新潟市は数々の著名マンガ家を生んだ土地である。雪深い冬のあいだに、こたつに当たりながらマンガを描いたことから生まれた「こたつ文化」と説明する人も多い。そのこたつ文化が、今新たな花を咲かせはじめている。2022年に10年の節目を迎える「新潟市マンガ・アニメを活用したまちづくり構想」の成果や課題を取材した。
がたふぇす会場の様子
提供:がたふぇす実行委員会事務局
マンガ・アニメは重要な文化施策
新潟市は本州日本海側では唯一の政令指定都市である。人口はおよそ78万人。古くから水運の拠点として知られ、幕末の日米修好通商条約で開港された5港のひとつでもあった。1982年に上越新幹線が開業してからは、東京まで約2時間の日帰り圏に。さらにその後の関越自動車道、北陸自動車道、磐越自動車道の全線開通によって、日本海側と太平洋側を結ぶ高速交通網の中心としても機能している。
市街地の真ん中には信濃川が流れ、川の両側に繁華街が形成されている。左岸(西側)の古町エリアには古町通、本町通、西堀通など老舗商店が並ぶ商業地域があり、市役所や公共施設、文化施設なども集中している。右岸(東側)の万代エリアは昭和初期から開発が始まった地域で、1970年代には大型商業施設が相次いで誕生して若者の街になった。しかし、新幹線開業に伴い新潟駅南側が再開発されたことや、新潟県庁や新潟大学の古町地区から郊外への移転の影響でドーナツ化が進んでいる。
そんななか、2012年に新潟市が策定したのが「新潟市マンガ・アニメを活用したまちづくり構想」である。同市は、『ドカベン』(1972~1981年)の水島新司、『犬夜叉』(1996~2008年)の高橋留美子、『パタリロ!』の魔夜峰央(1978年~)、『デスノート』(2003~2006年)の小畑健ら数多くのマンガ家やアニメクリエーターを輩出しており、同人誌即売会「ガタケット」や「新潟コミティア」などを中心としたアマチュア創作活動も盛んな土地柄だ。
構想は、マンガ・アニメを文化施策の重要な柱として位置づけ、マンガ・アニメ文化の振興と、地域産業の活性化に結びつけることを目的としている。現在は、2017年に策定した第2期の構想に基づき、事業を展開している。
にいがたマンガ大賞がきっかけに
新潟市のマンガとアニメに関わる動きは2012年に始まったわけではない。そのルーツは、1997年に開催された「全国生涯学習フェスティバル まなびピア新潟’97」にまでさかのぼることができる。このときに、マンガ文化を応援するため開催した「マンガコンテスト」をもとに、1998年には「にいがたマンガ大賞」がスタート。これが、新潟市のマンガ・アニメ関連事業の大きなきっかけになっている。
同大賞では、1次審査に有識者のほかに新潟在住のマンガ家たちが関わり、2次審査ではマンガ雑誌の編集長クラスが新潟に集まって応募作品を審査する独特の選考方法がとられている。応募作品は毎年200~300本。受賞者からは、第14回の中学生部門で奨励賞を受賞した伊藤里が2013年に「なかよし」で同誌26年ぶり最年少読み切りデビューし、現在、同誌で『千紘くんは、あたし中毒。』を連載。また、第16回の高校生部門で最優秀賞を受賞した齋藤周平が、2016年に「月刊少年チャンピオン」でデビューし、現在、同誌で『クローズ外伝 鳳仙花 the beginning of HOUSEN』(原作:髙橋ヒロシ)を連載するなど、そのレベルの高さが日本国内だけでなく世界からも注目されている。
2019年11月、第22回にいがたマンガ大賞2次審査の様子。審査にはマンガ雑誌各誌の編集長クラスも参加
さらに、2011年にはそれまでバラバラだったマンガ・アニメのイベントをひとつに集約した「にいがたアニメ・マンガフェスティバル」が、新潟市と地元のJAM日本アニメ・マンガ専門学校、ガタケット事務局、にいがたマンガ大賞実行委員会で構成される「にいがたアニメ・マンガフェスティバル実行委員会(註1)」によって開催。古町エリア、白山エリア、万代エリアを会場に、現在も「がたふぇす」の愛称で継続されている(2019年は台風接近のため中止。2020年は新型コロナウイルス感染拡大等により1日のみの開催、2021年は新型コロナウイルス感染拡大のため中止)。2016年には6万3,000人が参加する大イベントに成長している。
「新潟市マンガ・アニメを活用したまちづくり構想」は、これらの実績を踏まえて、マンガ・アニメ文化の推進に加えて、観光を含めた産業育成、地域活性化にまで目標を拡大したものと捉えることができる。
2つの拠点施設の年間入場者は14万人
新潟は、知り合いにマンガ家がいるとか、親戚が昔マンガを描いていたとかいう話が多い土地なのです。私がデビューした1988年当時すでに、東京の出版社の方たちもそんな新潟に注目していました。多くの先輩マンガ家が活躍していることや、アマチュアの活動が盛んだということが理由だと思います。私も担当編集の方から、新潟にいておもしろいものがつくれるのならそれでいいよ、と言われましたし、専門学校で教えている頃も学生たちには、出版社に持ち込みをするときには新潟をアピールしなさい、と指導してきました。実際に編集長の方とお話しても新潟出身というとオーラを感じる、と言うんですね。コシヒカリのようにマンガでも新潟がブランドになっているのです。
こう語るのは新潟市中心部にある「新潟市マンガ・アニメ情報館」「新潟市マンガの家」の統括館長・小池利春氏だ。
小池氏
「新潟市マンガ・アニメ情報館」「新潟市マンガの家」は「マンガ・アニメを活用したまちづくり構想」に基づき、新潟のマンガ・アニメ文化を次世代に継承・発展・発信することを目的に誕生した施設だ。
「新潟マンガ・アニメ情報館」は、万代エリアの「万代シテイ ビルボードプレイス2」1階に2013年5月に開設。企画展など大規模な展示を中心に、新潟ゆかりのマンガ家・アニメクリエイターを紹介するほか、人気キャラクターと遊べるコーナー、声優体験コーナーなどによって、マンガ・アニメの世界を体験できるミュージアムである。
一方、「新潟市マンガの家」は同年3月に古町エリアにあるGEO古町通六番町にオープン。施設内には、魔夜峰央の『パタリロ!』や新沢基栄の『ハイスクール!奇面組』(1982~1987年)など、同市ゆかりのギャグマンガ家の作品キャラクターの等身大フィギュアなどを展示。また、マンガ基礎講座を無料で毎日開催しているほか、同市ゆかりのマンガ家の単行本やスタッフが選書した単行本約1万冊が閲覧できる「マンガの部屋」がある。
両施設をあわせた年間入場者はおよそ14万人。新型コロナウイルス感染対策で入国が制限される以前は海外のマンガファン、アニメファンの来館も多く、新潟観光の拠点として賑わいを見せていた。
新潟市マンガの家で開催されるマンガ講座の様子
観光客の回遊性を求めて
取材した小池統括館長も、新潟市出身。1988年に講談社「アフタヌーン四季賞」で第5回四季大賞を受賞。その後、「モーニングパーティー増刊号」で『星はいつでも屋根の上』(1989~1990年)を連載したプロのマンガ家。地元のJAM日本アニメ・マンガ専門学校で後進の指導を行ったほか、長岡市などでも市民のためのマンガ講座を開講している。そんな小池氏に、新潟市の取り組みの特徴について訊いてみた。
特徴のひとつ目は、いわゆる箱モノから始まるのではなく、「にいがたマンガ大賞」のような次世代のつくり手を育てる文化貢献から出発していることです。マンガ・アニメ情報館とマンガの家という箱モノは最後にできたのです。
2つ目は民間の力です。ここができる以前には、古町五番町商店街に水島新司先生のマンガ・キャラクターのブロンズ像がつくられ話題になりました。これは、市が主導したものではなく商店街から出たアイデアなんです。国の商店街振興助成金で何かできないかという議論になったとき、水島先生との付き合いがあった商店街関係者から提案されたのが、キャラクターのブロンズ像をつくることでした。
3つ目は、回遊性をもたせる工夫です。マンガ・アニメ情報館は新潟市の観光の目玉としての役割を持ち、マンガの家は地元のマンガ・アニメ文化を育てる場所という位置づけです。違う性格をもつ2つの施設が市の中心にある萬代橋を挟んでわかれているので、来られた方は2つの施設を移動して、その間にモニュメントを見学するなど町全体をめぐりながらマンガとアニメを楽しむことができます。当館で開催する展覧会にあわせて商店街でスタンプラリーを実施するなどのイベントもやっています。今年の夏に『文豪ストレイドッグス』(朝霧カフカ/原作、春河35/作画、2013年~)の企画展をやったときには、作中に出てくる新潟出身の坂口安吾の名を冠したキャラクターにちなんで、坂口家から寄贈された貴重な資料を展示する「安吾 風の館」などをめぐる周遊企画を実施しました。
小池氏によれば、遠方からの来館者から求められれば、スタッフが市内の観光スポットやグルメスポットの情報提供を積極的に行っているのだという。
新潟市マンガの家
専門学校生の描いたキャラが老舗を活性化
では、観光のほかにマンガやアニメがどのような形で産業振興に関わっているのだろうか。再び小池氏にうかがってみた。
当館も協力している「がたふぇす」は、もう10年続いています。正直なところ、はじめはなかなか受け入れてもらえないところもありました。10年前は、行政がマンガやアニメに力を入れるということに対しても風当たりが強かったです。現在はマンガ・アニメが男女問わず広い世代に文化として定着して、商店街をあげてのお祭りになっています。新潟県には毎年3月の「にいがた酒の陣」、8月の「長岡花火大会」という大きな催しがありますが、新潟市の「がたふぇす」もそれに継ぐ新潟観光の目玉になっています。「がたふぇす」を通じて、マンガやアニメのコンテンツをうまく商売につなげる事例も生まれています。具体的には、私が教えていた専門学校の学生たちの手でお店のキャラクターをつくるというプロジェクトを立ち上げて成功させたという事例があります。明治時代に新潟で初めてカステラを焼いた「はり糸」さんという老舗では、カステラにキャラクターのカードをつけたところ普段の4、5倍の売上になりました。このときのキャラクターは今でも使ってもらっています。そういう実績があったからでしょう。最近では商店街から新しいクリエイターや作品を生み出そうという機運になっています。
商売につながることが、理解を得るためには一番大切、ということだろう。マンガ・アニメによる地域活性化という点では、地道な成果を上げている新潟市だが、その秘訣はどこにあるのだろうか。
新型コロナウイルスの感染拡大前までは海外との文化交流も活発で、マンガとアニメも一翼を担うようになっていました。これは、我々の後ろ盾として行政がしっかり動いているのが大きいです。マンガとアニメを地域振興につなげたいほかの自治体からの視察も多いのですけど、視察を終えてから「これはうちでは難しい」とみなさんがおっしゃるのです。文化面に積極的な行政と民間がうまくタッグを組めないとたしかに難しいと思います。新潟はそれができたのでよかったのでしょうね。
これまで取材してきた鳥取県、高知県、岩手市、熊本県、北九州市でも、行政の本気と民間の当事者意識が大切なことは繰り返し語られてきたが、新潟の場合も結論は同じことになりそうだ。
地域との連携。6姉弟のキャラクターのカードを作成し、カステラとセットで販売した
新たに誕生したアニメ・マンガ学部
マンガ・アニメを活用したまちづくりを目指す新潟市に、2021年新たな拠点が誕生した。地元の開志専門職大学が古町エリアの古町ルフルキャンパスに設置したアニメ・マンガ学部だ。開志専門職大学は文部科学省が新たに設置した専門職大学のひとつで、新潟県では第1号。2020年4月に事業創造学部と情報学部の2学部で開学し、2021年4月にアニメ・マンガ学部が新設された。4年制大学でマンガとアニメの学部が設けられるのは、京都精華大学マンガ学部に続いて2校目になる。
キャンパスを古町に置くのは、古町、万代エリアを「新潟市マンガ・アニメを活用したまちづくり構想」の拠点とするという方針に則ったものだ。
新潟市にはマンガ家を志す若者がたくさんいて、その中からはプロデビューを果たす人もいます。専門学校でも、JAM日本アニメ・マンガ専門学校という長年実績を積んできた名門があります。ただ、こうした分野を集中的に学べる大学の選択肢となると、東京や京都のような他地域への進学になりがちでした。本学がそうした、四年制大学でマンガやアニメについて学びたいという新潟周辺の学生たちの、熱意の受け皿になっているところはあると思います。
こう語るのは、開志専門職大学マンガ学部講師の雑賀忠宏氏だ。ここにも多くのマンガ家を輩出し、マンガ人口の裾野が広い新潟の特性が出ている。
開志専門職大学のアニメ・マンガ学部の授業の様子
これを裏付けるような発言をしてくれたのは、同学部教授でマンガ家のbelne氏である。
専門職大学という位置づけから、アニメやマンガ、キャラクターデザインの実践的な技術を教えるのが当学部です。アニメとキャラクターははじめからデジタル。マンガはまずアナログのテクニックを磨いてもらいます。私はこちらに来る以前から、「にいがたマンガ大賞」の第2次選考員や新潟コミティアの参加者として新潟のマンガには長く関わってきました。コミティアの閉会後にはコミックワークショップの講師として、若い描き手の方たちとも関わっています。ワークショップに作品を持ってこられるなかに70代の女性がいらっしゃって、「孫が楽しそうに描いているから、私も描いてみました」とニコニコしているということもありました。マンガを描きたいという人がたくさんいる新潟に専門の教育機関ができたのは素晴らしいことだと思います。
学園祭の様子、学生の制作物
アニメ・マンガ学部のカリキュラムのなかには、地域の活性化にマンガをどう役立てるのか、というテーマの授業もあるという。まだ、1年生だけなので大きな動きはないが、今後は地元の企業案内や自治体の宣伝物をマンガで、という話も出てくるに違いない。
「地元にとっては、マンガを勉強している若い学生がここに集まっていること自体が、活力になっていくと思います。そこから賑わいもうまれるのでは」とbelne氏。
belne氏
卒業後の進路という点でも新潟にアニメとマンガの大学ができることには意義がある。新潟県には、新潟アニメーション、マジックバス新潟、柏崎市に誕生した柏崎アニメスタジオなどの制作会社があり、アニメーターの求人がある。マンガに求人はないが、小池氏の話にもあったように、東京の出版社は新潟出身の新人に注目している。持ち込みをするにも東京は日帰り圏内だ。
情報発信拠点としての「新潟市マンガ・アニメ情報館」、マンガ文化を育てる「新潟市マンガの家」、そして、教育・研究機関の開志専門職大学アニメ・マンガ学部が3つの柱となって、新潟市は信越地方だけでなく、日本全体のマンガ文化、マンガ産業の拠点に育っていくのではないだろうか(註2)。
課題らしい課題は見当たらないが、これらの活動を広く日本中にアピールしない、新潟人の謙虚さが課題なのかもしれない。
(脚注)
*1
現在は、ガタケット事務局から株式会社ガタケットに名称変更。また、i-MEDIA国際映像メディア専門学校、NSGマンガ・アニメ・映像推進室が加入。
*2
新潟県下ではほかにも、新潟大学のアニメ・アーカイブ研究や、敬和学園大学のアニメ産業の講座など、この分野の注目するべき取り組みが多い。
新潟大学環東アジア研究センター「アニメ・アーカイブ研究」
https://www.arc.niigata-u.ac.jp/research/anime-archive/
敬和学園大学「アニメ産業」
https://www.keiwa-c.ac.jp/academic/liberalarts/animation/
※この記事は新型コロナウイルス感染症対策のために、電子メールやオンラインミーティングを使ったリモート取材で執筆しました。
※URLは2022年1月26日にリンクを確認済み
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