アーティストで研究者の久保田晃弘氏をナビゲーターに、次の100年に向けたアートとテクノロジーについて考える対談シリーズ。むかえたのはデザイン・イノベーション・ファーム、Takram(タクラム)の緒方壽人氏。2021年に氏が上梓した『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』(BNN新社)は、約半世紀前に思想家のイヴァン・イリイチが産業社会に警鐘を鳴らした「コンヴィヴィアリティのための道具」を、アイデアの足がかりにしている。「コンヴィヴィアル」(共に生きる)社会はどのように可能なのか。産業の進化の果てに、はたして人間が本来の創造性を発揮する社会は生まれるのか。その問いを引き継ぎ、IoTをはじめとする現代の先端的なテクノロジーやデザインの現場での知見を基に、緒方氏の未来に向けた思考が軽やかに紡がれた一冊。久保田氏は本書をどう読んだのか。二人の対話はこれからのデザインのあり方をめぐって始まる。

左から、久保田晃弘氏、緒方壽人氏
以下、撮影:畠中彩

思考と実践の生態系

久保田:緒方さんの近著『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』を読み、今日の対談を楽しみにしていました。ゆっくりお話しするのは、5年前にTakramのポッドキャストに呼んでいただいたとき以来ですね。改めて、緒方さんの経歴から教えてください。

緒方:肩書きはデザインエンジニアでして、東京大学工学部を卒業後、国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS/現・情報科学芸術大学院大学)を経て、山中俊治さんの元でプロダクトデザインを学びました。その後、Takramに参加して現在に至ります。Takramは説明が難しいのですが、新規事業開発やブランディング、プロダクトデザイン、インターフェースデザインなど多岐にわたるプロジェクトに携わっています。現在は東京、ロンドン、ニューヨーク、上海を拠点に50人くらいで活動しています。

久保田:Takram自身が「コンヴィヴィアル」な組織を目指していますね。

緒方:効率化の追求や生産性の向上ではなく、どんな仕事でも個人の気づきを大事にしながら一人ひとりが「ちょうどいい」バランスを探っていると言えるかもしれません。

久保田:Takramの活動は多岐にわたっていて「説明が難しい」と表現されましたが、それが重要だと思います。「わかりやすい」ことは、常に危険を孕んでいますね。

緒方:実際に、「これをつくってください」というよりも、「何をつくったらいいかわからないから一緒に考えてください」といった依頼が増えています。最初はプロダクトをつくる予定が「それならアプリをつくったほうがいいんじゃないですか。組織を変えたほうがいいんじゃないですか」と、提案することもあります。Takramは複数のアプローチを持っているので、それを期待されているのかなと。

緒方氏の所属するTakramはまさに「コンヴィヴィアル」な組織

久保田:私自身も、専門に陥らないこと、つまり専門家にならないことが、とても大事だと考えています。それはもちろん表層にとどまればいいという意味ではなく、「私の専門は〜」あるいは「私の立場は〜」と、それ以外のものを切り捨ててしまうことで、思考が狭く、しかも防御的になってしまうからです。今回の緒方さんの本も、扱われている範囲がとても幅広いですよね。本というメディアで、思考と実践の生態系を表現されているように感じました。一つひとつの事実は淡々と語られていて、「人間とは」あるいは「世界とは」などと大げさにあおりもせず、早急に答えを出して人に指図するのでもなく、ありがちなヒロイズムに対するアンチテーゼのようにも感じました。

緒方:これからのテクノロジーと人間のあり方を考える本として「コンヴィヴィアル・テクノロジー」をテーマにしましたが、あらゆることが繋がりあっている世界で、人間がテクノロジーとともに生きていくことを考えるためには、特定の分野にしぼって掘り下げていくだけでは見落としてしまうものがあると感じ、情報技術やデザインを軸にしながら、自然環境や人間社会の問題まで広く扱った構成になっています。そしてご指摘のとおり、あおるような表現を避けたくて、帯文の文字も出版社と相談してぎりぎりの控えめなサイズにしてもらいました(笑)。

『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』書影

医療としてのデザイン

久保田:本全体を通じて、緒方さんのバックグラウンドでもある「デザイン」がもうひとつのテーマとなっていますが、緒方さんやTakramが目指すデザインは、別の分野でたとえれば、イリイチがいう第二の分水嶺(註1)以前の、本来の意味での医療に近いように思いました。医療にもさまざまなレベルがあり、例えば個人のレベルで「お腹が痛い」「頭が痛い」という症状に対しては、その方の体を丁寧に診て、症状を改善するための処方をする。もちろん、その背後には膨大な医療の知識や経験が必要ですし、医療を支える医学研究という別のレベルもあります。

緒方:メタファーとしてデザインが医療に近い、ということもありますが、デザインは人間を相手にした行為であり、文字どおりの意味で医療やケアに近い面もあると思っています。それで出合った本が、あとがきでも取り上げた山崎亮さんの『ケアするまちのデザイン』(医学書院、2019年、註2)でした。このなかでアーツ・アンド・クラフツ運動に影響を与えた美術批評家のジョン・ラスキンは、のちに社会改良家として福祉の世界に影響を与えた人物でもあったと書かれています。まさにケアとデザインはつながっているんですよね。

久保田:医者に「僕の手術は芸術的です」と自慢されても困りますよね(笑)。患者は自己表現としての治療などは望んではいない。それは有害なクリエイティビティといえるでしょう。これからの社会におけるデザインは、決して自己表現や作品制作ではなく、もちろんデザイナーは作家などではなく、むしろ人の生き死にと対峙する緊張感こそが、必要とされているように思います。

緒方:デザインとは「人を動かすもの」。法律のようなルールで人を動かすのでもなく、ビジネスで言えば、わかりやすい性能や価格の差ではなく、「デザイン」という道具で人を動かせてしまうものです。そうしたデザインのもつ「力」に注目が集まっていることはデザイナーとしては歓迎すべきかもしれませんが、やはり力をもつことの危険性には自覚的でありたいな、と思っています。マーケティングの文脈で行動経済学をデザインと結びつける潮流はややこわいなと感じます。

久保田:20世紀初頭に、現代のPRや広告の手法を確立したエドワード・バーネイズは、著書『プロパガンダ』(註3)で「大衆はリーダーに従う」といい、外的な刺激で人間の行動を操作する大衆操作の手法で、女性の喫煙キャンペーンやベーコンの販売促進などを成功させました。本の最後は「この世からプロパガンダが消えることはない」と締め括られています。実際、100年後の今日、情報環境によってバーネイズの手法がさらに強化された「監視資本主義」(註4)と呼ばれるほどの世の中になってしまいました。とても根深い問題です。
作家や作品の話に戻ると、20世紀の終わり頃から、アートは必要のないものを購入させるためのツールとして利用されるようになりました。自己表現と結び付けられたアートは、「自分らしく生きよう」「個性こそが重要」といったプロパガンダとしての広告に利用され、他人と差別化を図るための、無用なモノの購入と消費を加速しました。そしていつしか、着ない服、履かない靴、使わない電子機器が販売され、地球環境に莫大な影響を与えるようになりました。デザインによって消費をあおることが、人類の生死に関わるようになったのです。それは、医者が社会に毒を撒くような行為です。

『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』で触れられている「二つの分水嶺」「監視資本主義」に言及した久保田氏

エンジニアリングにおける作品性

緒方:医療的なデザインというと、本のなかでも挙げましたが、山中俊治さんがデザインしたSuica改札機(註5)のようなものも含まれるでしょうか。

久保田:Suicaの改札機は、山中俊治という名も知らずに、それがあたかも最初からこの世にあったかのように、毎日多くの人が使っています。医療でいえば、新型コロナウイルスのmRNAワクチンもそうです。開発の立役者は女性移民科学者のカタリン・カリコーですが、その名前抜きで、多くの生命や生活が救われました。すぐれたデザインは、アノニマスなものです。デザインにおける、作者性や作品性の弊害について、緒方さんはどのように考えられていますか。

緒方:クライアントワークを作品と呼ぶことについてよく議論になりますが、その線引きはなかなか難しいですよね。例えば紙の上にカードをおくと文字や映像が浮かびあがる「ON THE FLY」というインターフェースを開発しましたが、それ自体は作品と言っても良いのかなと思っています。あくまでクライアントの依頼は展覧会の会場ナビゲーションで、具体的な方法について要望があったわけではなく、こちらから発案・提案したものだったので。ただ、そのインターフェースを使った企業のショールームや展覧会では、Takramの名前が全面に出ないこともあります。
Suica改札機を使う人の99%は山中さんのデザインであることを知らないかもしれません。ただ、残りの1%に満たない人たちは山中さんの実績だということを知っていて、次の仕事につながっている。僕らも、振り返ったときに自分たちのオリジナルであるという事実は残しておきたい、というのはあります。

Takramが開発したインターフェース「ON THE FLY」
画像提供:Takram

久保田:Takramに限りませんが、デザインエンジニアという仕事は、「エンジニアリングの作品化」という側面があり、それはそれでエンジニアリング(技術)の役割を社会に伝えるうえでは、大きな意味がありました。でも、それがデザインエンジニアの目的ではないですよね。

緒方:確かに、デザインとエンジニアは本質的に近い存在かもしれません。エンジニアリングもデザインも、目的を達成しようとしたり、問題解決しようとする。非常にケア的仕事という気がします。

久保田:エンジニアリングは常に、人の生き死にに関係していました。倒れないビルをつくり、壊れない巨大な橋をつくり、船体が折れないタンカーをつくる。多くの事故を経験し、それを防ぐために、技術は日々向上し、優秀な技術者も育ちました。さらに今では、そうした目に見える事故だけでなく、遍在化した情報環境による心の事故も急増しています。デバイスやネットワーク技術も、人の生死に直接関わるようになりました。

緒方:さきほどおっしゃったように、これからデザインも同様に人の生死に関わるという自覚が必要ですね。


(脚注)
*1
イリイチは道具が2つの分水嶺を通過すると論じた。第1の分水嶺を越える際に、道具は生産的なものとなるが、第2の分水嶺を越えると道具は手段から目的自体に転じて逆生産的なものになる。すべての道具には社会環境に応じた適性な規模があるとした。

*2
山崎亮『ケアするまちのデザイン』医学書院、2019年。

*3
エドワード・バーネイズ『プロパガンダ』中田安彦訳、成甲書房、2010年。

*4
企業がウェブを介して個人の行動データを収集して分析し利益につなげる仕組み。

*5
Suicaの開発初期において、改札機のカード読み取り面をわずかに手前に傾けたデザインによって、ユーザーは自然にその面にカードをかざすようになり、読み取りエラーが大幅に減った。


緒方壽人[おがた・ひさと]
ソフトウェア、ハードウェアを問わず、デザイン、エンジニアリング、アート、サイエンスまで幅広く領域横断的な活動を行うデザインエンジニア。東京大学工学部を卒業後、国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)、リーディング・エッジ・デザインを経て、ディレクターとしてTakramに参加。主なプロジェクトに、「HAKUTO」月面探査ローバーの意匠コンセプト立案とスタイリング、NHK Eテレ「ミミクリーズ」のアート・ディレクション、紙とデジタル・メディアを融合させたON THE FLYシステムの開発、21_21 DESIGN SIGHT企画展「アスリート展」ディレクターなど。2005年、ドイツiFデザイン賞、2012年、第16回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品など受賞多数。著書に『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』(BNN新社、2021年)。

久保田晃弘[くぼた・あきひろ]
1960年生まれ。多摩美術大学美術学部情報デザイン学科メディア芸術コース教授/国際交流センター長。アーティスト。東京大学大学院工学系研究科船舶工学専攻博士課程修了、工学博士。数値流体力学、人工物工学に関する研究を経て、1998年より多摩美術大学にて教員を務める。芸術衛星1号機の「ARTSAT1:INVADER」でアルス・エレクトロニカ 2015 ハイブリッド・アート部門優秀賞をチーム受賞。「ARTSATプロジェクト」の成果で、第66回芸術選奨の文部科学大臣賞(メディア芸術部門)を受賞。著書に『遙かなる他者のためのデザイン 久保田晃弘の思索と実装』(BNN新社、2017年)、共著に『メディアアート原論』(フィルムアート社、2018年)ほか。

※URLは2022年7月29日にリンクを確認済み