1971年より始まった「仮面ライダー」シリーズは、2020年に放送を開始した『仮面ライダーセイバー』でテレビシリーズ32作目を迎えた。昭和、平成、令和と世代・時代を超えて愛されるヒーローである仮面ライダー。本連載では、「仮面ライダー」シリーズにおけるテクノロジーの描き方に注目する。第2回目の本稿では、石森章太郎(現・石ノ森章太郎)の没後に制作された「平成ライダー」が、石森の手掛けた『仮面ライダー』(1971~1973年)のコンセプトをどのように受け継ぎ、またどのように変わっていったのかについて、第1作『仮面ライダークウガ』(2000~2001年)から第15作『仮面ライダー鎧武/ガイム』(2013~2014年)までを対象に概観する。
『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』(2014年)ポスター
時代をゼロから始めよう
1970年代に絶大な人気を集め、「変身ブーム」を牽引した「仮面ライダー」シリーズであるが、テレビシリーズは『仮面ライダーBLACK RX』(1988~1989年)、劇場作品は『仮面ライダーJ』(1994年)を最後に新作の展開を休止していた。スポンサーサイドからテレビシリーズの『仮面ライダー』制作の要望は出ていたが、当時東映のプロデューサーであった鈴木武幸によれば、新たな仮面ライダーを親子2世代で楽しむ作品として展開することを狙い、初代『仮面ライダー』を見ていた子どもが親になる時期まで待つこととしたという(註1)。
そんなリメイク「仮面ライダー」、のちの『仮面ライダークウガ』(2000~2001年)が制作に向けて動き始めたのは、1996年である。東映は、かつて『仮面ライダー』の企画立ち上げを共に行った毎日放送にアプローチをかけ、毎日放送側もこれを承諾。東映、毎日放送、石森プロ、スポンサーサイドにより企画が進められることとなる(註2)。そして提出された企画案が『仮面ライダーガイア』である。この企画は「植物の怪人組織が人間や動物に種子を植え付け、怪人をつくり出すというもので、現代人が大自然から復讐を受けるという構図」(註3)であったという。この内容からもわかる通り、当初のリメイク「仮面ライダー」は、マンガ版『仮面ライダー』におけるテーマであり、石森の晩年に制作された『仮面ライダーZO』(1993年)、『仮面ライダーJ』においてもクロースアップされた、「大自然の使者としての仮面ライダー」像を踏襲するものであった。
しかし、「仮面ライダーガイア」の企画が毎日放送で通ることはなかった。その後、当時『星獣戦隊ギンガマン』(1998〜1999年)を担当していた髙寺成紀が新たに担当プロデューサーとして企画に参画し、企画の練り直しを行う。やがて1999年になっても企画が採用されないことを受け、毎日放送の了承を経て放送局をテレビ朝日へと移すことが決定する。この段階で髙寺が提出した企画案が、仮面ライダーが宇宙船に乗って宇宙人と戦う「仮面ライダーガーディアン」であった。この企画に対し、従来の仮面ライダー像からの乖離を感じた石森プロは、「個人としてのライダーが大自然の使者として日本の平和を守る」ことを軸に据えた「仮面ライダーオーティス」の企画案を提出する(註4)。この「仮面ライダーオーティス」も「仮面ライダーガイア」と同様、マンガ版『仮面ライダー』のコンセプトを踏襲したものと言えよう。この「オーティス」の企画がスポンサーの意向や予算を勘案した既成枠寄りの路線ではなかったことに刺激された髙寺ら東映サイドは、初代『仮面ライダー』をリアルなテイストで描写することをコンセプトとした企画を提案。それに対して石森プロは、「子ども番組としてみた時に地味に映りすぎるのではないか」(註5)と感じ、すでに「平成ウルトラマン」シリーズで子どもには定着しており、「仮面ライダー」シリーズにおいても『仮面ライダーストロンガー』(1975年)のチャージアップ、『仮面ライダーBLACK RX』のロボライダー、バイオライダーというかたちで前例のあるフォームチェンジの導入を提案する。このような流れで企画された『クウガ』は、「昭和ライダーの平成的シミュレーション」(註6)を掲げたリアリティのあるドラマを展開し、大きな話題を呼ぶこととなった。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol.1 仮面ライダークウガ』(講談社、2014年)表紙
『クウガ』では、作品のリアリティの向上と時代の要請の双方向からの影響により、それまでの「仮面ライダー」シリーズでお馴染みとされた設定を大きく刷新することとなった。それは「敵キャラクターの設定」と「仮面ライダーの設定」の2点である。
「敵キャラクターの設定」についてであるが、ショッカー的なヒエラルキーのある敵組織の描写が撤廃された。『クウガ』にも「グロンギ」と呼ばれる怪人集団が存在し、「ズ」、「メ」、「ゴ」といった怪人名の前につく称号で区別される階級はあるものの、それはショッカーにおける「戦闘員」、「怪人」、「大幹部」、「首領」というような支配・服従の関係ではない。グロンギにとっての階級は、いわば武道の白帯、黒帯のような本人の力を示すものでしかないのだ。そしてグロンギたちはショッカーのように「世界征服」を目標として掲げているわけではない。彼らは「ズ」から「メ」へ、「メ」から「ゴ」へというように、自身の階級を上げることが目的であり、その手段として「ゲゲル」と呼ばれる殺人ゲームを行う。このゲゲルを仮面ライダークウガ=五代雄介と警察組織が協力して阻止するというものが、『クウガ』の物語の構図である。ゲゲルに巻き込まれる人間にとっては恐ろしいことこの上ないグロンギであるが、グロンギにとってゲゲルは神聖なものであり、いわば通過儀礼や昇段試験のようなものだ。グロンギと人間とのあいだには、文化的な断絶が厳然として存在するのであり、『クウガ』はそんな両陣営の生き残りをかけた闘争なのだ。そんなグロンギも、自分にゲゲルの手番が回るまでは、人間と同じ姿をして街中を闊歩している。同じ人間に見える存在の内面が、実際には到底理解しえない存在であるというグロンギの描写を、のちに『仮面ライダー鎧武/ガイム』(2013~2014年)でメイン脚本家を担当する虚淵玄は、「グロンギはシリアルキラーがモチーフだ」(註7)と分析する。『仮面ライダー』(1971~1973年)における人間社会に潜伏するショッカー、すなわち隣人への恐怖が、グロンギ≒シリアルキラーというかたちで、21世紀においても反復されているのである。
そして「仮面ライダーの設定」の刷新だが、これは改造人間という設定の消去というかたちで現れた。これは医療技術の進歩に伴う放送倫理上の要請によるものであった。『クウガ』後半のアシスタントプロデューサーを担当し、その後の平成ライダーの数多くの作品でプロデューサーを務める白倉伸一郎は、このことについて次のように語っている。
仮面ライダーが悪の組織によって、とりかえしのつかない手術を受けて悩むという設定は、手術をこれから受ける子どもや、術後の子どもたちをいたずらに苦しめる。また執刀医を悪の手先として描くことは、職業差別につながるという批判をまぬかれない(註8)。
しかし改造手術という要素は仮面ライダーにとっては欠かすことのできない要素である。そして改造手術(=テクノロジー)を通して身体にバッタ(=自然)の要素が埋め込まれるという構図があってこそ、石森が『仮面ライダー』の核として考えた「大自然の使者としての仮面ライダー」像は成立する。ではこの制約を『クウガ』はどのようにクリアし、『クウガ』を「仮面ライダー」たらしめたのか。
それは「改造手術」というテクノロジーの要素を「変身ベルト」に凝縮するという方法であった。『クウガ』における変身ベルト「アークル」は、古代人によってつくられた、装着した人間を戦士に変える装置であった。そのメカニズムは、アークルから新たな神経節が生え、アークル内に格納された霊石アマダムのエネルギー供給を受けられるように、装着者の肉体が変質するというものである。こうしてアークルと装着者の肉体は一体化することとなる。初代『仮面ライダー』でショッカー科学陣が本郷猛に改造手術を施すのと同様の事態が、アークルによって五代の体に引き起こされているのだ。すなわち『クウガ』においては、変身ベルトが改造手術の主体(=ショッカー)であり、改造手術の客体(=改造人間の身体)でもあるのだ。『仮面ライダー』においてはショッカーと仮面ライダーの全身が担っていたテクノロジーの要素が、『クウガ』においてはベルトに凝縮されているのである。『仮面ライダー』においてもベルトは「風」というエネルギー源の供給装置という重要なパーツであり、変身シーンの際にアップになる演出上のアイコンであり、マーチャンダイジングにおける目玉商品ではあったが、それでもあくまで仮面ライダーの身体の一部にすぎない。そんなベルトが、『クウガ』において名実ともに仮面ライダーを象徴するアイコンとなったのである。
このように、『クウガ』は当時の社会情勢を反映した設定刷新が行われたことで、それまでの仮面ライダーとは一線を画す作品となった。この大きな変化があったからこそ、それまでの仮面ライダーとは異なる「平成ライダー」というカテゴリーをのちに生み出すこととなったのだろう。だがその設定刷新は、仮面ライダーのテクノロジー性を現代的なかたちにリファインすることに成功したものの、仮面ライダーと自然の関係については取りこぼす結果となっている。デザイン上、クウガはクワガタをモチーフとしているものの、設定上クワガタの要素を身体に持っているわけではない。エネルギー源である霊石アマダムについても詳しい設定は伏せられている。物語中盤において、電気の力を受けてアマダムが活性化し、クウガが「ライジングマイティフォーム」をはじめとする「金」の力に目覚める展開があるが、そのきっかけは医療行為としての電気ショックであり、テクノロジー寄りのものだ。あえて「自然」にあたるような設定を挙げるとすれば、アマダムの力によって回復力が上がった五代の身体程度である。このように、石森的な『仮面ライダー』像において両輪をなしていた「テクノロジー」と「自然」が、『クウガ』においては「テクノロジー」偏重の描写へと切り替わった。そして平成ライダーは、仮面ライダーやそのベルトを通してテクノロジーの問題をシリーズにおける要素のひとつとして取り扱うこととなる。
「変身」するライダーから「装着」するライダーへ
『クウガ』の好評に加えて「仮面ライダー」30周年というタイミングも重なったことで、『クウガ』の翌年も「仮面ライダー」を放送することが決定する。そしてつくられたのが『仮面ライダーアギト』(2001〜2002年)である。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol.2 仮面ライダーアギト』(講談社、2015年)表紙
『仮面ライダーアギト』においては、複数のライダーが登場する。最初期から登場した仮面ライダーが、クウガのデザインラインを引き継ぐ仮面ライダーアギト、生物的なデザインラインの仮面ライダーギルス、メカニカルなデザインラインの仮面ライダーG3の3人である。ギルスとG3については、放送前の当時のマーチャンダイジングカタログにおいて、それぞれ「バイオライダー」と「メカライダー」との仮称がつけられていることから(註9)、『仮面ライダーBLACK RX』に登場したバイオライダーとロボライダーのイメージから発想されたものと考えられる。
アギトとギルスの2人のライダーは「人間の進化した姿」として設定されており、彼らの変身ベルトはその進化の過程で身体に現出したものと設定されている。玩具プロモーションの関係上、アギトの変身シーンにベルトを操作しているように見える場面があるものの、彼らにとっての変身ベルトはあくまでも身体器官の一部と考えてよいだろう。この「身体器官の一部としてのベルト」という設定は、『クウガ』が提示した「改造手術の客体」というベルトのあり方をより発展させたものであり、変身と肉体変質との関係も、『クウガ』に見られたミニマムなレベルでの「自然」性を発展させたものである。
こうしたアギトやギルスの設定に対し、G3にはそれまでの仮面ライダーの変身のあり方とは一線を画す設定がなされた。G3は警察機関の開発した一種のパワードスーツであり、警察によって選ばれた人物が訓練を経て装着(=変身)する。G3の装着者には氷川誠が設定されているものの、作中では別の人物が装着することも度々行われた。それまでの仮面ライダーは改造手術という設定の関係上、変身行為と変身者の身体が不可分であり、それは二度と元の体には戻れない「悲劇性」と不可分なものであった。この仮面ライダーにおける設定は、「改造手術」を封印せざるを得なかった『クウガ』においても踏襲されている。だがG3において、この仮面ライダーの「悲劇性」は全く存在しない。なぜならば、パワードスーツの機能を使いこなせるかはさておき、原理的に言えば誰がG3を装着しようが、仮面ライダーG3という存在は成立してしまうからだ。このように強化服を装着してヒーローに変身するという方向性は、『怪傑ズバット』(1977年)や「スーパー戦隊」シリーズなど前例は枚挙に暇がない。G3のようなメカニカルな見た目に限っても、「メタルヒーロー」シリーズにおける『特警ウインスペクター』(1990~1991年)などにおいて先行して展開されている。だがこのような装着システムで変身するヒーローを「仮面ライダー」として設定する点が、G3の革新性なのだ。
この「外的装置(パワードスーツ)に変身機能のあり方を凝縮させる」という発想は、前作『クウガ』が提示した、改造手術の主体としてのベルトのあり方を発展させたものと言える。アークルではベルトというデバイスの形に凝縮されていた仮面ライダーを象徴するテクノロジーが、G3においてはパワードスーツという形となっている。いわばG3のパワードスーツは、それそのものが巨大なベルトなのだ(その代わり、G3におけるベルト部分のパーツは、単なるエネルギー残量を示すバーの機能しか果たしていない)。そしてそれが、仮面ライダーを成立させるテクノロジーを身につけたものこそが仮面ライダーである、という変身者の交代さえ可能な発想を導き出したのだ。
こうしてG3というテクノロジーの塊としての仮面ライダーが誕生したことにより、マンガ版『仮面ライダー』のテーマのひとつである「歪んだ技術文明と真の文明の対立」が『アギト』においても立ち上がる。テレビシリーズにおいてそれが特にクロースアップされたのが、『アギト』第22~25話である。
この数話においては、日々激化するアンノウン(『アギト』における怪人)との戦いを制するため、G3のバージョンアップであるG3-Xが実装されるまでの物語が描かれた。その冒頭において、開発当初のG3-Xが装着者の氷川の身体に深刻なダメージを与えてしまう様子が描写される。G3-Xに搭載されたAIによる戦闘補助の要求する完璧な身体駆動に、装着者の体がついていけていなかったのだ。テクノロジーを道具として使用しようとする人間と、人間を道具として使用しようとするテクノロジーの狭間に氷川は立ってしまったのである。最終的に、G3-X開発者である小沢澄子の判断によってG3-XのAIはダウングレードされ、完璧さと引き換えに氷川自身の手で自在に操作可能なものとなる。劇中で小沢に制御チップの使用を進言した高村教授の次のセリフは、このG3-X紹介編の核となるテーマであろう。「それ(筆者註:AI制御チップ)を使えばG3-XのAIレベルは落ちる。だが、人のものとなるだろう」。人間を道具として使用しようとする当初のG3-Xのあり方は、まさにマンガ版『仮面ライダー』でショッカーが行った人間のロボット化そのものだ。それを完璧さと引き換えに人のためのテクノロジーへと変える。まさに「歪んだ技術文明」の否定という、マンガ版『仮面ライダー』のテーマの再演だ。こうしたテクノロジーに関する言及は、超古代文明のテクノロジーをルーツとするがゆえに、その是非を人間が検討することができない『クウガ』では不可能な方向性であろう。
そしてこの「歪んだ技術文明と真の文明」のテーマにより焦点を当てた物語が、『劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4』(2001年)において展開される。本作では、自衛隊によって開発されたパワードスーツである仮面ライダーG4が登場する。G4はG3-XのAI制御を発展させたもので、完璧な挙動による戦闘を行えることと引き換えに、装着者に多大な負担を強い、最終的には死に至らしめる。さらにG4の開発者である深海理沙は、G4のより完璧な戦闘を求めてESPシステムをG4に内蔵するのだが、これは超能力者の持つ予知能力を兵器に応用したもので、完璧な攻撃予測を可能とする代わりに、システムに組み込まれた超能力者はその負荷に耐えられず、やがて絶命してしまうというものである。「怪人から人間を守る」という正義の名の下に開発され、テクノロジーによって無双の強さを手に入れたG4だが、そのテクノロジーは人間の命をいわば使い捨ての消耗品として扱うものであった。「正義」を標榜しているとはいえ、その行為はまさしくショッカー的である。特に変身者が死んでもなおAI制御機能によってゾンビのように動き出すG4の姿は、テクノロジーによって改造され人間性を失った兵器となったショッカーの、改造人間のリメイクと言えよう。最終的にG3-XがG4を打倒することで幕が下りる本作は、「歪んだ技術文明と真の文明」という『仮面ライダー』のテーマを、「悪の秘密結社」ではなく我々自身の問題として捉え直した作品といえる。
『仮面ライダー』のテーマを引き継ぐかたちで、テクノロジーに人間が支配されることを否定する物語を描いた『アギト』ではその後、G3以上に装着者を選ばないシステムである仮面ライダーG3マイルドが登場する。プロフェッショナルにしか使用できなかったソフトウェアが、技術の進歩によって初級者でも簡単に扱うことができるようになるという事態は現実のテクノロジーにおいてもしばしば起こっているが、その仮面ライダー版といえよう。「テクノロジーは人のためにある」という方向性は、ユーザビリティの向上をもたらすのだ。そして最終話では、最新型のパワードスーツを着た仮面ライダー部隊としての仮面ライダーG5の存在が示唆される。もはや仮面ライダーは完全に誰でも変身可能なものとなったのだ。
一方で仮面ライダーがテクノロジーによって誰でも変身できるようになるということは、「どのような人物が変身するのか」という新たな問題を生むこととなる。身体と変身能力が不可分であれば、変身者が「ヒーローとしてふさわしくない」精神性をしていた場合は、その人物を倒すか、あるいはその精神を「ヒーローらしく」成長させるほかなかった。その精神的成長の指導者として設定されていたのが、立花藤兵衛をはじめとする昭和ライダーにおける「おやっさん」ポジションであろう。しかし「誰でも変身できる」のであれば、もし変身者の精神性がヒーローとしてふさわしくない場合、変身者を変えてしまえば済む。『仮面ライダーアギト』第10話における、氷川に代わってG3を装着した北条透がアンノウンの強さを前に恐れをなしてG3ユニットを脱ぎ捨てて逃走する場面は、「誰でも変身できるが故の変身者の資質の重要性」を強調した場面と言えよう。こうした変身者の精神性を問う方向性は、その後の『仮面ライダーキバ』(2008~2009年)や『仮面ライダーオーズ/OOO』(2010~2011年)などにおける「仮面ライダーに変身する資格」をめぐる物語へと発展していく。だが『アギト』の次作である『仮面ライダー龍騎』(2002~2003年)はそれらとは逆に、誰でも「仮面ライダー」に変身できることこそが重要なのであり、資質は不問であるという方向に物語を展開することとなる。
誰もがみんな仮面ライダー
『仮面ライダー龍騎』最大の特徴は、「仮面ライダー」の名を冠するキャラクターが番組中で13人も登場することである。そしてそれら13人はすべてヒーローとしてふさわしい人格を持つ者ではない。『龍騎』における「仮面ライダー」はヒーローに向けられた名ではなく、鏡の中の世界「ミラーワールド」を舞台に最後の一人となるまで戦うバトルロワイアルの参加者を表す呼び名にすぎないのだ。本作『龍騎』はこのように仮面ライダーを多数にすることで、仮面ライダーとテクノロジーの関係に2つの革新的な変化をもたらすこととなる。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol.3 仮面ライダー龍騎』(講談社、2015年)表紙
ひとつ目の革新が、仮面ライダーの無資格さの徹底である。本作における「仮面ライダー」は、「カードデッキ」と呼ばれるアイテムを使って変身するのだが、その変身には「改造手術」のような身体への不可逆な操作も、G3のような訓練や精神性も必要ない。ただカードデッキを鏡の前にかざすだけで、自動的に腰にベルトが装着され、そのベルトにカードデッキを挿入することで変身は完了する。このカードデッキは、バトルロワイアルのゲームマスターである神崎士郎から手渡されるものであり、手渡されるための基準は特に存在しない。それゆえ、本作においては、悪徳刑事や脱獄囚など、一般的な「正義の味方」のイメージからかけ離れた人物も仮面ライダーへと変身する。そして彼らが戦う目的も、ヒーロー番組としては特殊なものだ。彼らはバトルロワイアルの勝者が手にすることができる、己の望みをかなえる力を求めて戦う。ある者は昏睡状態の恋人の目を覚まさせるため、ある者は永遠の命を得るため、またある者は戦いを終わらせないために戦うといった具合だ。あまたの「仮面ライダー」が「正義」や「人間の自由」のためではなく、己のエゴのために戦っているのだ。
こうした「仮面ライダー」からのヒーロー性の剥奪が行われた背景には、本作放送前年に起こった「9・11(アメリカ同時多発テロ)」がある。企画段階で放送局であるテレビ朝日から「9・11後を生き抜かなければいけない子どもたちに、『正義とは何か』を教える番組にしてほしい」(註10)とのオーダーを受けたメインプロデューサーの白倉伸一郎が、「9・11」における「各々が『正義』という言葉を掲げて戦争を行う」という様子を踏まえ、「個人的な『正義』の名のもとに争い合うヒーロー」というコンセプトを立ち上げたのである。これに元々「仮面ライダー」という番組が持っていた「仮面ライダーもショッカーの怪人の一人にすぎない」という要素が結びつくことで、本作においては仮面ライダーと怪人の差異がほとんど消え失せてしまう。本作の脚本を担当した井上敏樹も、「『龍騎』はライダー=怪人なんだよ、本当は。怪人同士が戦ってるみたいなもんなんだよな」(註11)と発言している。『クウガ』においてはグロンギという文化的他者の設定を使って引かれていた人間と悪人(=怪人)の境界線が、ここでほとんど無効化されてしまうのである。
さらに物語後半になると、神崎士郎が制作したカードデッキを解析してその模造品をつくり出す人物が登場し、「疑似ライダー」として活動を開始する。テクノロジー的にほぼ同一の「ライダー」が出たことで、もはや「仮面ライダー」という名は、神崎士郎がつくったか否かを示すブランドでしかなくなってしまう。本作における「仮面ライダー」の最低条件である「カードデッキを神崎士郎に与えられたもの」さえもほぼ無効となり、「仮面ライダー」が無限に増殖する可能性さえ生まれる。こうして、ベルト(=カードデッキ)というテクノロジーによって万人に仮面ライダーへの変身可能性が開かれた。もはや仮面ライダーにふさわしい人物が誰かなどは問題ではない。仮面ライダーかそうでないかは単にカードデッキ、すなわちベルトを持っているか否かの問題でしかないのだ。本作の特番である『仮面ライダー龍騎スペシャル 13RIDERS』(2002年)に登場する高見沢逸郎=仮面ライダーベルデの「人間はみんなライダーなんだよ!」というセリフは、その象徴であろう。
2つ目の革新が、仮面ライダーのベルトの機能の拡張である。本作に登場する「仮面ライダー」は誰でも変身できるとはいえ、ただ変身しただけでは通常の人間が鎧などを着て武装した程度のレベルである。彼ら変身者が従来の仮面ライダーのような超パワーを身につけるためには、カードデッキ内のカードを用いてミラーワールドの中に潜むモンスター(『龍騎』における怪人)と契約し、その力を仮面ライダーの鎧にインストールする必要がある。このような「怪人の力を活用して戦う」という設定は仮面ライダーと怪人の境界を弱めるものであり、「13人の仮面ライダー同士が戦う」という設定とは別の方向から「仮面ライダーもまたショッカーの改造人間の一人にすぎない」という『仮面ライダー』の原点をフォローしている。そしてこのカードデッキ、すなわちベルトを介して人間の手に余る超パワーを自らのエネルギーとする設定は、初代『仮面ライダー』における「ベルトで風を受け、その風力エネルギーで変身する」という設定の再解釈でもある。前2作では踏襲されていなかった「エネルギー供給装置としてのベルト」の設定がここで活用され、超パワーの源と変身者をつなぐ媒体(メディア)として機能しているのだ。
このように、『龍騎』は2つの革新的な設定を提示することによって、仮面ライダーという概念を大幅に拡張したのである。
すべてはベルトに還元される
では、『龍騎』が提示した2つの方向性は、その後どのように発展していったのか。
第一の革新である「仮面ライダーの無資格さの徹底」は、『龍騎』に続く『仮面ライダー555』(2003~2004年)においてより先鋭化された。『555』における仮面ライダーは、オルフェノク(『555』における怪人)やそれに準ずる存在が、ベルトを使って変身する存在であり、むしろ人間は変身できない(無理矢理変身できる場合もあるが、その場合は絶命するなどのリスクを負う)。すなわち「怪人でなければ仮面ライダーに変身できない」のであり、「怪人であれば誰でも変身可能」なのだ。この設定は『龍騎』で試みられた「仮面ライダーと怪人のあいだの境界線の無効化」をより進めるものであり、なおかつ「仮面ライダーも元々は怪人の一人にすぎない」という『仮面ライダー』の設定の再確認でもある。そしてこの設定のため、本作においてはG3以上に仮面ライダーの変身者は目まぐるしく変わる。仮面ライダーファイズに主に変身する人物として主人公の乾巧が設定されているが、あるときはライバルの草加雅人が、またある時は幹部怪人や一般怪人さえもファイズに変身する。理論上は「誰でも仮面ライダーに変身できる」とはいえ、描写の上では仮面ライダーと登場人物が強固に結びついていた『龍騎』以上に(註12)、『555』はその無資格さを徹底しているのだ。こうした『555』におけるベルトのあり方について、メイン脚本家の井上敏樹は「ベルトって要は武器と同じで、拳銃を誰が持つかっていう程度のものなんだよ」(註13)と述べている。こうした武器としてのベルトのありようは、のちの『キバ』において、母親の仇をとるために、ファンガイアの幹部と戦う麻生ゆり、麻生恵に対し、仮面ライダーイクサに変身する紅音也と名護啓介の両名が「トドメはお前が刺せ」と変身アイテムとベルトを渡して花を持たせるというかたちで現れる。もはや「仮面ライダーは誰が変身しても問題ない」のであり、変身者を変えることは、その登場人物に武器を持たせる程度の意味合いしかないのだ。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol.4 仮面ライダー555』(講談社、2015年)表紙
第二の革新である「仮面ライダーのベルトの機能の拡張」は、『555』に続く『仮面ライダー剣』(2004~2005年)において応用される。本作における仮面ライダーのブレイド、ギャレンへの変身は、「カテゴリーA」と呼ばれるアンデッド(『剣』における怪人)が封印されたカードを変身ベルトに挿入することによって行われる。ライダーへの変身の可否や、どれだけの力を引き出せるのかについては、変身者と変身に使用するアンデッドとの結びつきを示す「融合係数」なる数値が関わっているのだ。ミラーモンスターとただ契約するだけの関係で、カードで召喚しない限りはモンスターと共闘することがない『龍騎』とは異なり、『剣』はアンデッドと融合し、常時共闘しているとも言える。その点で『剣』は『龍騎』よりも仮面ライダーと怪人との関係性が近いのだ。そしてその関係の近さゆえに、融合対象のアンデッドに逆にコントロールされてしまう仮面ライダーレンゲルや、高すぎる融合係数のために変身者自身が影響を受けてアンデッド化してしまうリスクを秘めた仮面ライダーブレイドキングフォームのような事態も発生してしまう。もはやベルトは単なる「エネルギー供給装置」ではない。その供給されたエネルギーとどのように関わるのかも重要なのだ。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol.5 仮面ライダー剣』(講談社、2015年)表紙
『剣』において提示された「エネルギー供給装置」としてのベルトの機能の問題は、その後意外なかたちへと発展する。それが『仮面ライダーカブト』(2006~2007年)と『仮面ライダー電王』(2007~2008年)である。
『カブト』における仮面ライダーは昆虫型デバイスである「ゼクター」をベルトにセットすることで変身する。このゼクターたちは意志を持っており、変身者として認めた人間を敵の攻撃から庇ったり、料理を手伝ったりしてくれたりするが、変身者として認めない人間に対しては攻撃を加えたり、強制的に変身を解除したりする。ゼクターは人間とのコミュニケーションが可能であり、仮面ライダーとして戦えるかどうかはゼクターに認められるかどうかにかかっている(註14)。こうして『龍騎』から『剣』へと続いた「超パワーからのエネルギー供給路としてのベルト」という要素に、相棒との交流という要素が加わることとなる。
このベルトを介した交流という方向性を強化したものが、『電王』である。本作における仮面ライダーへの変身のカギを握るのはイマジン(『電王』における怪人)だ。主人公の良太郎はベルトを操作することで仮面ライダーへと変身するが、そのままでは弱すぎて戦うことができない。そこで自分自身にイマジンを憑依させ、ベルトを介してイマジンの力をパワードスーツとして出力することで、己の体を強化するのだ。その戦いの主導権は基本的に憑依したイマジンが握ることとなる。だが一方で良太郎がイマジンの行動を容認できない場合は憑依を拒否し「戦わせない」という選択肢も可能だ。これは『カブト』で描かれた、超パワーの供給源との交流を経て、エネルギー供給路としてベルトを機能させるというものの発展形であるが、『カブト』との大きな違いは、イマジンと良太郎が人語を介してコミュニケーションを図ることができる点である。物言わぬミラーモンスターやアンデッド、単純な仕草しかできないゼクターと違い、イマジンたちはとにかく喋るのだ。こうした『電王』における仮面ライダーのあり方を、評論家の宇野常寛は「『電王』にとって「変身」とは、コミュニケーションに他ならないのだ」(註15)と指摘している。仮面ライダー電王の強化形態であるクライマックスフォームへと変身する際に使用されるアイテムが「ケータロス」という携帯電話をしたものであり、なおかつその電話を通してイマジンたちと会話できるという設定は、まさにこの「コミュニケーションによる変身」を象徴するものであるだろう。超パワーの源と変身者をつなぐ媒体(メディア)として機能していたベルトは、ここで人と人とのあいだをつなぐ機械(メディア)へと変化した。この構図は、翌年の『仮面ライダーキバ』(2008~2009年)においても主人公・紅渡とその相棒のモンスター・キバットバットⅢ世の関係性に踏襲されている。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol.8 仮面ライダー電王』(講談社、2014年)表紙
ここまで見てきたように、「平成仮面ライダー」シリーズは『クウガ』以降、『仮面ライダー』におけるテクノロジーの要素をベルトへと凝縮し、そのベルトのあり方を様々なかたちへ展開してきた。そのベルト、および仮面ライダーのあり方の発展の方向性は、テクノロジーの発展が人々を便利にする(=誰もが使えるベルト)と、テクノロジーはコミュニケーションを豊かにする(=メディアとしてのベルト)というように、テクノロジーのあり方とリンクしていた。例外として、ベルトが変身機能を有しない『仮面ライダー響鬼』(2005~2006年)はあるものの、円板から動物の形へと変形するディスクアニマルと呼ばれるアイテムの存在が、かろうじてテクノロジーと仮面ライダーの関連をつなぎとめている。敵怪人の魔化魍と共闘し、最強形態である装甲響鬼への変身時には響鬼の鎧へと変化して共に戦うディスクアニマルの要素が、翌年の『カブト』におけるゼクターに影響を与えていることを考えると、『響鬼』においてはベルトの機能の一部がディスクアニマルという形で表れているともいえるだろう。
こうしたベルトと平成ライダーの関係の究極系を描いたものが、平成ライダー10周年を記念して企画された作品である『仮面ライダーディケイド』(2009年)である。ディケイドは仮面ライダーが刻印されたカードをベルトに差し込むことによって変身する仮面ライダーだ。そしてディケイドはディケイド本人だけでなく、クウガやアギトといった過去のライダーが刻印されたカードをベルトに挿し込むことで、その仮面ライダーにも変身できる。そうした過去のライダーに変身するためのカードは、ディケイド=門矢士がそれぞれのライダーの世界を旅し、コミュニケーションをとった結果として生成される。人と人とのあいだをつなぐ機械(メディア)というベルトの機能を端的に現わした設定と言えよう。この『ディケイド』において特筆すべきは、そのベルトのありさまである。前述の通り、ディケイドは過去のライダーの姿形そのままに変身するのだが、この時に変身者がディケイド=門矢士なのか、過去のライダーそのものなのかは、ベルトによって判別される。ディケイドが変身した過去の仮面ライダーは、その仮面ライダーに固有の変身ベルトを装着しておらず、ディケイドのベルト(=ディケイドライバー)を装着しているのだ。すなわち、仮面ライダーの同一性を担保するのは、全体の見た目や能力ではなく、ベルトだということだ。かつて『クウガ』はベルトを仮面ライダーにおけるテクノロジーを凝縮したものとして描いたが、『ディケイド』ではそれがさらに進み、仮面ライダーのあり方そのものがベルトに凝縮されている。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol.10 仮面ライダーディケイド』(講談社、2015年)表紙
この仮面ライダー=ベルトという構図をさらにドラスティックに表現したのが、『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』(2009年)だ。ディケイドはファイナルフォームライドという能力を使うことで、仮面ライダー龍騎であれば契約モンスターのドラグレッダー、仮面ライダー電王であれば相棒のイマジンであるモモタロスといったように、仮面ライダーをそのライダーに所縁深い姿へと変身させる。本作ではディケイドもまたそのファイナルフォームライドの対象となるのだが、その姿が巨大なディケイドライバーそのものなのだ。平成ライダー10周年の象徴であるディケイドに所縁深い姿が、ベルトそのもの。これは仮面ライダー=ベルト、そしてテクノロジーであることを象徴する場面と言えよう。そしてその巨大なディケイドライバーが共闘している仮面ライダーJの腰に巻きつき、Jをディケイドへと変身させる場面もまた衝撃的だ。石森の集大成である仮面ライダーJを、平成ライダーの象徴であるディケイドがベルトによって上書きする。まさに、石森の遺した「仮面ライダー」を受け継ぎ、新たな平成ライダーというブランドを打ち立てたことがここにビジュアル化されているのだ。
ベルト進化の集大成としての『仮面ライダーW』
『仮面ライダーW』(2009~2010年)は平成ライダー10周年である『ディケイド』ののちに続く作品であり、総決算ののちに新たなスタートを切るという意気込みで制作された。その際に企画書に銘打たれた「第二期平成ライダー」シリーズというワードは、現在では仮面ライダーファン層にも広く定着している。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol.11 仮面ライダーW』(講談社、2015年)表紙
本作『W』は、「第二期平成ライダー」シリーズの1作目であり、そしてある意味何でもありの飛び道具であったディケイドの後番組であったことも踏まえ、『仮面ライダー』の原点回帰を志向した作風となった。仮面ライダーダブルの基本フォームである「サイクロンジョーカー」が平成ライダーで初めてマフラーを身につけた姿にデザインされたことや、ショッカー的な悪の組織の再解釈としてミュージアムや財団Xと呼ばれる組織が設定されたことは、そのためである。
仮面ライダーダブルは、ガイアメモリと呼ばれるUSBメモリ型の装置をベルトに挿すことによって変身する。変身に使用するガイアメモリには地球に記憶された事物や現象がメモリ1本につきひとつ封じ込められており、その力を戦闘に活用するのだ。例えばダブルは「サイクロン(疾風)」、「ジョーカー(切り札)」、「ヒート(熱)」、「メタル(闘士)」、「ルナ(幻想)」、「トリガー(銃撃手)」の6種類のメモリのうち、2本を使用して変身し、その組みあわせを自在に変えながら戦う。これは敵に合わせて戦い方を変える『クウガ』以来のフォームチェンジアクションの流れをくんだ設定であるが、力の根源を「地球」とすることによって、「風」をエネルギー源にして戦う「大自然の使者としての仮面ライダー」を平成の世によみがえらせることを可能にもしている。こうした「大自然の使者としての仮面ライダー」の現代的な再生は、続く『仮面ライダーオーズ/OOO』においても、動物・昆虫の力を結晶化させたメダルの力を取り込んで戦うというかたちで再演されることとなる。
だがこのガイアメモリは、仮面ライダーの力の源である一方で、ドーパント(『W』における怪人)を生む元凶でもある。ミュージアムと呼ばれる悪の組織が『W』の舞台の街「風都」にガイアメモリをばらまいており、それを手にした都民が私利私欲のためにドーパントに変身してガイアメモリの力を悪用するというのが、『W』の世界観だ。仮面ライダーも怪人も同じテクノロジーを用いて変身するというこの設定は、本作のメインプロデューサーの塚田英明によれば、『仮面ライダー』でも描かれた「仮面ライダーも敵も同じテクノロジーによる力を振るう」(註16)ということから発想したものであるという。そしてこれは『龍騎』や『555』において進められた「仮面ライダーと怪人の境界線の無効化」の極限であろう。『龍騎』は「変身者が善人とは限らない」という点で、『555』は「怪人でなければ変身できない」という方向性で仮面ライダーと怪人の境界線の無効化が行われていたが、それでも「特別なベルトやアイテムを使って変身する」というその一点においては、仮面ライダーと怪人のあいだには明確な境界線は残っていた。「ベルトを持っていれば仮面ライダー」の裏返しは、「ベルトを持っていなければ怪人(もしくは一般人)」なのである。しかし『W』では仮面ライダーも怪人もガイアメモリという共通のアイテムを使用するし、ミュージアムの幹部に至ってはガイアドライバーという専用のベルトさえ使用して怪人へと変身する。テクノロジーの観点から見れば、ダブルと怪人は同じシステムなのであり、アイテムやベルトの有無による境界線さえも『W』には存在しない。『W』をもって完全に「仮面ライダーは怪人の一人にすぎない」ということは徹底され、『仮面ライダー』の構図へと回帰したのである。この点については、『仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ』(2010年)において、Wが使用する基本のガイアメモリ6本のうち、「ジョーカー」を除くすべてのガイアメモリを用いたドーパントが登場したことがその象徴であろう。ドーパントはあくまでも人間の犯罪者であり、その一方でガイアメモリの力を使ってドーパント犯罪を取り締まる警察官の仮面ライダー、仮面ライダーアクセルも存在する。同じテクノロジーを用いて犯罪と治安維持が行われるこの戦いの構図は、テクノロジーを善用するか悪用するかという「歪んだ技術文明と真の文明」という『仮面ライダー』のテーマを、仮面ライダーと怪人という対立構造を用いて再び平成の世に成立させたものと言えよう。
また、人と人とのあいだをつなぐ機械(メディア)というベルトの機能についても、『W』では興味深い方法で表現されている。『仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ』のクライマックスにおいて、悪の仮面ライダーの仮面ライダーエターナルの攻撃を受け、高所から落下するダブル。だがそのとき、ダブルに向けた風都市民の応援が、風都に一陣の風を呼び、その風の力をベルトで受けたダブルが最強形態のサイクロンジョーカーゴールドエクストリームへとパワーアップする。街のヒーローとして活動していたダブルを街の人々の声が救うのだ。ここで人々の思いと仮面ライダーを結びつける存在として、風とベルトが機能している。それまでベルトを通してコミュニケーションできたのは、怪人や仮面ライダーといった特殊な存在であったが、『W』においてはついに一般人ともコミュニケーションが可能となった。こうして人と人とのあいだをつなぐ機械(メディア)というベルトの機能もまた大きく拡張することとなったのである。
このように、『W』では平成ライダーの展開のなかで進化していったベルトの機能を、昭和ライダーにおけるベルトや仮面ライダーのあり方と突き合わせることにより、昭和と平成の集大成としてのベルトのあり方を示した。その集大成としてのベルトの提示により、第一期平成ライダーでは取り扱われてこなかった自然とテクノロジー(ベルト)の関係も、再び平成仮面ライダーのなかに現れたのである。
テクノロジー不信の世相のなかで
ここまで平成仮面ライダーにおけるテクノロジーの描き方を確認してきたが、この時期にテクノロジーに対する不信感が社会全体を覆う大きな出来事が起こる。それは、2011年3月11日に発生した東日本大震災と、それに伴って引き起こされた福島第一原発事故である。娯楽作品である仮面ライダーもまた、そうした社会状況と無関係でいることはできなかった。以降の章では、テクノロジーに注目しながら、震災に対して仮面ライダーがどのように向き合っていったのかを確認する。結論から言えば、それは「暗い世相への対抗」、「暗い世相の受容」、「震災体験の物語化」という流れで進むこととなる。
震災後に放送開始された初の仮面ライダーが、『仮面ライダーフォーゼ』(2011~2012年)である。『フォーゼ』は震災で落ち込む世相を踏まえ、「とにかく明るく、前向きに。気分が落ちるものにはしたくない」(註17)という想いで企画が行われた。明るいカラーへの志向性は、主役である仮面ライダーフォーゼのマスクデザインにも影響を与えている。多くの石ノ森キャラクターに使用され、平成仮面ライダーのデザインにも踏襲されていた涙ライン(目の下にある涙の跡のようなライン)が、フォーゼには採用されていないのだ(註18)。ヒーローが泣いている場合ではないのである。このような背景のもと制作された『フォーゼ』は、友情や絆をテーマとした学園ドラマをベースに、宇宙開発をテーマとした作品として展開する。宇宙開発というテーマは、メインプロデューサーの塚田英明によれば、当時「人工衛星はやぶさ」の回収やスペースシャトルの引退年など、宇宙の話題が世間をにぎわせていたことからインスピレーションを得たとのことである(註19)。が、テクノロジー不信が世間に蔓延していた時代性を考えると、テクノロジーの結晶である宇宙開発を大々的に取り上げた『フォーゼ』は、そうしたテクノロジー不安を否定する物語としても機能したと言えるだろう。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol.13 仮面ライダーフォーゼ』(講談社、2014年)表紙
『フォーゼ』における仮面ライダーと怪人の関係は、『W』に非常に近いものである。フォーゼは変身ベルトを使い、コズミックエナジーと呼ばれる宇宙的エネルギーを取り込むことで変身する。そしてコズミックエナジーを用いて開発されたアイテムのアストロスイッチを使って武装し、戦うのだ。そしてこのアストロスイッチは、人と人とをつなぐ力も持つ。その象徴が、テレビシリーズにおけるフォーゼの最終形態であるコズミックステイツや、『仮面ライダーフォーゼ THE MOVIE みんなで宇宙キターッ!』(2012年)における特別形態であるメテオフュージョンステイツである。これらはアストロスイッチを媒介に学園の友だちの友情の力がフォーゼに力を与えることで、変身可能となった姿だ。アストロスイッチが真価を発揮するには、人と人とを結びつける友情の力が必要なのである。これは『W』の劇場版で行われた人と人とのあいだをつなぐ機械(メディア)の描写をより発展させたものであり、震災後に盛んに叫ばれた「絆」を仮面ライダーの象徴であるベルトというテクノロジーを通して表現したものといえよう。
絶望を希望に変える
作品のカラーを明るくし、絆を強調した物語を展開するというような、暗い世相に対抗する物語として制作された『フォーゼ』であったが、次作『仮面ライダーウィザード』(2012~2013年)はそれに対してあらゆる意味でカウンターを提示した作品であった。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol.14 仮面ライダーウィザード』(講談社、2015年)表紙
『ウィザード』はその名の通り、魔法の力を使う仮面ライダーである。魔法というテーマが選択された理由は、メインプロデューサーの宇都宮孝明によれば「『フォーゼ』がメカニカルライダーだったから」(註20)とのことである。しかしながら、本作の元凶である白い魔法使い=笛木奏は物理学者として設定されており、本作で使用される魔法の多くも笛木が科学と魔法を融合させてつくり出したものであることを考えると、魔法というファンタジックなビジュアルを提示していながら、実際にはテクノロジーの問題を描いていると言える。そして『ウィザード』では、明るい『フォーゼ』とは対照的な、非常にシビアな設定で物語が構成されている。
『ウィザード』における怪人・ファントムは、絶望した人間の成れの果てである。それまでの人間と変わらない姿を有しているが、絶望の過程で人間としての人格がファントムの人格に塗りつぶされてしまっている。このファントムの名は「欠損した身体の部位を痛いと感じる」現象である「ファントムペイン」を由来とする(註21)ことから、絶望によって欠損してしまったかつての「私」や「彼・彼女」の残滓としてファントムが設定されていると言えよう。そしてそのファントムの大半は、白い魔法使いが半年前に引き起こしたサバトと呼ばれる大勢の人々を絶望させた儀式によって誕生している。このサバトは、人々を拉致して怪人へと変えるショッカーの改造手術をリメイクしたものであり、テクノロジーによって起きてしまった人災としての側面を持つ福島第一原発事故のメタファーでもあるだろう。
一方、本作の仮面ライダーは、そうした絶望に屈せず、希望を持ち続けた人間が体内に生まれたファントムをコントロールすることによって誕生するものとして設定される。そして体内のファントムが生み出すエネルギーである魔力を、魔法として出力するのに必要となるのが、仮面ライダーのベルトなのだ。本作における魔法は、体内のファントムと魔法のアイテムである指輪、そしてベルトの3つが揃うことで発動する。ここにも人と人とのあいだをつなぐ機械(メディア)のモチーフが反復されている。絶望してしまった自分、すなわち過去のトラウマの象徴がファントムであるならば、ベルトを通して己の傷と対話し、そこから新たな力をつくり出すのが仮面ライダーなのである。
そうした本作における仮面ライダーのあり方と真っ向から対立するのが、本作のクライマックスを担当する2人の敵キャラクターだ。物語の元凶たる白い魔法使い=笛木は、死んでしまった娘を魔法の力でよみがえらせるために活動する。ラスボスを務めるグレムリン=滝川空は、笛木のサバトに巻き込まれてファントム化してしまった被害者であるが、奇跡的に人の人格を保っており、身体を元の人間に戻すべく暗躍する。どちらも過去を理想化し、現在を生きることを放棄したキャラクターだ。そしてその過去への妄執のために他者を傷つけている。こうしたウィザードと白い魔法使い、グレムリンとの対立軸からは、悲劇が起きてしまっても、その過去を受け入れ、希望をもって人生を進めという本作の強いメッセージ性がうかがえる。
このように、『フォーゼ』では「拒絶」の対象であった悲劇性が、『ウィザード』では受け止めるべき対象となっている。逆に『ウィザード』が震災直後につくられた仮面ライダーでないことを考えると、そうした悲劇性への受け止め方を転換するには時間が必要だったともいえるだろう。そして本作における、テクノロジーがもたらした悲劇という原発事故の暗喩的な表現や、トラウマとの対話という魔法の表現は、平成仮面ライダーがそれまで展開してきたベルトのあり方を効果的に活用したものであったと言える。
自然災害と向き合うなかで
震災を暗喩的に描いた『ウィザード』に対し、次作の『仮面ライダー鎧武/ガイム』(2013~2014年)はより直接的なモチーフとして震災が扱われることとなる。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol.15 仮面ライダー鎧武/ガイム』(講談社、2014年)表紙
本作は、ヘルヘイムの森と呼ばれる異世界の植物によって浸食されつつある世界を舞台に、浸食の最前線の街である沢芽市に暮らす少年少女の生きざまを描く物語である。このヘルヘイムの森の設定は、メイン脚本家の虚淵玄が「今の子供が本当に怖い思いをしたネタ」(註22)は何かということを検討したなかで生まれたものである。虚淵は次のように語る。
当時いちばん怖かったのは、やっぱり3・11の地震かなと思ったので、自然災害と植物の繁殖力、環境そのものを敵にまわすという話を考えて、ヘルヘイムのアイデアが出てきました(註23)。
また、ヘルヘイムの森の管理を目論み暗躍する企業・ユグドラシルコーポレーションが最終的にそのコントロールに失敗してしまう様子は、福島第一原発事故における東京電力の対応が描写のヒントとなっている(註24)。『フォーゼ』がある種の暗い世相に対するアレルギー反応であり、『ウィザード』が魔法と絶望をテーマにした暗喩的な災害に対するトラウマ受容の物語であったとすれば、『鎧武/ガイム』はフィクションの想像力を用いて自然災害を真正面からドラマ化した作品だったと言えよう。
本作における怪人であるインベスは、ヘルヘイムの森の植物がつくり出す果実を食べた動物が変異した姿として設定される。その変異対象は、鼠のような小動物に限らず、人間も当てはまる。食品災害によって怪物に変異してしまうという物語は、放射能汚染されたキノコを食べて怪人化してしまう『マタンゴ』(1963年)を想起させるものであり、当時の福島県一帯における風評被害をも意識させる。また、植物に汚染された動物が人間に牙をむくというこの構図は、偶然にも『クウガ』の最初期に構想されていた『仮面ライダーガーディアン』の敵組織の構想にも一致している。東日本大震災という自然災害が、第一期平成ライダーにおいてはほとんど取り上げられず、『W』や『オーズ/OOO』において要素のひとつとして取り上げられるに過ぎなかった「自然」を、物語の前面へと引き出したのである。
一方、本作の仮面ライダーは、ヘルヘイムの果実からつくり出されたロックシードと呼ばれるアイテムのエネルギーをベルトで取り込むことによって変身する。これは人と人とのあいだをつなぐ機械(メディア)というベルトのあり方の応用であり、ロックシードというアイテムを通してヘルヘイムの森という自然災害と人間の交信・融合が描かれているのだ。このベルトは元々、ヘルヘイムの森が地球上に浸食しきってしまった後に残された人々が、ヘルヘイムの果実による食品災害を回避し、安全にエネルギーを得るためのツールとして開発されたものである。もしベルトが無ければ人間はヘルヘイムの果実を直接接種せねばならず、それはインベス化という事実上の死を人間にもたらす。ヘルヘイムの森という自然と共存しなければ人間は生きていけないのだ。このように、本作においてヘルヘイムの森が象徴する自然は、マンガ版『仮面ライダー』のようにテクノロジーで支配されてしまうか弱い自然ではない。むしろテクノロジーを使って共存の道を探らねば、人間や文明の方が滅ぼされてしまうという、荒ぶる自然なのだ。
そしてこの荒ぶる自然と、それによって崩壊の危機にあるか弱い文明を調停するのが、仮面ライダー鎧武=葛葉紘汰である。紘汰はヘルヘイムの森に浸食されてしまった異世界の文明の生き残り=オーバーロードインベスの王から「知恵の実」と呼ばれるヘルヘイムの森の力の結晶を手渡され、その力によって生み出された極ロックシードを用いて最強形態の極アームズへと変身する。しかし、極アームズへの変身の代償として、紘汰の体は徐々にオーバーロードインベスへと変質してしまうこととなる。荒ぶる自然の前では、テクノロジーは無力なのだ。だがその肉体変化によって紘汰は、怪人の姿でありながら人間の心を持つ、原点としての「仮面ライダー」と同様の存在となる。そして紘汰は、オーバーロードインベス化したことによって得たヘルヘイムの森の植物をコントロールする力を使い、ヘルヘイムの森やインベスを自分もろとも別の惑星へ移住させ、この世界をヘルヘイムの森の浸食の危機から救うのだ。このような仮面ライダーによる自己犠牲的な行為により、『鎧武/ガイム』の物語は世界崩壊を免れたビターエンドで幕を閉じる。
このように、『鎧武/ガイム』はヘルヘイムの森やユグドラシルコーポレーション、インベスといった震災的な要素をモチーフとすることにより、仮面ライダーという作品の中で震災を物語化することに成功した。そして「大自然の使者としての仮面ライダー」という『仮面ライダー』の要素を援用し、文明と自然の調停者としての仮面ライダー像を成立させることに成功したのである。
時代に合わせて「変身」する仮面ライダーとベルト
『クウガ』に始まり『ディケイド』で一度総決算を行い、そして『W』において再スタートが切られた平成仮面ライダーだが、その中心となったのがベルト、およびベルトによって象徴されるテクノロジーの問題であった。「平成仮面ライダー」シリーズは、『仮面ライダー』において提示されたベルトをいう要素を解体、再構成し、その可能性を徹底的に追求した作品群であったともいえるだろう。そしてその追及の過程で展開したベルトのあり方が、東日本大震災というテクノロジー不信をもたらす現実の出来事を語るうえでも重要な役割を果たした。また、東日本大震災という自然現象の脅威が、『仮面ライダー』における重要な要素のひとつであるにもかかわらず、平成ライダーではほとんど取り扱われてこなかった「自然」を再び仮面ライダーのなかに呼び戻すことにもつながった。そのことを考えると、『鎧武/ガイム』の関連映画である『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』(2014年)は象徴的だ。本作は昭和ライダーと平成ライダーが一堂に会して戦う映画だが、その制作のきっかけは昭和ライダーの人数と平成ライダー作品の主役ライダーの人数が『鎧武/ガイム』でそれぞれ15人と一致するためというものにすぎない(註25)。『鎧武/ガイム』がこのアニバーサリーのタイミングに重なったのは偶然なのだ。とはいえ、『鎧武/ガイム』が平成ライダーのなかで最も色濃く「大自然の使者としての仮面ライダー」という『仮面ライダー』の設定を反映し、なおかつ文明によって蹂躙される自然という『仮面ライダー』の自然観を、自然によって蹂躙される文明へと反転した作品であったことを考えると、『鎧武/ガイム』以上に仮面ライダー1号を筆頭とする昭和ライダーに真っ向からぶつかるにふさわしい平成ライダー作品はなかったと言えるだろう。この意味で、『鎧武/ガイム』は平成ライダーを新たなステージへと進めた作品と言えるだろう。
『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』(2014年)ポスター
本稿では『クウガ』から『鎧武/ガイム』までの平成ライダーに焦点を当て、それらの作品の中におけるベルトとテクノロジーの関係を読み解いてきた。そして『鎧武/ガイム』以降の仮面ライダーにおいては、現実のテクノロジーの発展を反映し、テクノロジーそのものが人間とは異なる「他者」として位置づけられる作品や、テクノロジーそのものをテーマとした作品などが現れはじめる。次回はその点について考察し、人工知能をテーマとした『仮面ライダーゼロワン』(2019~2020年)の分析を試みたい。
(脚注)
*1
講談社編『キャラクター大全ノンフィクション 証言! 仮面ライダー平成』(講談社、2017年)48ページ。
*2
講談社編『テレビマガジン特別編集 仮面ライダークウガ』(講談社、2001年)76ページ。
*5
高橋幸正編『グランドメディアムック45 仮面ライダーディケイド&平成仮面ライダー10周年記念 公式読本 DECADE[MASKED RIDER 2000-2009]』(グライドメディア、2009年)67ページ。
*6
講談社編『キャラクター大全ノンフィクション 証言! 仮面ライダー平成』(講談社、2017年)51ページ。
*7
てれびくん編集部編『てれびくんデラックス愛蔵版 仮面ライダー鎧武 超全集』(小学館、2014年)133ページ。
*8
白倉伸一郎『ヒーローと正義』(子どもの未来社、2004年)103ページ。
*9
講談社編『テレビマガジン特別編集 仮面ライダーアギト』(講談社、2002年)77ページ。
*10
鈴木康成編『ベストムックシリーズ32 語れ!平成ライダー』(KKベストセラーズ、2013年)14ページ。
*11
レッカ社『永遠の平成仮面ライダーシリーズ 語ろう!クウガ アギト 龍騎』(レッカ社、2013年)281ページ。
*12
『仮面ライダー龍騎スペシャル 13RIDERS』における仮面ライダー龍騎、仮面ライダーナイトのカードデッキの継承、『龍騎』最終話における仮面ライダーゾルダのカードデッキの継承など、『龍騎』内でも変身者の交代の例が散見されるものの、『555』のように作中で頻繁に行われることはなかった。
*13
山本充編『ユリイカ9月臨時増刊号 第44巻第10号(通算615号) 総特集◎平成仮面ライダー――『仮面ライダークウガ』から『仮面ライダーフォーゼ』、そして『仮面ライダーウィザード』へ…ヒーローの超克という挑戦』(蒼土社、2012年)57ページ。
*14
主人公の仮面ライダーカブトとライバルの仮面ライダーガタックのように、あらかじめ「資格者」となることが決められているかのような描写も作中には描かれているが、それでもガタックに変身する加賀美新は、ガタックゼクターに認められる前には資格なしとしてゼクターにより重傷を負わされていた。
*15
宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2011年)308ページ。
*16
講談社編『キャラクター大全ノンフィクション 証言! 仮面ライダー平成』(講談社、2017年)248ページ。
*17
安達佑斗(てれびくん編集部)編『テレビくんデラックス 愛蔵版 仮面ライダーフォーゼ超全集』(小学館、2013年)119ページ。
*18
鈴木康成編『ベストムックシリーズ32 語れ!平成ライダー』(KKベストセラーズ、2013年)68ページ。
*19
高橋幸正編『グランドメディアムック98 仮面ライダーフォーゼ公式読本 FOURZE GRADUATION』(グライドメディア、2013年)8ページ。
*20
講談社編『キャラクター大全ノンフィクション 証言! 仮面ライダー平成』(講談社、2017年)294ページ。
*21
村瀬直志編『宇宙船 vol138』(ホビージャパン、2012年)79ページ。
*22
レッカ社『永遠の平成仮面ライダーシリーズ 語ろう!555 剣 響鬼』(株式会社レッカ社、2015年)132ページ。
*25
村瀬直志編『宇宙船 vol144』に、監督の柴崎貴行氏が下記のように答えている記述がみられる。
「――平成対昭和というのは元からあったコンセプトなのでしょうか?
僕が参加した時点でありました。白倉さんをはじめプロデューサー陣の中での話し合いの中で決まったんだと思いますが、今のタイミングというのは、昭和と平成でちょうど人数が「15対15」になるから、この機会に記念としてやったらどうだ? ということだったようです」
村瀬直志編『宇宙船 vol144』(ホビージャパン、2014年)50ページ。
(作品情報)
『仮面ライダークウガ』
テレビドラマ
2000年1月30日~2001年1月21日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全49回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
制作総括:鈴木武幸(東映)
プロデュース:清水祐美(テレビ朝日)、髙寺成紀(東映)
シリーズ構成・脚本:荒川稔久
監督:石田秀範、ほか
出演:オダギリジョー、葛山信吾、村田和美、きたろう、水島かおり、ほか
『仮面ライダーアギト』
テレビドラマ
2001年1月28日~2002年1月27日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全51回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:松田佐栄子(テレビ朝日)、白倉信一郎、武部直美、塚田英明(東映)
脚本:井上敏樹、小林靖子
監督:田﨑竜太、ほか
出演:賀集利樹、要潤、友井雄亮、秋山莉奈、升毅、ほか
ナレーション:鈴木英一郎
『仮面ライダー龍騎』
テレビドラマ
2002年2月3日~2003年1月19日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全50回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:圓井一夫、中曽根千治(テレビ朝日)、白倉伸一郎、武部直美(東映)
脚本:小林靖子、井上敏樹
監督:田﨑竜太、ほか
出演:須賀貴匡、松田悟志、杉山彩乃、菊地謙三郎、涼平、ほか
ナレーション:鈴木英一郎
『仮面ライダー555』
テレビドラマ
2003年1月26日~2004年1月18日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全50回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:濱田千佳(テレビ朝日)、白倉伸一郎、武部直美、宇都宮孝明(東映)
脚本:井上敏樹
監督:田﨑竜太、ほか
出演:半田健人、芳賀優里亜、溝呂木賢、泉政行、加藤美佳、唐橋充、ほか
ナレーション:假野剛彦
『仮面ライダー剣』
テレビドラマ
2004年1月25日~2005年1月23日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全49回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:松田佐栄子(テレビ朝日)、日笠淳、武部直美、宇都宮孝明(東映)
脚本:今井詔二、宮下隼一、會川昇、井上敏樹
監督:石田秀範、ほか
出演:椿隆之、森本亮治、天野浩成、北条隆博、江川有未、竹財輝之助、ほか
ナレーション:小杉十郎太
『仮面ライダー響鬼』
テレビドラマ
2005年1月30日~2006年1月22日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全48回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:梶淳(テレビ朝日)、髙寺成紀、白倉伸一郎、土田真通(東映)
脚本:きだつよし、大石真司、井上敏樹、米村正二
監督:石田秀範、ほか
出演:細川茂樹、栩原楽人、蒲生麻由、神戸みゆき、森絵梨佳、ほか
ナレーション:中井和哉
『仮面ライダーカブト』
テレビドラマ
2006年1月29日~2007年1月21日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全49回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:梶淳(テレビ朝日)、白倉伸一郎、武部直美(東映)
脚本:米村正二、井上敏樹
監督:石田秀範、ほか
出演:水嶋ヒロ、佐藤祐基、里中唯、永田杏奈、奥村夏未、山口祥行、ほか
ナレーション:鈴木英一郎
『仮面ライダー電王』
テレビドラマ
2007年1月28日~2008年1月20日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全49回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:梶淳(テレビ朝日)、白倉伸一郎、武部直美(東映)
脚本:小林靖子、米村正二
監督:田﨑竜太、ほか
出演:佐藤健、白鳥百合子、松元環季、中村優一、秋山莉奈、石丸謙二郎、ほか
OP本編ナレーション:石丸謙二郎
『仮面ライダーキバ』
テレビドラマ
2008年1月27日~2009年1月18日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全48回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:梶淳(テレビ朝日)、武部直美、宇都宮孝明、大森敬二(東映)
脚本:井上敏樹
監督:田﨑竜太、ほか
出演:瀬戸康史、武田航平、加藤慶祐、柳沢なな、高橋優、小池里奈、ほか
ナレーション:杉田智和
『仮面ライダーディケイド』
テレビドラマ
2009年1月25日~8月30日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全31回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:梶淳、本井健吾(テレビ朝日)、白倉伸一郎、武部直美、和佐野健一(東映)
脚本:會川昇、米村正二、小林靖子、井上敏樹、古怒田健志
監督:田﨑竜太、ほか
出演:井上正大、森カンナ、村井良大、戸谷公人、石橋蓮司、奥田達士、ほか
ナレーション:鈴木英一郎
『仮面ライダーW』
テレビドラマ
2009年9月6日~2010年8月29日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全49回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:本井健吾(テレビ朝日)、塚田英明、高橋一浩(東映)
脚本:三条陸、長谷川圭一、荒川稔久、中島かずき
監督:田﨑竜太、ほか
出演:桐山漣、菅田将暉、山本ひかる、木ノ本嶺浩、寺田農、ほか
ナレーション:立木文彦
『仮面ライダーオーズ/OOO』
テレビドラマ
2010年9月5日~2011年8月28日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全48回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:本井健吾(テレビ朝日)、武部直美、高橋一浩(東映)
脚本:小林靖子、毛利亘宏、米村正二
監督:田﨑竜太、ほか
出演:渡部秀、三浦涼介、高田里穂、宇梶剛士、有末麻祐子、君嶋麻耶、ほか
ナレーション:中田譲治
『仮面ライダーフォーゼ』
テレビドラマ
2011年9月4日~2012年8月26日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全48回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:本井健吾(テレビ朝日)、塚田英明、高橋一浩(東映)
脚本:中島かずき、三条陸、長谷川圭一
監督:坂本浩一、ほか
出演:福士蒼汰、高橋龍輝、清水富美加、吉沢亮、坂田梨香子、冨森ジャスティン、志保、土屋シオン、ほか
ナレーション:檜山修之
『仮面ライダーウィザード』
テレビドラマ
2012年9月2日~2013年9月29日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全53回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:佐々木基、本井健吾(テレビ朝日)、宇都宮孝明(東映)
脚本:きだつよし、高村純子、石橋大助、會川昇
監督:中澤祥次郎、ほか
出演:白石隼也、奥仲麻琴、永瀬匡、戸塚純貴、高山侑子、小倉久寛、ほか
ナレーション:平田広明
『仮面ライダー鎧武/ガイム』
テレビドラマ
2013年10月6日~2014年9月28日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全47回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:佐々木基(テレビ朝日)、武部直美、望月卓(東映)
脚本:虚淵玄、鋼屋ジン、毛利亘宏、七篠トリコ、砂阿久雁、海法紀光
監督:田﨑竜太、ほか
出演:佐野岳、小林豊、高杉真宙、志田友美、久保田悠来、ほか
ナレーション:大塚芳忠
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