実写映画『シン・ゴジラ』(2016年)や最新作の自社制作アニメ『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(2021年)の興行的な成功によって、いまやアニメの枠を越えた映像作家として衆目を集める庵野秀明。そのあゆみをたどる「庵野秀明展」が、2021年10月1日(金)から12月19日(日)まで開催されている。制作資料を中心とした1,500点以上の展示物が、国立新美術館(東京・六本木)の2,000㎡の企画展示室を埋め尽くす大規模展覧会だ。庵野が脚本・監督を務める『シン・仮面ライダー』(2023年予定)と同展の合同記者会見では、「展示されているのは資料のほんの一部。これからも追加資料を展示予定なので、どんどん増えていくはず」と語られ、今後のさらなる拡充も予告されている。会期に先駆けて9月30日(木)に開かれたプレス内覧会の様子を、写真を中心にレポートする。

『シン・ウルトラマン』に登場するウルトラマン、『シン・ゴジラ』に登場するゴジラ、『シン・仮面ライダー』に登場する仮面ライダーのスタチュー(大型立像)

足跡をたどる5章の構成

本展覧会は「原点、或いは呪縛」「夢中、或いは我儘」などの章題を付された5つの章立てに分かれ、展覧会キャッチコピーに示されるように「庵野秀明をつくったもの」「庵野秀明がつくったもの」「庵野秀明がこれからつくるもの」の大きく3つのパートで庵野の足跡をたどるものになっている。以下に写真とともにパートごとの内容を紹介していく。

ちなみに展示物のほとんどは来場者による写真撮影が許可されている。アニメ・特撮のファンであるなら資料の貴重さも相まって撮影したい衝動にかられる展示物ばかりで、通常の博物展、美術展より滞在時間を多めに見積もることをおすすめする。

「庵野秀明展」15秒CM映像

会場に入って正面の壁面、展覧会タイトルの前には、1985年に撮影された仮面ライダー1号のライダースーツを身にまとう庵野秀明のパネル

庵野秀明をつくったもの

第1章「原点、或いは呪縛」は、『ウルトラマン』(1966~1967年)、『仮面ライダー』(1971~1973年)、『宇宙戦艦ヤマト』(1974~1975年)など、庵野が幼少期から愛し血肉とした諸作の資料を通して「庵野秀明をつくったもの」に光を当てる。

しかし後述もするように、展示のプロローグに当たると思われるこの章は、意外なほど展示面積が広くとられて本展のハイライトのひとつを成す。昭和特撮を彩ったメカ、ヒーロー、宇宙船、東京タワーなどのミニチュアやスーツの数々は「玩具箱をひっくり返したような」という形容を容易に想起させるが、それらはもちろん玩具ではなく、実際の撮影で使用された中間制作物であり(註1)、映像史の証言ともいえる貴重な資料だ。

第1章の終盤に設置された縦3m×横15mのLEDスクリーンのパノラマには、庵野が青年期までに熱中した作品がモザイクのように同時に映し出され、1950年代からのテレビ、特撮映画の華やかな時代の空気を演出する(註2)。

第1章「原点、或いは呪縛」展示風景
提供:庵野秀明展実行委員会

 


左:手前左は『モスラ』(1961年)の図面を用いて再制作した東京タワー。怪獣映画に頻繁に登場しては倒壊させられる象徴的な存在。右の東京タワーはテレビ版『日本沈没』(1974年)に登場した。庵野が初めて本格的なミニチュア撮影を経験した『キューティーハニー』(2004年)でも回転する東京タワーが登場する。奥には『海底軍艦』(1963年)の轟天号などが見える
右:右前方のウルトラマンのスーツは『ウルトラマン』(1966~1967年)の撮影用オリジナルに忠実に再制作。左後方は『帰ってきたウルトラマン』(1971~1972年)撮影用オリジナル

展示ケース内は『機動戦士ガンダム』(1979~1980年)の修正原画など。壁面には劇場版3部作(1981~1982年)のポスター

庵野秀明がつくったもの

第2章「夢中、或いは我儘」、第3章「挑戦、或いは逃避」ではアマチュア時代から商業作品の監督へとキャリアをシフトさせる時期の活動が紹介される。すでに『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)、『ふしぎの海のナディア』(1990~1991年)や一連の「エヴァンゲリオン」シリーズのような人気タイトルについては種々のイベントや展覧会が開催されているが、アマチュア時代に大阪SF大会(第20回日本SF大会、通称〈DAICON III〉)のために制作された『DAICON III オープニングアニメーション』(1981年)や『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』(1983年)(註3)が資料とともにスクリーンに大きく映し出される機会は本展をおいてほかにないだろう。

第3章「挑戦、或いは逃避」でひときわ存在感を放つのは、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の前半の舞台として登場する「第3村」のミニチュアセットだ。診療所や公衆浴場などを備えた、人々が暮らす生活拠点の中心部をおよそ1/45スケールで表したセットの大きさは、幅9m、奥行4m。字義矛盾のような「巨大なミニチュア」は、多様なカメラアングルを探りながら撮影し、その写真や映像がプリヴィズ(註4)や画コンテの作成に活用された。

3章ではほかに『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年)のあとに手掛けた実写映画『ラブ&ポップ』(1998年)や『キューティーハニー』、『シン・ゴジラ』などの小道具、シナリオ、雛型などの制作資料も展示され、仕事の幅広さを伝える。

第2章「夢中、或いは我儘」展示風景
提供:庵野秀明展実行委員会
『DAICON III オープニングアニメーション』(1981年発表) ©DAICON FILM
『じょうぶなタイヤ!SHADOタイヤ』(1980年発表) ©H.ANNO
乗用車が疾走し、バスやパトカーを踏みつぶすなどアクションや破壊のエフェクトを追求した自主制作アニメ。大阪芸術大学映像計画学科一回生時の提出課題。島本和彦のマンガ『アオイホノオ』(2007年~)にも同大学在学中の庵野の早熟の才を示すエピソードとして本作が登場する
『風の谷のナウシカ』(1984年)。『DAICON III オープニングアニメーション』などをみた宮崎駿はクライマックスの巨神兵シークエンスの原画を庵野に任せた
『ふしぎの海のナディア』台本。NHKで放送された庵野初のテレビシリーズは、予定されていた監督が準備段階で降板したことを受けて、ピンチヒッターとして総監督を引き受けた経緯がある
『ふしぎの海のナディア』(1990年放送) ©NHK・NEP
庵野が寄稿した雑誌など。本展ではこのようなフィルムワーク以外の活動もカバーされる
『シン・ゴジラ』。取材を重ねてリアリティを追求した怪獣映画は80億円の興行成績を記録。この作品で得られた経験が、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の制作にも生かされる
提供:庵野秀明展実行委員会
第3章「挑戦、或いは逃避」展示風景
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』に登場する「第3村」のミニチュアセット
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年) ©カラー
テレビシリーズから12年後、『エヴァ』は新たなシリーズとして再始動した。『新劇場版』シリーズの制作が発表されたのは2006年。『:序』の公開が翌2007年、『:破』が2009年、『:Q』が2012年、そして『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が2021年公開

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』制作時にスタジオカラー編集室に積まれていたサムネイルの束(一部)

そして、これからつくるもの

惜し気もなく圧倒的物量を展覧してきたこれまでの章に続くのが、『シン・ウルトラマン』(公開日調整中)、『シン・仮面ライダー』を取り上げる第4章の「憧憬、そして再生」と、クリエイター育成の短編アニメ制作プロジェクト「日本アニメ(ーター)見本市」や、理事長となってアニメや特撮のアーカイブを推進する特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)などのプロジェクトを紹介する第5章「感謝、そして報恩」だ。この最終2章は、本展ではエピローグの位置づけとなる。

「これからつくるもの」には、いつか将来、『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー』を含む作品の膨大な中間制作物の展示を私たちはまた見ることができるだろう、と予感もする。

あらためて本展を振り返れば、筆者が長大な印象を受けた第1章でフィーチャーされていたのは、特撮のなかでも職人たちの手技が残るミニチュアワークであった(註5)。「第3村ミニチュアセット」を筆頭に、庵野が手掛けた作品でのミニチュアや手描きの原画はそのわかりやすい子孫だ。完成した映像作品の外側にあるのは多くのスタッフの時間とエネルギーを費やした制作工程の、気の遠くなるような集積だろう。

本展が膨大な資料を通して伝えるのは、映像制作の方法ではなく、もしかすると庵野の作家性についてですらなく、「空想映像」とでも呼べるアニメ特撮の想像力に関わる人々の、常識を超えた情熱のあり方ではないか。

昭和、平成と自分の生きた時代のポップカルチャーへの懐古の余韻とともに会場をあとにする鑑賞者は多いだろう。しかし半世紀ほども前の中間制作物に残滓するつくり手たちの熱は、庵野たちがそうであったように、誰かに引き継がれるのを今も待っている。本展の最終章に残された余白は、一人の映像作家の個人史を越えて、次の新たなつくり手にむけて開かれているようにも感じられる。


『シン・ウルトラマン』に登場するウルトラマンの雛型など
『シン・仮面ライダー』制作過程の一部を紹介
提供:庵野秀明展実行委員会

(脚注)
*1
制作当時の図面をもとに再制作された展示物なども含まれる。

*2
『ゴジラ』(1954年)から始まり『科学戦隊ダイナマン』(1983~1984年)まで、約30年間にわたる99作品が上映されている。

*3
『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』で庵野はマスクを被らず素顔のままウルトラマンとして登場し怪獣と対峙する。「顔を出さないとただのパロディで終わってしまいますから。[…]僕が素顔でウルトラマンというのは、企画の骨子でしたね」(「大人になるまで」『KAWADE夢ムック 文藝別冊 庵野秀明』河出書房新社、2004年)

*4
映画制作の初期段階で、完成形を想定するシミュレーション映像をコンピュータ上でつくる工程。検討用素材として、庵野作品では『シン・ゴジラ』で大々的に導入され、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』にも取り入れられる。イメージをこの段階で詰めることでクオリティコントロールにもつながる。『シン・ゴジラ』プリヴィズCGI監督の宮城健によると「庵野さんは、プリヴィズで自分が納得できるまで動きやアングルを詰めていたので、いざ本番のCGが上がってくると、上がった精度に違和感を覚えたのか、プリヴィズに戻してくださいという指示を出すことが結構ありました」(『ジ・アート・オブ シン・ゴジラ』株式会社カラー、2016年)

*5
2012年に東京都現代美術館で開催された「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」との連続性は明らかで、「庵野秀明展」では「特撮博物館」の展示要素を圧縮して後に庵野自身も関わるアニメ史と接続してみせた、とも捉えられる。「特撮博物館」図録掲載の「館長」インタビューで、庵野はミニチュア特撮の魅力のひとつをこう語る。「撮影時に人知を超えた何かがあることです。具体的には爆破や壊し等操演の作業は、現場で一発勝負です。もちろん経験を積んでいるので狙った画面になるように色々と仕掛けるんですが、コントロールできる事には限界があります。[…]想定していたイメージを超えたすごい画面が撮れたりする」。自身のコントロールを超えたところにあるビジョンを掴まえたいとの志向は、後年「全部つくりもの」であるはずのアニメ制作の現場でも実践される。特撮とアニメ。少年庵野を揺籃した2つの要素が、映像作家としての成熟の過程でひとつになる軌跡を本展は示したといえる。


(information)
庵野秀明展
会期:2021年10月1日(金)~12月19日(日)※毎週火曜日は休館、ただし11月23日は開館
会場:国立新美術館 企画展示室1E
大分、大阪、山口へ巡回予定(2021年10月現在)
https://www.annohideakiten.jp/
※画像は取材時に撮影されたものであり、必ずしもすべてが最新の展示風景ではありません。

※URLは2021年10月20日にリンクを確認済み