1993年にアメリカで発行され、マンガ研究の基礎文献として位置付けられているスコット・マクラウド著『マンガ学 マンガによるマンガのためのマンガ理論』。日本では1998年に美術出版社より翻訳版が刊行され、その後手に入りづらくなっていたが、2020年、復刊ドットコムより「完全新訳版」として改めて出版された。本稿では2冊を比較しながら、当時と今とのマンガ研究のあり方を探る。

『マンガ学 マンガによるマンガのためのマンガ理論 完全新訳版』表紙

マンガ研究の重要な基礎文献

1998年に日本語訳版が出版されたスコット・マクラウドによる『マンガ学 マンガによるマンガのためのマンガ理論』(岡田斗司夫監訳、海法紀光訳、美術出版社、以下「旧訳版」)に続く完全新訳版である『マンガ学 マンガによるマンガのためのマンガ理論 完全新訳版』(椎名ゆかり訳、小田切博監修、復刊ドットコム、以下「新訳版」)が、2020年2月に刊行された。本書は、「マンガによるマンガのためのマンガ理論」と銘打たれているように、マンガという形式をもって描かれたマンガの理論的な研究という画期的な一冊である(ここでの「マンガ」とは、日本マンガのみならず、アメリカン・コミックスやバンド・デシネなどを含む総称である)。1993年に原著である『Understanding Comics: The Invisible Art』(註1)が出版されて以降、今日まで世界的に幅広くマンガ研究において重要な基礎文献として位置付けられている。ここでは、まず旧訳版と新訳版の変更点から見る、マンガを研究するという状況の変化と関連する本書が置かれる文脈の変化を確認する。そして、現在完全新訳版が出版されることの意義と、その再読の可能性について迫る。

マクラウド『マンガ学 マンガによるマンガのためのマンガ理論』(以下『マンガ学』)は、1985年のウィル・アイズナーによるマンガ論『Comics and Sequential Art』(註2)に強く影響を受けており、特にマンガを用いたマンガ論という実験的な一作として、また、その幅広い射程を早い段階から提示したことで、欧米のみならず世界的にマンガ研究の重要文献として扱われている。今回、新訳版が企画された経緯について、新訳版の翻訳者である椎名ゆかりは「はじめに」で、旧訳版が日本のマンガ研究においても基礎文献として扱われているにもかかわらず、刊行から時間がたち入手が困難になっていたこと、1998年と2020年のあいだにマンガ研究をめぐる言説が著しく変化したことを挙げている(註3)。マンガを学術的に研究することを推進するために日本マンガ学会が設立されたのが2001年であり、それ以後大学でマンガを研究する学生が増え、マンガを教える教員が珍しくなくなっている現在、改めて『マンガ学』を手に取りやすい形で提供できるようにという願いがあったということである。また、マンガ研究の状況が変化したことで、旧訳版の翻訳そのものを見直す必要性もあったという(註4)。

旧訳版と新訳版の違い

旧訳版と新訳版を読み比べてみると、その読後感や訳語についていくつかの相違点があることに気づく。まず、新訳版では、部分的に原著の英文や単語を日本語訳と併記している。一例を挙げれば、日本のマンガ研究でも引用されることの多い、マクラウドによるマンガの定義に関する部分の「連続する芸術」[sequential art](註5)や、「意図的な連続性をもって並置された絵やその他のイメージ」[juxtaposed pictorial and other images in deliberate sequence](註6)などである。これは旧訳版には見られなかったものである。また、いくつかの訳語が旧訳版から変更されている。例えば、旧訳版では「デフォルメ」と訳されていた「cartoon」という語は「カトゥーン」に、「補完」と訳されていた「closure」は「閉合」へと変更されている。

日本語訳と併記される原著の英文
『マンガ学 マンガによるマンガのためのマンガ理論 完全新訳版』15ページ(左)、17ページ(右)より

こうした違いから見えてくるのは、旧訳版と新訳版が捉える本書の読者層の違いとマンガ研究をめぐる国内外の状況の変化であろう。日本においてまだマンガ研究が定着していなかった1998年において、本書はマンガ研究に関心がない人を含めた一般読者を対象とし、「マンガに関する海外のおもしろい読み物」としてアピールする側面があったと考えられる。そのため、作中に登場するキャラとしてのマクラウドの口調などからも、厳密な原著のニュアンスを再現するという方向性よりもマンガ論に触れたことがない日本の読者にとってなじみやすいものとして提示しようという指向が感じられる。対して、新訳版はマンガ論やメディア論などに関心のある層がメインターゲットとして想定されているように感じられた。また、先述した英語の原文を併記している点からは、海外のコミックス研究を参照する日本のマンガ研究者が増えている状況を念頭に置いていると考えられるだろう。新訳版の背景には、マンガ研究の日本国内における定着と国際化がうかがえるのである。

『マンガ学』を読み解くための4つの視点

こうした経緯を経て新訳版が出版されることとなった『マンガ学』であるが、本書はこれまで国内外でさまざまな議論を引き起こし、批判・検討されてきた。今日、約30年前に発表された本書を改めて読み直す際に、ひとつの指標となるであろう観点を、主にジャクリーヌ・ベルントによる旧訳版への書評や、新訳版の翻訳者である椎名による新訳版の書評を基に、これまでの議論をまとめる形で提示しておきたい(註7)。

1点目としては、日本における同時期のマンガ論である相原コージと竹熊健太郎によるマンガでマンガの描き方を描いた『サルでも描けるまんが教室』(小学館、1990~1992年、全3巻)や、夏目房之介・竹熊健太郎らによる『別冊宝島EX マンガの読み方 わかっているようで、説明できない! マンガはなぜ面白いのか?』(宝島社、1995年、以下『マンガの読み方』)など、マンガに固有な表現の特質について追及しようとする後の「マンガ表現論」へとつながる書籍と比較する視点である。椎名は前掲書評においてこの『マンガの読み方』と『マンガ学』の比較について「この2冊は製作された国が違うだけではなく、それぞれの作者たちの抱く問題意識がかなり違う。それなのに、これまではその違いを踏まえることなく比較され、論じられてきた」と指摘している(註8)。『サルでも描けるまんが教室』や『マンガの読み方』の出版は『マンガ学』とほぼ同時期であったが、直接的な交流や影響関係があったわけではない(註9)。マクラウドと夏目や竹熊らの著作がマンガに固有な表現の仕組みへの探求という共通点があるにせよ、それぞれの作者の問題設定や前提とするマンガ状況が大きく異なる(註10)。椎名によれば、『マンガの読み方』で「マンガ」とは日本マンガを指すものであり、夏目たちは日本社会において幅広い世代でマンガが読まれることが一般化しており、マンガに対して高度なリテラシーを読者が共有していることを自明視しているのに対し、『マンガ学』の場合、マクラウドはマンガの社会的・文化的地位が低く特に大人の読者にとって単なる子どもやマニアに向けた娯楽だと思われていたアメリカ社会を前提として、「マンガ」というものの文化的価値を証明しようとしている。椎名は、こうした文脈を踏まえない比較をすることの無自覚さを批判する。

2点目は、1点目とも関連するが、芸術とマンガとの関係性である。ベルントが、「『マンガ学』は根底においてモダン・アートをその方法論的拠り所としている」と指摘するように(註11)、マクラウドは美術史的な流れを俯瞰しその現代的な位置にマンガを位置付ける。「Understanding Comics」という書名がマーシャル・マクルーハンによる『Understanding Media(メディア論)』(註12)をもじったものであることや、副題である「The Invisible Art(見えないアート)」からもわかるように、マクラウドは美術とマンガを二項対立的に捉えておらず、むしろ従来の芸術観を相対化させる可能性のあるものとしてマンガを広い意味での芸術と捉えているのである。対して、日本のマンガ論の場合、マンガの社会における地位が商業的にも普及度的にも確立されていたため、芸術とマンガを結び付ける論考が少ないという傾向がある(註13)。

3点目としては、『マンガ学』を支える記号論的アプローチについての議論である。マクラウドの「マンガ観」は、紙面上に配置されているさまざまな要素をどのような「意味」として読み取るかという意味作用論、または記号論的解釈を前提としている。それは、マンガが出版される場やジャンル、想定読者層や、読者たちが共有する慣習(約束事)などを考慮しないという点で、純粋なフォーマリズム(形式主義)的アプローチと言える。しかし、近年、トマス・ラマールをはじめとして、こうしたマクラウドによる記号論的マンガ観を批判的に検討する研究もある(註14)。マンガの諸表現が、すべて特定の意味に還元されると解釈する考え方は、線を含む表現の物質性など言葉に還元しにくい情動や感性的受容をもたらす力学に着目する視点から相対化されつつある。

筆者の視点から4点目として加えたいのが、ウェブ時代のマンガについてである。『マンガ学』は当然インターネットが普及していない頃、マンガのデジタル化が進む以前のものであり、現在はマンガそのもののあり方が大きく変わってきた。その意味で、新訳版の「あとがき」で監修者の小田切博が触れるように、マクラウドが本書の続編である『Reinventing Comics: How Imagination and Technology are Revolutionizing an Art Form』(註15、以下『Reinventing Comics』)において新しい表現媒体としてのウェブコミックについて論じ、インターネットコミックスの理論家としてだけでなく、ウェブデザインの理論家としても注目されたという点は興味深い(註16)。『マンガ学』だけでなく、『Reinventing Comics』やその後の『Making Comics: Storytelling Secrets of Comics, Manga, and Graphic Novels』(註17)などの続編が日本語訳されれば、マンガ研究だけでなく、メディア論やデザイン論など幅広い領域での注目を集めることだろう。

このように、『マンガ学』は現在さまざまな視点から再読される可能性を秘めたテキストであり、複数の視点から検討することが可能であるという点で、大学などの教育現場でも利用しやすい一冊であると言える。国内外のマンガに関する研究や教育の深化のためにも、新訳版の刊行をきっかけに、領域横断的なディスカッションの素材として本書を改めて読み直す機運が高まることを期待している。


(脚注)
*1
Scott McCloud, Understanding Comics: The Invisible Art, Tundra Publishing, 1993.

*2
Will Eisner, Comics and Sequential Art, Poorhouse Press, 1985.

*3
椎名ゆかり「はじめに」、スコット・マクラウド著、椎名ゆかり訳、小田切博監修『マンガ学 マンガによるマンガのためのマンガ理論 完全新訳版』復刊ドットコム、2020年、3ページ。

*4
椎名ゆかり「レビュー スコット・マクラウド:著 椎名ゆかり:訳 小田切博:監修『マンガ学 マンガによるマンガのためのマンガ理論 完全新訳版』」「マンガ研究」vol.27、2021年、131ページ。

*5
前掲書(註3)、15ページ。

*6
前掲書(註3)、17ページ。

*7
ベルントの書評は以下。ジャクリーヌ・ベルント「書評 マンガ表現論としてのスコット・マクラウド著・画『マンガ学』(岡田斗司夫監訳)――『マンガの読み方』との比較を中心に」「美術フォーラム21」第2号、2000年、176-178ページ。
ジャクリーヌ・ベルント「スコット・マクラウド『マンガ学』」、吉村和真、ジャクリーヌ・ベルント編『マンガ・スタディーズ』人文書院、2020年、100-105ページ。
椎名による書評は註4を参照。

*8
前掲論文(註4)、132ページ。

*9
新訳版の巻末解説において夏目房之介は、1994年後半から1995年頃『マンガの読み方』の編集作業が終わったあと、『Understanding Comics: The Invisible Art』を竹熊健太郎から見せられたと述べている。夏目房之介「「漫画学」から「マンガ学」への経緯」、前掲書(註3)、225ページ。

*10
前掲論文(註4)、132ページ。

*11
前掲論文(註7)、2000年、177ページ。

*12
Marshall McLuhan, Understanding Media: The Extensions of Man, McGraw-Hill, 1964.

*13
例外として、かなり早い段階からマクラウドと同様、メディア論的な視点からマンガを捉えていたものとして石子順造『マンガ芸術論 現代日本人のセンスとユーモアの功罪』(富士書院、1967年)がある。

*14
トマス・ラマール、大﨑晴美訳「マンガ爆弾――「はだしのゲン」の行間」、ジャクリーヌ・ベルント編『世界のコミックスとコミックスの世界 グローバルなマンガ研究の可能性を開くために』京都精華大学国際マンガ研究センター、2010年、259-312ページ。以下より閲覧可。
http://imrc.jp/images/upload/lecture/data/18ラマール.pdf

*15
Scott McCloud, Reinventing Comics: How Imagination and Technology are Revolutionizing an Art Form, Paradox Press, 2000.

*16
小田切博「あとがき」、前掲書(註3)、224ページ。小田切によれば、マクラウドが『Reinventing Comics』で提唱した「Infinite Canvas(無限のキャンバス)」という概念が、ネットメディアのインターフェイスデザインに大きな影響を与えたという。

*17
Scott McCloud, Making Comics: Storytelling Secrets of Comics, Manga, and Graphic Novels, William Morrow Paperbacks/HarperCollins Publishers, 2006.


『マンガ学 マンガによるマンガのためのマンガ理論 完全新訳版』
スコット・マクラウド(著)、椎名ゆかり(訳)、小田切博(監修)、復刊ドットコム、2020年
原著:Scott McCloud, Understanding Comics: The Invisible Art, Tundra Publishing, 1993.
https://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68327775

※URLは2021年7月2日にリンクを確認済み