故・川本喜八郎氏(1925-2010)の『チェコ手紙&チェコ日記 人形アニメーションへの旅/魂を求めて』(作品社、2015年)は、1963年3月から1964年10月まで、各国の人形アニメーション事情の調査のため、チェコ・プラハを中心とした東西ヨーロッパの複数の国を回った川本氏が、その期間中に書き残した手紙・日記を集めたものである。本書は元々、2002年に横田正夫日本大学教授の研究室経由で『チェコ手紙&チェコ日記』というタイトルで非売品として刊行されていたが、川本氏の生誕90周年となる今年(2015年)、出版されることとなった。
川本氏は、日本の人形アニメーションの歴史を振り返るうえで決して欠かすことのできない存在である。戦後、東宝にて映画美術の仕事をしていた川本氏は、劇作家の故・飯沢匡氏(1909-1994)にその人形制作の才能を見出された。1950年代、フリーとなった後の川本氏は、日本の人形アニメーションの創始者である故・持永忠仁氏(1919-1999)に師事、その後、飯沢氏らとともに、CMを中心とした人形アニメーションの制作に従事する。1960年代以降は、本書で取り上げられる一年以上にわたる国外での留学と研究調査を経たのち、人形アニメーション作家としての道を本格的に歩みはじめることとなる。「NHK人形劇 三国志」(1982-84)などでの人形作家としての活動と並行しながら、自主制作によって人形アニメーション作品を精力的に発表しつづけた川本氏は、その作品によって国際的にきわめて高い評価を得て、この分野において世界を代表する作家の一人として名を残すこととなった。
作家としての活動以外でも、日本アニメーション協会の会長などの立場を通じて後進の指導に励むほか、留学や映画祭への参加を契機とした海外の著名なアニメーション作家・関係者との交流にも積極的であり、そういった活動は、川本氏自身が企画・監督を務め、ユーリー・ノルシュテイン氏(1941-)をはじめとする国際的な作家が参加したオムニバス長編『連句アニメーション 冬の日』(2002)として結実することとなる(同作品は、文化庁メディア芸術祭のアニメーション部門で大賞を受賞した)。この『冬の日』や遺作となった『死者の書』(2006)を含め、計3本の長編を遺したことも、日本のインディペンデント作家の活動としては特筆に値する。
本書が取り上げるのは、川本氏がこれらの輝かしい経歴を残す「前夜」における、武者修行の時期である。1952年、川本氏はチェコを代表する人形アニメーション作家、故イジー・トルンカ氏(1912-1969)の『皇帝の鶯』(1948)と『バヤヤ』(1950)を鑑賞、その体験は川本氏にとって非常に大きなものとなる。それ以来、人形アニメーション制作を生涯の仕事とする決意をした氏は、まったく面識もつながりもないトルンカ氏に会い、学ぶため、出張取材の名目で単身プラハに渡ることになる。ただし、川本氏のプラハ訪問は、ただ単に「憧れの人」と面会することのみを目的としたものではない。本書に掲載されている手紙からは、この旅が何よりも、いまだ黎明期にあり、伝統の欠如ゆえに手探りに進むしかない日本の人形アニメーションの歴史に、確かな次の一歩をもたらすという強い目的意識に基づくものであったということがわかる。これらの手紙は友人へと宛てた私的なものだったが、海外旅行、それも冷戦期における東側諸国での長期滞在という当時としてはきわめて珍しい経験を自分だけのものにしないため、飛び込みのようにしてやってきた日本人を温かく受け入れてくれたプラハのスタジオにおける様々な出来事や観察からわかった事実、そしてそれらから川本氏が抱いた雑感や考察が、意識的に詳しく具体的に記されている。そこからは何よりも、自分自身の経験を、きたるべき歴史のための糧にしたいという川本氏自身の強い思いが感じられる。
川本氏のこの旅が日本の人形アニメーション界の発展のために大きな成果をもたらしたことは、その後の歴史が証明している。しかし、だからといって、この本に書かれた内容が既に役目を終え、単なる歴史的な資料としての価値にとどまるかといえば、おそらくそのようなことはないだろう。この本からはいまだ、未来への糧となるべきアクチュアルなものが感じられるからだ。もちろん、当時と今とでは、アニメーションをめぐる環境はまったくと言っていいほどに違ってしまっている。1960年代は、1960年のアヌシーをスタートとして、アニメーションを専門とした国際映画祭の文化がようやく始まった時代である。つまり、それぞれの国のアニメーション文化が、まだ国や地域の内部で秘儀のように明かされずにいた時代だったということだ。それゆえにその時代、トルンカ氏の先導のもと、世界一の人形アニメーション大国として認知されていたチェコを訪れることは、現在想像しえるよりも遥かに大きな意義のあるものだったことは容易に想像がつく。しかし、今ではその状況は変わってしまっている。チェコの人形アニメーションは、川本氏の滞在時と現在を比べれば、財政的に強力なサポートを行ってきた社会主義政権自体の崩壊もあり、斜陽と没落の時期を迎えていると言わざるをえない。日本からチェコへとアニメーションを学びに行くという流れ自体は細々と続いているが、チェコが現在、かつての人形アニメーション大国としての影響力を保持しているとは言いがたい。
では、そんななかで、日本人によるこのチェコへの訪問記が、いったいどのようなアクチュアリティを持ちうるのか。それはまず、本書を通じて、現在とは異なるアニメーション観と対面することができるということだ。さらにいえば、時代は大きく異なるとはいえ、若き川本氏の置かれた境遇自体は、実際には現在とさほど変わりがないということが、本書を読み進めるうちに次第にわかってくる。そして、これから日本の人形アニメーションの歴史を新たに築き上げようとしていた若き川本氏の根本にあった情熱――川本氏自身が本書のなかで何度も重要性を強調する原動力――自体は、自分たちにも身に覚えのある感情として、読者それぞれもこれから抱きうる感情だということを、この本は実感させてくれるのである。
まず、この本を読むことで対峙させられることになるのは、当時のチェコで抱かれていたアニメーション観が、現在のスタンダードからすればあまりに異質だという事実である。それは多分に、社会主義時代の国営スタジオでの創作であったこととつながっているだろう。本書のなかでトルンカ氏やスタジオの他のアニメーターたちは、アニメーションがとりわけ達成しうる独自のキャラクター像について言及するが、それがおそらくその典型であるだろう。アニメーションは、個別的な人物よりも、ある種の民族的な典型や、場合によっては英雄としての登場人物を描くことに長けているという考え方は、ソ連時代のロシアをはじめとして、他の社会主義圏においても見出しうるものである。こういったキャラクター観を持ったアニメーションは、1990年代以降、社会主義圏の崩壊によって消失する。国営スタジオの庇護を失ったアニメーションは、もっぱら、市場原理と対峙することを余儀なくされることとなる。その状況において、アニメーション表現は、広く、遠くまで受け入れられることをスタンダードとしていく。結果として、その国・地域の独特の原理に根ざした異質な表現というものは好まれなくなり、アニメーション表現からは消えていくことになる。
それゆえ、川本氏の手紙を通じてこの本が目の当たりにさせるのは、今では消滅してしまった、(現在の目から見れば)「異質な」原理のアニメーションの姿である。特定の国民の文化に根ざした「流派」が伝統として保たれ、疑われざる前提として確固として存在している状況での創作の様子は、守られるべき流派が存在しないことが当たり前となっている現在の観点からすれば、それだけで発見と衝撃の感覚を与えてくれるだろう。それはもしかすると、現在の作り手たちに対して、アニメーションというものは、今想定されているのとはまったく別種の前提によっても作りうる可能性があるのではないかということを、認識の傍らに留めさせてくれるのではないだろうか。
本書を読み進めることでさらにわかってくるのは、当時の川本氏を取り巻く日本の人形アニメーションの歴史の不在という状況は、現在の「流派」なきアニメーションの現状と、実際には似ているということである。流派がないということは、換言すれば、簡単には活動の指針が見出しづらく、あらゆる一歩が、当然とみなせる根拠のない「賭け」のようなものとならざるをえないということだ。それは、旧来の制度の限界が顕になりつつあり、既存の道を素直に歩んでいいのか躊躇を感じざるをえない現在のアニメーションにおける状況とも、奇妙にも一致する。
そういう観点からすると、川本氏のプラハでの態度には、学ぶべきところが大きい。川本氏は、自分自身の憧れの地・憧れの人物との対面を繰り返すなかで、舞い上がることはあまりない。その態度は、可能な限り貪欲かつ冷静に情報を吸収し、思考を繰り返して、自分たちの未来を切り開こうとするものになっている点で貫徹している。
川本氏のプラハへの訪問の根本には、日本においてはコマーシャル用の映像しか作ることができず、「創作」ができないというフラストレーションがあった。しかし、氏は決して、収入と身分を保証された社会主義のスタジオの状況を羨むことはしない。同時に、自国の環境の未整備を恨むこともしない。プラハと東京との環境を冷静に比較し、プラハの良いところは吸収しながらも、東京の自分たちの環境の利点をも冷静に見出そうとも試みる。夢を見過ぎることなく、かといってペシミスティックになることもなく、冷酷なまでの現実認識と情熱のバランスをとりながら、自分自身にありうる独自の未来を見出そうとする川本氏の姿は、現在においてもなお、アクチュアリティを感じられるものである。
手紙というメディアゆえに滲み出る、人間味のある感情が、そのアクチュアルな感覚を補強するだろう。これらの手紙から真っ先に伝わるのはもちろん、未来を作り上げようとする情熱である。しかし、それと同時に、たとえば、友人からなかなか返事が来ないことに感じる寂しさの感情なども、これらの手紙のなかにはきわめて率直に表明されている。「神様」のようなトルンカ氏に対する距離感を掴みかねてしまったり、故カレル・ゼマン監督(1910-1989)と出会ったときにモジモジとしてしまったことなども、ふと語られたりもする。情熱に燃えながらも、微妙に揺れ動いてしまう心の機微が、数々の手紙を読み重ねるうちに、伝わってくる。
そういった揺れる感情の持ち主として描かれるのは、川本氏のみに限らない。たとえばトルンカ氏が、酒の席の場でふと川本氏に心を開き、自分自身の孤独や寂しさをふと漏らすシーンも印象深い。こういった描写から何よりも実感させられるのは、トルンカ氏や川本氏をはじめとした、現在では「歴史上の」人物となっている人々が、実際には、私たちと同じように心揺れ動く存在なのだという事実である。旅を始めたばかりの川本氏は、手紙のなかで、強烈なカルチャーギャップにショックを受けながらも、プラハにいる人たちもまた、実際には自分たち日本人とあまり変わらないことがわかったと書いている。本書もまた同じように、架け橋を作ってくれる部分がある。本書に刻まれる葛藤の過程を読むなかで、情熱・孤独・興奮・失望......そういった様々な感情は、歴史を作り上げた彼らだけが特別に持っているものではなく、すべての人に覚えのある感情なのだと認識できるのである。
それゆえにこの本は、時代や環境の違いを背負いながらも、今の読者に対しても、遠く離れた先人たちがやってきたのと同じように、しかしやり方自体は自分たち独自のものによって、未来を切り開いていくことを選ばせる後押しとなりうるものなのではないだろうか。インディペンデント・アニメーションという小さな分野に関わる人にとってみれば、それはなおさらのことである。川本氏の悩みや葛藤は、日本においてこの分野に関わる人であれば、誰もが抱くような身近なものでもある。川本氏がこの旅行の最中に抱いた野望や夢のなかには、叶ったものもあれば叶わなかったものもあり、展望のなかにはその通りになったものもあればそうではなかったものもある。川本氏の情熱とともに揺れ動く心を共有するなかで、この本は、今であれば自分たちはどんな一歩を踏み出すことができるのだろうか、そのような思考へと導かせてくれるものであるに違いない。
本書は、川本氏やトルンカ氏らが作り上げた、今私たちが立っているアニメーションの歴史の原点を確認させるものである。しかし同時に、いまだ実現されていない、しかしありえるかもしれない、未来の姿を空想することも許してくれるものでもある。
『チェコ手紙&チェコ日記 人形アニメーションへの旅/魂を求めて』
著:川本喜八郎、出版社:作品社
出版社サイト
http://www.sakuhinsha.com/art/25095.html
川本喜八郎氏の公式ページ
http://chirok.jp/index.html