描かれている絵/画自体に焦点があてられがちなアニメーションだが、ボケ、広角、魚眼などレンズを通して得られる効果が表現として取り入れられている。本稿ではなかでも日本の商業アニメーションにおけるそのような効果を、黎明期ともいえる1930年代から現代に至る作品より抜粋し、変遷をたどる。
広角レンズの一例、『君の名は。』より
早世した研究者ハンナ・フランクはかつて「元来、すべてのセル・アニメーションは写真である」(註1)と述べました。僕ら視聴者は忘れがちなことですが、撮影台上でセル画や背景を重ね合わせ、それらをコマ撮り撮影することによってつくられるセル・アニメーションはたしかに絵/画を撮影した写真であるとも言えます。
とは言え、こうした事実はあまり意識されることがありません。撮影台時代のディズニー・アニメーションのキャプチャー画を見たとき、多くの人はそれを写真ではなく絵だと認識するのではないでしょうか。厳密な設定のもとに撮影することで、写真であるという事実はいわば隠されていたのです。一方、興味深いことにアニメーションは作中にレンズの表現を取り入れてきました。あたかもレンズを通して撮影されたかのように描き、フィルターを加えるといったことが行われてきたのです。言い換えればそれは、現実世界の撮影を隠す一方で、作品世界における仮想的な撮影を顕在化させる行為でもありました。
今回はとりわけ日本の商業用アニメーション(アニメ)におけるレンズ表現に着目して話していきたいと思います(紹介する例は必ずしもその例の初出とは限りません)。
さまざまなレンズ表現
アニメーションにレンズ表現が登場するひとつの例として、作中に眼鏡や望遠鏡あるいはカメラなどのレンズを用いた器具が登場し、その視点からの画が描かれる場合が挙げられます。例えば、『漫画 おい等のスキー』(村田安司 1930年)という戦前の作品では、まずウサギが双眼鏡を覗く姿が描かれ、ついでその視点からの画が描かれます。ここではさらに画面を双円型にいわばくり抜くことによって双眼鏡を表現しています(図1)。
図1 双眼鏡の一例、『漫画 おい等のスキー』より
一方、作中において器具が明示されないケースもあります。こうした場合には通常、作品世界を撮影する仮想的なカメラが想定されています。明示されていないにもかかわらずレンズの表現だと判断できるのは、レンズにはいくつかの視覚的特性があるからです。こうした特性が画面にあらわれていれば、それはレンズの表現だと言えるでしょう。例えば、レンズにはピントの合う範囲があり、それ以外はボケるという特性があります。戦時期に制作された『桃太郎の海鷲』(瀬尾光世 1943年)では、こうした効果を見ることができます。同作ではさらに、まず手前にピントを合わせ、次に奥にピントを移すというピン送りの効果も見つけることができます(図2)。これはマルチプレーンという各セルや背景間の距離を離せる特殊な撮影台を用いることで可能になっていました。
図2 ピン送りの一例、『桃太郎の海鷲』より
またレンズは画角によって描写が異なってきます。例えば広角レンズで撮影すると周辺部が歪んで見えます。『桃太郎 海の神兵』(瀬尾光世 1945年)ではこうした表現が見られます。本来は直線のはずの滑走路が歪んで描かれているのです(図3)。瀬尾のこうした制作方法は時代背景とも関わっていました。当時、漫画映画という言葉が一般的に用いられていたのですが、この言葉には漫画という語に由来する固定観念が付きまとっていました。自身の『桃太郎の海鷲』を「所謂「漫画」ではありません」(註2)と述べる瀬尾は、報道写真やニュース映像を参考資料として用いるなど文化映画(ドキュメンタリー映画)の要素を取り入れることで、こうした固定観念を打破しようと試みたのです(註3)。レンズ表現の導入もこうした試みと並行していると考えることができます。
図3 広角レンズの一例、『桃太郎 海の神兵』より
先の図2も望遠レンズの例ですが、よく知られている別の例として『ルパン三世 カリオストロの城』(宮崎駿 1979年)のオープニングが挙げられます。望遠レンズで遠くのものを撮影するとき、画面内の遠近感が消失します。これを圧縮効果と呼びます。宮崎はこちらへと向かってくる軽トラックのサイズを変えずただ下へと移動させることによってこの効果を再現しています(図4)。これは撮影台上で1枚のセルを引っ張ることで再現できるため、効果的な手法であると同時に効率的な手法でもありました。
図4 望遠レンズの一例、『ルパン三世 カリオストロの城』より
宮崎は『アルプスの少女ハイジ』(高畑勲 1974年)において場面設定・画面構成という役職を務め、レイアウトの効果を示したことでも知られています。アニメにおけるレンズ表現を考えるうえでもレイアウトは重要です。画面の設計図であるレイアウトでは、カメラをどこに置き、どう動かすかといった仮想的なカメラワークの指定がなされます。レンズの効果を理解しているレイアウターであれば、その仮想カメラにどのようなレンズを用いるかという選択もこの段階で決めることができるわけです。
80年代になると『AKIRA』(大友克洋 1988年)や『機動警察パトレイバー the Movie』(押井守 1989年)をはじめとしてレンズを強く意識する作品が登場します。『機動警察パトレイバー the Movie』では参考資料として作品の世界観に反映させるために、コンセプトフォトを撮影するためのロケハンが行われていますが、画づくりもまたレイアウトの段階から明確にレンズを意識したものになっています。さまざまなレンズのなかでも魚眼レンズの効果はもっともわかりやすいもののひとつでしょう。画面全体が極端に歪むためユーモラスな画面になることが特徴で、篠原遊馬が電算室に忍び込んだ際の映像が代表的です(図5)。押井はレンズ効果を用いる理由として、アニメの演出的基準は実写映像の記憶に基づいており、「実写映像そのものもまた、原理的にはレンズという物理的(光学的)特性に依存している」(註4)としています。
図5 魚眼レンズの一例、『機動警察パトレイバー the Movie』より
20世紀末からアニメにおいてもデジタル化が本格的に進行していきます。今日では撮影台は用いられなくなり、コンピュータ上で各レイヤーを合成する手法が主流になっています。つまり、アニメはもはや写真ではなくなっているのですが、レンズ表現はさらに取り入れられています。
デジタルカメラの普及とカメラ付き携帯電話の登場は、誰もが気軽に大量に撮影することを可能にしました。僕らは写真映像に慣れ親しみ、それはアニメ制作者にとっても例外ではありません。もともと個人制作でアニメをつくり始めた新海誠は、デジタルカメラで撮影した写真をもとにレイアウトを描くことでも知られています。そうした制作法は作品の一部に用いられるに過ぎませんが、彼の作風はレンズ効果との親和性が高く、大ヒット作となった『君の名は。』(2016年)では接写のために用いるマクロレンズの効果などが再現されています。マクロレンズはピントの合う範囲が狭いため、周辺部が大きくボケるという特性があります。新海は糸守町の特産品である組紐が登場する場面にこの効果を用いています(図6)。
図6 マクロレンズの一例、『君の名は。』より
京都アニメーションもレンズ表現に特色がある制作会社です。テレビアニメ『響け!ユーフォニアム』(石原立也 2015年)では画面周辺部の色が滲んで見える場面があります(図7)。これは各色の屈折率が異なるために生じる色収差という現象で、今日ではさまざまな特性を持ったレンズを組み合わせることで補正されていますが、そうした機構のないオールドレンズを用いた撮影ではしばしば見られものでした。つまり、この場面はオールドレンズの表現ということになります。同作で演出を務め、また『けいおん!』(2009年)をはじめとした多くの京都アニメーション作品で監督を務める山田尚子は、疑似的なレンズを用いる意図として「あ、この子は本当にここで生きてるんだ」という感覚、キャラクターの実在感が出るとしています(註5)。
図7 オールドレンズの一例、『響け!ユーフォニアム』より
入射光とレンズフレア
画面外から斜めに差し込む複数の線状光「入射光」は今日のアニメでもよく見かけます。今日ではコンピュータ上で合成されるのですが、かつては一度撮影したフィルムに二重露光で実際の光を合成してつくられていました。画面外から実際の光が差し込む表現自体は『千夜一夜物語』(山本暎一 1969年)など以前から見られるのですが、今日見られるものとはやや異なっています。テレビアニメ『家なき子』(出崎統 1977~1978年)で撮影監督を務めた高橋宏固は、今日一般的に見られるような入射光は同作のオープニング(図8)が最初であると述べています(註6)。監督を務めた出崎統は『イージー・ライダー』(デニス・ホッパー 1969年)のレンズフレアがこの入射光の「原典」だといいます(註7)。レンズフレアとは強い光源にレンズを向けた時にある種の光のノイズが生じる現象で、古典的ハリウッド映画(註8)の時代には基本的に忌避されるものでした。ホッパーなどアメリカン・ニューシネマの監督たちはこうした規範に反抗し、あえて太陽にレンズを向け、それは彼らの描く自由で反抗的な精神とも結びついていました。これを原典として生まれた入射光も多くの出崎作品に同様の感触を与えています。
図8 入射光(白)と作画されたゴースト(水色)、『家なき子』より
このように当初はレンズフレアを模倣して誕生した入射光ですが、出崎は光源とは異なる方向にカメラが向いている時でさえ画面に入れました。実写映像の単なる模倣とは異なっているのですね。出崎は「フィルターを使って画面に色を着けたり、入射光を強調したり」という撮影技法について、ドラマにある種の緊張感をもたせるための演出として用いていると述べています(註9)。現在のアニメ制作において、入射光は強い日差しを表す効果として記号的に使用されるようになっています。起源は忘れ去られ、いまやアニメ特有の表現になっていると言えるかもしれません。
もうひとつのレンズフレアの例がゴーストです。カメラレンズは通常、複数のレンズを組み合わせた装置として構成されています。太陽などの強い光源にカメラを向けることで一定以上の光量が装置内に入ると、それぞれのレンズに反射した光が画像に写り込むことになります。これがゴーストと呼ばれる現象です。宮崎駿も近作『風立ちぬ』(2013年)において取り入れていますが(図9)、撮影台時代には画として描かれることも多く、先述した『家なき子』のオープニングでは実際の光を合成してつくられた入射光と作画されたゴーストが併存していることが見て取れます(図8)。
図9 ゴーストの一例、『風立ちぬ』より
デジタル化以降、アニメにおけるゴーストの表現は増加傾向にあります(註10)。デジタル化によって各種のレンズフレアは容易に、そして説得的に付加することが可能になりました。After Effectsなどアニメ制作において一般的に用いられるソフトウェアでは、レンズフレアを付加する機能が標準装備されているほか、専用のプラグインも存在しています。
今日では、アナモフィックレンズフレアの表現も多く見られるようになっています。横長の画面を撮影するための特殊なレンズ(アナモフィックレンズ)を用いると、レンズフレアは水平方向へと伸びます。実写映画ではこのレンズが登場した1950年代から見られますが、近年J.J.エイブラムスなどの映画監督が好んで画面に登場させたことで一般的になりました。アニメにおいては新海誠の作品などにおいて見ることができます(図10)。新海作品にはほかにもさまざまなレンズフレアが用いられており、その作品のひとつの特徴となっています。新海は中村亮介監督の『ねらわれた学園』(2012年)のレンズフレアやゴーストについて、「思春期には世界も他人の感情も眩しかったという表明」(註11)ではないかと推測しており、これは自身の作品制作にも共通していると考えられます。
図10 アナモフィックレンズフレアの一例、『君の名は。』より
レンズ表現とは
アニメにおけるレンズ表現は、レンズを通したかのように画面を歪ませボケさせ圧縮させることで、画面内にそのようにされ得る空間があることを示します。また撮影という行為は常に一部分を切り取る行為であるため、画面外にも世界が広がっていることを視聴者に意識させるでしょう。そして、描かれたキャラクターがそうした空間や世界のなかに存在しているということを際立たせるのです。本来はノイズである入射光やレンズフレアは映像にある種の緊張感をもたらすものとして、あるいは登場人物たちの主観的な景色の表明として用いることができます。
一方で、レンズ表現は仮想的な撮影者を意識させることで、その世界がつくられたものであるということを強調するかもしれません。ガンダムシリーズの生みの親として知られる富野由悠季は、カメラアングルの重要性を訴えつつも「視覚されているフィクションの世界では、カメラは存在しないのですから、カメラの存在を証明するような現象が写ってはいけない」(註12)として、レンズに水滴が付着するといった表現を退けます。
もちろんアニメの歴史は単線で語ることはできません。作品ごとにさまざまな様式を持つことがアニメの特徴でもありますし、写真化の度合いもそれぞれに異なります。レンズの効果を十分に理解し自身もレンズ表現を用いる宮崎駿は、一方で「写真やビデオ映像を見て、そのまま描くな」(註13)とスタッフに常々伝えているといいます。その作品がアニメーションならではの魅力にあふれているのは言うまでもありません。
いわゆる「写実性」とレンズ表現の結びつきに関しても注意が必要です。写真映像の特徴として、①被写体の(ある意味における)忠実な反映、②細密描写、そして③(画角やレンズフレアといった)レンズ的視覚といった点が挙げられますが、アニメにおいては必ずしもこの三者が一体である必要はありません。画角やレンズフレアの表現は、実際には存在しない場所を舞台とした作品や、様式化された背景が登場する作品においても見ることができます。こうした場合にはしばしばレンズ表現もその作風に合った様式に変更されます。『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(2013年)などの大沼心監督の作品に登場する「多角形フレア」はその代表例と言えるでしょう(図11)。
図11 多角形フレアの一例、『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』より
入射光もレンズフレアの模倣を離れ、いまやアニメ特有の表現になっています。レイアウトに関しても同一画面において手前を広角、奥を望遠にするなど、実際のレンズとは異なる表現が以前から見られます。こうした場合におけるレンズは、実際のレンズとは異なる特性を持ったレンズ、いわばアニメレンズのようなものとして捉えることができるでしょう。
レンズ効果とは、写真映像という海に眠る財宝のようなものだと考えられます。20世紀後半のデジタル化はアニメ制作者にもこの財宝に手を届きやすくしました。しかし、それを使うかどうか、またどのように使うかは制作者次第です。
(脚注)
*1
Hannah Frank, “Traces of the World: Cel Animation and Photography,” Animation: an interdisciplinary journal, 2016, Vol. 11(1), SAGE Publications, pp.23-39.
*2
大日本映画協会文化映画研究会「漫画「西遊記」合評」「映画技術」4巻4号、映画出版社、1942年、65ページ。
*3
小倉健太郎「漫画映画の拡張:『桃太郎の海鷲』から『桃太郎 海の神兵』へ」「映像学」101号、日本映像学会、2019年、5-26ページ。
*4
押井守『METHODS 押井守・「パトレイバー2」演出ノート』角川書店、1994年、140ページ。
*5
小黒祐一郎、遠藤一樹「石原立也・山田尚子インタビュー」「アニメスタイル007」スタイル、2015年、29ページ。
*6
大山くまお、林信行(SLF)編『アニメーション監督出崎統の世界』河出書房新社、2012年、65ページ。
*7
『放送直前スペシャル!ウルトラヴァイオレット:コード 044』BS11、2008年7月5日放送。
*8
主に1920年代から50年代のハリウッド映画に顕著に見られた様式を指す。大手スタジオによって製作され、物語のわかりやすさや映像の連続性などが重視された。
*9
前掲書(註6)『アニメーション監督出崎統の世界』33ページ。
*10
小倉健太郎「アニメにおける表現の維持と越境 : 入射光・レンズフレアの調査に基づいて」「成城文芸」233/234号、成城大学文芸学部、2015年、96-73ページ。
*11
新海誠ツイッター(https://twitter.com/shinkaimakoto/status/259142290294054912)、2012年10月19日13時01分投稿。
*12
富野由悠季『映像の原則 改訂版』キネマ旬報社、2011年、145ページ。
*13
舘野仁美著、平林享子構成『エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ』中央公論新社、2015年、54ページ。
※URLは2021年8月20日にリンクを確認済み
あわせて読みたい記事
- デジタル・アニメーションの過去・現在・未来第8回 AIによるアニメ制作の可能性(1)2020年11月6日 更新
- トゥーンレンダリングのフル3DCGアニメ『HELLO WORLD』物語と現実を結びつける仕掛け2020年2月21日 更新
- 第20回文化庁メディア芸術祭 受賞作品展レポート(2)2017年9月22日 更新