「Small Data Industries」創設者のベン・フィノラディンに、同社の取り組みおよびデジタル・プリザベーションとメディア・コンサベーションについて聞く本コラム。設立までの経緯やプロジェクト事例が示された前編に続き、後編では現在取り組んでいるプロジェクト、アート界における問題点と課題、今後の計画などについて伝える。

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特に印象に残っているプロジェクト

スモール・データ・インダストリーズ(Small Data Industries:以下、スモール・データ)を創設後、ベンはこれまで数多くのプロジェクトを手掛けてきた。そのなかでもベンにとって個人的に忘れがたく、特に印象に残っているプロジェクトについて聞いた。

これまでのそれぞれのプロジェクトには信じられないほどインパクトがあって、やりがいのあるものがたくさんありました。そのなかでひとつに絞ることは本当に難しいですが、ひとつ挙げるとすれば、2018年にナショナル・セプテンバー11メモリアル&ミュージアム(National September 11 Memorial & Museum)と行ったプロジェクトです。

数年前、ナショナル・セプテンバー11メモリアル&ミュージアムは、2001年にマンハッタンのPostmasters Galleryで展示されたヴォルフガング・シュテーレ(Wolfgang Staehle)の《Untitled》(2001年)を収集した。この作品はリアルタイム・ビデオによるインスタレーションで、そのライブストリームに9.11の出来事がそのまま記録されたことでよく知られている。

ベンらチームは美術館とアーティストと協力し、この作品を旧式のソフトウェアから移行して、2001年の最初の展示以来、初めて作品を修復し展示用に設置することに成功した。

その翌年は再び美術館と協力して、大規模なマルチサイト・インスタレーションを設置しました。このプロジェクトが人々に与える影響を想像し、そして、実現のために美術館に力を与えられたことは私たちにとって大きな喜びでした。実に大きな意味がありました。

現在取り組んでいるプロジェクトと着手予定のプロジェクト

前述の「アーカイブ・アカデミー(Archive Academy)」と「アート・アンド・アブソレスンス(Art and Obsolescence)」のほか、ベンは、いくつかのプライベート・コレクションの入手、作品の受け入れ、保存管理、それらのドキュメンテーション化、デジタル保存のインフラ構築のための作業を現在行っている。その一環として、この春、ベンのクライアントである慈善家で資産家のロバート・ローゼンクランツ(Robert Rosenkranz、)のコレクションから多数の作品を出展する大規模な展覧会をサポート中だ。その展覧会の企画はキュレーターで美術史家、クリッシー・アイルズ(Chrissie Iles)によるものだ。

また、前述のとおり、5年にわたりプロジェクトを継続中のクーパー・ヒューイット・スミソニアン・デザイン・ミュージアム(以下、クーパー・ヒューイット)とは、デジタル・オブジェクトに関する仕事が継続している。コンピュータやビデオ・ゲーム・システムなどを改造して創作することで知られるコリー・アーケンジェル(Cory Arcangel)とは常にプロジェクトを行っており、前述のアーティスト、ゲイリー・ヒル(Gary Hill)とは、彼の90年代の大規模なインスタレーションをよみがえらせるための大規模な保存プロジェクトに着手しようとしている。

Small Data Industriesの作業風景

問題点と課題

2015年のニューヨークでの研究調査では、多くの施設が外部の企業や開発業者と共同でアーカイブ業務を進めていることがわかった。その時の調査で、筆者は1996年からインターネット上のアートの保存にフォーカスし活動を行ってきたRhizomeのデジタル・コンサバターであり、音楽家、メディア・アーティストのドラガン・エスペンシード(Dragan Espenschied)にもインタビューを行った。

彼は多くの芸術的機関が単なる芸術施設としての役割から、さまざまな研究開発も同時に行う研究施設のような存在になることが不可欠だと考えていた。例えば、多くの施設のコレクション管理にはGallery Systems社の「The Museum System(TMS)」が多く使われているが、時代にそぐわない部分も多く、より多くの関係者を巻き込み、ツールの開発や改良を行う必要があるとドラガンは述べていた。そこでアートとエンジニアリングの領域の間には壁があるが、両方に明るい人材がこれからは美術館に必要という見解だった。このような視点について、今回ベンの意見を聞いてみた。

まず第一に、美術館や関連機関は、あらゆる種類のアーカイブの保存や保全に関する研究に取り組んでいますが、これらは多くの場合、収益を上げるような活動ではありません。そのため純粋にこのような研究が行えるのは、本来、美術館や関連機関だけと言えます。ただ、研究開発に関して言えば、現実はそう容易ではありません。

これはいったいどういうことだろうか。確かにベンやドラガンのようにアート分野にもエンジニアリングにも精通したアーキビスト、メディア・コンサバターは大規模な美術館でさえなかなか存在せず稀有だ。それには以下のような理由があるようだ。

美術館や博物館などの非営利機関の技術サイドで働いていた優秀な人たちがその現場を離れて民間企業で働き出す頭脳流出を私はこれまでずっと目の当たりにしてきました。その理由は誰にでもわかるでしょう。技術者は民間企業で働く方が圧倒的にお金を稼ぐことができます。それに例えば、美術館のデジタル・チームにふさわしい敬意や、有意義なものをつくるためのスペースが与えられないこともあるのです。あるいは、そのようなものを継続的に維持するための投資が行われていないのです。この10年間で、私が知っている美術館の技術サイドのほとんどの人が美術館で働くのを止めてしまいました。

また、文化施設がよくディスラプション(disruption)やイノベーション(innovation)という言葉を使うことがありますが、現状を打破するようなイノベーションを創造する能力を持つ実務労働者がほかの場所へ去ってしまう、あるいは、それを実現するために去りつつある、という矛盾が起きてしまっているのです。

美術館や文化施設がその目的を達成するための新しいテクノロジーの開発の拠点となるべきかという疑問はさておき、投資不足、人材流出、ソフトウェア開発やインフラに対する根本的な理解不足を考えるとそれは不可能だと思います。施設間で小規模なオープンソースのプロジェクトを共同で行っている例はごくわずかだと思いますが、これも助成金による不安定なプロジェクトであることが多いのです。当面のあいだ、それが人々の助けになるのであれば、それは素晴らしいことです。しかし、私はまだここで永続的な変化をあまり見ていません。

2015年の調査時にも各美術館や関連施設内において、アートとエンジニアリング領域のあいだの壁が顕著であった。しかし、安定したデジタル・プリザベーションやメディア・コンサベーションを実施するにあたり、技術者を雇いインハウスで実現するのか、あるいは、スモール・データのような外部機関と連携して進めていくのか、早い段階から検討し着実にアクションを起こす必要がある。

アーカイブ・プロジェクトは次世代の社会の創造や技術発展への可能性を多分に持ち、施設の独自性やブランディングの確立のための有効的手段でもある。アクセスに寄与し、継続すればするほどレガシーとして価値が生まれる。そのため予算や人員を積極的に割いて進め、プロジェクトを途中で放棄するのではなく、継続的にアーカイブの技術や運用を次世代に綿々と伝承していくことが大切だ。同時に一般向けには「何のためのアーカイブであるのか」というメッセージをいかに広く伝えられるかが鍵となる。

また、美術界やその周辺ではまだ有色人種が組織において指導的立場を務めていても、組織の代表として活躍するケースが少ないという現実があると言う。ベンはスモール・データとして、このマイノリティの問題に対し、どのような貢献ができるのか継続的に問うてきた。そこで、ベンは、コンサベーションのコミュニティ以外の分野の幅広い経歴を持つマイノリティへ向け、アーカイブ保全専門職の公平性と包括性を高めるための奨学金制度「Small Data Scholars」を設立し、2020年に開始した。これはthe American Institute for Conservation (AIC)の年次総会出席資金を奨学金として授与する制度である。

スモール・データ・インダストリーズの今後の計画

現在展開中のプロジェクトやサービスを発展させることのほかに構想中の計画があるとベンは言う。

現在、ニューヨーク州北部に新しい施設の立ち上げを計画中です。そこではより大規模で長期的なプロジェクトをクライアントと一緒に行うための充分なスペースを提供できると思います。タイムベースト・メディア・アートの特徴のひとつは「設置されるまでは存在しない」ということです。丁寧な保存修復作業や研究を行うためのスペースを確保することは、大きな研究機関でさえ持っていない贅沢なことです。そのようなスペースをつくり、ほかの必要とする人たちと共有可能にすることは私が長年やりたかったことで今まさに実現できると考えています。

ベンの周辺には広義のアーカイブズ分野で活動するコンサルティング会社がほんの一握り、フリーランスのコンサバター、独立系アーキビストがそれなりにおり、個人経営の大規模な現代美術保存修復ラボもいくつかある。競合相手がいないわけではないが、競合相手はベンらが提供するサービスの一面のみを専門にしている傾向にあり、アーカイブの保存や保全に関しての幅広いニーズを満たす事業を行っているスモール・データはまだ珍しい存在だ。

そして、ベンに芸術領域以外の分野でもアーカイブのプロジェクトを今後行う計画があるのかどうか尋ねた。

いいえ。ただ、学際的にクロスオーバーする瞬間はあります。今、私たちはカーネギーメロン大学と共同でロボット研究のためのデジタル保存戦略を開発していますが、私にとってはタイムベースト・メディア・アートのそれとかなり重なります。例えば、2019年にはProtocol LabsとShoah Foundationと協力して、Filecoinでのデータ保存を容易にするためのコマンドラインインターフェースのプロトタイプであるStarlingをつくりました。実際、私たちはCreative Time Summitでワークショップを行い、アーティストやコレクションの専門家がその使い方を学ぶ機会を設けました。アートと文化はこれまでもこれからも私の情熱であり、私が行うすべてのことの中心でなければなりません。そうでなければ、私にとって楽しくもおもしろくもありませんし、やりがいもありません。人はその文脈に合ったときに最高の仕事ができると思います。

独立して現在のような仕事をするきっかけは何だったか

その原動力がどこからきたのかをさかのぼると、それは中学、高校時代の恩師にあると言う。

良くも悪くも、私は物心ついたときから、自分のアイデアを自由に実行できる環境を求めていて、自分の周りの世界に持続的な変化をもたらすために何かをつくろうと思ってきました。

高校時代、マクルーア(McClure)先生という木工の先生がいました。彼は何年もかけて自分の趣味や情熱を生徒に伝え、生徒と一緒に共有できるスペースを学校の中につくっていきました。モノクロ写真の暗室、オーディオとビデオの制作室、アムネスティの学生支部、ついにはラジオ局(これは完全に違法だったと思います!)を始めるのを手伝うよう、私を巻き込んでくれました。ごく初期の時代のグラフィックデザインを生徒に教えたり、遅くまでギターを弾いていたりしたことを覚えています。人里離れた場所にある比較的平凡な公立学校の中で、その一人の先生が多くの生徒たちに大きなインスピレーションと影響を与えてくれました。卒業した生徒たちも度々マクルーア先生を訪ねるのです。その先生をロールモデルにしたことで、私は自分が興味を持ったことは、まず試して、形にしたいと考えるようになりました。まさに起業家的な衝動に駆られるというか。また、ほかの人と共有できる場を持ちたいという願望を早い時期から植え付けられたようにも思います。そして、自分で何かをつくる独立した仕事をすることが、これまで学んだことを私自身の職業人生に統合する唯一の方法であることに早い段階で気付いたのです。

現在、ベンはベンのとってのマクルーア先生のように、ニューヨークのアート界の人々に大きなインスピレーションや影響をもたらしている。

未来に向けてのデジタル・プリザベーションとメディア・コンサベーション

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のニューヨークのアート界での影響をベンに尋ねた。

COVID-19によって誰もがすべてを見直すことを余儀なくされました。ニューヨークのアート界では既に起こっていたトレンドが加速しました。あるものは終わり、あるものは生まれ、あるものは変わり、あるものは大きくなり、あるものは小さくなりました。もし私たちが人類という広い範囲や、過去2年間の苦しみ、偏見、不安について話しているのではなく、アートの世界についてのみ話しているのならば、私の考えではCOVID-19は変化を加速させるきっかけになっただけとも言えます。

現在から未来を見据える際、スモール・データのデジタル・プリザベーションとメディア・コンサベーションに関する事業は国内の美術館や関連機関においても大変参考になる事例であると筆者は思う。

最後に、前述のクーパー・ヒューイットとベンが取り組んだ際のプロジェクト成果報告より印象的な冒頭部分を紹介するので、ぜひ一緒に想像していただきたい。

今から50年後、ある学校のクラスがクーパー・ヒューイットへ遠足に行き、2018年にデザインされたテクノロジーに特化した展覧会を見ることを想像してください。そこに展示されたモノの機能は現在の私たちにはすぐにわかりますが、未来には何が見えるのでしょうか? そして、何をどのように見るのでしょうか。彼らはどのように展示物を体験し、触れ、交流するのでしょうか。私たちの世界を形成しているテクノロジーをどのように理解するのでしょうか?

Small Data Industriesの内部

(脚注)
慈善家、350億ドル以上の運用資産を持つ投資関連会社デルファイ・キャピタル・マネジメント(Delphi Capital Management)の会長。


ベン・フィノラディン(Ben Fino-Radin)
Small Data Industries創設者兼リード・コンサバター。2017年に同社を設立する前は、Rhizomeで最初のデジタル・コンサバターとしてイニシアティブをリードし、その後、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のアソシエイト・メディア・コンサバターを務めた。プラット・インスティテュート卒業。図書館情報学の修士号、デジタルアートの修士号を持つ。
https://smalldata.industries/
https://benfinoradin.info/

※URLは2022年2月10日にリンクを確認済み