"変わり種の怪獣"として台頭してきた妖怪が、メディアを通して徐々に差別化されていくようになると、今度は逆に妖怪化した怪獣怪人が姿を見せる。多くの人々が、まったくの別物として認識している2種の化け物だが、実際のところは非常に近しい存在なのだ。

左から「ウルトラマン」シリーズより、鬼超獣オニデビル、きさらぎ星人オニバンバ、鬼怪獣オニオン。『世界に息づく怪獣王ゴジラの遺伝子』の第1回でも軽く触れたが、妖怪としか表現できない怪獣や妖怪をモチーフにした怪獣も少なくない。さらに『ウルトラマンA』(1972年)には、秋田のなまはげ(伝説怪人ナマハゲ)が、つけ蓑の出刃包丁という見知ったスタイルでそのまま登場する

※写真のフィギュアはすべて筆者の私物

悪魔くんと怪獣

現在、「怪獣」とは似て非なる化け物として周知されている「妖怪」。しかし、かつてこれらは渾然一体としており、明確な差別化はなされていなかった。むしろ妖怪は、怪獣の一種として世の中に進出してきた存在なのだ。これからその経緯を説明しよう。

ここでキーとなる人物は、妖怪マンガの大家として知られる水木しげるである。水木の生み出した代表的なキャラクターといえば、鬼太郎と悪魔くんだろう。妖怪と怪獣の奇妙な関係性をひもとく際に重要になってくるのは悪魔くんのほうだ。最初の『悪魔くん』は、1963年から1964年にかけて、全3巻の貸本マンガとして発表されている。何万年かに一人という天才児である〈悪魔くん〉こと松下一郎が、地下から呼び出した悪魔の力を利用して、全人類が平等に暮らせる世界国家をつくろうと立ち上がる革命の物語。しかし、その難解さから読者に受け入れられず、全5巻の構想を完遂することができなかった。そこで水木は、主人公の悪魔くんを機動隊に射殺させることで、強引に物語の幕を下ろしてしまう。当時の世界的なニュースだった、ケネディ大統領暗殺事件をヒントにしたものだという。

このあらすじからもわかるように、水木の格差社会に対する怒りが強く反映された作品であり(註1)、怪奇モノの貸本マンガとしては異色作といえよう。もちろん、黒魔術、白魔術、魔法陣などのイカニモな用語が飛び交い、ヤモリビトや蛙男といったクリーチャーじみた外見のキャラクターも登場する。ただ、肝心の悪魔は、姿かたちも人間と変わらず、これといった特別な能力も持たされていなかった。いわゆる妖怪の類は、ほとんど出てこないマンガだったのである(註2)。もちろん、それこそが貸本版『悪魔くん』の大きな魅力ではあるものの、いささか地味な印象は拭えない。しかし、捨てる神あれば拾う神あり。『悪魔くん』の秘めたるポテンシャルを見抜いた業界関係者もまた存在したのだ。一人は「週刊少年マガジン」の編集長だった内田勝、もう一人は東映テレビ事業部の平山亨──のちに「仮面ライダー」シリーズを立ち上げることになる名プロデューサーだった。

左から「週刊少年マガジン」第45号(講談社、1966年)表紙、『悪魔くん』(講談社、1968年)表紙

やがて活躍の場を貸本から雑誌へと移した水木は、1965年より「週刊少年マガジン」と「別冊少年マガジン」で『墓場の鬼太郎(ゲゲゲの鬼太郎)』(~1969年、以下『鬼太郎』)を描くようになる。もっとも当初は週刊連載ではなく、本誌と別冊で断続的に掲載するというスタイルをとっていた。なお、前編でも述べたように、当時の『鬼太郎』は妖怪とのバトルを主眼に置いた作品ではない。さらにこの翌年、同じく「週刊少年マガジン」にて『悪魔くん』(~1967年)の連載もスタートする。『鬼太郎』がそうであったように、貸本版のリブート作品となるが、こちらのほうがより少年マンガ向けのアレンジが大きかった。元のままでは、あまりにもテーマが重すぎると判断されたわけだ。そのため、〈悪魔くん〉とあだ名される天才少年が、ファウスト博士なる人物の助力を得て悪魔を呼び出し、その力を借りて貧困のない理想郷を目指すという出だしこそ共通しているが、彼の前に立ちはだかる相手は邪な心を持つ人間ではなく、百目、すねこすり、油すまし、あずきあらい……人間に危害を加える妖怪だった。正義の少年と悪の妖怪によるバトルに次ぐバトルという連載フォーマットは、『鬼太郎』よりも『悪魔くん』のほうが早かった(註3)のである。

一方、東映の平山プロデューサーもまた、子ども向けテレビドラマの原作として貸本版『悪魔くん』に目を付けていた。ところが、くだんの難解なストーリーをそのまま映像化できるはずもない。そんな折、少年マガジン編集部を訪れた平山は、より少年向けにアレンジされた新生『悪魔くん』の存在を知る。当然、平山と内田編集長は意気投合。『悪魔くん』のテレビ企画がスタートする(註4)。

左から「悪魔くん」シリーズよりペロリゴン、ビチゴン。前者は実写ドラマ版に、後者は「週刊少年マガジン」版に登場した。名前といい、ルックスといい、どこからどう見ても怪獣だが、劇中では妖怪として扱われる

実写ドラマ版『悪魔くん』(1966~1967年)の諸設定は、概ね「週刊少年マガジン」版のそれに倣っていて、悪魔くんの本名は山田真吾であり、悪魔の名前はメフィストであり、またトラブルメーカーとして学友の情報屋と貧太が登場する点も共通している。水木自身、番組制作には協力を惜しまなかったらしく、さまざまなアイデアやデザインを提供したらしい。例えば、原作ではひとつのエピソードを数週間にわたって展開していくが、実写ドラマ版は一話完結の対決モノに改められていて、これも水木の提案だったと伝えられている。最大の違いは、怪獣のように巨大な体躯を持つ妖怪が数多く登場することだろう。平山によると、水木が語った見越入道(註5)の話がヒントとなり、妖怪を巨大にする手法を思い付いたとのこと。世間は、『ウルトラQ』(1966年)に端を発する第一次怪獣ブームの真っただなかであった。

そのため、狼男や雪女、鬼婆、カマキリ仙人といった等身大の正統派妖怪だけでなく、何らかの能力を用いて巨大化するミイラ妖怪、水妖怪、化けぐも、最初から巨大な大海魔、化烏(註6)、ペロリゴン、シバの大魔神などが登場する。また、劇中では等身大だったガンマー(百目)やマネキン妖怪も、番宣用のコラージュスチルでは東京タワーを持ち上げたり、ビル街を闊歩していたりと、まるで怪獣のように演出されていた。特に第1話の登場妖怪であったガンマーは露出も多く、「週刊少年マガジン」誌上で“かわりだね怪獣”、あるいは“人気5大怪獣”と銘打たれて、ウルトラ怪獣やゴジラと並んで内部図解(註7)まで公開している。劇中では塚に封印されていたり、怪しげな妖術を用いたりと、怪獣≒生物らしからぬ特徴を見せつつ(註8)、それでも番組の外に連れ出されれば、やはりまだ一部の妖怪は怪獣のバリエーションに過ぎなかったということであろう。だが、この一部というところがポイントで、先も述べたように『悪魔くん』には正統派の妖怪も登場しており、怪獣目当ての子どもたちに「妖怪」という新たなる概念をプレゼンするまたとない機会になっていたのだ。

さらに『悪魔くん』の放送および連載終了後も、子どもへの妖怪プレゼンは続いた。例えば、1967年に「週刊少年マガジン」で連載されていた読み物企画「妖怪なんでも質問箱」でも、怪獣もどきの代表格であるガンマーとペロリゴンの身長・体重を問う質問に対して、「妖怪は、別の世界からやってきたものですから、この世では重さがなくなります。ですから、妖怪には体重がありません」という回答を寄せていた。また、ペロリゴンについて「怪獣のようなすがたをしていますが、古い沼にすみついたばけもので、沼の精ですから、妖怪です」と説明していたり、“形が怪獣に近い妖怪”の総称として「妖獣」を提案していたり、怪獣と妖怪を差別化していこうという明確な意思が感じられるのだ(註9)。

その後、同じく水木が貸本時代から手掛けてきた「河童の三平」シリーズを原作とした実写ドラマ『河童の三平 妖怪大作戦』(1968~1969年)、満を持してテレビアニメ化された『ゲゲゲの鬼太郎』の第1期アニメシリーズ(1968~1969年)の放送が始まると、怪獣ブームならぬ妖怪ブームが巻き起こり、“妖怪の中には怪獣に似ているモノもいるが、基本的には別物なのだ”という認識が確立されていった。現在、怪獣と妖怪の区別がつかない日本人は皆無に違いない。

妖怪と特撮

さて、妖怪という概念の成立過程と、そこに怪獣が深く関与していたことは述べた。めでたしめでたし、これにてチョン……でも構わないのだが、その後の妖怪と特撮≒怪獣について、もう少し補足的に書いておきたい。

まずは『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメ化に伴う妖怪ブームのさなか(註10)に公開された、いわゆる大映「妖怪三部作」。『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(1968年)と併映された第1作『妖怪百物語』(1968年)は、鳥山石燕や水木しげるの絵を参考にしたであろう妖怪が30体近く登場する特撮時代劇で、ほかでもない水木自身の手によってコミック化(註11)もなされている。もちろん、三部作というからには続編も公開された。2005年に神木隆之介主演でリメイクされた『妖怪大戦争』(1968年)、『ガメラ対大悪獣ギロン』(1969年)との2本立て上映だった最終作『東海道お化け道中』である。また、1970年には同一スタッフによる『透明剣士』が公開されている。『透明人間現わる』(1949年)や『透明人間と蠅男』(1957年)、『透明天狗』(1960年)といった“透明もの”と妖怪の要素を掛け合わせた作品で、劇中に妖怪しょうけらが登場するのだ。なお、大映の妖怪シリーズには根強いファンが多く、これらにオマージュを捧げた『さくや妖怪伝』(2000年)や『跋扈妖怪伝 牙吉』(2003年)などが後年制作された。

この手の妖怪+時代劇は、テレビの世界でも『新諸国物語 笛吹童子』(1972~1973年)や『白獅子仮面』(1973年)などがつくられており、原作に石森章太郎を迎えた『変身忍者 嵐』(1972~1973年)が有名だ。天下を掌握せんともくろむ血車党に、彼らを裏切った変身忍者・嵐と、江戸幕府の命を受けた伊賀忍者たちが立ち向かう物語で、とどのつまり時代劇版『仮面ライダー』である。当初の敵は、化身忍者と呼ばれる一種の改造人間であったが、中盤よりドラキュラやメドーサ、グールといった西洋妖怪軍団が登場した。特筆すべきは、オレンジ色の目潰し光線を放つバックベアード。バックベアードは、同じく石森原作の特撮ドラマ『超神ビビューン』(1976~1977年)の第1話(註12)にも出てくる。バックベアードの起源については諸説あり、それこそコラムがひとつ書けてしまうくらい複雑な事情が絡んでいるため、ここでは詳細に述べることを避けるが、そのキャラクター成立にあたって、やはり水木と『鬼太郎』が大きく関与していた新興の妖怪だ。つまり石森なり番組スタッフなりの頭の中に、“西洋妖怪の総大将として鬼太郎と対決したバックベアード”があったうえでの登場だったことは間違いない。水木と特撮の接点、再びだ(註13)。

左から『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(2015〜2016年)より、妖怪カマイタチ、妖怪ネコマタ、妖怪ダイダラボッチ。それぞれチェーンソー、腕時計、ショベルカーが化けた設定だ。さらにネコマタは、妖怪ウォッチシリーズのジバニャンのパロディにもなっている。「妖怪といえば、『鬼太郎』!」ではなかった時代ならではのアプローチだ

2021年で45周年を迎えたスーパー戦隊シリーズでも、敵方のモチーフとして妖怪を採用したことが何回かある。『忍者戦隊カクレンジャー』(1994~1995年)に登場する妖怪は、現代社会に馴染んで姿かたちが変わっているという設定で、ややアメリカナイズされたデザインアレンジ(註14)が特徴だ。一方、『侍戦隊シンケンジャー』(2009~2010年)に登場する外道衆のアヤカシは、妖怪そのものではなく、それらの伝承のルーツになった化け物という設定。デザイン担当は、『カクレンジャー』でも敵側のメインデザイナーを務めていた篠原保だったため、過去との差別化もあり、“日本のことを何も知らない外国人デザイナーが、1冊の浮世絵の本を頼りにデザインした妖怪”という捻りまくったコンセプトでデザインされている。そして、2015年に放映された『手裏剣戦隊ニンニンジャー』では、悪の親玉である牙鬼幻月の妖気を受けた器物が、古来の妖怪伝承を受け継いで変化したという設定だ。アヤカシは妖怪+何らかの動植物がデザインモチーフだったが、こちらは妖怪+何らかの器物になっており、同じ妖怪を題材に採っていても『カクレンジャー』のそれとはまったく異なるルックスに仕上がっている。ちなみに『ニンニンジャー』の妖怪ヌリカベは、前編で紹介した『化物づくし絵巻』版ぬりかべと遮断器がモチーフになっていた。

最後に、仮面ライダーシリーズ随一の異色作『仮面ライダー響鬼』(2005〜2006年)。本作の仮面ライダーは「鬼」と呼ばれ、実際に鬼をモチーフにデザインされている。対する魔化魍(まかもう)は、伝統的な妖怪がモチーフだ。しかし、従来の妖怪イメージからの脱却を図っており、さまざまな動植物を掛け合わせたキメラ的な生物というデザインコンセプトが用意されていた。また、この動植物のチョイスが独特で(註15)、石燕や水木らの描く妖怪とは似ても似つかない魔化魍ばかりかと思いきや、ひと目でそれとわかる魔化魍もおり、独特の雰囲気を醸している。さらに仮面ライダーの敵としては珍しく等身大ではなく、CGIを駆使して表現される巨大モンスターだった(註16)ことも特記すべきポイントだ。無理くり本稿のテーマに寄せて表現するならば、突如として怪獣王の遺伝子を目覚めさせた、先祖帰りの妖怪群といったところか。こうした巨大妖怪は、ウルトラマンシリーズなどにも稀に登場する。妖怪の概念が確立されたからこそ、逆に“妖怪のような怪獣”というアプローチも出てきたわけだ。2021年夏公開予定の新作映画『妖怪大戦争ガーディアンズ』でも、“出しちゃいけないでっかいヤツも暴れちゃう”とのアナウンスがあり、今後も怪獣と妖怪は近づいたり離れたりを繰り返しながら、日本人に愛され続けていくことだろう。


(脚注)
*1
当時、衰退の一途をたどる貸本マンガ業界に身を置いていた水木しげるは、出版社の倒産で不渡手形を掴まされたり、大蔵省から所有する土地の半分を返還するよう求められたりと、散々な目に遭っていたようだ。

*2
黒魔術の大家であるサタンが変身した巨大なクモや、それを撃退した〈沼の主〉と呼ばれる大きなガマ、目から怪光線を発して暴れまわるスフィンクス像などは、妖怪の一種と言えなくもないが、その出番はほんのわずかだ。

*3
鬼太郎と妖怪とのバトル路線が、どの時期から定着したと見るかによって意見が分かれるところではあるかもしれない。

*4
平山亨が少年マガジン編集部を訪れた時点で、すでに第1回の原稿は仕上がっていたともいわれているが、詳細は不明。いずれにせよ貸本版『悪魔くん』のリブート企画は、平山によるテレビ化の話よりも早い段階から進行していたようだ。

*5
小坊主のような姿で行く手に立ちふさがり、あれよあれよという間に背を高くしていき相手を驚かす妖怪。しかし、「見越した」と宣言すると消えてしまう。各地に同様の伝承があり、見上入道、のびあがり、入道坊主、乗越入道などとも呼ばれる。

*6
その正体は等身大の烏人なる妖怪だったため、巨大化するタイプに含むべきかもしれない。等身大の怪獣=怪人が、一種の切り札として巨大な姿になる展開は、東映特撮のおはこともいえるが、その元祖もまた『悪魔くん』であった。

*7
人体解剖図のように、怪獣の身体の仕組みを解説したもの。1960年代から1970年代にかけて、少年雑誌の巻頭グラビアや図解記事の企画・構成・レイアウトなどを手掛けた伝説的な編集者である大伴昌司による“発明”のひとつ。

*8
ガンマーX線を放射されたモルモットが巨大変異したモルゴンと、第三氷河期に生息していた化石人ジュラタンに至っては、外見どころか設定からして妖怪らしくない。むしろ怪獣と説明されたほうがしっくりくるだろう。

*9
「怪獣なんでも相談室」(1967年)に続く一問一答形式のコラム企画で、やはり大伴が執筆を担当していた。怪獣も妖怪も、彼の存在抜きでは語れない。

*10
『ゲゲゲの鬼太郎』の第1期アニメシリーズの放映開始から数えて、わずか2カ月後の公開だったため、単純な便乗企画とも言いきれない。“ポスト怪獣”として妖怪を盛り上げていこうという流れが、当時のエンタメ業界全体に起きていたと考えるべきだろう。

*11
「週刊少年キング」にて短期連載され、さらに映画パンフレットとして冊子化。のちに一部修正を施したものが、『水木しげる不思議な世界2 妖怪長屋』(講談社、1987年)に『妖怪長屋』として収録された。

*12
『アクマイザー3』(1974~1975年)の続編。前作の敵は、地底世界に実在した悪魔=アクマ族だったが、本作では大魔王ガルバー率いる妖怪軍団がそれに当たり、伝統的な妖怪と番組オリジナルの創作妖怪が入り混じって登場する。ただし、こういった手法は多くの作品に見られるもので、例えば本文からは漏れた『行け! 牛若小太郎』(1974~1975年)も同様だ。

*13
フジテレビ系列の単発ドラマ枠『月曜ドラマランド』(1983~1987年)にて、実写ドラマ版『ゲゲゲの鬼太郎』(1985年)が放映されており、翌々年には悪魔くんも登場する『妖怪奇伝ゲゲゲの鬼太郎 魔笛エロイムエッサイム』が、オリジナルビデオ作品として発表された。これらの制作は東映だが、松竹も実写映画版『ゲゲゲの鬼太郎』(2007年)と『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』(2008年)を手掛けている。

*14
デザインコンセプトは、“ブロンクスの妖怪”。ロクロクビ(ろくろ首)であればドラァグクイーン、オボログルマ(朧車)であればイエローキャブ、オオムカデ(大百足)であればアメフト選手の要素が加えられており、厳密には広くアメリカ文化を捉えてデザインされていた。

*15
エイ+鳥類でイッタンモメン(一反木綿)、サイ+カメでオトロシ(おとろし)、貝類+樹木でヌリカベ(塗り壁)、シュモクザメ+ムカデでロクロクビ(ろくろ首)など。

*16
フルCG一辺倒ではなく、従来の怪獣怪人のように着ぐるみを使用するケースもあった。また、番組中盤より等身大の魔化魍も登場するようになるが、それらはむしろイレギュラーな存在として描かれる。