日本中に熱狂的なファンを持ち、後続のマンガ家にも多大な影響を与えたマンガ家・諸星大二郎のデビュー50周年を記念する大規模な個展「デビュー50周年記念 諸星大二郎展 異界への扉」が、北海道立近代美術館で2020年11月21日(土)から2021年1月17日(日)まで開催されている。マンガの原画だけでなく、マンガから派生される民俗学的・考古学的な資料や美術作品などを同時に展示し、諸星独特の世界観を体現している。

会場入口

マンガ原画と資料を8つの区分で展示

1970年にデビューを果たした諸星大二郎は、『マッドメン』(1975~1982年)、「妖怪ハンター」シリーズ(1974年~)、『西遊妖猿伝』(1983年~)など従来のマンガジャンルにとどまらない異色の作品を数多く生み出した。本展は、諸星の代表的な作品群を中心に、「夢みる機械」「生物都市」(ともに1974年)などの初期作品から、短編作品も含めて網羅された約350点の原画と、マンガと関連する歴史的、民俗学的資料や美術作品によって構成される。そのため、マンガ展としても、美術展や民族学的展示としても楽しめる展示になっている。

本展が、北海道立近代美術館で開催されることになった経緯について、担当学芸員の大下智一氏によれば、2016年にさかのぼるという。全国147の公立美術館で組織される美術館連絡協議会において、大下氏が諸星の大規模な展覧会を提案したところ、同会に参加していた北九州市漫画ミュージアムなども賛同。その後諸星本人や出版社、『文藝別冊 総特集 諸星大二郎 怪を語り、快を生み出す』(河出書房新社、2018年)の編集を務めた穴沢優子氏(河出書房新社)らを通して、デビュー50周年の企画として開催することが決定した。そして大下氏が中心となり展示の構成や出展作品などを計画し、巡回先の美術館と協力しながら展示をつくり上げていった。

本展覧会のねらいについて、大下氏は「諸星先生の原画を、ただ年代順に並べて見せるのではなく、テーマで分けていきながら、それぞれのテーマと現実とのつながりを見せる展示にしようと考えた。それが古美術であれ、文学的なものであれ、学問的なものであれ、そのつながりのなかを自由に横断しながら、物語が立ち上がっていくさまを、原画だけでなく「もの」と一緒に見せたかった」という。

その大下氏のねらいどおり、展示はマンガの扱う題材ごとに8つのジャンルに分けられ構成されている。「1970年 デビュー」「日常/非日常」「民俗学/人類学/考古学」「日本の神話/伝説/文学」「中国の神話/伝説/文学」「西洋の神話/伝説/文学」「博物誌/書誌」「アート」と、ジャンル別に分けられたマンガ原画と、それと関連する資料や作品を同時に展示し、本展のテーマである「異界」という視点から切り込んでいる。

まず「1970年 デビュー」と「日常/非日常」では、デビュー作である「ジュン子・恐喝」(1970年)とその後の「不安の立像」(1973年)、「夢みる機械」、「生物都市」をはじめとする初期作品が取り上げられる。原画からは、この時期にすでに日常の狭間に「異界」を見出す作風の萌芽がうかがえる。また、『ぼくとフリオと校庭で』(1983年)からは、諸星が子ども時代を過ごした原風景とされる足立区の街並みが描写された原画も展示されている。

「日常/非日常」

続く「民俗学/人類学/考古学」「日本の神話/伝説/文学」では、『マッドメン』、「妖怪ハンター」シリーズ、『暗黒神話』(1976年)、「栞と紙魚子」シリーズ(1995年~)などの代表作とともに、豊富な民俗学・人類学的資料が並置され、幻想的な空間が演出されている。例えば、『マッドメン』の原画とともにパプアニューギニアの仮面(諸星氏所蔵)が、『暗黒神話』とともに岡本太郎による縄文土器の写真が、それぞれ組み合わせられてマンガ内部の世界観を展開していく。

「民俗学/人類学/考古学」
『マッドメン』原画
「日本の神話/伝説/文学」

さらに「中国の神話/伝説/文学」では、『孔子暗黒伝』(1977~1978年)や『西遊妖猿伝』、「諸怪志異」シリーズ(1984~2011年)など、中国を題材とした作品をクローズアップし、中国思想や伝承から得た想像力の広がりが感じられる。

「中国の神話/伝説/文学」

「西洋の神話/伝説/文学」、「博物誌/書誌」「アート」ではそれぞれの作品から連想される西洋美術を中心とした美術作品も展示される。例えば、「博物誌/書誌」のコーナーでは、『私家版鳥類図譜』(2003年)とともに博物学者ジョン・グールドによる『アジア鳥類図譜(The Birds of Asia)』(1849~1883年)が並置され、マンガ作品のもとになるようなイメージを鑑賞者に提示する。

「博物誌/書誌」
「アート」

新しい見せ方で鑑賞、来場者の幅を広げる

会場では、これだけの分量の原画が、ほぼ損傷のないきれいな状態であることにも驚かされる。大下氏によれば、諸星自ら管理していた原画の保存状態がとてもよかったことも、今回大規模な展覧会が開催できた要因のひとつであったという。原画を見れば、フリーハンドで描かれた独特の描線の力強さや、一本一本の線の描き込みが体感でき、諸星の作品世界に共通する、紙面上で再現された得体のしれない生命体や、言語化できない異界の不気味さや不安定さを感じさせる要素が感覚的に伝わってくるのである。

『西遊妖猿伝』原画

さらに今回、原画は見開きを4つ並べてストーリーを読ませる形で額装されている。これによって、シークエンスの組み合わせによって一場面を読むことができるように配慮されている。会場でも、原画の前に立ち止まってじっくり見る鑑賞者の姿が見られた。マンガ原画を「観る/読む」体験を同時に味わえることも、本展の魅力のひとつである。

本展は、一般的なマンガ展で中心となる原画だけでなく、民俗学的・考古学的資料や美術作品を一堂に展示する珍しい形の展示であったが、このようなやり方で展示を構成することにした背景には、マンガミュージアムでなく「美術館」でマンガ展を企画することへの挑戦もあったという。大下氏が「この展覧会を、マンガファンだけでなく、世代を超えて、さまざまな人たちに見てほしい」と語るように、本展は単にマンガファンを満足させるためだけでなく、美術に関心がある人、歴史に関心がある人、民俗学や人類学に関心のある人など、多様な興味の方向性を持った人たちに対して、さらに世界を広げられるようにという意図がある。このような形で本展が具体化したことが示すように、諸星作品は幅広い領域へのチャンネルをつなぎ、人々の想像力を広げさせる潜在的な力を持つ。マンガの内部だけでなく、ほかの世界、領域への越境的な興味を引き出す体験を味わえる展覧会なのである。

加えて、本展覧会開催と同時に図録『デビュー50周年記念 諸星大二郎 異世界への扉』(河出書房新社、2020年)も出版され、展示作品に関する資料だけでなく諸星へのインタビューや担当学芸員たちによる評論、書誌データなども収録され、鑑賞後にさらに作品世界を深めることができる。

今回の展示の準備に関しては、コロナ禍の影響により、資料の調査や各館との連携などの点において作業が進まなかった時期もあり、一時期は開催が危ぶまれた場面もあったという。さまざまな困難を乗り越え開催された本展は、このあとイルフ童画館(長野、2021年1月24日(日)~3月13日(土))、北九州市マンガミュージアム(福岡、2021年3月20日(土)~5月23日(日))、三鷹市美術ギャラリー(東京、2021年8月7日(土)~10月11日(月))、足利市立美術館(栃木、2021年10月23日(土)~12月26日(日))へと巡回する。本展が提示する異界への扉は、開かれたばかりである。


(information)
デビュー50周年記念 諸星大二郎展 異界への扉
会期:2020年11月21日(土)~2021年1月17日(日)
会場:北海道立近代美術館
観覧料:一般1,000円、高大生600円、中学生300円、小学生以下無料(要保護者同伴)
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/knb/exhibition/sp_R21121.htm

※URLは2020年12月16日にリンクを確認済み