特撮作品に登場するミニチュアセット、超兵器、怪獣など、さまざまな被写体をつくり出し、特撮班・美術部門のトップとして映像文化に多大な貢献をしてきた「特撮美術監督」。円谷英二に代表される「特技監督」と比較するとなかなか注目されてこなかったポジションであるが、2022年に東京都現代美術館にて、東宝特撮映画の黄金期を支えた特撮美術監督である井上泰幸の大規模な展覧会「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」(以下、「井上泰幸展」)が開催された。同展の監修者であり、自身も特撮美術監督として活躍する三池敏夫氏に、特撮美術監督の仕事や系譜、そのなかでの井上泰幸の特異性についてお話しいただいた。
三池敏夫氏。「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」の井上泰幸写真パネル側で撮影
本編と特撮の「美術」
今回のインタビューでは「特撮美術監督」についてお話をうかがいたいと思います。まず「特撮美術監督」の映像制作における役割について、お聞かせください。
三池:特撮映画は人物を撮影する「本編」と、怪獣やミニチュアを撮影する「特撮」の二班体制でつくることが普通でした。「特撮」というジャンルに区切る前に、まず映画における「美術」について説明しますが、「美術」とは、台本に書かれているシチュエーションをビジュアル化する仕事です。映画には実景のロケ中心で撮影されるものもあれば、SFやファンタジーのように非日常的な世界観が求められるものもありますが、どのような映画においても台本の文字情報を被写体として具体化する美術設計は重要です。それにロケで撮影している場合でも、新たに建物を建てたり畑をつくったりと、もともとのロケ地の状態から加工していることも多いんですよ。『のぼうの城』(2012年)では砦のようなお城を、濠を掘って、緑を植えて、堤防をつくってと、土木工事のレベルでつくりました。海外でも『ロード・オブ・ザ・リング』(2001年)でホビットの村をつくっているでしょう。美術は時にはそれくらいの規模で「世界」をつくります。そのトップが「美術監督」ですね。
では「特撮美術監督」の仕事についてですが、「台本に書かれているものをビジュアル化する」という点では一般の映画の「美術監督」と仕事の内容は同じです。ただ、いわゆる特撮というジャンルの作品、特に怪獣映画に関しては、ロケでそのまま撮れるような画づくりはまずなく、ミニチュアを主体に映像をつくります。一応、特撮にも「借景」という、手前に怪獣や戦車を配置し、奥の実景を背景にして撮る方法はありますが、被写体をミニチュアとしてスケールダウンして撮影するのが特撮の基本であり、それはビルや民家のような人工物だけでなく、山や海、川、空といった自然物も包括します。つまり、特撮の場合はカメラに映っているものすべてを一からつくる必要がある、そこが本編の美術と特撮の美術の大きな違いですね。ですから特撮美術監督は仕事の分量が多いですし、必要とされるミニチュアの品質管理、予算管理、スケジュール管理といった運営能力の差がセットのクオリティの差に現れます。
被写体がなければ撮影もできませんし、スケジュールまで管理しているとなると、特撮美術監督の仕事は、美術というセクションだけにとどまらず、撮影すべてに影響を及ぼしているとも言えるのではないでしょうか。
三池:そういう面はありますね。スケジュールに関して言うと、まずチーフ助監督と製作部がスタジオを押さえるところから始まります。そして彼らが公開日から逆算して立てた撮影スケジュールを基に、チーフ助監督と特撮美術監督とで美術のスケジュールに関する具体的な打ち合わせが始まります。このとき、製作に時間がかかる物量の多いセットを後回しにするといった要求を特撮美術監督から出すこともありますが、要求通りにいかないこともあります。その意味で、必ずしも美術がスケジュールを決めているわけではないのですが、スケジュールを具体化するなかで特撮美術監督に必ず相談が来ますね。ちなみに浅田英一監督によると、助監督時代に井上さんと打ち合わせをしたとき、井上さんから「順番を変えてくれ」といった要望はほとんどなかったそうです。「この日に撮影をやりたい」というリクエストに美術パートが応えていたんですね。ただその分、現場の美術スタッフは徹夜してでも間に合わせることになっていたわけですが。
「井上泰幸展」では「特撮美術監督」という呼び方が使われていますが、ほかにも「特撮デザイナー」という呼び方もありますよね。
三池:もともと「美術監督」という呼び方は撮影所では使われておらず、だいたい「デザイナー」が通称でした。僕らがこの業界に入ってずいぶん経ってから、「撮影監督」とか「美術監督」という呼び方が出てくるようになったんですね。ですから「美術監督」であれ「デザイナー」であれ、呼び方が違うだけで業務内容は同じです。ただ「デザイナー」というと、ファッションデザイナーや工業デザイナーといったようないろいろな職種の「デザイナー」がいるので、仕事の内容が伝わり辛いんですよね。「映画の美術監督」と言ったほうが仕事のニュアンスがはっきりするように思います。
「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」入口
井上泰幸の特異性
撮影に必要となるセットについては、台本上の記述から想定していくのでしょうか。
三池:はい。台本に関しては、まずプロデューサーが企画を立て、それから脚本家にオーダーします。監督はこの段階か、最初の台本ができた頃に決まることが多いですね。そしてプロデューサー、脚本家、本編監督、特撮監督の4人で作品の世界観が練られます。
では監督たちのあいだで大体のビジュアルイメージができているのですね。
三池:それは作品や制作会社によります。例えば東宝の場合、1950年代製作部長の森岩雄さんがアメリカのやり方を参考に、具体的な絵を並べて世界観をつくっていく「ピクトリアルスケッチ」(註1)という手法を導入しました。ですが、ああいった絵を重視したやり方はほかの会社ではあまり聞きません。
『ゴジラ』(1954年)などのピクトリアルスケッチには、当時の特撮美術監督である渡辺明さんも関わられていますね。
三池:渡辺さんは抜群に絵が上手いので、イメージを迅速かつ的確に形にするうえで円谷監督にとって頼りになるスタッフでした。美術監督は絵が描けないと話にならない仕事ですが、上手下手は人それぞれですからね(笑)。
『妖星ゴラス』(1962年)イメージボード。左は渡辺明、右は井上泰幸によるもの
ピクトリアルスケッチは後のイメージボードや画コンテの仕事のはしりですね。
三池:ただ、井上さんがつくっている画コンテは、一般的な意味での「画コンテ」とは意味合いが違うんですよ。イメージボードや画コンテは基本的に監督から指示を受けてやる仕事ですが、井上さんの画コンテは監督発注ではなく、自主的につくったものです。カット割りをすることで、自分がこれからつくるセットのイメージを具体化させているんですね。ちなみに、井上さんの画コンテを「井上泰幸展」で展示するにあたり、単に「画コンテ」という名前で紹介しただけでは、撮影で使うために描いたと思われるということで、苦肉の策で「井上式画コンテ」という名前を付けたんですよ(笑)。
あのネーミングにはそんな裏側があったのですね。画コンテというと、『日本海大海戦』(1969年)で、円谷監督が井上さんの画コンテを使って撮影したという話がありますね。
三池:そうですね。ただ、円谷監督による『日本海大海戦』の画コンテも見つかっているので、井上さんのものを描き写したのか、別個に描いていたところで「井上さんの画コンテでやろう」となったのかはわかりません。ただ、この頃には円谷監督と井上さんとのあいだには深い信頼関係があり、円谷監督も「監督を差し置いて美術が演出にでしゃばって」とは思っていなかったわけですね。『日本海大海戦』の記念撮影のときに、円谷監督が後から来る井上さんのために席を空けさせたというのは、その象徴的なエピソードですね。まあ、渡辺さんが東宝を辞める前までは、円谷監督と井上さんとでやり方の違いによる衝突はたびたびあったようですが、それも衝突したことで最終的に井上さんの評価が上がったという逸話ばかりです。そして渡辺さんが辞められて井上さんがトップになってからは、ゆるぎない信頼関係ができていたようで、セットづくりは井上さんにお任せです。井上さんがおぜん立てした緻密なセットや崩壊の仕掛けを頼りに円谷監督が画づくりをするわけで、井上さんは美術部でありながら演出補佐の役割を担っていたのは間違いありません。
『怪獣総進撃』(1968年)井上式画コンテ
カメラポジションに関しても、セットの設計段階で井上さんが決めていますね。こうしたカメラポジションの想定というのは、特撮美術監督の仕事としては基本的な事項なのでしょうか。
三池:はい。それは本編の美術であっても同様で、レンズのことを知らなければ美術の仕事はできません。ただ特撮の場合、セットの奥行き表現に関わってくるので、カメラポジションの設定はより重要です。もちろん撮影で使うレンズを決めるのはカメラマンですし、「何ミリのレンズでどこまで引く」といった綿密な打ち合わせまではしていません。
では、こちらが想定していたカメラポジション通りになったら、ほくそ笑むといった感じですか。
三池:そういうことですね。逆に、違うところにカメラが入ったら「ああ、わかってないな」みたいな(笑)。メインポジションは画コンテでイメージが共有できているので、だいたい美術が設定したところに誘導されますね。そして最終的カメラ位置から見たセットの手直しはカットごとに必ずやります。
『モスラ対ゴジラ』(1964年)セットプラン。カメラポジションが設定されていることがわかる
セットをつくるにあたって操演などの各部との絡みも考えなければならないかと思いますが、その打ち合わせはどのようにしているのでしょうか。
三池:例えば何かを壊したり、怪獣などが地中から出現したりといった事前の準備が必要なときは、監督と打ち合わせをしたうえで、井上さんが操演や特殊効果に対して事細かに伝達しています。それに、井上さんの時代は美術監督の権限がすごく強い時代でした。会社の組織表では美術、大道具、塗装、造型、石膏、特殊効果、操演、模型電飾、機械工作は横並びに見えますが、みんな特撮美術監督の指示に従うという上下関係なので、実質美術が中枢なんですね。ちなみに、僕らの時代になると、美術とほかの各部の関係はほぼ横並びになっていました。
なるほど、井上さんは被写体づくり全体におけるトップだったのですね。
三池:それに井上さんは人件費や材料費を含めたセットの予算管理、スタッフのスケジュール管理もすべて自分一人でやっていました。ほかの作品の特撮美術監督はあそこまでやっていないと思います。
ちなみに、大澤哲三さんが平成ゴジラシリーズで特撮美術監督をされていたときは、予算管理は大澤さんではなく、セットづくりを担当する東宝映像美術の人がやっていました。大澤さんは東宝社内の人間ではないので、東宝としても大澤さんに全権委任というわけにはいかず、大澤さんが出したセット案から費用を算出して、時には「予算が合わないから削ってください」と言う人が必要になったんです。
三池さんが特撮美術監督をされたときはいかがでしたか。
三池:僕のときも予算管理は東宝映像美術の人がやっていましたね。
ほかの人が予算を管理している場合と、井上さんのように一人ですべて管理する場合とでは、できるものも変わってくるのでしょうか。
三池:会社の人間が管理するとどうしても利益重視になるので、融通が効かないことはありますね。とはいえ「作品を良くするために赤字になりました」では会社経営が成り立たないのは道理なので、そこは立場の違いですよ。それに井上さんは、自分が思うクオリティにするために、人任せにせず、すべて自分で引き受けないと気が済まなかったのだと思います。戦争映画に登場する南方の飛行場に必要な椰子の木の本数まで自分で出していますからね。
『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966年)展示物。写真左の「大プール・島、セット図面」には人件費や材料費に関する記述が
井上さんの予算管理といえば、イメージボード、図面、予算表、字コンテなどをひとつにまとめた「井上式セット設計」がありますね。
三池:あれはセットの全体把握を効率よくやるために編み出した手法でしょうね。普通はイメージボードと平面図、予算表はそれぞれ別に描きますが、それだと必要なときにいちいちそれぞれ出さなければいけませんから。井上さんのやり方であれば、そのセットがどのような画をつくるもので、どのくらいの規模で、どのくらいの労力や予算がかかるという全貌がひと目でわかります。それに「このセットに対してこの予算はかけ過ぎだ、ほかのセットに回そう」といった調整もやりやすいのだと思います。
セットの設計資料は、監督などにも見せていたのでしょうか。
三池:いえ、あれは本当に内部の機密書類で、井上さんも人に見せるつもりではつくっていないはずです。監督にも見せていませんし、美術や大道具のスタッフにも、イメージボードや図面の部分は渡しているでしょうが、すべて1枚に収まった形では見せていません。東宝映像美術の管理職や全体のプロデューサーにも、見せているのは予算の部分でしょう。あれは画コンテと同時進行か、画コンテ作業の後につくられた、井上さんの作戦図面なんですね。
「井上式セット設計」のノウハウが、後の特撮美術監督にどのように影響を与えていたのか気になっていたのですが、そもそも誰も見たことがなかったのですね。
三池:そうです。井上さんはあのやり方を誰にも教えていないし、東宝に限らず、他社でも同じようなやり方をしている人を僕は見たことがないですね。
しかし、「井上泰幸展」でこうしてその全貌が明らかになったことで、今の特撮スタッフにも影響を与えるかもしれませんね。
三池:でもあれは、井上さんが活躍したあの時代だからこそのやり方かもしれません。あの時代は特撮映画が次々つくられていましたし、ひとつの映画で10セット以上あるといったように、セットやミニチュアも物量が必要でした。今では一点集中型のセットづくりもできますし、そもそも制作される映画の本数自体が少ないですからね。
でもこうしたさまざまな面でのコントロールというのが映画の美術監督の重要な役割でありながら、意外と一般には知られていない部分ですよね。ただ絵が描ければ美術監督が務まるというものではありません。内部スタッフのスケジュールはもちろん、戸井田板金製作所(註2)や郡司模型製作所(註3)などに板金模型を外注したときの費用や納期もすべて把握しなければなりません。
外注先の選定はどのようにされるのですか。
三池:それは一作一作の経験の積み重ねですね。納品されるもののクオリティやかかる日数に関する目算は、やればやるほど身についてきます。
三池さんが特撮美術監督になられたときは、助手時代の経験を活用されたのでしょうか。
三池:そうですね。図面を担当したものに関しては、発注や途中チェックに助手も関わりますから。予算表については極秘なので、あまり助手に見せてくれないのですが、部分的には入手して知識は得ていました。特撮美術監督になった最初の頃は、こうした過去の予算表の数字を参考にしていましたね。その後は自分でやったときのデータがさらに積み重ねられていきますね。
なるほど、経験を重ねていくごとに確度が上がっていくと。
三池:でもそれは自分の想定した数字でしかないので、その都度図面を渡して正式な見積もりは出してもらいますよ。職人が抜けたとか、材料費が上がったとか、新しい機械を入れたといった要因でちょっと金額を上乗せしたいなど、各社事情を抱えていますからね。それに出た見積もりに対してこちらから削減できるところを相談することもありますよ。例えば平成ガメラのときは極端に予算が合わなかったので、電車もカメラで狙う一方向しかつくりませんでした。裏に回ると何もつくっていないんです(笑)。
それが可能なのも、カメラポジションを先に決めてるからですね。
三池:金子修介監督と樋口真嗣特技監督、どちらも自分で絵を描けて、双方で納得した画コンテが最初にあったことが美術部的にはありがたかったですね。監督が撮りたい画がそこにあるわけですから。後で変更や追加があるにせよ、基本方針は変わらないので、無駄のない準備ができますよ。ほかの人に画コンテを描かせると、その辺がどんどん変わっていったりしますからね。
『キングコングの逆襲』(1967年)展示物。左2つが「井上式セット設計」によるもの。右はセット進行のスケジュール表
井上泰幸と成田亨
井上さんは怪獣デザインも複数ご担当されていますね。
三池:被写体となるものをすべてデザインするのが美術の仕事なので、怪獣も美術の扱いです。渡辺明さんのときからそうでしたから、美術監督としてそれを引き継いだわけですね。
『ウルトラQ』(1966年)のようなテレビの作品でも同様ですか。
三池:そうです。円谷プロの仕事に関しても、成田亨さんが美術監督としてセットデザインや怪獣デザインすべてをやっていたので、後継者の池谷仙克さんもその流れを汲み、デザイン全般を担当されています。80年代以降には、怪獣デザイナーとかメカデザイナーとかが独立した仕事になってきて、中野昭慶監督や川北紘一監督がそういった外部の人にいろいろと描かせたりしていました。東宝特撮初期でも『地球防衛軍』(1957年)のときの小松崎茂さんのように、外部の名が売れた人に頼んだりすることもありましたね。とはいえ、美術が何でもデザインするのが基本でした。
今回の展覧会では成田亨によるサンダとガイラのデザイン画が展示されていますね。あれは「成田亨 美術/特撮/怪獣」展(註4)でも展示されていなかったので、驚きました。
三池:『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966年)は僕の原体験の映画でもありますし、井上さんと成田さんの関係をお客さんにも伝えたいと思って、今回原画を展示させていただきました。そもそも『ウルトラQ』が怪獣路線になった最初は井上さんがやっており、成田さんをウルトラの現場に推薦したのも井上さんなんですよね。ただこのサンダとガイラのデザイン画がそのままOKだったわけではなく、井上さんの助手である小村完さんがリタッチしていたりするのですが。
ところで、成田さんがなぜサンダとガイラのデザイン画を描いたのかについて、これは僕の推測なのですが、円谷英二監督が東宝と『ウルトラマン』(1966~1967年)を製作している東宝美術センター(後の東宝ビルト)を行き来しているので、そのときに成田さんに「今度やる映画も描いてくれよ」と頼んだのではないかと思います。井上さんは基本的に他人に委ねるのは嫌なタイプで、その作品のスタッフでもない人が描いた絵を認めるはずがないのですが、成田さんは『ゴジラ』、『ゴジラの逆襲』(1955年)、『空の大怪獣ラドン』(1956年)に石膏部で参加しているし、その後は背景部の手伝いということで、東宝にいた頃は井上さんの下で働いていたわけです。なので外部の人と言っても、井上さんとは距離が近いわけですよ。井上さんは成田さんが東宝を出た後に東映で美術監督として一本立ちしていたのも知っていたようですし、過去の日記には成田さんをライバルとして意識している感じのことすら書いてありますからね。
「東映の成田君を呼びなさい」と言って、『ウルトラQ』の自分の後を任せているわけですからね。
三池:認めていない人を推薦するはずがありませんよ。
井上泰幸による『ウルトラQ』(1966年)登場のゴメスのデザイン画
成田亨による『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』登場のサンダとガイラのデザイン画
井上泰幸の日記。展示では奥のタブレット端末にダイジェストで表示されている
(脚注)
*1
ピクトリアルスケッチについては、本サイト記事「「特撮のDNA~ゴジラ、富士山にあらわる~」レポート」に詳細についての記述あり。
https://mediag.bunka.go.jp/article/article-17959/
*2
1935年創業の金属造型加工専門会社。駐車場精算機やオフィス什器から映像用のプロップまで幅広い領域の板金加工製品を手掛ける。特撮作品では『モスラ』(1961年)の東京タワーをはじめとするさまざまな金属製ミニチュアの製作を担った。1987年に戸井田工業に改称。
*3
郡司通の創業による模型製造会社。新東宝から『戦艦大和』(1953年)用の44分の1サイズ戦艦大和をはじめとする軍艦ミニチュアの発注を受けたことを機に、『ゴジラ』や『宇宙人東京に現わる』(1956年)をはじめとするさまざまな特撮作品の金属製ミニチュア製作を担った。後に活動の中心を展示模型の製作にシフトし、郡司モデル・クラフトへと改称した。
*4
「成田亨 美術/特撮/怪獣」
富山県立近代美術館:2014年7月19日(土)~8月31日(日)
福岡市美術館:2015年1月6日(火)~2月11日(水・祝)
青森県立美術館:2015年4月11日(土)~5月31日(日)
(information)
生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展
会期:2022年3月19日(土)〜6月19日(日)
休館日:毎週月曜日(3月21日は開館)、3月22日
会場:東京都現代美術館 企画展示室 地下2F
入場料:一般1,700円、大学生・専門学校生・65歳以上1,200円、中高生600円、小学生以下無料
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/yasuyuki-inoue/
※URLは2022年6月2日にリンクを確認済み
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