生らの志向があったからだという。1996年になると、ミニ液晶ディスプレイのついた携帯のデジタル携帯ペット「たまごっち」が女子高生向けにデザインされた。一度起動させたら、食事やトイレなどの世話をしながら、成長を見守るというおもちゃだ。発売後2年もたたないうちに4,000万個のたまごっちが世界中に広まり、現在も進化を続けている。
絵文字やモバイルインターネット、大人でも楽しめるゲーム、オンラインでの意見交換や、大人なのにアニメが好きというアイデンティティを持つオタク的生き方は、良くも悪くも日本で初めて出てきました。日本の都市化のスピードはアメリカの倍かもしれない。今やヘッドホンのない生活は考えられない若者たち。そういう新しい生活も日本が発明したのです。日本は80年代に、すでに21世紀の生活にたどり着いていたように思えます。就職氷河期といわれる時代の若者たちは、今のアメリカの若者たちにすごく似ています。成人しても親元を離れず同居して引きこもる若者の数が増えています。今のアメリカは、90年代日本のオタクになりつつあるのです。
長引く経済不況は、物事に対する価値観も変えてしまう。多くの若者たちがファンタジーの世界に没頭し、マンガやゲーム、アニメのオタクとして新たなアイデンティティを確立していくことに対し、大人の批評家たちは、社会的責任の回避や脱落の象徴と見ていた。
1990年代になって一般消費者のほとんどは、新しいものを買うことをやめたんじゃないでしょうか? 消費し続けたのは、オタクのようなマニアックな人たちや女子高生たち。親元に住んでいたからこそゲーム機を買うことができ、音楽を楽しみ、自分を癒すための新しい技術や機械を求めた。暗い時代に、どう安全に生きるかを初めて考えたのは、たぶん当時の日本の若者たちです。日本は“失われた10年” いや、すでに20年を生き抜いてきたのです。そこには発明、「Pure Invention」がありました。日本の失われた20年を知ると、どんな暗闇のなかでも想像力を使って新しいものを発見したら、明るい道を探せると心から思えます。
最終章では匿名の日本語電子掲示板「2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)」から、米国の15歳のアニメ好き少年が2003年に立ち上げた「4chan」を取り上げ、それがアニメの交流サイトにとどまらず、2016年の大統領選挙に向けて台頭するなど、米国の文化に与えた影響を伝えている。
米国では、カラオケや絵文字、スーパーマリオを知らない人はいない。と同時に、なぜそれらができたのかと疑問に思う人もいないという。これは海外の消費者が日本的なものを求めた結果ではなく、また日本でこれらが登場した背景に、海外で普及させようという戦略があったわけでもないと強調する。日本で国内向けにつくられた製品が海外でもヒットする理由として、日本で起きた経済不況や社会問題(孤独や希望の喪失など)が、少し遅れて海外でも起きているからであり、異なる国々にあっても、そこに生活する人々のライフスタイルも似たようなものになりつつあるからではないかと述べている。
最近は、人間関係がデジタル化しつつあるのですが、それは関係がなくなるのではなく、新しい道を開くことなのです。現代の子どもたちにとってLINEでメッセージを交換することはまったく自然なことです。18世紀の英語圏の国に小説が登場した時、大人たちの間では、現実を忘れてしまうのではないかというパニックが起こったといいます。でも実際はそんなことはなかった。だから、次の世代が何を発明するのか、とても期待しています。大人としては想像もつきません。
エポックメイキングな製品をつくった人々に出会えたのは運がいいと語るマット氏。子ども時代に夢中になって遊んでいたファミコンの製作者に取材すると、その製作者が子どもの頃は小菅のジープで遊んでいたという。どこかでつながっている、一つひとつの製品に隠れた物語を見事に紡ぎ出し独創的な文章で読者を誘い込む。現代の日本人にとっても、触れたことのない世界を発見できるはず。本書は、日本でも和訳版の刊行が決まっている。
翻訳を生業としつつ、日本と米国の文化の双方を行き来している
撮影:畠中彩
(脚注)
「Pure Invention」にはおおまかに言うと、「大発明」と「真っ赤な嘘」という2つの意味があるそうだ。「Invention」には、発明のほか「捏造・妄想・嘘」、それから「想像力」という意味も含まれている。オスカー・ワイルドは、1891(明治24)年に日本芸術を通じて日本を理想的な楽園として妄想し憧れ浮かれる欧州人たちを「(我々が憧れる)日本は空想国だ。国も民族も実際に存在せず日本人という人々は、単なる流行であり、美術的な妄想にすぎない」と皮肉った。
ワイルドは虚構の日本と現実の日本を見極めるべきだ、と説いた。この文章のあとに、欧州人が憧れる「日本」を見たいのなら、東京へ行くのではなく、日本の美術作品をただ買えばいい、と続けている。実際に日本に足を運んでもそこにあるのは、現実世界に存在する日本と日本人だけであり、欧州人達が想像する日本と日本人は存在しない、と言った。
『Pure Invention: How Japan's Pop Culture Conquered the World』で取り上げた日本の製品は、世界に大きな影響を与えた「大発明」と言えると同時に、過去にワイルドが指摘した空想国「日本」も構築しているといえる。
マット・アルト
米国、ワシントンDC生まれ。ウィスコンシン州立大学にて日本語を専攻し、卒業。米国政府特許庁にて翻訳家として勤務、退職。2003年1月に、エンターテインメント翻訳専門会社の株式会社アルトジャパン取締役副社長に就任。
ゲームソフト、マンガ、映画などの翻訳や、「The New Yorker」や「ニューズウィーク日本版」などで記事を執筆しながらテレビ出演もしている。『英語でしゃべらナイト』、『知っとこ!』など。『Japanology Plus』ではレギュラーとして日本全国を取材し、『3か月トピック英会話 英語で楽しむ!リトル・チャロ〜東北編〜』では、英語による妖怪解説をした。
洋書『Yokai Attack!: The Japanese Monster Survival Guide(妖怪アタック!:外国人のための妖怪サバイバルガイド)』(Tuttle Publishing, 2008)、『Ninja Attack!: True Tales of Assassins, Samurai, and Outlaws(忍者アタック!:外国人のための忍者常識マニュアル)』(Tuttle Publishing, 2010)、『Yurei Attack!: The Japanese Ghost Survival Guide(幽霊アタック!:外国人のための幽霊ふれあいガイド)』(Tuttle Publishing, 2012)の共著者。
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