1978年の「スペースインベーダー」の大ブレイクから約40年、ゲーム産業に関するさまざまな書籍出版や論文執筆が行われてきたが、研究者の視点から通史を語る試みはなかった。こうした中で出版された「日本デジタルゲーム産業史 ファミコン以前からスマホゲームまで」(人文書院)[http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b217735.html]は、産業史の視点からゲーム産業の歴史を体系的に論考した点で、大きな功績があるといえるだろう。
本書は主に日本のゲーム産業史を扱っているが、要所において海外の歴史も扱っており、特に黎明期のゲーム事情が充実している点が特徴だ。家庭用だけでなくアーケードやPCゲームとの共進化で産業が発達していった点についても、詳しく述べられている。表やグラフといった資料が充実している点も特徴で、サイズが小さく読みにくい点が玉に瑕だが、議論にしっかりとした裏打ちを与えている。
その上で本書の特徴は構成にある。前半を日本のゲーム産業の成長期、後半を停滞とモバイルゲームへの転換としつつ、その背景や経過について考察した点だ。いわゆる「次世代機ブーム」に沸いた1994年ごろからの変化について記述された第9章のまとめに「この時期が(日本の)ゲーム産業にとって最大の黄金時代だった」というくだりがある。こうした指摘は産業史ならではのものだろう。
では、なぜそこから日本のゲーム産業は方針転換を迫られたのか。本書から浮かび上がってくるのは家庭用ゲームへの過度な集中ぶりだ。1990年代から2000年代にかけてアーケードゲームの互換基板が登場した前後で、各社で研究開発の必要性と余力がなくなっていった。これが2000年代以降ゲームの基礎技術がPCに移行していくなかで、相対的な技術力低下につながっていく。
これに対して米ゲーム産業では、いわゆる「アタリショック」以降、NES(海外版ファミコン)を筆頭に日本製ゲームが全米に進出していく中で、PCゲームに移行しつつ、独自の研究開発が続けられてきた。これが2000年代以降、ゲームの開発規模が大規模化していく中で、再浮上するための梃子になっていく。その結果、家庭用ゲームにおける日米の力関係が逆転したというわけだ。
もっとも本書では1980年代以降、海外ゲーム産業の動向がわかりにくい。また2000年代以降、オンラインゲームが海外ではPC、日本では携帯電話を土台に進化していく。その過程でモバゲータウン、GREEというプラットフォームが生まれつつ、海外展開に失敗し、数年でアップル、Googleに覇権を譲り渡してしまった点についても、まだまだ議論の余地を残しているといえるだろう。
いずれにせよ、ゲーム研究者にとって引用に足る資料が、研究者の手によって執筆され、出版された意義は大きい。著者の小山友介氏が1973年生まれの、いわゆる「ファミコンキッズ」世代という点もポイントだ。子どもの頃からゲームに親しみ、リアルタイムで進化を目の当たりにした世代ならではの労作だといえる。これを土台に、さらなる議論を期待したい。