マンガやアニメの聖地を巡るコンテンツツーリズムが話題になっているが、地域の活性化につながるかどうかは、ファンを受け入れる施設や自治体の意識改革にかかってくる。人気マンガのミュージアムがあるというだけでは、せっかくの集客が地域全体を潤すところまでいかないのだ。今回は、その成功例として「北九州市漫画ミュージアム」を紹介する。

北九州市漫画ミュージアム内、戦後の日本のマンガと社会の歴史を紹介する「漫画タイムトンネル」

九州全体の中核都市

1963年に門司、小倉、若松、八幡、戸畑の5市が新設合併して誕生した北九州市は、福岡県北部、九州最北端に位置する都市だ。1978年までは、九州最大の人口を誇り、製鉄業や陸運・海運業、水産業などで栄えた土地である。商圏は、近隣の直方市、行橋市、中間市などのほか、関門海峡をはさんだ下関市、宇部市、山陽小野田市など山口県側にも広がっている。NHK北九州放送局をはじめ、朝日新聞西部本社、毎日新聞西部本社などのマスコミが小倉北区に拠点を構えるなど、九州の情報・文化拠点の役目も担ってきた。

長年にわたり経済・文化両面で九州の中核に位置づけられてきた影響もあって、北九州市は数多くのマンガ家を輩出してきた。

『銀河鉄道999』(1977~1981、1996~1999年)や『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1977~1979年)などの作者・松本零士は少年時代を北九州市で過ごし、高校時代には毎日新聞西部本社でマンガを描き、原稿料を授業料にあて卒業した。『まんだら屋の良太』(1979~1989年)などの作者・畑中純は県立小倉南高等学校在学時代からマンガ家を目指していた。『ハートカクテル』(1983~1989年)などの作者・わたせせいぞうは、生まれてまもなく旧小倉市に家族と移り住み、県立小倉高等学校を卒業後、上京して早稲田大学に進学。『キャッツ♥アイ』(1981~1984年)、『シティーハンター』(1985~1991年)の作者・北条司は旧小倉市に生まれ、高校まで北九州市で過ごし、福岡市の九州産業大学芸術学部に進学。このほかにも100人を超える地元にゆかりのマンガ家がいる。

また、かつて陸奥A子や評論家の故・米沢嘉博を輩出し、2021年秋に55周年を迎えるマンガ同人「アズ漫画研究会」は北九州市立思永中学校2年生6人が始めたサークルだ。

そんなマンガの聖地・北九州市に2012年8月に誕生したのが、北九州市漫画ミュージアムだ。場所は、小倉駅の北側、新幹線口につながる複合ビル「あるあるCity」1号館の5階、6階部分。あるあるCityはビル全体がマンガ、アニメ、アイドルなどサブカルチャーのショップで構成されており、7階と地下にはアイドルのライブや声優のトークショーができるスタジオもある。

新幹線を降り改札を出ると、メーテルと鉄郎、ハーロックたち松本零士によるキャラクターの銅像が並ぶデッキからミュージアムのエントランスにつながっている。館内は「見る・読む・描く」をテーマに構成されていて、名誉館長でもある松本の生い立ちや作品を紹介するコーナー、地元出身のマンガ家を紹介するコーナー、マンガの歴史を紹介する「漫画タイムトンネル」、マンガが完成するまでを紹介する「漫画の七不思議」、およそ7万冊のマンガが読めるゾーンなどがある。また、地元ゆかりのマンガ家が描いた原画の保管・収蔵にも力を入れている。

北九州市漫画ミュージアムの開館以前の2010年から運行されていた、モノレールのラッピング車両(現在は2代目デザイン)。JR九州在来線・JR山陽新幹線と北九州モノレールが交錯する小倉駅は、駅ビルの側面からレールが中空に伸びていく特異な構造で、駅の南側では『銀河鉄道999』を連想させる光景を楽しむことができる。松本零士が高校卒業後、マンガ家として大成するまで戻らぬ覚悟で旅立った思い出の駅でもあり、市役所の複数の部局や駅の管理・運営関係者が力を合わせて小倉駅の聖地化に取り組んでいる
©松本零士/零時社
北九州市漫画ミュージアムが設置した『銀河鉄道999』のキャラクターモニュメント
©松本零士/零時社
エントランスで来館者を迎える『宇宙海賊キャプテンハーロック』のハーロックの等身大フィギュア
©松本零士/零時社

小倉駅周辺をマンガアートが結集する場に

専門研究員の表智之氏にお話をうかがった。表氏は2006年に日本初の総合的なマンガミュージアムとして誕生した京都国際マンガミュージアムの開館に関わり、研究員を務めた後、北九州市漫画ミュージアム開館にあわせて着任。企画展の運営やアーカイブの整理、保存などに携わっている。

このビルはバブル経済崩壊直後の1993年に建てられたもので、もとのキーテナントはラフォーレ原宿さんでした。小倉駅南口周辺は商業施設、文化施設が集まり、昔から賑わっているのですが、北口は工場と港しかない場所だったのです。見本市会場「西日本総合展示場」はありましたが、ごく小さな1棟、現在の「本館」だけでした。そこへ、北口の活性化を目指して「ラフォーレ原宿小倉」が生まれ、小倉駅ビルのリニューアルや見本市会場の拡大などが続いたのですが、2007年にラフォーレさんが撤退。それに代わる再活性化事業として、国の助成金や北九州市の協力を得て、マンガ文化の振興と街のにぎわい創出のための施設として計画されたのが「あるあるCity」です。当館もその中にテナントとして入居して開館しました。「あるあるCity」の誕生で小倉駅の北側はずいぶん賑やかになりました。北と南の人の行き来も増えて、南北をつなぐ自由通路には「漫画トンネル」というマンガのコマの中に入り込んだように見えるトリックアートなどもでき、人気のフォトスポットになっています。マンガモニュメントやマンガアートの集積が駅周辺にできるように、われわれも工夫していますし、市のほかの部局もアイデアを出し合っています。その場合に、マンガ家の先生と担当部局をつないでいくような役目も当館は担っています。市の広報活動にマンガを利用したい、という相談も増えていますね。

「漫画トンネル」では、2021年に新たに、『シティーハンター』などの北条司作品を北九州の夜景と組み合わせたウォールアートもお目見えした
©北条司/コアミックス 1981 ©北条司/コアミックス 1985 ©北条司/コアミックス

マンガ関係の施設はせっかくできても、その施設に行っておしまい、ということが多いが、北九州市漫画ミュージアムの場合は、マンガをキーコンテンツとして賑わいをエリア全体に広げることで成功しているのだ。マンガを使った地域おこしを考える場合、北九州の取り組みには学ぶべき点が多い。大切なのは施設だけでなく自治体がひとつになって、マンガやアニメを地域活性化につなげるということなのだ。主役はマンガやアニメではなく地域という意識を持つことも必要になる。北九州市の場合、それに成功していることがわかる。

大分や下関のマンガファンが、わざわざ北九州まで来てくださるということも多いのです。ビルのテナントには『鬼滅の刃』のアニメーションを制作しているufotableさんのカフェもあるので土日は朝から行列ができています。もうひとつ、変わってきたことは、福岡や久留米などの近隣の自治体の美術館・博物館でマンガ・アニメ関係の展覧会が増えてきたことがあります。最近でも、福岡県立美術館では5月15日から7月11日にかけて「ムーミンコミックス展」をやっていますし、福岡市立美術館では4月29日から7月18日の会期で「高畑勲展―日本のアニメに残したもの」を開催。久留米市美術館でも4月17日から6月13日まで「デビュー50周年記念 萩尾望都 ポーの一族展」を行っていました。コロナ禍でなければ、福岡県下のマンガ・アニメ展を巡るという楽しみ方もあったかもしれません。

同じ県内の複数の美術館がマンガやアニメの展示を行うということは10年前には想像もできなかったことだ。素人考えでは、大型企画の取り合いになるのではないか、と心配にもなるのだが、このような形で、広域でマンガファン・アニメファンを誘致できれば、コンテンツツーリズムという観点からも望ましいのではないか。

原画収蔵も地域密着型

ミュージアムとしての機能はどうだろうか? 自治体が土地と建物を提供し、大学が運営を担う京都国際マンガミュージアムと違って、北九州市漫画ミュージアムは市が建物を借りて運営する形式をとっている。市民共有の財産として、地域密着、地域活性に重きが置かれるのは当然である。地域性をいかに発揮するかが問われることになるだろう。

さいわい、初めにも書いたように北九州市にはゆかりのマンガ家が100人以上いる。「エヴァンゲリオン展」(2013年)や「宇宙兄弟展」(2014~2015年)、「デビュー30周年記念 さくらももこの世界展」(2016年)のような全国を巡回した展覧会に加えて、地元作家をメインに据えた企画展を多く開催しているのが特長となっている。

2021年春に設置された「北九州ゆかり作家」一覧表。作家ごとに独立したパネルを作成して並べ、パネルを追加したり、情報を更新したりしながら紹介する

2020年には、門司出身で毎日新聞西部本社にてマンガ家としてのキャリアをスタートし、のちに上京して少年雑誌を中心に活躍した関谷ひさしの企画展「関谷ひさしとスポーツマンガの時代~もうひとつの少年マンガ史~」を開催している。新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大による休館を経て、もともとの会期である5~6月ではなく、夏に「延長戦」として開催したことも話題になった。

関谷先生は今では知らない人が多いかもしれませんが、昭和30年代から40年代にかけては、手塚治虫先生たちと人気を競ったひとりです。当館ともご縁が深く、「漫画の七不思議」コーナーには先生が実際に使った机を展示しています。新聞社やほかの美術館、博物館が企画したものを誘致すれば手間いらずかもしれませんが、北九州市とその周辺のマンガ家さんの仕事を顕彰する企画展はこれからも積極的に続けていきたいと思います。

展示も重要だが、ミュージアムには作品の収蔵という重要な役割もある。最近は、マンガ家の高齢化などによって、原画の行く末を心配する声や、実際に海外流出などの問題も起きている。この点を表氏に聞いた。

原画収蔵については、地域密着型の施設ですから、地元ゆかりの方たちの作品を積極的に受け入れていくという指針が当初からあったのです。紙の原稿の大敵であるカビや酸化にも注意を払っていて、温度や湿度を24時間空調管理できる収蔵庫をミュージアムと同じフロアに設けて、現在10万点くらいの原稿、原画を保管しています。保存ということでは長く置くと劣化してしまうという酸性紙問題がありますし、画材の耐光性の問題もあります。最近わかってきたのは、少女マンガによく使われているアルコールマーカーやカラーインクが光にたいへん弱いことなんです。展示する場合にも光を当てすぎないよう、例えていえば、浮世絵の木版画と同等のレベルで気をつけています。問題は収蔵するスペースよりもマンパワーですね。私を含めて計3人の学芸員が常勤していますが、なかなか作品の整理が追いついていないのが悩みです。収蔵している地元の作家さんの作品展をするときには、当然、整理作業が必要になりますから、そのときにがんばってやってしまう、という状況ですね。これは、ほかのミュージアムやマンガ図書館でも似たようなことではないかと思います。

コロナ禍を乗り越えて未来につなぐ

2020年から続く新型コロナウイルス感染拡大では、北九州市が早い段階で市が管理する施設の休館を決定し、北九州市漫画ミュージアムも長期間の休止を余儀なくされた。休館と再開が繰り返され、再開後もなかなか入場者は戻らず、感染者数が増えるとそれに反比例して入場者が減少する状態が今なお続いている。予定されていた海外と日本のマンガ家交流イベントなども中止になっている。

感染が収束したとしてもすぐに元通りになるとは考えられず、むしろ、経済的な打撃はこのあとやってくるのだろう。市の財政が圧迫されれば、文化的な事業への予算が縮小することも考えられる。

その苦しみを乗り越えて北九州市漫画ミュージアムが、北九州、九州全体、日本全体、世界へとマンガ・アニメの情報を発信する拠点になり、コロナ禍とその後遺症に苦しむ地域再活性化の役割を担うことができれば……。取材を終えて、そんなことを願った。

2019年に実施された、韓国と日本のマンガ家交流事業の様子。釜山グローバルウェブトゥーンセンター内のアトリエにて、同センターのナムジョンフン先生から、ウェブトゥーン制作の手ほどきを受ける日本の若手マンガ家(手前2名)。残念ながら新型コロナウイルス感染症の影響で、今度は逆に韓国から北九州へマンガ家を迎えての交流事業は予定が立っていない

※この記事は新型コロナウイルス感染症対策のために、電子メールや電話を使ったリモート取材で執筆しました。

※URLは2021年6月3日にリンクを確認済み