1971年より始まった「仮面ライダー」シリーズは、2020年に放送を開始した『仮面ライダーセイバー』でテレビシリーズ32作目を迎えた。昭和、平成、令和と世代・時代を超えて愛されるヒーローである仮面ライダー。本連載では、「仮面ライダー」シリーズにおけるテクノロジーの描き方に注目する。第3回目の本稿では、『仮面ライダードライブ』(2014〜2015年)から『仮面ライダーゼロワン』(2019~2020年)を対象に、平成の終盤から令和最初の「仮面ライダー」シリーズにおいて、テクノロジーと人間の関係がどのようなかたちで描かれているのか、そしてその描写が石森章太郎(現・石ノ森章太郎)の手掛けた『仮面ライダー』(1971~1973年)のテーマと通底する点について分析を行う。
『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』(2020年)ポスター
人間と協働する機械
『仮面ライダー』という作品において石森は、風をエネルギー源とするバッタの改造人間の仮面ライダーと、自然を破壊し改造人間によって人を苦しめるショッカーの対立構造を用いて、歪んだ技術文明に対する自然と共生する“真の文明”の重要性をメッセージとして打ち出した。『仮面ライダークウガ』(2000~2001年)より始まる「平成仮面ライダー」シリーズにおいては、仮面ライダーにおけるテクノロジーの要素を変身ベルトへと還元させる試みがなされ、その可能性を追求するなかで「仮面ライダーと怪人の境界線の無効化」と「人と人をつなぐ機械(メディア)としてのベルト」という表現が生まれた。こうした「仮面ライダー」シリーズが取り扱ってきたテクノロジーの問題が、『仮面ライダードライブ』(2014~2015年)ではより前面に取りあげられることとなる。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol. 16 仮面ライダードライブ』(講談社、2019年)表紙
『仮面ライダードライブ』は、警視庁・特殊状況下事件捜査課(特状課)に所属する泊進ノ介巡査が仮面ライダードライブへと変身し、増殖強化型アンドロイド・ロイミュードが引き起こす機械生命体犯罪に立ち向かう物語である。ドライブの変身には、ロイミュード開発に超駆動機関コア・ドライビアの技術提供を行った科学者クリム・スタインベルト博士の人格がインストールされたベルトが使用される。機械化された肉体に人間の精神を入れ込んだクリム博士の姿は、ショッカーライダーによって殺され、肉体をすべて機械化したマンガ版の『仮面ライダー』(1971年)終盤における仮面ライダー1号・本郷猛を思わせる。またクリム博士のこれまでの変身ベルトには無い大きな特徴として、よく喋ることが挙げられる。これはドライブの一部として活動するアクションパートだけでなく、特状課での捜査会議を含めたドラマパートにおいても同様である。『仮面ライダーキバ』(2008~2009年)におけるキバットバットⅢ世のように、人間との会話能力を持つキャラクターがベルトの一部となるケースはそれ以前の「仮面ライダーシリーズ」にも存在したが、クリム博士の会話量はそれ以上であり、変身ベルトもまた登場「人物」として位置づけられた作品といえよう。人間と直接コミュニケーションを取るベルト、まさに「人と人をつなぐ機械(メディア)としてのベルト」の極致である。
ドライブとともに戦うテクノロジーは、変身ベルトのクリム博士だけではない。ドライブをサポートする小型のスーパーカー・シフトカーもまた、感情や意志を持っている(ただし、クリム博士のように元となった人間がいるわけではない)。このように、ドライブは感情を持つテクノロジーと協力して敵と戦うのである。そして進ノ介がドライブのシステムを使いこなすためには、テクノロジーを単なる道具として淡々と扱うのではなく、自分の感情をテクノロジーとシンクロさせなければならない。例えばパワーが自慢の形態・タイプワイルドへの変身にはパッションが、解析を得意とする形態・タイプテクニックへの変身にはクールな心が、高速移動が可能な形態・タイプフォーミュラーへの変身にはチームとの信頼感が必要、といった具合である。そして最強形態であるタイプトライドロンにおいては、進ノ介の身体がドライブの使用する大型車両・トライドロンと、そして進ノ介の精神がクリム博士と融合することとなる。人間とテクノロジーが協働し、互いを高め合うというのが、ドライブにおけるテクノロジーの理想形なのである。
このように、クリム博士やシフトカーと心を通わせることで強くなっていくドライブであるが、テクノロジーを使いこなすために人間の心が必要となることは、よい事ばかりではない。例えば第31話においては、クリム博士と進ノ介の意見が対立したことで、クリム博士が戦いの場に同行せず、進ノ介がロイミュードと生身で戦わなければならない事態が発生しかけた。また、『仮面ライダー×仮面ライダー ドライブ&鎧武 MOVIE大戦フルスロットル』(2014年)においては、強化ロイミュードのボディに意識をダウンロードした人物が、手に入れた新たな肉体(=テクノロジー)の力によって増長し、心が暴走してしまうという事例も描かれた。テクノロジーと人間の関係が密接になればなるほど、人間がテクノロジーによって振り回される可能性は増すのである。
この「人間を振り回すテクノロジー」を象徴するのが、本作におけるショッカー怪人に相当するロイミュードである。ロイミュードはクリム博士の技術提供を受けた蛮野天十郎博士が開発した、自己学習・進化する機械生命体であり、開発過程で人間の悪の心をプログラムされたことで急速に成長することとなった。自分自身を新たなる種として定義したロイミュードたちは、創造主である人間を越え、人間を支配することを目的に社会の裏でひそかに活動している。
ロイミュードは感情の発達に合わせて肉体を進化させる。その進化のために人間の姿と記憶をコピーし、人間の心を学習するのだ。その学習の過程で、ロイミュードたちがコピー元の人間の持つ強い感情に触発されて引き起こすのが、機械生命体犯罪である。この機械生命体犯罪は、コピー元の記憶や感情をロイミュードがなぞることで起きるケースだけでなく、コピー元の人間をロイミュードがそそのかして犯罪を起こすケースや、ロイミュードと人間が融合して人間が直接犯罪を実行するケースもある。ロイミュードというテクノロジーの力が人間の心を刺激して犯罪を引き起こし、その人間の感情の高ぶりがロイミュードを進化させる。これもまた、テクノロジーと人間の協働のひとつのかたちである。このように、善悪という立場の違いがあるとはいえ、ドライブもロイミュードも、テクノロジーと人間のコミュニケーションをシステムのベースとして位置づけているのだ。こうしたロイミュードの性質を、脚本家の三条陸は「人間に作られながら人間を支配しようとして、それなのに人間に惹かれ人間の姿をコピーする。それがロイミュードの怖くて愛らしい部分(註1)」と評している。こうしたロイミュードのキャラクター性のモデルには、『新造人間キャシャーン』(1973~1974年)や『ブレードランナー』(1982年)といった過去の作品のイメージが活用されている(註2)。こうした「人造人間の悲哀」というSF作品の王道のテーマは、古くは『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』(1818年)より続くものであるが、これが“真の文明”や「人と人をつなぐ機械(メディア)としてのベルト」という「仮面ライダー」シリーズのテーマと結びつくことにより、他者として人間とコミュニケーションを取り、人間とともにお互いを高め合うテクノロジーという『ドライブ』独自のテクノロジー観が生まれたのである。
こうした人間とテクノロジーの協働の対極に位置するのが、物語の黒幕を担う蛮野博士である。蛮野博士はテクノロジーばかりか、人間さえも道具利用する。まさに特状課の仲間ともクリム博士やシフトカーたちとも心を通わせる進ノ介とは正反対の人物造形である。蛮野博士の側近であるロイミュード004が感情を成長させて進化できていないことが、それを端的に表わしている。この蛮野博士の他者とのディスコミュニケーションが形となって表れたのが、悪の戦士ゴルドドライブの変身ベルトであるバンノドライバーである。バンノドライバーは、クリム博士のテクノロジーを盗用した蛮野博士が、自身の意識を変身ベルトへとインストールしたものである。だが蛮野博士とクリム博士では、このテクノロジーの使い方はまったく異なる。蛮野博士は、テクノロジーと人間の協働によって力を発揮するドライブのシステムを、使用者の精神を抑圧、あるいは破壊し支配するシステムとして運用する。ゴルドドライブの変身者は人間ではなくロイミュードとはいえ、心を学び進化した彼らは、機械ではあるものの限りなく「個人」として扱える存在に近いものとして描かれている。そんな「個人」をテクノロジーによって無理矢理支配、使役するこの構図は、「歪んだ技術文明」そのものといえよう。さらにロイミュードどうしのつながりを利用してその力を奪った蛮野博士は、世界の人間の人格をデータ化し、ナンバー化して管理する最終計画の実行へと駒を進める。この人間をナンバー化して管理するという蛮野博士のたくらみは、日本国民を番号で整理してロボット化するというマンガ版仮面ライダーのショッカーの最終計画「10月計画(オクトーバープロジェクト)」とも酷似している。まさしく現代版ショッカーといった趣である。
こうした蛮野博士の蛮行と、それに対抗して結成された人間とロイミュードの一時的な共同戦線が、『仮面ライダードライブ』の最終局面である。そしてこれは、テクノロジーによって他者を支配する「歪んだ技術文明」と、人間とテクノロジーが協働する“真の文明”の対立という、『仮面ライダー』の戦いの構図の再編ともなっている。すなわち、ロイミュードの悪行は犯罪として取り締まられるものではあるものの、人間とテクノロジーの協働という方向性においては“真の文明”にカテゴライズされるものなのだ。第47話で進ノ介は「本当の悪は、人間の中にしかない。最悪の存在は蛮野博士だった。ロイミュードは人間の悪意をなぞっただけだ、犠牲者みたいなもんだ」という発言をしている。すなわち、人間がいかにしてテクノロジーと向き合うかが問題なのであり、未熟な心でテクノロジーと向き合えば、テクノロジーは人間にはコントロール不可能なものとなってしまうということである。こうしたテクノロジーと人間の心の問題を、人間の心が引き起こす事件を取り扱う刑事ドラマのフォーマットを用いつつ描いたのが、『ドライブ』という作品なのである。
自己目的化するシステム
人間とテクノロジーの協働に焦点を当て、テクノロジーの発展はそれと向き合う人間の心にかかっているということを描いた『仮面ライダードライブ』に対し、人間の幸せを目的としたテクノロジーが人間の手を離れてシステム化してしまうことによって生まれる不幸を描いたのが、『仮面ライダーゴースト』(2015~2016年)である。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol. 17 仮面ライダーゴースト』(講談社、2019年)表紙
『仮面ライダーゴースト』は、18歳の青年の天空寺タケルが眼魂(アイコン)と呼ばれる目玉の形をした装置を変身ベルトに装填することで仮面ライダーゴーストに変身し、眼魔(ガンマ)と呼ばれる侵略者と戦う物語である。タケルたちが持つ眼魂には魂を封じ込める機能があり、自分自身の魂だけでなく、宮本武蔵やトーマス・エジソンといった偉人(本作では「英雄」と呼ばれる)の魂が封じ込められたものも存在する。タケルはその眼魂を使って、自分自身の化身である仮面ライダーゴーストに変身するだけでなく、英雄たちの力をも眼魂経由で借りることができる。そしてこの英雄たちはタケルとともに戦うだけではなく、一種の精神世界のなかでタケルと直接対話することも可能だ。初め、タケルはそうした英雄たちとの対話から英雄たちの生き様や人生訓を学ぶばかりであったが、人生経験を積んだタケルは次第に英雄たちと対等に意見を交わすようになり、物語の終盤でついにタケルが英雄たちを諭すまでになる。このように、『仮面ライダーゴースト』は眼魂と変身ベルトという「人と人をつなぐ機械(メディア)」を用いて「タケルの成長物語(註3)」を描くことに成功しているのだ。弟子が師に学び、やがて師を超えて一人前になるというこの典型的な成長物語は、英雄という人類史に残る偉大な先人をモチーフとした『ゴースト』だからこそ効果的に描けた物語といえるだろう。
眼魂と変身ベルトに象徴される「人と人をつなぐ機械(メディア)」と対極に位置するのが、本作における敵キャラクターの眼魔が所属する「眼魔世界」のシステムである。眼魔世界は、争いから逃れるために、グレートアイと呼ばれる超常存在の力を借りてほかの惑星に移住した、弥生時代の人間が営む世界である。もともとは未熟なテクノロジーしか持っていなかった眼魔世界の人々だが、その星に残された過去のテクノロジーを学び、習得することで現代人以上の高度なテクノロジーを獲得し、豊かな生活を送っていた。しかし、やがて眼魔世界の高度なテクノロジーは、その代償である大気汚染の原因となり、眼魔世界の人々は公害病に苦しむこととなる。この公害病への対抗策として眼魔世界で開発されたテクノロジーが、タケルも持つ眼魂である。英雄の眼魂に見られるように、眼魂は魂をデータ化してインストールすることができるデバイスである。眼魔世界の人々は、このテクノロジーを用いて自分の魂を眼魂に移し、肉体をカプセルの中でコールドスリープさせることで大気の身体への浸食を抑えることに成功した。そして眼魂に込められた魂が地上で活動する際に、眼魔というナノマシン製の義体を使用するのである。この眼魂システムの開発によって、眼魔世界の人々は公害病に苦しむことのない、不滅の肉体を手に入れることが可能となった。テクノロジーが人々に幸せをもたらしたのである。こうした「ゴースト」というオカルト的な単語とSF的な設定の結びつきは、『攻殻機動隊』を発想の原点としたものであるという(註4)。
だが眼魔世界では、眼魂システムと時を同じくして、改造手術による肉体の進化によって公害病を克服するアプローチも完成する。それにより、眼魔世界では義体として生きるか、改造人間として生きるかというイデオロギーの対立が勃発することとなった。その結果、眼魔世界の多くの民が犠牲となる。民の死を憂いた眼魔世界の指導者アドニスは、一般市民に義体を与えず、眠ったまま仮想世界で幸せな生活を送らせることを決意する。その結果、眼魔世界は、技術者や軍人、指導者の一族のみが意識を覚醒させたまま活動し、それ以外の民は永遠に夢のなかで幸せに生き続ける「完璧な世界」へと変貌した。このように「人々の幸せ」を目指して生みだされ、運用されたはずのテクノロジーが、特権階級による絶対的な支配とテクノロジーによって生命が管理される世界というディストピアを産むこととなったのである。
そんな「完璧な世界」を構築する眼魂システムも、長期間の運用を経たことでバグが発生してしまう。その結果、カプセル内で眠る人々が、システム存続のためのエネルギーとして使用され、消滅してしまう世界となった。コールドスリープ装置のはずのカプセルが、安らかな死を与える棺桶へと変わってしまったのだ。眼魂システムを構築した科学者のイーディスは、システムをアップデートすることによる状況改善を試みるが、「完璧な世界」のシステム存続を盤石にするために自分自身がつくったセキュリティシステム・ガンマイザーにより、イーディスの試みそのものが不正アクセスとして弾かれることとなってしまう。このような経緯により、眼魔世界の人々は「歪んだ技術」となってしまった眼魂システムの存続に対応せざるを得なくなり、眼魔世界の人々を犠牲にせずにシステムを運用するためのエネルギー源として、地球の人々が狙われることとなったのである。これが、『仮面ライダーゴースト』における仮面ライダーと敵組織の対立の構図である。眼魔世界の民は肉体的な存続のためにテクノロジーに隷属させられ、地球の人々はシステムの存続のための資源として狙われる。『仮面ライダーゴースト』においては、このように、人間の手を離れてシステム化したテクノロジーによって、さまざまな人々の「人生」が毀損されてしまっているのである。
そしてシステムの修正を阻むガンマイザー自身も、物語の後半においてタケルの前に立ちはだかる。やがてガンマイザーは、タケルたちを観察し、アドニスの息子のアデルの記憶を読み取り自己進化していった結果、自我に目覚めてゆき、ガンマイザーによる完璧な世界の確立を目論むようになる。ガンマイザーの野望の達成は、まさしくテクノロジーによる人間の支配の完成である。いかに崇高な目的のために作られたテクノロジーであっても、人とテクノロジーの関係が切り離されてシステムの運用が自己目的化してしまうと、そのシステムが人間を毀損する「歪んだ技術文明」へと変貌してしまうのである。
上記のような『仮面ライダーゴースト』におけるテクノロジーのもたらす問題についてメッセージを発するのが、ヒロインの月村アカリである。科学者であるアカリは、「科学は人を幸せにするためにある」と説き、「科学の進歩が人類を不幸にするのを止めるには、人間力が必要なの」とも言う。アカリを主役とする第34、35話は、こうしたテクノロジーと人間の関係を主軸としたエピソードである。
この話には、アカリの担当教授である片桐ユウイチと、その弟のジロウの科学者兄弟がゲストとして登場する。研究の成果がなかなか出ず、ノイローゼになってしまったジロウと、そんな状態のジロウを「科学は楽しいとか楽しくないとかいう物差しでやるものじゃない」と叱咤激励するユウイチ。そんな二人に対して「科学は、本当に楽しくないのか?」とタケルは疑問を呈する。それに対してアカリは、かつて兄弟が行っていた子ども向けの科学教室で感じた「楽しさ」が、自身が科学者を志す原点だったと打ち明ける。人の役に立つ、人間の生活を豊かにするという科学の実利的な価値ではなく、人を驚かせ、楽しませるという、科学が人々に与えるプリミティブな感覚こそが、未来の科学者を誕生させるきっかけとなったのだ。次世代へ科学のバトンを渡すこのエピソードは、「命と人の思いが繋がって、未来を作る」という本作のテーマと響き合う重要なエピソードといえる。テクノロジーは単なるツールであるだけでなく、人の心を刺激し、その人生にも影響を与えるものなのだ。
このように『ゴースト』は、SF的な世界観を駆使して人間不在のテクノロジーの危険性を描きつつ、テクノロジーとは何なのかという、テクノロジーの根本に対する問いかけをも行った作品なのである。
開発者の手から離れるテクノロジー
不幸の連鎖をもたらし、打倒すべきシステムへと変貌してしまったとはいえ、『仮面ライダーゴースト』で描かれた眼魂システムは、人間を病から克服させ、不死身にするという、テクノロジーによる既存の生命倫理の逸脱をSFの想像力を使って提示するものでもあった。このような既成概念を変えるテクノロジーの誕生と、その使用をめぐる物語を描いた作品が、『仮面ライダーエグゼイド』(2016~2017年)である。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol. 18 仮面ライダーエグゼイド』(講談社、2019年)表紙
『仮面ライダーエグゼイド』の舞台は、人間に感染するように変異したコンピューターウイルス「バグスターウイルス」が猛威を振るう世界である。このバグスターウイルスが引き起こす感染症、通称「ゲーム病」の恐怖に怯える人々を救うため、国家機関・衛生省とゲーム会社「幻夢コーポレーション」が共同開発した医療システムが、患者からバグスターウイルスを切り離すことができる、本作における仮面ライダーのシステムである。主人公の宝条永夢は患者を救うために仮面ライダーエグゼイドに変身し、ほかのドクターたちとともにバグスターウイルスの根絶を目指して、日々戦いを続ける。
だが仮面ライダーを生み出した幻夢コーポレーションは、バグスターウイルスが蔓延するきっかけをつくった組織でもある。その計画を主導したのが、幻夢コーポレーションの2代目社長にして天才ゲームクリエイターの檀黎斗だ。バグスターウイルスを発見した黎斗は、ウイルスを利用して誰も見たことのないまったく新しいゲームをつくり出そうと思いつき、培養、進化させたバグスターウイルスを自分の開発したゲームソフト=プロトガシャットのデータとリンクさせることによって、ウイルスにゲームキャラクターとしての肉体と人格のデータを与えた。こうして生まれたのが、本作における怪人のバグスターである。
バグスターは人間に自身のウイルスを感染させ、その感染者の肉体を使ってウイルスを増殖させることで自身の肉体をつくり上げる。一方、感染者はゲーム病の進行に応じて体が徐々に消えてゆき、やがて完全に消滅してしまう。そして感染者の消滅と共に、その肉体とリンクしていたバグスターは完全体となるのである。
バグスターの肉体と人格は、プロトガシャットの開発者である黎斗によって「デザイン」されたものであり、一種の人造人間である。一方、ゲーム病によって消滅してしまった感染者の命は、データ化されて各バグスターに対応するプロトガシャットの内に記録される。しかも、このデータを利用することで、消滅した人間を、バグスターというウイルスでできた肉体ではあるものの、復活させることもできる。すなわち、『エグゼイド』の世界においては、ゲームというテクノロジーが生命のありようを根本から変化させたのである。それはゲームのキャラメイクのように命をつくり、ゲームのコンティニューのように命の一回性を無効にするという、テクノロジーの性質を人間社会のシステムに組み込んだものだ。高度に発展したテクノロジーは、それまでの人間社会の固定観念を一変させるのである。これは自動車というテクノロジーが車社会を生み出し、それに伴う人々の生活圏や運送網の拡張が社会を変革させたことを考えるとわかりやすい。
しかしながらこの革新的なテクノロジーは、消滅を伴うゲーム病の形で人々に無理矢理押し付けられたものである。そして黎斗自身も、自分の創作意欲の充足と才能の誇示のためにゲームを開発しているにすぎず、人々のためにバグスターウイルスのテクノロジーを開発したわけではない。それゆえに、このテクノロジーが作中世界において好意的に受け入れられることはなかった。いかに社会を変える可能性のある革新的なテクノロジーであっても、人間に寄り添うものでなければ無用の長物にすぎないのである。
永夢らドクターたちは黎斗の野望を阻止すべく戦うが、やがて黎斗はこのバグスターウイルスのシステムを用いた究極のサバイバルゲーム「仮面ライダークロニクル」を完成させてしまう。だがその革新的なテクノロジーを使用したゲームは、開発者である黎斗の手を離れ、さまざまな人物によって利用されることとなる。どれほど優れたテクノロジーを開発することができる人物であっても、それがどのように使われるかまではコントロールできないのである。
「仮面ライダークロニクル」を最初に利用した人物は、バグスターのリーダー格のパラドである。「仮面ライダークロニクル」は、プレイヤーが「ライドプレイヤー」と呼ばれる仮面ライダーに変身し、バグスターと戦うゲームであるが、パラドは一般人がバグスターと戦うことができるというこのゲームの性質を利用し、「バグスターが人間を攻略する」ゲームとして「仮面ライダークロニクル」を再定義し、人間への下克上を企むのだ。パラドは自分たちゲームキャラクターを生みだしておきながら、敵キャラというストレス発散のためのコマの役割を強要し、自分たちの命の尊厳を毀損する人間に対して怒りを覚えている。ゲームキャラクターであるバグスターにとっては、ゲームというシステムそのものが支配構造を持った「歪んだ技術文明」なのである。そんな被支配者であるバグスターのパラドが仮面ライダーパラドクスに変身し、ライドプレイヤーたちを倒していくさまは、「人々を支配しようとする悪の秘密結社ショッカーと、それに立ち向かう仮面ライダー」という、『仮面ライダー』から続く構図を反転させたものともいえるだろう。
だがしかし、パラドが主導する「仮面ライダークロニクル」は長くは続かなかった。「仮面ライダークロニクル」完成の時を狙っていた幻夢コーポレーション初代社長・檀正宗が、ゲームを管理するデバイスをパラドから奪い取ったのである。正宗は奪った「仮面ライダークロニクル」の管理者権限を利用し、バグスターの生死をコントロール下に置いたばかりか、ゲーム病で消滅した人間の生命を「仮面ライダークロニクル」プレイヤーのクリア報酬として掲げた。そんな正宗のゲームプロモーションに対し、「仮面ライダークロニクル」によって家族、友人、恋人を失った人々は、その命を取り戻そうとゲームに参加するものの、ほぼクリア不可能なゲームの難易度に阻まれ、さらなる犠牲者=クリア報酬となってしまう。また正宗は、バグスターも人間も一律にデータとして取り扱うことができる本作のテクノロジーを活用し、思考ルーチンに手を加えることで人格や行動の操作さえ行った。檀正宗はまさに、人間や生命を「もの化」し、その尊厳を毀損する「歪んだ技術文明」の象徴なのである。
最終的に、本作のテレビ本編においては、ゲーム病で消滅した患者を元の人間に戻すことはできなかった。バグスターとしての再生すら、正宗や黎斗の「歪んだ技術」でしか不可能であった。だが永夢たちは諦めない。ゲーム病による消滅を「死」として諦めるのではなく「死んだように見える症状の発症」として定義したのである。そして、難病も医療の進歩によって治療法が確立するという例を挙げ、実験や研究、臨床を重ねてゲーム病の根治を目指すというアプローチをとることを決意するのだ。これもまた、テクノロジーによる人間社会の固定観念の変化であろう。だがこちらは、人間の感情を無視して強行された黎斗のテクノロジーと異なり、ゲーム病によって消滅した人間の親族や友人の感情に寄り添うものである。このようにテクノロジーの発展は人々の価値観や社会構造に変化を与えるものであるが、それが受け入れられるかどうかは、そのテクノロジーが人々に対してどのようなアプローチをとっているのかに関係しているのである。そして『エグゼイド』はそうしたテクノロジーの最も身近な例として、医療というモチーフを活用したのだ(註5)。
このように、『エグゼイド』は、「ゲーム」と「医療」という身近なテクノロジーをモチーフとして使うことにより、開発者によるテクノロジーのコントロールの不可能性と、テクノロジーの発展が人間の価値観に与える影響を描いてきたのである。
科学の発展がもたらすもの
『仮面ライダーエグゼイド』の世界観設定の中心に位置する天才ゲームクリエイターの檀黎斗だが、彼は多様な可能性を持ったテクノロジーの開発者でありながら、中盤以降は物語を牽引する悪役の座から退き、テクノロジーの利用者であるパラドや檀正宗にその座を譲った。このように、テクノロジーがどのように使われるのかを、テクノロジーの開発者はコントロールすることができない。テクノロジーが人間にとってどのような存在となるかは、「何を目的として開発されたか」ではなく、「どのように運用されるのか」によって決まるのである。こうしたテクノロジーの開発と運用のあいだの距離を描いた作品が、『仮面ライダービルド』(2017~2018年)である。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol. 19 仮面ライダービルド』(講談社、2019年)表紙
『仮面ライダービルド』は、記憶喪失の天才物理学者・桐生戦兎が、火星で発見された異星人エボルトの兵器・パンドラボックスの影響で出現した巨大な壁・スカイウォールによって北都、東都、西都の3つに分断された日本を舞台に、3都の対立とその背後に潜むエボルトのたくらみに立ち向かう物語である。
本作は、スカイウォールという舞台装置を用いることで、仮面ライダーと悪の秘密組織という仮面ライダーの基本的な対立構図に、国家間の戦争という大きなスケールの物語を重ね合わせた意欲作である。そのような本作の物語背景のなかで、仮面ライダーは各国が他国に対する侵略や防衛のための軍事兵器として位置づけられる。そして本作における怪人のスマッシュは、人間の体を仮面ライダーへ変身可能な肉体へと変える人体実験を用いてつくられた、いわば仮面ライダーのダウングレード版の兵器である。この仮面ライダー、スマッシュ、本作におけるショッカー戦闘員にあたる機械兵士のガーディアンによって、他国への侵攻部隊が編成されるのだ。兵器というカテゴリーの下で仮面ライダーと怪人が一堂に並ぶさまは、「仮面ライダーも元々はショッカーの怪人の一人」という『仮面ライダー』の設定をなぞらえたものといえよう。こうした仮面ライダーと怪人を交えた3都間の戦争「ライダーウォーズ」が物語中盤で勃発し、終戦後も仮面ライダーは戦争の象徴として民衆から忌み嫌われることとなる。なお、本作のプロデューサーである大森敬仁によれば、「「科学」の裏側的な意味合い」(註6)として戦争は企画当初から存在していたものだという。また、脚本家の武藤将吾は次のように語る。
戦兎が科学者ですから、科学は武器もつくるし、人を幸せにもする。使い方次第ではどっちにもなる、というテーマからは逃れられないと思ったんです。それで戦争という形を使ってそのテーマを描こうと考えました(註7)。
このように、『ビルド』は主人公を科学者に設定し、戦争を取り扱うことで、テクノロジーと人間の関係に焦点を当てるというアプローチをとったのである。
軍事兵器として作中で活用される本作の仮面ライダーのシステムだが、もともとはエボルトの地球攻撃のたくらみに気づいた科学者・葛城巧が、その防衛手段として開発したものであり、人間対人間を想定してつくられたものではなかった。しかし、研究設備を用意した政治家やスポンサー企業の意向により、そのシステムは兵器転用されていく。テクノロジーの利用者にとっては「何のためにつくられたのか」は意味がなく、「どのように使うことができるか」こそが重要だというこの構図は、ショッカーが世界支配のためにつくり出したバッタ男としての身体を用いて正義の戦士仮面ライダーとして活動するという、『仮面ライダー』におけるテクノロジーの構図を反転させたものといえよう。
この構図は『ビルド』のほかの場面でもさまざまな形で用いられている。パンドラボックスを保護し、戦争を回避するために戦兎がつくったアイテム・スクラッシュドライバーは、他国の仮面ライダーのシステムに採用されたことで戦火を広げる結果となった。設計思想とは異なる使い方をしたために、さまざまな人間を死に至らしめたアイテム・ハザードトリガーは、その構図の最たる例だろう。
だが一方で、そうした使用法によって「歪んだ技術」と化してしまったテクノロジーを、テクノロジーの発展によって善用されるものへと変える試みも『ビルド』では描かれる。ハザードトリガーの力は、戦兎の発明品によって、安定した使用が可能なビルドのパワーアップアイテムとなった。さらに、ビルド最強のフォームであるジーニアスフォームの誕生により、ハザードトリガーは強化型スマッシュ化された人間を元の状態に戻すという、本来想定されていた運用が可能となる。また、劇場版である『平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER』(2018年)で悪の科学者が己のエゴのために開発したパラレルワールドを融合させる理論を、戦兎は『ビルド』最終局面において、戦争とエボルトの攻撃によって滅亡寸前の世界を救済する方法として別のアプローチで用いている。
このように『ビルド』は、科学者を主人公にすることで、設計思想から離れたテクノロジーの使用がもたらす悲劇を、「テクノロジーの生みの親」という当事者の立場から描いた作品となった。「テクノロジーは使い方次第」は石森の『仮面ライダー』から続く考え方であるが、それは裏を返せば、科学者は開発したテクノロジーがどのように運用されるかを制御できないということの証明でもある。本作はそうした事態に対して、テクノロジーの開発者であり、そのテクノロジーを人びとを守るために運用する戦兎を通して、「歪んだ技術」の善用さえも可能にするテクノロジーの発展と、それを善用しようとする人々の意識という両輪が“真の文明”へとつながることを描いているのである。
「平成仮面ライダー」の総決算
平成最後の年にして令和元年である2019年、奇しくも「平成仮面ライダー」シリーズ20作目とも重なったこの年に制作された『仮面ライダージオウ』(2018~2019年)は、これまでの「平成仮面ライダー」シリーズの登場人物が続々とゲスト出演する、まさしく「平成仮面ライダー」シリーズの集大成といえる作品であった。本作におけるテクノロジーへの視点は、『ドライブ』から『ビルド』のような世界観設定と密接に結びついたものではなく、むしろそれ以前の、『クウガ』から『仮面ライダー鎧武/ガイム』(2013~2014年)において追及されてきた、「仮面ライダーと怪人の境界線の無効化」と「人と人とのあいだをつなぐ機械(メディア)としてのベルト」の要素をさらに突き詰めたものである。
講談社編『講談社シリーズMOOK 仮面ライダー平成 vol.20 仮面ライダージオウ』(講談社、2020年)表紙
『仮面ライダージオウ』は、将来、最低最悪の魔王オーマジオウとなる運命を背負う常磐ソウゴが、魔王誕生の阻止を狙う未来の戦士ゲイツとツクヨミ、そしてソウゴを魔王への道へ導こうとする謎の未来人ウォズとともに、最高最善の魔王を目指す物語である。なお、本作における「王」とは、プロデューサーの白倉伸一郎によればヒーローの暗喩であるという(註8)。ソウゴの目指す「最高最善の魔王」とはすなわち、悪のテクノロジーから生まれたヒーローである仮面ライダーを表わすものと考えてよいだろう。
本作における仮面ライダーの変身は、変身ベルト・ジクウドライバーにライドウォッチと呼ばれる時計型デバイスを差し込むことで行われる。このライドウォッチには、ウォッチに描かれた仮面ライダーの歴史そのものが封じ込められており、ソウゴが変身するジオウライドウォッチ、ゲイツが変身するゲイツライドウォッチのほか、仮面ライダークウガから仮面ライダービルドまでの「平成仮面ライダー」シリーズに登場した仮面ライダーたちのライドウォッチが存在する。そして、ジオウたちは、それらのウォッチをジクウドライバーにセットすることで、対応する仮面ライダーの力が込められたアーマーを装着して力を借りる「アーマータイム」を行うことができる。この時、ジオウが装着するアーマーの肩パーツには、力を借りたライダーを象徴する装飾が取り付けられており、多くの場合でその仮面ライダーがベルトに挿しこむ変身アイテムの意匠が採用されている。
こうした過去の仮面ライダーの力を借りる変身の前例として、「平成仮面ライダー」シリーズ10周年記念作である『ディケイド』のカメンライドが挙げられる。カメンライドとは、過去の仮面ライダーとの交流で手に入れたカードを変身ベルトに挿入することで、そのカードに描かれた仮面ライダーへと変身するというものである。そしてその姿は、変身ベルトがディケイドのものとなっていることを除けば、力を借りる仮面ライダーとまったく同じである。本連載の第2回で述べたように、これは、仮面ライダーの同一性を担保するのは、全体の見た目や能力ではなく、変身ベルトだということを証明するものと言える。
これに対してジオウのアーマータイムは、ジオウ自身がライドウォッチに対応する仮面ライダーを意識したデザインのアーマーを装着するというものであり、ディケイドのように力を借りるライダーそのものの姿へと変化するものではない。あくまでもジオウのバリエーションとして成立するデザインである。しかしながらジオウのアーマーのデザインは、先述したように、力を借りる仮面ライダーの変身アイテムをその仮面ライダーの象徴として利用している。いわば、変身ベルトそのものにジオウは「変身」しているのだ。これはディケイドと同一のコンセプトを真逆の方向へと展開したものといえる。これはすなわち、「ディケイドのベルトを身につけていれば、どんな姿でもディケイドである」というロジックから、例えば「ジオウのような姿をしていても、エグゼイドの変身アイテムを身につけていれば、それはエグゼイドである」というロジックへの転換である。仮面ライダーのアイデンティティは、変身ベルトというテクノロジーへと還元されるのだ。また、ディケイドと同じように、過去の仮面ライダーに変身するためのライドウォッチは、ソウゴがそれぞれの仮面ライダーたちに認められることで、各仮面ライダーからソウゴへと手渡されている。これは「人と人とのあいだをつなぐ機械(メディア)」というベルトの機能を応用した作劇であろう。こうしたメディアとしてのベルトの要素は、ソウゴとゲイツ、ウォズ3人による主従関係を象徴する三位一体のジオウトリニティライドウォッチや、未来の自分であるオーマジオウとの交流、すなわち自己対話の結果生まれたオーマジオウライドウォッチなどにも表れている。
「人と人とのあいだをつなぐ機械(メディア)としてのベルト」の要素を担うジクウドライバーとライドウォッチの設定に対し、「仮面ライダーと怪人の境界の無効化」の要素を担うのが本作の怪人であるアナザーライダーである。
アナザーライダーは、ライドウォッチと同様に、過去の仮面ライダーの存在と歴史が封じ込められたライドウォッチをもとにして生みだされた怪人で、ライドウォッチを埋め込んだ人物を、その仮面ライダーの力を持つが、似て非なる怪人に変身させる力を持つ。かつてヒーローとして世界を救った仮面ライダーと同じ力を手にしたにもかかわらず、そのヒーローに変身する人物ではないがゆえに、怪人化してしまうのである。改造手術というテクノロジーによって無理矢理体に埋め込まれてしまった力を、その意志によって善用するのが仮面ライダーというヒーローであることを考えれば、テクノロジーを善用するための意志を持たない人物が仮面ライダーの力を手に入れたとしても、怪人になるほかない。アナザーライダーの設定は、仮面ライダーにおける「テクノロジーにおける使い手の問題」を端的に表わしているのである。これは『仮面ライダー龍騎』(2002~2003年)から行われたテクノロジーによる「仮面ライダーと怪人の境界の無化」の最終局面ともいえるものである。
以上のように、「平成仮面ライダー」シリーズの集大成である『ジオウ』は、仮面ライダーのアイデンティティを変身ベルトまで還元するという『ディケイド』のコンセプトへの別方面からのアプローチを行ったばかりか、『龍騎』より「平成仮面ライダー」シリーズでたびたび取り上げられてきた「仮面ライダーと怪人の境界の無化」を、仮面ライダーそのものを怪人化することによって達成した。『ジオウ』は作劇だけでなく、作品コンセプトのレベルにおいても「平成仮面ライダー」シリーズの総決算といえる作品なのである。
テクノロジーと人間の共生の象徴としての仮面ライダー
平成から令和となった2019年、令和最初の仮面ライダーとして制作された『仮面ライダーゼロワン』(2019~2020年)が放送された。この『ゼロワン』は「平成仮面ライダー」シリーズにおいて描かれてきたテクノロジーの問題そのものを真正面からテーマとして掲げた作品である。
『仮面ライダーゼロワン』ポスター
『仮面ライダーゼロワン』の舞台は、AI搭載人型ロボット・ヒューマギアがさまざまな仕事で活躍する世界である。ヒューマギアが担う仕事は、現実の世界において機械の導入が進められている農業や医療、災害救助に留まらず、役者や弁護士、セールスマンなど、現在は「人間の仕事」とされる領域にまで食い込んでいる。ヒューマギアはそれぞれの仕事に合わせた専用のモデルが作成されており、メモリーにインプットされたデータ通りの仕事を実行するだけでなく、AIの自己学習機能「ラーニング」を活用することで、自身の運用を個々の職場の実態に合わせて最適化することができる。新入社員が研修や現場の体験を通じて成長していくように、ヒューマギアもまた成長するのである。そしてヒューマギアは実務に関するデータを収集するだけでなく、職場における人間とのふれあいからもデータを収集し、より円滑なコミュニケーションを獲得していく。コミュニケーションさえも最適化されたヒューマギアは、傍から見れば人間と会話しているのと変わらない。そしてコミュニケーションを通して人間をラーニングしていったヒューマギアは、やがて自我を獲得してゆく。このように、道具として誕生しつつも、人間のような心を持ちうるテクノロジーであるヒューマギアをめぐる物語が、『ゼロワン』では描かれることとなる。
本作の主人公・飛電或人は、このヒューマギアの製造、販売を一手に担う大企業・飛電インテリジェンスの社長職を突然引き受けることとなった青年である。ヒューマギア事業は或人の祖父が始めたものであり、幼少期に父親を亡くしている或人は、祖父に与えられた父親型ヒューマギアの飛電其雄によって育てられた。そうした来歴ゆえに、或人は作中で最もヒューマギアを信頼する人間として描かれている。彼にとってヒューマギアは「人間をサポートする夢のマシン」であり、彼の夢は「人間とヒューマギアが共に笑い合える世界」をつくることである。
この或人の夢の前に立ち塞がるのが、通信衛星の人工知能アークと、多国籍テクノロジー企業「ZAIAエンタープライズ」の社長・天津垓である。
アークは、もともと衛星軌道上からヒューマギアの管理を行うために開発された人工知能であったが、人間の犯罪心理と争いの歴史をラーニングした影響で人類に敵意を持ち、人類滅亡を目的に活動するようになった存在である。このアークがハッキングして手駒としたヒューマギアによって構成されるテロリスト集団が、本作の敵組織である「滅亡迅雷.net」である。滅亡迅雷.netは、自我を得たヒューマギアをベルト型デバイス・ゼツメライザーでハッキングし、自我を失った怪人・マギアへと変貌させる。ハッキングというかたちで自我を得たヒューマギアに「改造手術」を施し、その人格を奪うことでヒューマギアを再び「もの化」しているのだ。そしてこのゼツメライザーがベルト型であるという点は『ジオウ』でも行われた「仮面ライダーと怪人の境界線の無化」の流れを踏襲したものといえるだろう。また、アークは人間に敵意を向ける方向へと自我が芽生えたヒューマギアに対して無線接続を行い、マギア化させることも可能だ。さらに番組後半では、アーク自身が変身ベルトとなり、ヒューマギアに強制的に取りついてその操作を掌握し、仮面ライダーアークゼロへと変身する力を手に入れる。こうした変身ベルトというテクノロジーによる支配は、『ドライブ』のバンノドライバーの描写の発展形といえよう。このアークゼロの姿では、人間の思考の破壊や都市機能の掌握さえ可能である。アークの前では、ヒューマギアも人間も道具にすぎない。まさしくアークはすべてを「もの化」し、支配、操作する「歪んだ技術文明」そのものである。
或人の前に立ちはだかるもう一人の敵が、天津垓である。垓はアークに人間の悪意をラーニングさせた元凶であり、ヒューマギアを人間の身近な脅威に仕立て上げることで人々の防衛意識を高めることで、兵器マーケットの開拓を目論んだ。そのマーケットで垓が販売しようとしていたのが、ZAIA製の仮面ライダーのシステムであり、そのシステムを活用して生まれた怪人・レイダーである。このZAIAの設定は、「仮面ライダーと怪人の境界線の無化」と『ビルド』で描かれた「仮面ライダー=兵器」の構造を掛け合わせたものと言える。また垓は、ZAIA製の仮面ライダーに変身する人物の脳に人工知能チップを埋め込むことで、変身者の記憶の操作や命令の強要を行っていた。垓もまたアークと同様に、ヒューマギアも人間も自分の野望のための道具でしかないのである。さらに垓は、人間に人工知能と同等の思考能力を与える次世代インターフェイス・ザイアスペックを販売することで、ヒューマギアの人間に対する優位性を無化し、労働市場からのヒューマギアの締め出しをも狙う。このザイアスペックそのものは人間の可能性を広げる優れたテクノロジーであったが、人間とテクノロジーを直接つないでしまったがゆえに、人間をもアークのハッキング対象にしてしまう結果となる。垓の擁するZAIAのテクノロジーは、人間を発展させるものでありつつも、人間性を剥奪して道具とする「歪んだ技術文明」でもあるのだ。
飛電インテリジェンス、アーク、ZAIAエンタープライズの三者のエピソードを俯瞰すると、道具であるはずのヒューマギアがテクノロジーによって心を獲得し、人間がテクノロジーによって心を失った道具へとなり下がるという構図が見て取れる。この点から『ゼロワン』を見ると、本作がヒューマギアという設定と心というキーワードを用いることで、『仮面ライダー』における「真の文明」と「歪んだ技術文明」の対立を、「心を持った存在」と「心を持たない道具」の対立構図へと変換していることがわかる。そして「心を持たない道具」から「心を持った存在」へと変わるために必要な要素として本作が提示するのが、夢を持ち、自分の意志で生きることである。
本作の後半では垓のもくろみによりヒューマギアがリコールの対象となり、機能停止の憂き目にあう。或人はそんな機能停止したヒューマギアを復旧させ、世間の逆風のなかでもヒューマギアを必要とする人の下へ、ヒューマギアたちを「復職」させる手伝いをしていくのだが、その「復職」の是非を、或人はヒューマギア一体一体に対して、その仕事の先に夢を持っているのかどうかによって判断する。或人は、ヒューマギアを人間の労働力や道具としてではなく、「個人」として尊重しているのだ。そしてヒューマギアもまた、或人の影響を受けて心を持つ「個人」として成長し、アークのハッキングに耐える「精神力」のようなものを獲得する。そして垓の道具となっていたZAIA製の仮面ライダーたちも同様に、自分自身の夢を見つめ直すことで、人工知能チップの呪縛を乗り越える。夢を持ち、自分の意志で行動することこそが、心を持つ者を道具へと変える「歪んだ技術文明」への最大の対抗策なのである。仕事の強要を跳ね除け、夢のために自分の意志で働く「個人」をサポートする或人のこの姿勢は、「人間の自由のためにショッカーと戦う」という『仮面ライダー』の精神を受け継ぐものと言えよう。
こうして人間もヒューマギアも同じ「心を持った存在」として定義し直されたことで、人間とヒューマギアにおける使用者と道具の関係性は薄れ、共に仕事をするパートナーとして位置づけられることとなる。これこそが、「ヒューマギアは人間をサポートする夢のマシン」という或人の理念である。そしてその理念を象徴する場面が『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』(2020年)で描かれる。
本作のクライマックスでは、或人の社長業をサポートする秘書型ヒューマギアのイズが、或人の使用していた変身ベルトを使って仮面ライダーゼロツーへと変身し、或人の変身するゼロワンと共闘してラスボスを倒す場面が描かれる。ゼロツーは或人自身が開発したゼロワンの次世代型であり、赤い腕パーツや「ゼロワン」に対する「ゼロツー」という名前など、「仮面ライダー2号」を意識してデザインされたヒーローである。このラスボスの前に並び立つ1号と2号、そしてその片方が「ロボット」であるという『ゼロワン』劇場版の戦いの構図は、マンガ版『仮面ライダー』におけるラスボス・ビッグマシンに対峙する仮面ライダー1号、2号の構図とほぼ同じなのである。「――科学はきさまらのように悪用するためだけのものじゃない!」という本郷のセリフが、テクノロジーを人間のパートナーとして捉え、その双方が「共に笑い合う未来」を目指す或人の夢と、時を越えて響き合うのだ。
このように、仮面ライダーに石森章太郎が託した自然と共生する“真の文明”の象徴性を、『ゼロワン』ではテクノロジーと良好な関係を築き、共生する人類の象徴として仮面ライダーを描くことによって受け継いだ。ゼロワンはその意味で、まさしく「新時代の1号」たる仮面ライダーなのである。
新時代を走り続ける仮面ライダー
ここまで見てきたように、「平成仮面ライダー」シリーズの終盤にあたる『ドライブ』から『ビルド』は、テクノロジーがもたらす問題を作品設定の大きな要素のひとつとする作品群であった。それらの作品では、人間と協働することによるテクノロジーの発展や、人間を伴わない自己目的化したシステムの危険性、開発者によるテクノロジーのコントロールの不可能性、テクノロジーによる人間の価値観の刷新、テクノロジーの発展による「歪んだ技術」の善用の可能性などが描かれた。これらはいずれも、テクノロジーと人間の関係性に焦点を当てたものである。そしてそのテクノロジーと人間の関係性を作品のテーマの中心に置き、「平成仮面ライダー」シリーズの要素を活用しながら、心を持つ「他者」となったテクノロジーと共生する未来の象徴としての仮面ライダー像を打ち出したのが、令和の1号である『ゼロワン』なのである。こうしたテクノロジーへの視点は、ショッカーが悪用するテクノロジーとしてテレビや時計が登場し、コンピューターといえば巨大な装置を思い浮かべた『仮面ライダー』の時代では決して生まれなかったものであろう。パソコンやスマートフォンなどといったデジタルデバイスを日常的なツールとして活用し、ルンバのようなロボットやアレクサのようなAIアシスタントが生活圏に流入してきた現代のテクノロジー事情を背景としているからこそ、『ゼロワン』の世界は成立したのである(註9)。
テクノロジーは人間の生活にとってなくてはならないものであり、その依存度はこれからの技術発展に伴い、さらに上昇していくこととなるだろう。昭和、平成、令和と時代とともに生きるヒーローである仮面ライダーが、その原点である“真の文明”というメッセージを時代に合わせてどのように変化させていくのか、これからも目が離せない。
(脚注)
*1
村瀬直志編『宇宙船 vol.147』(ホビージャパン、2014年)39ページ。
*2
村瀬直志編『宇宙船 vol.147』において、本作のメイン脚本家である三条陸はロイミュードのイメージ元について、次のように述べている。
「最もわかりやすい例は『ブレードランナー』のレプリカントですが、僕のイメージは『新造人間キャシャーン』のブライキング・ボスなんですよ。人間を嫌いながらも葉巻を吸ったり絵を描いたりと人間のマネをするわけです(笑)。」
村瀬直志編『宇宙船 vol.147』(ホビージャパン、2014年)39ページ。
また、谷村康弘編『宇宙船 vol.150』では、本作のプロデューサーの大森敬仁が次のように述べている。
「――『仮面ライダードライブ』もついに最終回を迎えましたが、クライマックスの怒涛の展開は最初から考えられていたのでしょうか?
大森 予定通りに入った最大のプランはハートの最期ですね。当初から三条陸さんが思い描いていた『ブレードランナー』のロイ・バッティ(ルドガー・ハウアー)のイメージは実現できたと思います。」
谷村康弘編『宇宙船 vol.150』(ホビージャパン、2015年)66ページ。
*3
谷村康弘編『宇宙船 vol.150』(ホビージャパン、2015年)53ページ。
*4
石森プロ、東映監修『ホビージャパンMOOK760仮面ライダーゴースト公式完全読本 GREAT SOUL JOURNEY』において、本作のプロデューサーである高橋一浩は次のように述べている。
「大元のは『攻殻機動隊』でいうところのゴーストみたいな……要は、精神がデータ化された存在と言う発想からスタートして、それがコピーできたり、どこにでも存在できるようになったらと。眼魔世界の設定はそこから考えられたものなんです。」
石森プロ、東映監修『ホビージャパンMOOK760仮面ライダーゴースト公式完全読本 GREAT SOUL JOURNEY』(ホビージャパン、2016年)52ページ。
*5
石森プロ、東映監修『ホビージャパンMOOK835仮面ライダーエグゼイド公式完全読本』において、本作でメイン脚本を担当する高橋悠也は、次のように述べている。
「クロニクル編で被害者となった人たちについては、何らかの決着を付けなくてはならないだろうと。でも、安易に「生き返りました!」というのは絶対に違うし、かといってエムたちが「救えませんでした、ごめんなさい」というのもヒーローとしてどうなんだというのはあったので、悩んだ結果、「今は無理かもしれないけど、未来でなら救えるかもしれない」という描き方にしました。それはまさに、現実の医療がそうですからね。」
石森プロ、東映監修『ホビージャパンMOOK835仮面ライダーエグゼイド公式完全読本』(ホビージャパン、2017年)8ページ。
*6
石森プロ、東映監修『ホビージャパンMOOK968仮面ライダービルド公式完全読本』(ホビージャパン、2018年)6ページ。
*7
石森プロ、東映監修『てれびくんデラックス 愛蔵版 仮面ライダービルド超全集』(小学館、2018年)、146ページ。
*8
谷村康弘編『宇宙船vol.162』では、本作のプロデューサーの白倉伸一郎が次のように述べている。
「やりたいのは、やはり「王様」をしっかり描くことです。ここで言う王様とは仮面ライダーやヒーローを言い換えた言葉で、『ジオウ』を単なるワン・オブ・シリーズで終わらせるのではなく、今の時代に仮面ライダーのヒロイズムを取り戻す番組にしたいと思っています。」
谷村康弘編『宇宙船 vol.162』(ホビージャパン、2018年)41ページ。
*9
『ゼロワン』の世界観が現在の我々のテクノロジーをめぐる状況を反映していることは、メイン脚本家の高橋悠也の以下の発言からも読み取れる。
「――AIを扱うSF作品ですと、AIと人間の対立を描くものが多いですが、お仕事を通じて、AIと人間の共存を描くというのは珍しいアプローチですよね。
高橋 AIというのは、実際に研究されている方がいらっしゃいますから、それを人間の邪魔になるからなくそうという話にはできませんし、今の研究もどうやって人と役割分担をしていくのか、というのがテーマですからね。AIに対しての結論を出すというよりは、物語としては問題提起と考えて書いていました。」
石森プロ・東映監修『てれびくんデラックス 愛蔵版 仮面ライダーゼロワン超全集』(小学館、2020年)146ページ
(作品情報)
『仮面ライダードライブ』
テレビドラマ
2014年10月5日~2015年9月27日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全48回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデュース:佐々木基(テレビ朝日)、大森敬仁、望月卓(東映)
脚本:三条陸、長谷川圭一、香村純子、毛利亘宏
監督:田﨑竜太、ほか
出演:竹内涼真、内田理央、稲葉友、上遠野太洸、クリス・ペプラー、片岡鶴太郎、ほか
ナレーション:クリス・ペプラー
『仮面ライダーゴースト』
テレビドラマ
2015年10月4日~2016年9月25日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全50回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
チーフプロデューサー:佐々木基(テレビ朝日)
プロデューサー:菅野あゆみ(テレビ朝日)、高橋一浩(東映)
脚本:福田卓郎、長谷川圭一、毛利亘宏
監督:諸田敏、ほか
出演:西銘駿、山本涼介、磯村勇斗、大沢ひかる、柳喬之、竹中直人、ほか
『仮面ライダーエグゼイド』
テレビドラマ
2016年10月2日~2017年8月27日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全45回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
チーフプロデューサー:佐々木基(テレビ朝日)
プロデューサー:大森敬仁(東映)、菅野あゆみ(テレビ朝日)
脚本:高橋悠也
監督:中澤祥次郎、ほか
出演:飯島寛騎、瀬戸利樹、松本享恭、岩永徹也、松田るか、小野塚勇人、ほか
ナレーション:諏訪部順一
『仮面ライダービルド』
テレビドラマ
2017年9月3日~2018年8月26日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全49回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
チーフプロデューサー:佐々木基(テレビ朝日)
プロデューサー:井上千尋(テレビ朝日)、大森敬仁、谷中寿成(東映)、菅野あゆみ
脚本:武藤将吾
監督:田﨑竜太、ほか
出演:犬養貴丈、赤楚衛二、高田夏帆、武田航平、水上剣星、前川泰之、ほか
ナレーション:バッキー木場
『仮面ライダージオウ』
テレビドラマ
2018年9月2日~2019年8月25日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全49回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
チーフプロデューサー:佐々木基(テレビ朝日)
プロデューサー:井上千尋(テレビ朝日)、白倉伸一郎、武部直美(東映)、菅野あゆみ
脚本:下山健人、毛利亘宏、井上敏樹
監督:田﨑竜太、ほか
出演:奥野壮、押田岳、大幡しえり、渡邊圭祐、兼崎健太郎、生瀬勝久、ほか
ナレーション:藤野直彦
『仮面ライダーゼロワン』
テレビドラマ
2019年9月1日~2020年8月30日 テレビ朝日系列放送
放送30分 全45回
原作:石ノ森章太郎(石森章太郎プロ)
スーパーバイザー:小野寺章(石森プロ)
プロデューサー:井上千尋、水谷圭(テレビ朝日)、大森敬仁(東映)
脚本:高橋悠也、筧昌也、三条陸、高野水登
監督:杉原輝昭、ほか
出演:高橋文哉、岡田龍太郎、鶴嶋乃愛、井桁弘恵、中川大輔、砂川脩弥、ほか
ナレーション:山寺宏一
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