2013年9月14日から12月24日まで、豊田市美術館で開催されている「反重力 浮遊|時空旅行|パラレル・ワールド」展が開催中である。河原温氏、中谷芙二子氏、松澤宥氏、中原浩大氏+井上明彦氏、内藤礼氏、佐藤克久氏、奥村雄樹氏、そして建築家の中村竜治氏、歌手・作詞家・作曲家のやくしまるえつこ氏などの日本人作家と、ドイツのカーステン・ヘラーなど海外作家4人を含め、全17人の作家が出品した。筆者にとって本展は、クワクボリョウタ氏と平川紀道氏、二人の作品をより広い文脈のなかで見る機会という意味を持っていた。クワクボ氏の2010年メディア芸術祭アート部門優秀賞受賞作の《10番目の感傷(点・線・面)》、平川氏の2010年作《irreversible》と今年山口情報芸術センター10周年記念祭の国際グループ展「Art and Collective Intelligence」展で発表された2013年作《the versions [a-z]》と《a versions [26 unknowns]》など、それぞれの前作と密接な関係を持っている新作が、メディアアートとは異なる現代アートという重力場のなかで、どのように位置づけられているかについて興味があったからだ。
まず、クワクボ氏の《ロスト・グラフヴィティ》は、さまざまな角度の板に固定され、静かに回転する日用品の影が、窓から映し込む異世界の夜景を連想させる作品である。この作品は、自然と建築がつくりあげる素晴らしい景色のなかに広がる中谷氏の霧の彫刻《Fog Sculpture #47636 “風の記憶”》(2013)、透明なビーズ、小さな木彫りの人形、消える寸前のろうそくの光、半透明の紙1枚、そして素足にふれる床面の感触からなる内藤氏の《母型》(2013)、エルネスト・ネト氏のラベンダーの香が漂うテントの形をした布の作品《わたしたちのいる神殿のはじめの場所、小さな女神から、世界そして生命が芽吹く》(2006)のように、空間そのものの体験が重視される作品の間に展示されている。
その一方、粒子の動きという非可逆的ミクロコスモスに内在する巨大な宇宙を高速で巻き戻す映像と、観客の顔とほぼ同じ高さにかけられ、曇った鏡のように見えるスクリーンに匿名の16人の顔が解け合い、移り変わる映像を対置させている、平川氏の《16 unknowns and the irreversible》(2013)は、時間をめぐるコンセプチュアル・アートの展示されている部屋につながる位置に配置されている。本展の大団円を告げるこれらの作品は、1971年5月7日に描かれた、河原温氏の日付絵画《May 7, 1971》2点と各ページに500年ずつ、100万年がタイプされている書物の形をしている作品《百万年 過去》(1970-1971)と《百万年 未来》(1980-1995)、また、人類がこのまま二酸化炭素を排出しつづけると80年以内に滅亡するという学説への対応として、宇宙と環境に関する新聞記事の抜粋を、方眼紙に縦横9文字ずつ、最後が「80年以内に人類滅亡」で終わるように書き込んだものを曼荼羅状に9枚並べた松澤宥氏の《80年問題—傾く宇宙》(2002)、そしてミクロ単位で削ったステンレスの角柱を円筒形で削り、同形のものにはめ込んだ上で、わずかな穴を開けることで、表面と内面の間にズレをつくった、毛利武士郎氏の1996年作の彫刻である。
「反重力」とは、既存体制へのアンチを意味していたモダニズム的概念であるが、ここでは身体と生活の枠から解放された空間性など、現代社会の諸相を反映する広い概念として使われている。そのためか、本展には、難解な科学理論や最先端テクノロジーを前面に出したり、言葉通りの重力を素材とする体験を観客に強いたりする作品はあまりなかった。そのなかにあって、クワクボ氏と平川氏の作品は、現代アートのなかで一抹の不自由さもないメディアアートの現在を提示してくれている。
豊田市美術館「反重力 浮遊|時空旅行|パラレル・ワールド」展
http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2013/special/antigravity.html