デジタル資料の長期保存や保護を表す「デジタル・プリザベーション」、そしてメディアや映像を用いた芸術作品の保存を指す「メディア・コンサベーション」。これらを軸に、アートのアーカイブに関するコンサルティングやサービスを提供する「Small Data Industries」をニューヨークに設立したベン・フィノラディンに創設の経緯やプロジェクト事例を聞いた。

ベン・フィノラディン(Ben Fino-Radin)、Small Data Industries創設者

筆者はアーカイブ担当としてNTTインターコミュニケーション・センター [ICC]にて2004年から2015年の10年超の期間従事し、その後、2015年秋に文化庁の新進芸術家海外研修制度を利用して、芸術分野のデジタル・プリザベーションやメディア・コンサベーション(註1)を先駆的に取り組んできた美術施設や関連機関が集合するニューヨークへ研究調査に向かった。当時、日本でもアーカイブ領域におけるアカデミックな議論は増えてきた一方で、筆者のように実際にメディアや機材を扱い実務を行う担当者間の知見やノウハウ、問題を共有できる機会が少ないと感じていたことが調査を行った理由のひとつだった。メトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館(以下、MoMA)、ホイットニー美術館、ニューヨーク公共図書館パフォーミングアーツ部門、ニューヨーク・フィルハーモニック、アンソロジー・フィルム・アーカイブズ、Rhizomeなどまず訪問施設を選定し、各施設の担当者を探した。彼らを訪ね、映像記録撮影を行いながら、現況や問題、課題などについて、メディア考古学的視点で過去の事例や未来の可能性や予測を含めたインタビューを行った。その当時の文化庁へ提出した調査報告書は公開しているので関心のある方はご一読いただきたい。

それから約6年が経過し、現在、彼らはアーカイブとどのように向き合っているだろうか。今回、2015年にインタビューした担当者のうち、当時MoMAでメディア・コンサベーションの仕事に従事していたベン・フィノラディン(Ben Fino-Radin)にインタビューを行った。

ベンはニューヨークの美術関係者のあいだではよく知られ、一目置かれた目立つ存在だ。2015年の調査時にもいろいろな人たちの話題に上った。ベンはMoMAに約4年勤務した後、2017年にベン自身の会社「スモール・データ・インダストリーズ(Small Data Industries)」(以下、スモール・データ)をニューヨークに創設。現在は美術館やアーティストをクライアントに持ち、タイムベースト・メディア・アートやその他の芸術的記録の修復、デジタル保存、それらに関するコンサルティングなどニーズに合わせてサービスを提供している。

これまで、アーティストのルイーズ・ブルジョワ(Louise Bourgeois)の多岐にわたるアーカイブのデジタル化や、後で紹介するホイットニー美術館(以下、ホイットニー)より受託したプロジェクトを行い、クーパー・ヒューイット・スミソニアン・デザイン・ミュージアム(以下、クーパー・ヒューイット)とは5年にわたりデジタル・コレクションのためのプロジェクトが継続中だ。

美術館という、あるひとつの枠組みのなかで働く以外の道を見出したベンに、2017年に創設したスモール・データについて、これまで取り組んできたプロジェクトや現在取り組んでいるプロジェクト、今後の計画などについて詳しく聞いた。

スモール・データ・インダストリーズの創設

アーカイブと言うと、図書館や美術館内での作業を思い浮かべる方が多いかもしれない。実際、ベンもMoMAのアソシエイト・メディア・コンサバターとして活躍していた(註2)。MoMAでの勤務時代には、オープンソースのデジタル・プリザベーション・システム「Archivematica」で知られる開発業者のArtefactual Systems社とともにデジタル作品の保存や管理のためのオープンソース・ソフトウェアを共同開発した経験を持つ。

ベンのMoMAでの勤務がもう少しで4年目を迎える2016年の終わり頃、MoMAのほかにも多くの美術館やギャラリーが作品のデジタル保存や保全に関しての専門的な知識を必要としていた。それらの知識へのアクセスはアーティストも求めていた。その頃、ベンは副業ですでにコンサルティングの仕事を受けはじめ、ホイットニーやDia:Beaconで知られるディア芸術財団のプロジェクトも並行して行っていた。ベンは、大きな美術館の構造化された環境の中で型にはまって働くよりも、フリーランスとしてプロジェクト・ベースの働き方の方がより自分が直接的に関われ、やりがいを感じられることを認識していた。あらゆる規模や形の芸術関係者の具体的な問題に対し、目標が達成できるよう、より柔軟な支援も職域を超えて可能になるからだ。

そんな折、クーパー・ヒューイットから、コレクションの調査や研究を含む大規模な助成金プロジェクトの募集が発表された。このプロジェクトはプロジェクトへの協力者に報酬を支払うことができるほど大きなもので、デジタル・キュレーションや保存に関する長期戦略を策定する、まさにベンのこれまでの経験や能力が最大限に生かせるものだった。ベンは運命の力に引っ張られるようにして、その募集に応募。幸いにもベンのプロポーザルが採択されることが決まり、MoMAを退職した。スモール・データのウェブサイトを立ち上げて情報発信を開始すると、ベンの想定どおり、需要はすぐに現れることになった。起業したその日から多忙な日々が続いている。

スモール・データ・インダストリーズの形態

スモール・データを設立後、必要に応じて規模や形態を変容させてきた。保存修復やコンサルティングの仕事に関しては、少数のハイエンドなクライアントに焦点を絞っており、ほぼベン一人で把握し対応している。現在ベンが少数のクライアントに焦点を絞っている理由は、クライアントにとっても自分にとっても、より密で深い仕事を達成したいと考えてのことだ。新興企業のように短期的に事業規模の拡大を目指すよりも、会社にとって意味のある事業を集中して行っていきたいと考えている。

しかし、プロジェクトの規模が大きくなればなるほど一人で急速に進めることは難しい。アーカイブの構築に一度でも関わった方なら想像が容易いと思うが、時間も掛かり地道な作業が続く。特に複数のソフトウェアや古いハードウェアへの理解など多様な知識を要し、楽器や語学の習得のような鍛錬が必要となる。そのため、プロジェクトの規模によっては数人のフルタイムスタッフと連携して行うもの、あるいは、ベンとプロジェクト・ベースで働く複数のフリーランスが関わるケースがある。現在ではいずれでも対応できるような基盤を整えつつある。

一方、ベンはアーカイブへの専門知識を身近で手頃なものにするため、並行して別の取り組みも行っている。ひとつは、「アーカイブ・アカデミー(Archive Academy)」。これは、コンサルタントを雇う余裕がないが自分自身でアーカイブの構築を行う必要がある人たちのために提供しているオンライン・レッスンである。もうひとつは、2021年8月に開始したベンのポッドキャスト番組「アート・アンド・アブソレスンス(Art and Obsolescence)」。アート&テクノロジーの過去、現在、未来を形づくるアーティストやアート関係者へベンがインタビューをする、オーラルヒストリーのアーカイブ・プロジェクトだ。公開されたインタビューにはビデオ・アートのパイオニアとして知られるアーティスト、ゲイリー・ヒル(Gary Hill)などが登場する。私自身がこれまで会ったことのあるアーティストのシュー・リー・チェン(Shu Lea Cheang)や、MoMAでビデオ・アートの展覧会などを先駆的に行ってきたキュレーターのバーバラ・ロンドン(Barbara London)など示唆に富む話を気軽にポッドキャストで楽しめる。

アート・アンド・アブソレスンスはある種のメディアとなって、スモール・データとアーティストや関係者との有機的なネットワーク形成の助けとなり、コラボレーションの可能性も無限に広がっていく。このメディアの記録自体がスモール・データの事業にとっても、未来のベンのようなアーキビストや研究者にとっても貴重なアーカイブになっている。現在は完全にDIYであるが、今後に向けて資金調達や協力者を迎え入れることを検討中とのことだ。

ベンがスモール・データに思い描いているのは、可鍛性のある、つまりちょっとした衝撃や圧力などで破壊されることなく、変形可能な性質の柔軟な容器のような形態だ。常に流動的でありたいと考えているそうだ。

2021年8月に開始したベンのポッドキャスト番組「Art and Obsolescence」

プロジェクト事例
――クーパー・ヒューイット・スミソニアン・デザイン・ミュージアム

ベンのプロポーザルを採択したクーパー・ヒューイットは、2017年、デジタル・コレクションの保存化のための大規模な取り組み「デジタル・コレクション・マテリアルズ・プロジェクト(Digital Collection Materials Project)」を開始した。デジタル・オブジェクトやデジタル・メディアは時間経過や技術進化などによってアクセスが困難になり情報喪失も起こりうる。コレクションのハードウェア、ソフトウェア両面のコンディションをいかに良く保ち、長期的なアクセスや将来に続く展示を可能にするかを目指すものだ(註3)。

クーパー・ヒューイットのコレクション21万点以上あるデザイン・オブジェクトのうち、デジタル作品は約150点。家庭用、オフィス用の電子機器、パーソナルコンピュータ、モバイル・デバイス、メディアプレーヤーなど以外にボーンデジタルなソフトウェア・アプリケーション、映像のメディア資料なども収集されてきた。これらコレクションの多様性は、クーパー・ヒューイットのウェブサイトに記されているとおり、「デザインはプロセスを通じて最もよく理解される」というミュージアムの信念を表している。

ベンらのチームは、コレクションがそれぞれどのような経路で収集されたのか、また、現在の状態を正確に把握するための徹底した調査を行い、厳選したオブジェクト(註4)のケーススタディを実施した。厳選オブジェクトのひとつ、Motorola「Envoy」は、クーパー・ヒューイットのコレクションのなかでも非常に重要な位置を占めるオブジェクトだとベンは言う。所蔵する携帯型パーソナル電子デバイスのなかでも現在のスマートフォンの起源を最もよく表しているのがこのモデルだそうだ。エルキ・フータモ(Erkki Huhtamo)が提唱するメディア考古学(註5)の見地から見ても興味深い。ケーススタディでは、オブジェクトの構成材料や、類似するコレクションに対応していくための再利用可能な技術や方法論の確立を目指した。ベンは以下のように考察している。

これは重要な仕事であり、単に文化遺産やデザインの歴史を保存する手段としてだけではありません。過去半世紀にわたるテクノロジーの激動と革命は、デジタル技術が社会や人間の生活に与える影響についての議論を促しました。これらの変化がいったいどのようなもので、どのように人間生活に実装されたのかという真の歴史的な記録なしでは、私たちの未来について批判的に捉えることはできないでしょう。

過去から現在にかけて人々が使用してきた、オブジェクトやメディア、またそれらのデザインの変遷を捉えることは、まさに人間と人間生活の歴史をたどることでもある。

また、文化遺産保存の分野では、デジタル・オブジェクトの収集、管理、展示のあり方を考える上で、参考になる2つの研究と実践領域があるとベンは語っている。

まず、「デジタル・プリザベーション」です。デジタル保存は、デジタル資料の長期保存と保護に関わるもので、多くの場合、書籍、定期刊行物、ウェブコンテンツ、特別コレクションなど、図書館やアーカイブズによって収集されるものです。2つ目の分野は、「タイムベースト・メディア・アートの保存」です。これは美術館を起源とし、フィルム、ビデオ、録音、ソフトウェアなどの技術を芸術的素材として使用した芸術作品の保存に関するものです。デジタル保存と時間軸メディア保存は非常に学際的で、しばしば互いに重なり合い、方法論を拝借し合っています。両分野の専門家は、デジタルデザイン資料の保存という課題に直面することがあります。例えば、MoMAでは建築・デザイン部門が収集したビデオゲームやデジタルフォントをタイムベースト・メディア・コンサバターが担当しています。

スモール・データで受託を受けているクーパー・ヒューイットとの仕事は5年にわたり現在も継続中だ。詳細については、ベンが彼らと取り組んだプロジェクト成果報告をご一読いただきたい。

プロジェクト事例――ホイットニー美術館

アメリカ美術を専門とするホイットニーは、創設以来、アメリカン・アートの収集、保存、展示に注力しているが、1982年にビデオ・アーティスト、ナム・ジュン・パイクの大規模な展覧会を行った美術館としても知られている。20世紀を通じて、タイムベースト・メディア・アートのコレクションも蓄積してきたホイットニーは、それらの保護、保全のインフラ構築手段を検討しており、実施するにあたり、スモール・データへ依頼をした。

館内のさまざまな部門にまたがる幅広い関係者――学芸員、登録担当者、保存修復師、AV技術者、IT部門などのニーズを満たす、包括的なデジタル保存と実行システムを彼らは必要としていたため、ベンはまず非常に人間中心のアプローチでプロジェクトを開始した。まず、システムに少しでも関与することになるホイットニーの学際的チーム全員へのインタビューから始めた。スタッフと対話を重ね、ヒアリングをもとに彼らのニーズや要望、要件などをすべて文書化した。一連の機能要件を策定し、ベストプラクティスを考慮しながら達成可能で、持続可能な運用方法を見出せるよう支援した。

最終的にはこれらの情報をもとに、「Archivematica」と「ResourceSpace」という2つのオープンソース・ソフトウェアを組み合わせ、カスタムソリューションの構築を行った。なぜこの2つを組み合わせようと思ったのか、ベンに尋ねた。

「Archivematica」と「ResourceSpace」の制作者は、こちらの提案の要請に対し、それぞれ別々に回答を出してきましたが、私たちはそれら2つを組み合わせることで、ホイットニーの要求条件をほかのどの製品よりも満たすことができると気がつきました。そして、たまたまほかの製品よりも価格が手頃だったため、ホイットニーの予算内で組み合わせることができました。この2つのオープンソースは非常に補完し合い、それまで誰も統合したことがなかったことに驚きました。また、これはユーザー主導のアプローチでニーズを定義し、完全なRFPプロセス、いわゆる提案依頼書(Request for Proposal)をまとめることの価値を証明するものでした。この一連の流れを行わず、単に私達の経験則に基づいたソリューションをただ提案していたら、彼らの問題に対して適切な今回のソリューションにたどり着くことはなかったと思います。

ホイットニーとのプロジェクトは、2018年春に開始し、約1年後の翌年の春に完了した。完了後も施設内で継続的にスタッフがシステムを運用できるよう、カスタムワークフローの作成、綿密なドキュメント化、そして、実践的なトレーニングをホイットニーのスタッフに行った。それらを経て、現在ではスモール・データの手を離れ、ホイットニーのチームが完全に管理している。

Small Data Industriesの内部

(脚注)
*1
主に芸術分野のメディアや映像を使用した作品、タイムベースト・メディア・アート、芸術的記録のデジタル保存、保護、保全などを指している。

*2
2015年、MoMAメディア・コンサベーション部門に在籍していたベンが、作品の修復や保存に向けてリサーチを行っていた作品のひとつに古橋悌二《LOVERS―永遠の恋人たち》(1994年)がある。1995年にMoMAのキュレーターであったバーバラ・ロンドン(Barbara London)による展覧会「Video Spaces: Eight Installations」で展示された作品で、1995年に古橋が死去した後、1998年にMoMAのコレクションとして収蔵された。当時はMoMAにメディア・コンサバターがおらず、作品に関する情報が限られ、長い期間、適切な形で起動されていない状況にあった。しかし、ベンが教鞭をとっていたクラスの学生が同作品を研究しており、今後の展示や作品の保存に向け、ドキュメント化を進めた。作品に使用されているコンピュータは1993年製で、作品を動かすプログラムのソースコードをMoMAは保有していなかったが、リバース・エンジニアリングによって、そのプログラムの内容を一般的なドキュメントへと書き出すことに成功したのだ。将来にも作品を起動し展示していけるように古橋とともにダムタイプを結成したほかのメンバーのフィードバックを聞きながら進行したそうだ。
Ben Fino-Radin, “Art In the Age of Obsolescence: Rescuing an Artwork from Crumbling Technologies,” MoMA. Features and perspectives on art and culture, December 22, 2016.
https://stories.moma.org/art-in-the-age-of-obsolescence-1272f1b9b92e#.84pjt48ab

*3
サポートの切れた古いブラウザやOSでしか起動しないデジタルアートを保全するためには古いシステムのエミュレータや、独自の方法で開発したソフトウェアなどが必要になる。

*4
ゴラン・レヴィン(Golan Levin)の「Free Universal Construction Kit」、IBMの未発売プロトタイプ「Leapfrog」、Motorola「Envoy」、en:GRiD Systems Corporation「GRiD Compass laptop」、NeXT Computer「the NeXTcube computer」、iOSアプリケーション「Planetary」、インタラクティブ・ロボット・デバイス「the Sketchbot」がケーススタディ対象として選定された。

*5
エルキ・フータモ著、太田純貴編訳『メディア考古学』NTT出版、2015年


ベン・フィノラディン(Ben Fino-Radin)
Small Data Industries創設者兼リード・コンサバター。2017年に同社を設立する前は、Rhizomeで最初のデジタル・コンサバターとしてイニシアティブをリードし、その後、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のアソシエイト・メディア・コンサバターを務めた。プラット・インスティテュート卒業。図書館情報学の修士号、デジタルアートの修士号を持つ。
https://smalldata.industries/
https://benfinoradin.info/

※URLは2022年2月10日にリンクを確認済み